第62食 汁粉
見上げるほど巨大な、円筒形の本棚が螺旋を描いて遥か天井まで続いている。
そこは、この世の全ての知識が集約されたかのような、広大で静謐なる「大書庫」だった。
並べられている本の数は数万、いや数百万冊に及ぶかもしれない。
その壮大な書庫の端で、ヨシュアがものすごいペースで本を読み漁っていた。
「……違う、これでもない」
パラパラパラパラ
常人ならば一冊読むのに何日もかかるであろう分厚い魔導書が、わずか数秒で最後のページまでめくられ、パタンと閉じては虚空へと姿を消していく。
「くそっ、この文献にも載っていないのか……!」
ヨシュアの額には、焦燥を示す冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
――どれだけ探しても、セレナを元に戻す方法が見つからない。
シャロたちと共に第九層の「闇の世界」に足を踏み入れ、最深部である第十層が目前に迫っている今、ヨシュアの心の中には、かつてないほどの『焦り』がどす黒く渦巻いていた。
最深部に行けば、間違いなく強大になったセレナ、最強最悪の吸血鬼「ヴェノムヴァンパイア」と真正面から激突することになる。
今のシャロの力、エミルの剣、アグニの拳、そして自分の魔法のすべてを完全に結集すれば、神獣すらも下した彼女達ならば、もしかしたら、倒すことはできるかもしれない。
だが、彼女達の目的はあくまで「セレナの救出」だ。
かつての仲間であり、この世界で最も優しかった聖女、彼女を殺すことなく、吸血鬼化という呪いから解放し、再び人間の姿に戻すこと、それこそが、命を懸けてこの迷宮の最深部を目指している最大の理由なのだ。
「……無いのか……本当に……全く存在しないのか……!?」
ヨシュアは忌々しそうに、次の文献の束を引き寄せた。
これまで彼女は様々な歴史書や魔導書に目を通してきた。
書籍だけでは無い、彼女が生涯で耳に挟んだたわいもない会話や噂話も、この書庫には本として置かれている。
だが、それでも魔物と人間が融合してしまうというケースは、どれだけ探しても全く見当たらないのだ。
「……やはり、あの時の状況が、偶然に偶然が重なった、まさに『超激レアのケース』……いや、神の悪戯とも言うべき最悪の奇跡なんだろう」
ヨシュアは奥歯を噛み締めた。
あの転移事故さえなければ、セレナは……そう自分を責める気持ちが、彼女に「せめて一つでも手がかりを」と焦燥を募らせる。
「……だが、それでもッ!」
ヨシュアは血走った目で、書庫の天井を睨みつけた。
「それでも1つ!せめて1つくらい、何か欠片でもいい、わずかな手がかりでもいい!何かないものかッ!!」
彼女はただ、過去の自分の無力さを呪い、大切な仲間を救えなかった自分自身への強烈な後悔だけが、彼女を突き動かしている。
「……もう、諦めたら?」
唐突に、書庫の静寂を切り裂くように、冷たく、感情の抜け落ちた声がヨシュアの鼓膜を震わせた。
「っ……誰だ!」
ヨシュアは弾かれたように後ろを振り返った。
誰もいるはずのない、果てしなく続く本棚の通路。
その薄暗い影の中から、ゆっくりと、一人の少女が姿を現した。
美しい白髪に、神聖さを感じさせる純白の法衣。
だが、その青い瞳には、深い深い絶望と、底知れない『憎悪』が宿っていた。
「……セ……レナ……?」
ヨシュアの喉から、掠れた声が漏れた。
そこに立っていたのは、間違いなく彼らが探し求めているかつての仲間、聖女セレナその人だった。
「……戻す手段など、存在しない。分かっているんでしょう?ヨシュア」
セレナは無表情のまま、スッとヨシュアを指差した。
「私は、お前のせいで化け物になった、もう二度と元には戻れない。お前が弱かったから。お前が私を守れなかったから。お前のそのくだらない魔法が失敗したから……だから私は、こんなおぞましい血を啜るだけの化け物に落ちぶれたのだ」
「……誰だ、お前は、何故こんな所に居る」
セレナの氷のような冷たい言葉を浴びせられながらも、ヨシュアは冷静さを失わず、状況を把握する。
そうなのだ。
ヨシュアが今いるこの大書庫は、彼女の心の中であり、頭の中である。
物理的な肉体を持った他の人間や魔物が、この閉ざされた精神世界の中に「侵入」することなど、絶対にありえない。
「……死をもって償え、ヨシュア」
その瞬間だった。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!
セレナの足元の空間がドス黒く染まり、そこから禍々しい闇の魔力が爆発的に膨れ上がった。
そして、その小さなセレナの身体を飲み込むようにして、背後から「山」のような漆黒の巨体が出現した。
高さ50メートルにも及ぶ、圧倒的な質量。そして、その巨大なおぞましい怪物の「頭頂部」には、先ほどのセレナ本体が融合し、浮かび上がるようにしてくっついていた。
「ウオオオオオオオオッ!!!!」
怪物の巨大な口が、天井を揺るがすほどの絶叫を上げる。
かつて第6層で対峙した、最強最悪の怪物「ヴェノムヴァンパイア」の、あの異形の姿そのものだった。
ヴェノムヴァンパイアが、天井を揺るがすほどの鼓膜が破れそうな絶叫を上げ、ヨシュアに向かってその漆黒の鋭い爪を振り下ろしてきた。
ヨシュアは咄嗟に後方へと飛び退き、爪の直撃を間一髪で回避した。
ズガアアアアンッ!!
ヨシュアがさっきまで立っていた床が破壊され、無数の魔導書が紙吹雪のように舞い散る。
「……間違いない。俺は今、現実世界で何らかの『攻撃』を受けている」
ヨシュアの頭脳が、わずかな異常から即座に論理的な結論を導き出した。
「精神に干渉する魔物と言えば……『ナイトメア』かッ!!」
ナイトメア、標的の脳内に強制的に『悪夢』を見せ、精神を衰弱させ、死に至らしめるとされる、非常に厄介で悪辣な魔物。
「くっ……精神支配の抵抗魔法はセレナの分野だが、やるしかないッ!!」
ヨシュアは精神世界の中での魔法の詠唱を強行し始めた。
自分の心を律し、この悪夢を強制的に破棄して現実の世界へ覚醒するための「精神離脱」の魔法。
だが悪夢の世界は、彼女に集中することを許さない。
突如、周囲の本棚から無数の本が浮かび上がり、意思を持ったかのように一斉にページをカミソリのように鋭く尖らせ、刃物の群れとなってヨシュアめがけて四方八方から襲い掛かって来る。
「チィッ!!」
ヨシュアは必死に身を翻し、本の刃を避け続ける。
「やっぱそう簡単には動かせてはくれないか……ッ!」
さらに、容赦なく襲い来るのは本だけではなかった。
巨大なヴェノムヴァンパイアもまた、その丸太のような巨腕を叩きつけてくる。
おまけに、ヨシュアの焦燥を煽るかのように、彼女の記憶の中から次々と魔物が山ほど現れた。
獅子と蛇が混じり合った『キマイラ』、巨大な翼を持つ『ドラゴン』、天を突く巨躯の『ギガンテス』、地獄の番犬『ケルベロス』。
「冗談じゃないぜ、これだけの数……ッ!」
どんどん激しくなる攻撃の嵐に、ヨシュアは必死に飛び回って逃げるしかなかった。
ドラゴンの火炎を、ギガンテスの棍棒を、キマイラの爪を、ケルベロスの牙を、全てギリギリで避けつつ、高速で移動する。
「くそぉッ!!」
ヨシュアは、激しく飛び交う魔物たちやその攻撃の猛威の合間を、針の穴を通すような精密な飛行で通り抜けつつ、ただ一点、「上」を目指して高速移動を開始した。
この大書庫の果てしなく続く天井、その頂上付近に、一か八かの賭けに出る。
「逃ガサナイ……!!」
ヴェノムヴァンパイアが、その禍々しい双翼を急加速させ、他の魔物たちを引き連れてヨシュアの後を猛追してくる。
その速度は凄まじく、どんどんと距離が縮まっていく。
「……今だッ!!《エクスプロージョン》ッッ!!!!」
ヨシュアは全ての魔物が自分を追いかけ始めた事を確認し、真下の魔物に向かって、極大の爆発魔法を発動させた。
ズガガアアアアアンッッ!!!!!!
激しい爆炎と煙が立ち込め、魔物たちの視界と感覚を一時的に塗り潰す。
「ソンナモノガ、効クカ……!」
渾身の魔法だったが、下の魔物達にはほとんどダメージが通っていない。
ヨシュアはその爆炎の中で気配を殺し、咄嗟に炎の幕から横へ向かって素早く逃げ出した。
だが、悪夢の中の魔物たちは、その動きを逃さなかった。
彼らは標的の恐怖という感情そのものを追跡し、速攻でヨシュアに追いつく。
「終ワリダッ!!」
ヴェノムヴァンパイアの巨大で鋭い爪が閃き、逃げようとしたヨシュアの身体を、無慈悲に、バラバラに踏み潰した。
――ガシャアアアンッ……
「……!!」
だが、砕け散ったのは血肉ではなく、冷たい『氷』だった。
襲い掛かった魔物たちが一瞬、動きを止める。
バラバラに粉砕されたのは、本物のヨシュアではなく、彼女が土壇場で作り出した精巧な『氷の像』だった。
本物の彼女は、爆炎の煙の中に留まり続けることで、絶対的な一瞬の死角を作り出していたのだ。
「……今だッ!!」
その一瞬の隙を突き、ヨシュアは現実世界への覚醒を促す魔法を唱え始めた。
それに気が付いた魔物たちが一斉に本物のヨシュアへと矛先を変え、四方八方から襲い掛かる。
ギガンテスの棍棒が、ドラゴンの牙が、そしてヴェノムヴァンパイアの爪が、彼女の身体を無慈悲に貫いた。
「が、ぁ……ッ!!」
ヨシュアの口から大量の鮮血が吐き出される。
激痛に意識が薄れ、視界が真っ白に染まっていく。
もしこのまま気を失ってしまったら、現実の彼女の肉体まで死んでしまう。
彼女は血を吐きながらも、必死に意識を保ち、魔法を最後まで唱え切った。
「――目覚めろおおおおおッ!!!」
カアアアアアッ!!
精神世界を純白の光が埋め尽くし、大書庫も魔物たちも、すべてが光の中へと溶けて消えた。
***
「――ハァッ!!ハァッ!ハァッ!!」
ヨシュアは、まるで水底から激しく水面に引きずり上げられたかのように、大きく息を吸い込みながらガバッと上半身を起こした。
心臓が早鐘のように鳴り響き、全身は滝のような脂汗にまみれている。
荒い呼吸を整えながら、ヨシュアは周囲を見回した。
紫の草原に、遠くに見えるベヒーモスの巨大な残骸。
そこは間違いなく、彼女達が休眠についた現実世界の第9層「闇の世界」だった。
自身の腹部や肩に手をやるが、穴は開いておらず、血も流れていない。
間違いなく、あれは夢の中の出来事だったのだ。
「……助かった、のか……っ」
安堵の息を漏らそうとした瞬間、彼女の耳に、隣で苦しそうにうめき声を上げる仲間たちの声が飛び込んできた。
「う……うぅ……やめて……こないで……!」
「ちくしょう……なんで……僕の剣が……!」
「やめろ……アタシは……美味く……無いゾ……!」
シャロ、エミル、アグニの3人が、額に冷や汗を浮かべ、青ざめた顔で激しく悪夢にうなされながら、地面でのたうつように苦しんでいる。
そして、その頭の周りに「それら」がいるのを発見した。
空間からずるりと滲み出たような、黒いボロボロのローブを纏った、顔のない「影のような魔物」。
「……ナイトメアッ!!」
全部で4体。それぞれがヨシュアたち4人に1体ずつ取り憑き、悪夢を見せて精神を殺そうとしていたのだ。
ヨシュアが覚醒したことに気づき、標的の自力覚醒という想定外の事態に、影の魔物たちはスススッと、暗闇の中へと素早く逃げ出そうとする。
「誰が逃がすかよ……ッ!消え失せろッ!!《インフェルノ・エクスプロージョン》ッ!!!!」
ゴオオオオアアアアッ!!!
ヨシュアの杖から放たれた爆発的な炎の渦が、逃げようとしていた4体のナイトメアをまとめて背後から一網打尽に飲み込んだ。
「ギイイイイイイイイッ!!?」
精神世界では強大でも、現実世界においてはこの程度の防御力しかないただの影の魔物だ。
炎の猛威に為す術もなく焼かれ、4体のナイトメアは悲鳴を上げる間もなく、一瞬にしてチリ一つ残さず完全に灰となって消滅した。
「――っはぁ!!!」
「うおおぉわああぁッ!?」
「ハァッ……ハァッ……!!」
ナイトメアが消えたタイミングで、シャロ、エミル、アグニの3人が、ヨシュアと同じように全身を汗だくにして飛び起きた。
「はぁ……はぁ……ヨシュア……?」
シャロが焦点の定まらない目で、杖を構えて肩で息をするヨシュアを見上げる。
「今のは……夢……?」
エミルが額の汗を手の甲で拭いながら、まだ震えの止まらない声で言った。
ヨシュアは深々と息を吐き出し、杖を下ろして3人にゆっくりと向き直った。
「俺達は『ナイトメア』に襲われてたんだ。あの悪夢を操る魔物にな」
ヨシュアの言葉に、3人がハッとして息を飲んだ。
「襲われたって……おいヨシュア!寝る前に、お前がいつも『魔除け』の魔法を張ったんじゃないのかヨ!?」
アグニがヨシュアに詰め寄る。普段なら結界の中で安全に眠れるはずだったのだ。
「流石に第9層の魔物には、この程度の魔除けなんて通用しないって事なんだろう。あのナイトメアも恐らく上位種だ」
ヨシュアが悔しそうに顔をしかめる。
「……魔除けも効かないとは、本当に厄介だな。これではおちおち眠る事もできんぞ」
エミルが周囲の闇を警戒するように鋭く睨みつけた。
「……とりあえず、腹減った」
ヨシュアが、自分のお腹に手を当てながら、真顔で言った。
「え?」
「シャロ、悪いんだが、何か『甘いもの』を作ってくれないか」
シャロもアグニもエミルも、目を丸くしてヨシュアを二度見した。
腹が減ったと話を持ち出すのは、いつもアグニの役目だったからだ。
「甘いものだね!任せて、すぐにとびっきりのを作るから!」
ヨシュアの予想外のリクエストに、シャロは驚きながらも満面の笑みで頷いた。
彼女は先ほどヨシュアの炎魔法によって灰となったナイトメアの痕跡にそっと手を触れ、魔力を注ぎ込むと、紫の土壌から光の粒子と共に、可愛らしい緑の芽が吹き出した。
それがみるみるうちに成長し、やがて豊かな実りをもたらした。
今回、シャロが生成した食材は2つ、ふっくらとした「小豆」と、黄金色の「もち米」だ。
シャロは小豆を軽く砕くと、たっぷりの水で火にかける。
しばらくして鍋のお湯がグラグラと沸騰し、小豆から独特の渋みを含んだ赤い汁が出たところで、シャロはザルを使って一度そのお湯を豪快に全てこぼし捨てた。
再び鍋に小豆を戻し、今度は新しくて冷たい綺麗な水をたっぷりと注ぎ直し、再び火にかける。
沸騰したら一番弱い火にして、焦がさないように、ゆっくりと煮込んでいく。
コトコト、コトコト……
焚き火の静かな音が、悪夢の恐怖を少しずつ溶かすように、優しく闇の空間に響き渡る。
小豆を煮込んでいる間に、もう一つの作業に取り掛かる。
収穫したもち米を、まるで小麦を小麦粉にする時のように、徹底的に細かく細かく挽いていく。
やがて、それが真っ白でサラサラの米の粉へと変わる。
その粉を大きなボウルに移し、そこへ水を数回に分けて少しずつ注ぎ入れては、指先で丁寧に混ぜ合わせていく。
少しずつ加水して、粉っぽさが無くなってきたら、次は手でしっかりと捏ねて、一つに纏める。
キュッ、キュッ、とリズミカルな音を立てながら、真っ白な生地を手のひらで力強く、そして滑らかになるまで捏ねていく。
生地が耳たぶくらいの心地よい柔らかさになったところで、みんなの一口サイズになるように、手で小さくクルクルと可愛らしい球状に丸めていく。これでお団子の生地の完成だ。
次に別の鍋にたっぷりのお湯を沸かし、そこへ丸めた真っ白な生地をコロコロと落としていく。
最初は鍋の底に沈んでいた生地たちだったが、火が通るにつれて、お湯の表面に浮かび上がってきた。
浮き上がったら、あと少しだけ茹でて、冷水に取ってキュッと引き締める。
ツルツルでモチモチに茹で上がった真っ白なお団子。
これだけでも十分に美味しそうだが、メインはこれからだ。
シャロが小豆の鍋の蓋を開けると、湯気と共に豆のホクホクとした優しい香りが漂ってきた。
小豆はすっかり水を吸ってふっくらと柔らかくなり、指で軽くつまむだけでホロリと崩れるほどになっている。
そうしたら砂糖を数回に分けて小豆の鍋に加えていく。
途端に素朴な豆の香りが、甘い香りに変化した。
砂糖が溶け込み、小豆の煮汁はとろりとしたルビー色のような美しい暗赤色へと変わっていく。
アクを丁寧にすくい取り、最後に一つまみの塩を加える事で、砂糖の甘さをさらに深く際立たせる。
シャロは器を4つ用意し、その中に茹でたての真っ白なお団子をたっぷりといれ、上から熱々の甘い小豆スープをなみなみと注ぎかけた。
「お待たせ!特製『おしるこ』の完成だよ!!」
器から立ち上る甘い湯気が、冷え切った4人の顔を優しく撫でた。
「きたあああっ!!いただきまーす!!」
アグニが待ちきれない様子で器を受け取り、木のスプーンで熱々のおしるこをたっぷりとすくい、お団子と一緒に大口を開けて頬張った。
「……んんんんんんッ!!あっまい!!すんごく甘いのに、全然しつこくないゾ!!この白いのももっちもちで最ッ高ダ!!」
アグニは頬を限界まで緩ませ、火傷しそうな熱さも気にせずに、次々と甘い蜜のようなおしるこを口に運んでいく。
「見たことも無いスイーツだな……どれ……っ!!これは……!!」
エミルも器に口をつけ、少しだけおしるこを啜った瞬間、その疲れ切った両目が驚きに見開かれた。
「……美味い。信じられないくらい甘くて、温かくて……身体の隅々にまで染み渡るようだ」
そして、ヨシュア。
彼女は黙って器を受け取ると、スプーンでゆっくりと、一口、また一口とおしるこを口に運んでいた。
「……ああ……沁みる……」
ヨシュアはふぅ、と長く、深く、安堵したような至福の吐息を漏らすと、器の底に残った小豆の一粒まで惜しむように、丁寧にすくい取っていた。
それほどまでに、この悪意に満ちた第九層で食べる「温かくて甘いおしるこ」の癒やし効果は、彼らにとって絶大だったのだ。
こうして、甘美な香りと笑顔に包まれた食事の時間は、大満足のうちに終わりを告げた。
「ふぅ……お腹もいっぱいになったら、また眠くなってきたゾ……」
アグニがおしるこを食べ終えた器を横に置きながら、大きなあくびをする。
「悪夢でロクに休めてないからね……私も眠い……」
「……とは言え、もう俺の魔除けも効かん……また襲われたら大変だ……」
「仕方ない、万全を期すために、今回は『見張り』を立てよう」
エミルが決断を下し、3人に顔を向けた。
「まず僕が見張りをする。その後はシャロ、アグニ、ヨシュアの順でいいな?一番疲弊しているヨシュアは、最後に回して一番長く休ませるべきだ」
エミルが剣の柄に手を当てながら提案した。
「すまんなエミル……流石に今回は疲れたよ……」
ヨシュアがありがたくその申し出を受け入れた。
「順番はそれでいいゾ。アタシはシャロの次だな」
アグニも眠そうに了承する。
「私も賛成。この層はどれだけ用心しても足りないと思う」
シャロも承諾した。
「よし、それで決まりだ。何かあったら起こすから、それまでは眠っててくれ」
エミルの頼もしい言葉に頷き、シャロ、アグニ、ヨシュアの3人は、今度こそ安心して横になった。
おしるこの甘い余韻と温かさにお腹を満たされた3人は、今度こそ、深く、安らかな眠りへと落ちていくのだった。
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