第55食 鰻丼
朝を告げる清々しい光が、ツタのカーテンの隙間から差し込んできた。
シャロがゆっくりと重い瞼を開けると、心地よい木の香りと、静寂がそこにあった。
昨晩の地獄のような轟音は嘘のように消え去っている。
どうやら無事に猛吹雪の夜をやり過ごすことができたようだ。
燃え尽きた焚火の灰が、ほんのりとまだ温かさを保っていた。
シャロはおもむろに立ち上がり、ぐーっと大きく背伸びをして強張った筋肉をほぐす。
隣を見ればヨシュアが壁に背を預けたまま、腕を組んでまだ静かに寝息を立てていた。
エミルとアグニの姿は無い、おそらく先に外へ出たのだろう。
シャロは静かにツリーハウスの木の扉を押し開けた。
「……わぁっ……!」
外に出た瞬間、シャロの口から感嘆の吐息が漏れた。
見渡す限りの広大な銀世界、そして見上げれば、雲一つない、抜けるように青く澄み渡った快晴が広がっていた。
太陽の光が新雪に反射して、無数のダイヤモンドを撒き散らしたようにピカピカと輝いている。
風もなく、キリリと冷えた空気が肺を通り抜けていくのが、痛いほどに気持ちよかった。
「ふふ、最高の朝だね」
昨晩の過酷な戦闘と吹雪が嘘のように、心が洗われる思いだった。
シャロがその美しさに目を細めて、清々しい空気を全身で味わっていると――。
ポスッ!
「……ひゃっ!?」
何の前触れもなく、横から飛んできた硬い冷気が、シャロの頬にクリーンヒットした。
雪玉だ。しかも、かなりしっかりと固められた、本気の一撃。
顔面についた雪を慌てて払いのけ、飛んできた方向をキッと睨みつけると、そこには。
「あっはっはっは!!油断大敵だゾ、シャロ!」
「ふふっ、見事な命中だったな、アグニ」
アグニとエミルが、両手いっぱいに雪玉を抱えて悪戯っぽく笑い合っていた。
しかも、外をよく見渡してみれば、ツリーハウスの周辺には大小さまざまな『雪だるま』がすでに何個も出来上がっていた。
中にはアグニを模したのか、不格好に小枝が刺さったものもある。
二人はかなり早い時間から外で遊んでいたらしい。
「あーっ!やったなー!?」
シャロも負けじと足元の新雪をむんずと掴み、丸めて投げ返す。
「おっと、甘いゾ!」
アグニが軽々とそれを避け、さらに二発、三発と豪速球の雪玉を投げ返してくる。
「くっ……エミルまで!二人掛かりはずるいよ!」
「戦場の掟だよ、シャロ!」
エミルの正確無比なノーコンコントロールの雪玉も迫り、そこから壮絶な三人入り乱れての雪合戦がスタートした。
キャーキャーと笑い声を上げながら、極寒の第8階層で無邪気に駆け回る。
スノーシューの使い勝手も完璧で、シャロは飛び交う雪玉を植物の壁で防ぎながら、次々と反撃の雪玉を生成しては投げつけた。
ドタドタドタッ! バシッ!
しかし、そんな楽しい喧噪は、空洞の中から響いた不機嫌な声によって中断された。
「……朝からうるさいぞ、お前たち」
ヨシュアだ。
寝癖のついた髪をかきむしり、眉間に深いシワを寄せ、杖を片手にツリーハウスの入り口から姿を現した。
その目は完全に眠りを妨げられた怒りに満ちていた。
と、その時。
ベチャッ!!
「あっ」
ヨシュアの顔面に、アグニがシャロめがけて投げた特大の雪玉が見事に直撃した。
静電気のようにバチバチといった、何かが切れる音がした。
ヨシュアの周りの空気が、冗談抜きでチリチリと焦げ臭くなり始める。
杖の先端からは、高密度の魔法の炎の熱気が立ち上っていた。
「お前ら……」
ヨシュアは顔面の雪を一切拭わず、地獄の底から響くような声で言った。
「炭の塊として燃やされたくなかったら……今すぐ、その馬鹿げた遊びを止めろ」
「「「はい、すいませんでした!!」」」
三人は直立不動で即座に謝罪した。
流石にこの状態のヨシュアをこれ以上刺激するのは、いかなる魔物よりも危険である。
雪合戦は強制終了となり、一行は素直に荷物をまとめて、先へ進むことになったのだった。
「それにしても、素晴らしい天気だナ!」
再び雪原の探索を再開し、一行は快晴の空の下を歩いていた。
スノーシューのおかげで昨日と同じく足取りは軽い。
「ああ。これなら見晴らしもいいし、昨日みたいな奇襲を受ける心配も少ない。どんどん進むぞ」
エミルが地図を確認しながら先頭を歩く。
最後尾を歩くヨシュアの機嫌はまだ少し斜めだったが、シャロは少し歩調を落として彼に並び、ずっと胸の内に抱えていた疑問を口にした。
「ねぇ、ヨシュア」
「……なんだ」
「その……セレナを助ける何か、いい方法は見つかったのかな……?」
かつての仲間である聖女、セレナ。
第6階層の火口で、彼女は吸血鬼の真祖であるヴァンパイアオリジンに変わり果て、更にはヴェノムヴァンパイアと言う巨大なおぞましい怪物へと進化してしまった。
そこには、ヨシュアのかつての転移魔術の失敗のようなものが関わっている。
深い罪悪感と責任を背負ったヨシュアは、セレナを元に戻す方法を探すため、時間ができ次第、己の脳内にある膨大な魔道書の知識を「記憶遡行」で紐解き続けているのだ。
しかし、その問いにヨシュアは目を伏せ、苦渋に満ちたしかめ面をして首を横に振った。
「……残念だが、手がかりすら無い状態だ」
「そう……」
シャロは、少し悲しそうな顔でうつむいた、仲間の力になれないことがもどかしい。
「だが、あいつに追いつき、最深部に到着するまでには、絶対に見つけてみせる」
ヨシュアは杖をきつく握りしめ、自分に言い聞かせるように力強く言った。その決意は岩よりも固い。
「うん……無理はしないでね」
シャロが気遣うようにそう言葉をかけた。
そんな話をしていると、不意に周囲の空気が変わり、強烈な魔物の気配が漂ってきた。
ズシン……!ズシン……!
遠くからはっきりと聞こえてくる、大地を揺るがすほどの重々しい足音。
シャロたちが視線を向けると、雪原の向こう側の丘を越えて、数体の巨大な人影が姿を現した。
身長は優に五メートルを超え、筋骨隆々とした丸太のような手足を見せつけるように、最低限の腰布しか巻いていない。
そして何より目を引くのは、その顔の中央にギョロリと輝く、巨大な『一つ目』だった。
それぞれが、大木をそのまま削り出したかのような巨大なこん棒を肩に担いでいる。
「……サイクロプスか」
ヨシュアが杖を構え、油断なく警戒の姿勢を取った。
怪力を誇る、一つ目の危険な巨人、サイクロプス。
「あいつらが振り下ろすこん棒をマトモに食らえば、どんな防壁魔法も紙屑同然に破壊されるぞ」
「なら、マトモに食らわなきゃいいだけだロ!先手必勝だァッ!!」
アグニがいつものように好戦的な笑みを浮かべ、両手にオーラを滾らせて一直線に巨人の群れへと突っ込んでいった。
「待てアグニ!足並みを揃えろ……全く!シャロ、ヨシュア、援護を!」
「チッ、あの馬鹿!」
エミルも弾かれたように前に出る。
シャロとヨシュアも即座に戦闘態勢に入り、中距離からの射撃魔法を展開開始する。
「ガアアアアアアッツ!!」
サイクロプスたちが、自分たちの領域を侵す小動物たちを見つけて怒号を上げた。
先頭の一体が、アグニめがけて巨大なこん棒を振り下ろす。
その一撃は風を切り裂き、直接当たらずともすさまじい風圧を生み出した。
「おせぇヨ!」
だが、アグニは軽快なステップでそれを躱し、そのままサイクロプスの太い足に纏わりつき、強力な拳を連続で叩き込む。
「はっ!」
エミルもすれ違いざまに雷を纏わせた剣で巨人の足を斬り裂いた。
サイクロプスは痛みと怒りに咆哮を上げ、今度は足元のエミルを蹴り飛ばそうと暴れ回る。
しかし、シャロとヨシュアが離れた位置から的確に支援を行う。
「《リーフ・ストーム》!」
「《フレイム・ランス》!」
一つ目の死角である背後や、無防備な側頭部めがけて、魔法の弾幕が絶え間なく降り注ぐ。
「グオオ……ッ!」
サイクロプスの力は確かにすさまじい、こん棒が地面を叩き割るたびにクレーターができ、雪原が大きく抉り取られる。
だが、その巨体ゆえに攻撃のモーションが致命的に遅く、大振りすぎた。
シャロたちにとって、その動きはあまりにも読みやすい。
次の一手が手にとるようにわかるのだ。
「あっはっは!なんだこいつラ、デカいだけで図体を持て余してやがル!これは余裕で楽勝だゼ!」
アグニが飛び蹴りをサイクロプスの顎に叩き込み、高笑いした。
――だが、その時だった。
ガンッ!!
「痛っ!?」
シャロの額に、何かが空から降ってきて激突した。
雪ではない、それは石のように硬く、重い『何か』だった。
「な、なに……?」
シャロが足元を見下ろすと、そこには直径数センチもの、透明な氷の粒が転がっていた。
「氷……雹か!?」
エミルも上空を見上げ、顔をしかめた。
先ほどまで快晴だった空の一部に、局地的な乱層雲が急速に発生していた。
そして、そこから無数の氷の塊――雹が降り注ぎ始めたのだ。
最初はビー玉程度の大きさだった雹はどんどんと大きくなり、最終的には大岩ほどの大きさまでに成長し、猛烈な勢いで地面を叩きつけ、クレーターを作り始めた。
ガガガガガッ!!
「ぐあっ!」
「きゃあっ!」
容赦なく降り注ぐ氷の礫の雨。
その一つ一つが、投石器から放たれた石のように重く、鋭い。
シャロたちは咄嗟に両手で頭を庇うが、防御を突き抜けるほどの衝撃が全身を容赦なく襲う。
その一方で、敵であるサイクロプスたちはというと、彼らは岩サイズの雹がその巨体にガンガンと直撃しているにもかかわらず、さほど痛がる素振りを見せず、精々蚊に刺されたかのような反応だった。
彼らの分厚い皮膚と強靭な骨格にとって、この程度の衝撃は大したダメージにならないのだろう。
「くそっ、とにかく、こちらがやられる前に、速攻で奴らを倒す!」
エミルが叫ぶように指示を飛ばした。
この巨大な雹が降り注ぐ中で持久戦などやれば、先にこちらが力尽きるのは明白だったからだ。
「はああっ!最大出力だアァァ!!《オーラ・ナックル》!!」
「《ライトニング・ジャッジメント》!!」
「《テンペスト・ストリーム》!」
「《リーフ・ストーム》!」
シャロ、エミル、アグニ、ヨシュアの四人は、雹を避けながら、あるいは防ぎながら、各々が持つ手持ちの最大火力を惜しみなくサイクロプスの群れに叩き込んだ。
渾身の一撃が巨人を砕き、雷が巨体を内部から焦がし、鋭い葉と風の嵐が巨人を切り裂く。
「グオオオオッ!!」
サイクロプスたちは苦痛の咆哮を上げ、ドスン、ドスンと、巨大な音を立てて雪原に倒れ伏していく。
……しかし。
「くそっ、なんて頑丈な野郎だ……!」
アグニが息を切らしながら悪態をついた。
先ほどまでの戦いを見てもわかるように、サイクロプスはとにかく異常なまでに物理的防御力が高く、そして根源的な『体力』が高い。
致命傷に近い最大級の魔法を何発叩き込んでも、フラフラになりながらすぐに立ち上がり、執拗にこん棒を振り回してくるのだ。
その上、相手の群れの数が多い。
倒しても倒しても、新手が次から次へと迫ってくる。
少しずつ、確実に数は減ってきてはいたが、だが、その代償は大きかった。
常に頭上から降り注ぐ岩のような雹を避け、あるいは防御しながら、さらにサイクロプスの重い一撃に対処し、そこに己の全魔力と全精力を込めた最大火力の攻撃を連発する。
その極限の戦闘行動による強烈な疲労感と、幾度か雹のカス当たりを受けたダメージの蓄積によって、シャロたちの体力と気力は、ゴリゴリと削られ、既に限界域へと達しつつあった。
「はぁっ……はあっ……!」
シャロの息が上がり、膝がガクガクと笑い始める。
視界が少し、白く霞んだ。
「あと……あと少し……!」
エミルが血塗れの剣を振るい、最後の数体のサイクロプスを睨みつける。
だが、その『あと少し』の余裕が、今のシャロたちには無かった。
「しまっ……!」
ほんの一瞬、シャロが反応に遅れた。
シャロのすぐ目の前で、血走った一つ目を見開いた傷だらけのサイクロプスが、丸太のような巨大なこん棒を、両手で勢いよく振り下ろそうとしていた。
気づいた時には遅かった。
回避も防御も間に合わない。
「シャロ!」
エミルが絶叫した、その時。
ドシュゥッ!
その時、どこからともなく飛来した『何か』が、シャロにこん棒を振り下ろそうとしていたサイクロプスの分厚い喉元に、深々と突き刺さった。
「ガ……ア……?」
サイクロプスの動きがピタリと止まり、巨大な一つ目が見開かれたまま、白目を剥いて巨体が真後ろへと崩れ落ちた。
その喉元には、柄のない短剣のような刃物が深々と突き刺さっていた。
シャロはへたり込みながら、ただ呆然と倒れた巨人を見つめた。
「……え?」
「なんだ……!?」
シャロたちが驚いて、刃物が飛んできた方向を見てみると、岩サイズの雹が飛び交う雪原の真っ只中に、いつの間にかひっそりと佇む『五人の姿』があった。
身軽な和装、腰に提げた反りのある細身の剣――刀。
その風貌からして、遥か遠い東洋からやってきた冒険者の人達だろう。
五人の顔を見た瞬間、エミルが信じられないものを見るように目を見開いた。
「もしかして……彼はムサシか!?」
「なんだ?知ってるのかエミル?そいつら、知り合いカ?」
「……奴らは東の島から来た、世界最強の冒険者チーム。そのリーダーの名前がムサシだ」
ヨシュアがエミルの代わりに、緊張した面持ちで答えた。
「誰でも1度は聞いたことがあるくらい有名なチームだよ」
シャロも驚きを隠せずに言う。
「へぇ……そうなのカ……アタシ、全然知らないヤ……」
一人だけ事情に疎いアグニが、ポカンとして呟く。
「居合《紫電一閃》!」
ムサシが刀を抜いた瞬間、紫色の雷光が一閃した。
サイクロプスの遅い反応速度では、到底見切れないほどの神速の抜刀術。
その一撃は、まるで豆腐を切るかのように、サイクロプスの持つ頑強な巨木のこん棒を真っ二つに両断し、そのまま巨人の腹部を深々と切り裂いた。
「水遁《水龍旋舞》!」
青い羽織の魔術師ナガトが手にした御札を空へ放つと、そこから巨大な水流の竜巻が発生し、雹ごとサイクロプスを空の高くへと巻き上げた。
「はああっ!!」
年期の入った剣士サイトウ、黒い衣装に身を包んだヒュウガがサイクロプスを翻弄し、桜色の羽織を着た女性の魔術師スズカが前衛3人を援護する。
シャロ達は、その圧倒的で洗練された連携の美しさに息を呑んだ。
彼らの戦術は無駄がなく、流れるような素早さで敵に攻撃を当てていく。
シャロたちが全力を出し切っても苦戦を強いられていた、あのタフなサイクロプスたちが、すかさず襲い掛かった五人の東洋の冒険者たちによって、まるで枯れ木を薙ぎ払うかのように、あっという間に全滅させられてしまったのだった。
「ふう……助かった……」
シャロが安堵の息を吐きながら、へたり込んだまま雪原を見回す。
不思議なことに、あれほど激しく降り注いでいた岩のような雹の嵐も、巨人の全滅とタイミングを同じくしてピタリと降り止んでいた。
上空の乱層雲は徐々に晴れ渡り、再び穏やかな快晴の青空が顔を出し始めている。
「怪我は無いか、シャロ」
エミルが駆け寄り、シャロに手を差し伸べた。
「うん、ギリギリだったけどね……本当に、彼らのおかげだよ」
シャロはエミルの手をとって立ち上がり、静かに刀を納めている東洋の冒険者五人組の方へと向き直った。
「見事な剣技と術だった……本当に助かった。礼を言う」
エミルが進み出て、ムサシたちに向けて深く頭を下げた。
アグニやヨシュアも、彼らの圧倒的な実力を認めたように無言で頷いている。
すると、リーダー格の青年、黒髪を後ろで束ねた剣士が、凛とした表情のまま肩をすくめた。
「それならば、冒険者の流儀として、何か相応のお礼をするのが筋では無いか?」
ムサシの口から飛び出したのは、予想外にちゃっかりとした要求だった。
後ろに控えている他の四人のメンバーも「当然だろ」と言わんばかりに腕を組んでこちらを見ている。どこか飄々とした、世慣れした雰囲気が漂っていた。
尤も、それは当然とも言える。
冒険者の間になぁなぁは無し。
そんな事をしたら、足元を見られ、舐められてしまうからだ。
「じゃあ、お礼として『一食』はどうかな?美味しい料理、ご馳走するよ!」
怪我の治療を終えたシャロが明るく提案するものの、ムサシたちは呆れたような、あるいは小馬鹿にするような顔を見合わせた。
「一食だと?お嬢ちゃん、悪いが俺たちは携行食にはちっとも困ってないんでね。そんなのより、何か金目の物を寄越してくれねぇか?」
ナガトが半目を開けて、エミルの背負っているリュックサックを値踏みするように視線を送る。
「まぁまぁ……とにかく、一度見るだけ見てみてよ。見ればきっと、気持ちも変わるかもしれないから!」
シャロはニコリと笑うと、言葉を続けるよりも先に行動に出た。
彼女は振り返り、近くに倒れていたサイクロプスの巨大な死体にそっと手を触れた。
そして次の瞬間、サイクロプスの肉体から黄金色に輝く大量の『米』の稲穂と黒光りする長い『鰻』が生えて来た。
「「「なっ!?」」」
それまで余裕ぶっていたムサシ達五人が一斉に目玉が飛び出そうなほど驚愕の声を上げた。
「な、なんだこれは!?倒した巨人の死体から稲と、それに……立派な鰻だと!?」
ナガトが持っていた護符を落としそうになるほど身を震わせた。
「魔術……!?ううん、これほど大規模な物質変化なんて、見たことも聞いたことも無い妖術よ……!」
スズカも信じられない物を見たかのように驚いた。
彼らの狼狽えぶりに、アグニがニヤニヤと笑いながらヨシュアに肩をぶつけた。
「へへっ、東洋の最強の冒険者でも、シャロのこの能力は珍しいんだなァ」
「当然だ。あんな規格外の魔法、東洋はおろか、世界のどこに行ったってありやしないさ」
ヨシュアが呆れたように、しかしどこか得意げに鼻を鳴らす。
「か、彼女は一体何者なんだ……!?」
ムサシが先ほどの冷静さを完全に失い、震える指でシャロを指差した。
「悪いが企業秘密なんでな。それより、どうだ?これでもまだ金回りを要求するか?」
ヨシュアが意地悪な笑みを浮かべて問い返す。
「それで、どうする?食べてみる?」
シャロが小首を傾げて、採れたての新鮮な鰻を指差す。
ムサシは顎に手を当てて、真剣に悩み始めた。
「確かに得体が知れない妖術だ……しかし……あの丸々と太った新鮮な鰻……このだんじょんの深層で、あんな極上の食材を目にすることになろうとは……!」
数秒の沈黙の後、ムサシはゴクリと喉を鳴らした。
「……よかろう。だが、もし不味かったら、大人しく金を払ってもらうぞ」
「うん、任せて!」
シャロは満面の笑みで承諾すると、すぐに手際よく調理を開始した。
まずは、米を研ぎ、炊き始める。
もう1つの鍋に、酒、醤油、砂糖を流し込み、焦がさないようにゆっくりと煮詰めていく。
グツグツとタレが煮え始めると、醤油の香ばしさと砂糖の甘い匂いが混ざり合った、狂おしいほどに食欲を刺激する香りが雪原に漂い始めた。
「それにしても……まさか、俺達以外にこの8階層まで来れる冒険者達が居るなんてな」
ムサシが興味深そうにエミル達を見て言った。
「そんなに珍しいのカ?」
「ああ、俺達以外では見たことが無いな」
アグニが問いかけると、ムサシはそれに答えを返す。
「お前達もわかるだろう?この8層の魔物の強さと環境の過酷さ。並みの奴では付いてこれん。俺達でも油断すれば危ない場所だからな」
「確かに……魔物も天気も一筋縄では行かないのばかりだったな」
ナガトの言葉にエミルは納得する。
シャロの不思議な食事によって何度も壁を乗り越えたエミル達。
そんな彼女達であっても厳しいのがこの8階層だ。
「って事は、アタシ達は、もう最強レベルの冒険者に並んだって事カ!?」
そうアグニが気が付く。
ムサシ達以外にここまでこれた冒険者が居ないのなら、シャロ達のチームは少なくとも世界で2番目の冒険者チームである事は確実だろう。
「そうね。あの天候であの数の一つ目巨人と戦えるなんて、凄いと思うわ」
「よっしゃー!」
「調子に乗んな。結局ムサシ達に助けられたんだろうが、俺達は」
「うぐぐ……」
スズカの言葉に舞い上がるものの、ヨシュアから鋭い指摘をされ、唸るしかないアグニだった。
そんな会話がなされている中、シャロは調理を続けていた。
目にも止まらぬ包丁さばきで、活きのいい鰻を背開きにして内臓と骨を綺麗に取り除いた。
それを食べやすい大きさに等間隔に切り分け、まずは白焼きにする。
皮の表面がジュウウと音を立て、良質な脂がチリチリと爆ぜる。
表面がカリッと香ばしく焼け、身がふっくらと白く反り返ってきたところで、シャロは先ほど煮詰めておいた『特製のタレ』をたっぷりと塗りたくった。
ジュワアアアアッ!!
タレが熱した鍋と鰻の脂に触れた瞬間、爆発的な香ばしさが立ち上った。
甘辛く、焦げた醤油の匂い、それは、極寒の地でありながら、縁日のような強烈な魅惑の匂いだった。
タレを塗っては焼き、塗っては裏返し、を三度繰り返す。
照り照りとした琥珀色に輝く、完璧な焼き加減の蒲焼きが出来上がる。
器に炊きたての熱々のご飯をこんもりと盛り付け、その上に、タレを纏って暴力的な輝きを放つ鰻の蒲焼きをドンッ!と豪快に乗せる。
最後に、もう一度上からタレをたらりと一回し。
「お待たせ!『鰻の蒲焼き丼』の完成だよ!」
シャロが自信満々にムサシ達五人の前に器を差し出した。
「おおぉぉ……」
「なんて香りだ……」
甘辛いタレと香ばしい鰻の匂い、そして炊きたての米の香りに、五人の喉がゴクリと鳴る。
だが、いざ器を手に取ったムサシは、ふとそこで箸を止めてしまった。
「……しかし、見た目と匂いこそ最高に美味そうだが……」
ムサシの視線が、鰻から、少し離れた場所に倒れているサイクロプスの巨体の死体へと移動する。
そして、顔面をわずかに引きつらせた。
「元の食材があの『一つ目の巨人』だと思うと……流石に少し、おじけづくな……」
他の四人も顔に皺を寄せて頷き合う。
魔物を食べるという行為は、一般の冒険者にとっては強烈なタブーであり、ゲテモノ食いもいいところなのだ。
そんな彼らの躊躇に、アグニがヨダレを拭いながら身を乗り出した。
「なんだヨ、食べないのか!?だったら、冷めないうちにアタシが全部食ってやるゾ!」
アグニが器に手を伸ばそうとした、その瞬間。
「馬鹿を言うな!これは俺たちの報酬だ!誰が渡すか!」
ムサシはアグニに取られるまいと、慌てて器を抱え込み、半ばヤケクソ気味に鰻とご飯をかき込んだ。
「――ッ!?」
ムサシの動きが、完全にフリーズした。
目が見開かれ、箸を持った手が震え始める。
「……あ、あの、ムサシ……?大丈夫……?」
スズカが心配そうに覗き込むが、ムサシは無言のまま、再び猛烈な勢いで器に顔を突っ込み、バクバクと凄まじい音を立てて掻き込み始めた。
「これは……美味い……!!」
口の周りをタレだらけにしながら、ムサシが感極まったような声を上げた。
「皮はパリッと香ばしくて、身はフワフワで口の中でとろける……!甘辛いタレと、濃厚な鰻の脂が、この熱々の白米と合わさって最強の味になっている!……美味い!俺の故郷でも、これほどの極上の鰻なんて食ったことが無いぞ!!」
ムサシのそのリアクションを見て、残りの四人も一斉に我先にと蒲焼き丼にかぶりついた。
「ほ、本当だ!美味すぎる!まさかだんじょんでこんな食事が食べれるなんて……!」
「ご飯が止まらない……!垂れのかかったご飯だけでもご馳走だぞこれ!」
「美味しい……!なんだか力が湧いてくる気がする……!」
「美味なり……」
極寒の雪原に、五人の冒険者たちが無言で一心不乱に飯を掻き込む咀嚼音だけが響き渡る。
結局、彼らは用意していた鰻と米が底を尽きるまで、狂ったように何回もおかわりを続けたのだった。
「ふぅっ……ちょっと食べ過ぎたようだ……」
ムサシ達は満足そうにパンパンになったお腹をさすっていた。
「で、どうだった?」
シャロがニッコリと笑って尋ねる。
「ああ。確かに見事に美味かった。お嬢ちゃん、あんたの料理は最高だ。あの味なら……十分、金の代わりにはなる」
ムサシが負けを認めるように笑った。
「よかった!」
シャロがパッと明るい笑顔になる。
「おーい、シャロ!連中ばかり食わせてないで、早くアタシらの分も作ってくれヨ!見てるだけでハラペコで死にそうだゾ!」
後ろから、ヨダレの海を作り出しそうなアグニが抗議の声を上げる。
「あはは、ごめんごめん!今すぐみんなの分も作るね!」
シャロは再びサイクロプスから食材を練成し、エミル、ヨシュア、アグニのための鰻の蒲焼きを作り始めた。
「さて……俺達はそろそろ行く」
ムサシたちは、旅立ちの準備を整えて立ち上がった。
「飯、ごちそうになったな。おかげで完全復活だ」
ムサシは刀の柄をポンと叩くと、エミルたちに向けて真剣な眼差しを向け、一言、強い忠告を口にした。
「……ここから先は、俺たちも含め、まだ誰も足を踏み入れた事が無い『未開の地』だ。どんな規格外の化け物が潜んでいるかもわからない。もし先に進むつもりなら……気を付けて行けよ」
その言葉には、同じ命を懸ける冒険者としての偽りない敬意と心配が込められていた。
「ああ、忠告感謝する、ありがとう」
エミルが手を差し出し、ムサシがそれを力強く握り返した。
こうして、一陣の風のように現れた東洋の冒険者たちは、再び広大な雪原の彼方へと、彼らの旅路へと去って行った。
五人の背中が見えなくなった後、エミルは雪原の奥、果てしなく続く迷宮の深層へと視線を向けた。
「ここから先は、誰も足を踏み入れていない……更に危険な領域、か」
エミルがぽつりと呟いた言葉に、重い緊張感が漂う。
「ああ……ここで苦戦してるようじゃ、この先には到底進めないな」
ヨシュアが杖を地面に突き立て、自戒を込めるように厳しく言った。
事実、今回はムサシたちの助力が無ければ、全滅していた可能性もあった。
「……そうだね」
エミルは一度目を伏せた後、力強くフッと笑って、料理中のシャロを見つめた。
「じゃあ、とにかくたくさん食べて、もっともっと強くならないとな!」
「食べて強く……か」
ヨシュアも、ふっと毒気を抜かれたように笑みをこぼした。
「……本当に、俺達はシャロのペースに染まってしまったな」
強敵を倒し、それを極上の料理に変えて力とする、それはかつての血生臭い冒険の常識を覆す、彼女たちだけの『強くなるための方法論』だった。
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