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穀物転生  作者: リース
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54/62

第54食 ラーメン

「ふぅ……ようやく渡り切ったね……」


シャロは最後の極寒の流氷から雪原へと跳び移り、安堵の息を長く吐き出した。


「あぁ、全くだ。まったく、第8階層に来てからというもの、息をつく暇もないな」


ヨシュアも杖を雪に突き立て、わずかに肩の力を抜いた。

彼女の表情は相変わらず厳格だが、その目元には隠しきれない疲労の色が滲んでいるのがわかる。


「これでまた、しばらくは歩きに専念できるな。氷の上よりは遥かにマシだ」


エミルが剣の柄にそっと手を添えながら、果てしなく続く銀世界を見渡す。


「さぁて、行くかァ!まだまだ先は長いんだロ?」


アグニは一人、流氷を渡り切ったばかりだというのに全く疲れを見せることなく、元気いっぱいに雪の上を跳ね回っていた。

フリーズバイソンの毛皮をすっぽりと被り、足にはシャロ特製のスノーシューを装着した彼女は、もはやこの雪原を自分自身の庭のように満喫している。


一行は再び緩やかな足取りで白銀の大地を歩き始めた。

空からは相変わらず、粉雪が舞い散っている。

太陽の光が薄雲を通してもたらす柔らかな光沢が、雪の波紋を際立たせていた。


「ふんふふーん、ふふふーん♪」


静かな雪原に、どこか間の抜けた、しかし陽気なメロディが響き渡った。

先頭の方を軽快に進むアグニが、鼻歌を歌いながら歩いているのだ。

彼女の足取りはリズミカルで、新雪を踏みしめる「キュッ、キュッ」という音が、まるで鼻歌の伴奏のように心地よく響いている。


「楽しそうだね、アグニ」


シャロが少し急ぎ足でアグニに追いつき、横顔を覗き込みながら微笑んだ。


「おうよっ!だって雪は綺麗だからナ!それにシャロのスノーシューと、分厚いバイソンの毛皮のおかげで歩きづらくもないし、寒くもない!こんなに気持ちよく雪の上を歩けるなんて、最高だゾ!まるで雲の上を歩いてるみたいじゃないカ!」


アグニはニカッと歯を見せて笑うと、両腕を大きく広げて見せた。

その動作に合わせてモフモフの毛皮が揺れる。

彼女の飾らない言葉に、シャロの心も自然と温かくなった。自分が丹精込めて作った道具や料理が、仲間の笑顔を引き出し、こうして過酷な旅の大きな助けになっている。

それ以上の喜びはなかった。


「よかったね、アグニ。でも確かに防寒具もスノーシューも、急ごしらえとは思えないぐらいしっかりしてるよ」


エミルも後ろから穏やかな声をかける。


「良かったな。グチグチ言われるよりは、機嫌がいい方がよっぽどいい」


最後尾から、ヨシュアの皮肉めいた、しかしどこかトゲの抜けた声が飛んでくる。

8階層と言う深層ながら、彼女達の気持ちは穏やかだった。

この調子で探索が進んで欲しい、そう思っていたが……


「……はっ、はっ……はくしょんッ!!」


しばらく雪原を歩き続けていたアグニが、俄かに足を止めて、盛大にくしゃみをした。ズズッと鼻をすする音が周囲に響く。


「なんだか急に寒くなってきたゾ……」


アグニは両手で自分の二の腕をさすりながら、ブルッと身を震わせる。


「……確かに。なんだか風が急激に強くなってきた」


エミルが立ち止まり、鋭い視線を空へと向けた。

シャロも空を見上げる。

いつの間にか、先ほどまで薄らとかかっていただけの雲は、どす黒く重たい鉛色の雪雲へと変わり、空全体を厚く覆い尽くしていた。太陽の光は完全に遮断され、周囲の景色が急速に暗く、灰色に染まっていく。


その直後だった。


――ゴオオオオオオオオッ!!!


地鳴りのような咆哮を上げて、突風が雪原を吹き抜けた。


「きゃあっ!?」


シャロは咄嗟に腕で顔を覆った。だが、風の勢いはとどまることを知らず、ますます激しさを増していく。

一瞬にして、周囲は猛吹雪に包まれた。

上下左右、どこを見ても真っ白な雪の渦が荒れ狂っている。

足元の地面の感覚すら怪しくなり、前後関係すらわからなくなる、完全な『ホワイトアウト』状態だった。


「みんな! 大丈夫か!?」


風の轟音にかき消されそうになる声を張り上げ、エミルが叫ぶ。


「あ、アタシは大丈夫だゾ!でも、前が全然見えねェ!」


「ここだ!手を離すな!はぐれたら命はないぞ!」


「私もいるよ……!でも、風が強くて……飛ばされそう……!」


全員の返事を確認し、エミルは咄嗟に仲間たちの腕を掴んで一つに固まらせた。

ヨシュアの言う通り、こんな猛吹雪の中ではぐれてしまえば、二度と合流することはできないかもしれない。

たちまち体力を奪われ、凍死を待つだけの残酷な結末が待っている。


「このままだと、不味いな……!」


エミルは焦燥感を募らせた。

いくらフリーズバイソンの毛皮が優秀でも、この殺人的な猛吹雪の中に長時間留まっていれば、いずれ体温を奪い尽くされてしまう。


「どこかで吹雪をやりすごさないと……!岩陰か、洞窟はないか!?」


ヨシュアが風に怒鳴るように問いかけるが、誰も答えることができない。

視界はわずか数メートル先すら真っ白に塗り潰されており、周囲の地形など全く把握できないからだ。


――だが、本当の絶望は、その直後にやってきた。


バキィッ!!


猛烈な風の音に混じって、硬い氷が砕けるような、異様な破砕音が響いた。


「――っ!?何か来る!!」


シャロの勘が、背筋が凍るような殺気を捉えた瞬間だった。


ドゴオオオオオオンッ!!


シャロたちがつい一瞬前まで寄り集まっていた場所に、雪煙を上げて何かが叩きつけられた。

大地が激しく揺れ、衝撃波が猛吹雪の壁を一時的に吹き飛ばす。

ちらりと見えたそれは――丸太ほどもある分厚い氷の筋肉で覆われた、不気味なほどの巨大な『腕』だった。


「なっ……魔物か!?」


エミルが弾かれたように立ち上がり、剣を抜き放つ。


「クソッ、こんな吹雪の中にまで魔物が出やがるのかヨ!?」


アグニも両手にオーラを纏い、戦闘態勢を取った。


だが――敵の姿は見えない。

空振りしたその巨大な腕は、猛吹雪の白いカーテンの向こう側へと、幻のように滑らかに姿を消してしまったのだ。


「どこだ!?どこから仕掛けてきやがった!?」


「気配を探せ!必ず近くにいるはずだ!」


エミルは神経を研ぎ澄まし、風の音や雪の動きのわずかな違和感を探り出そうとする。

シャロも視界が効かない中で、耳と肌の感覚を全開にし、魔力の流れを感知しようと試みた。


ヒュンッ!


今度は背後から、風斬り音が迫る。


「チッ!」


ヨシュアが身を屈めた直後、その頭上を、氷柱のように鋭く尖った巨大な拳が薙ぎ払っていった。

続けて、下から掬い上げるような蹴りがアグニを襲う。


アグニが咄嗟に拳を交差させて防御するが、相手の圧倒的な腕力に弾き飛ばされ、雪原の上を数メートルも後退させられた。


「くっ……《リーフ・カッター》!」


シャロが敵の攻撃の起点に向かって葉の刃を連射する。

しかし、何の反響音も聞こえない。

完全に避けられたか、あるいは既にその場から移動してしまっているのだ。


「ダメだ、なかなか攻撃が当たらない……!」


シャロの額に、冷や汗がにじむ。

完全な防戦一方であった。

敵はこちらが全く見えていない状況を利用し、吹雪の中に身を隠しながら、一方的に重い一撃を叩きつけてくる。


「奴ら、素早く動き回って、意図的にこちらに位置を悟られないようにしてやがる!」


ヨシュアが苛立ちながら吐き捨てる。

相手はパワーがあるうえに、隠密性にも優れている。

この第8階層の環境に完全に適応した、恐るべき生態を持つ魔物なのだろう。


「どうする!?僕達の探知能力じゃ、この吹雪の中じゃ奴らを捉えられんぞ!」


エミルの声にも、焦燥の響きが混じり始めている。

視界がゼロ、気配も追えずに、ただ見えない場所からの致死の一撃に怯える。

こんな状況では、いずれ誰かが決定的なダメージを受けて死ぬのは明白だった。


「あぁもう、チクショウッ!ちまちま避けてる場合じゃねぇ!こうなったら、アタシの全力の特大攻撃で、この辺り一帯ごと奴らを一網打尽にしてやるしかねぇだロ!」


アグニが激昂し、両手に魔力を圧縮し始めた。


「落ち着け、馬鹿牛!!」


だが、ヨシュアが血相を変えてそれを制止した。


「もしそれで敵を倒しきれなかったら、どうするつもりだ!?全魔力を使った後でお前が動けなくなれば、それこそ一巻の終わりだぞ!」


ヨシュアの痛烈だがもっともな指摘に、アグニは歯軋りしながら拳を握りしめた。


「じゃあ、どうすればいいんだヨ!?このままじゃ、ジリ貧でなぶり殺しにされるだけだゾ!」


「それはそうだが……くっ、何か手を打たないと……」


「一体、どうすれば……」


エミルも剣を構えたまま、途方に暮れたように呟いた。

刻一刻と体力が奪われ、見えない敵からのプレッシャーに精神が削られていく。

絶体絶命の危機。


誰もが打開策を見出せずにいた、その時だった。


「――私にいい考えがある」


シャロが、冷静に、静かに響く声でそう告げた。

その声のトーンに、恐慌状態に陥りかけていた三人がハッと息を呑んで視線を向ける。


「奴らをなんとかする方法があるのか?」


「うん……みんな、私が合図したら、その方向に攻撃を叩き込んで」


根拠は語られなかった。

だが、彼女のその揺るぎない確信に満ちた声色は、不思議なほど三人の心を落ち着かせた。


「なんだかわからないが……お前を信じるぞ、シャロ」


エミルが小さく頷き、剣の切先にチリチリと雷を纏わせる。


「フン……お前の頭の良さにはいつも助けられているからな」


ヨシュアも、杖の先端に高度に圧縮された超高温の炎球を生成した。


「おうよ!アタシはいつでもぶっ放せるゼ!合図をよこしナ!」


アグニはニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、構えを低くした。

シャロの指示が来るまで、三人は一切の反撃をやめ、防御と回避のみに専念し始めた。

魔力を温存し、来るべき瞬間に備える。

それは恐怖との戦いでもあった。いつ、どこから致命的な一撃が襲い来るかわからない恐怖。しかし、彼らは互いを背にかばい合い、ただシャロの言葉を信じて耐え忍んだ。


そんな中、敵はなおも攻撃し続けてくる。

殴り、蹴り、圧縮された雪玉、岩、様々な方法で攻撃してくる。

それを必死に回避し防御するエミル達。


――ズンッ。


「!!」


どうやらシャロが何かを感じ取ったようだ。


「――ヨシュア!左前方、三十度!」


シャロが叫ぶと同時、目を見開いてビシッと指を差す。


「そこか!《クリムゾン・フレア》!!」


刹那、ヨシュアの杖から閃光が迸った。

真っ直ぐに放たれた紅蓮の炎が、猛吹雪の壁を撃ち抜き、虚空の空間へと吸い込まれる。

直後。


ドゴオオオオン!!!


「ゴギャアアアアッ!!」


風の音を切り裂いて、爆風と鼓膜を劈くような醜悪な断末魔が響き渡った。


「当たった!」


ヨシュアが興奮気味に声を上げた。


「休まないで!まだいる!」


シャロの鋭い声が、さらなる集中を要求する。

大地には、まだ別の足並みが刻まれている。


「――次はエミル!後方百四十度!」


「了解ッ!《サンダー・ストリーム》!!」


シャロの合図と寸分違わず、エミルは剣から極太の雷光を放つ。


「ギギョエエエエッ!!」


それも見事に命中、敵は断末魔を叫び、その場に倒れたようだ。


「凄いゾ!一体何をしたんダ!!?」


アグニが興奮気味で話しかける

奴らの素早さを考えたら、敵の位置を探知して指示した所で間に合わない。

一体彼女は何をしたのだろうか?


「アグニ!右側九十五度!一気に決めて!」


「おっしゃァァァッ!待たせたなァ、アタシの出番だゾォォッ!!」


アグニは両手に魔力を集中させると、激しく輝く白い光球を作りだす。


「喰らいやがれえええェッ!必殺ッ!!《オーラ・バースト》おおおっ!!!」


アグニが放った閃光のエネルギー波が、吹雪で見えない空間を飛んでいった。


「グガアアアアァ……ッ!!」


逃げる間も防御する間も与えられず、怪物は光の渦に飲み込まれ、力尽きたようだ。


「……気配が、消えた」


エミルが剣を下ろし、周囲を警戒しながら静かに呟いた。


「今ので最後ね……ふぅ……なんとかなったみたい」


シャロも地面からゆっくりと立ち上がり、安堵のため息をこぼした。

彼女の言葉通り、先ほどまで一行を死の淵へと追い詰めていた、殺意に満ちた不可視のプレッシャーは嘘のように消え去っていた。


「おい、シャロ!一体何をしたんだヨ!?さっきまで全っ然あいつらの位置がわからなかったのに、なんで急に場所がわかるようになったんだ?」


アグニが肩で息をしながらシャロの方へと駆け寄る。

彼女の瞳には、窮地を脱した安堵と共に、シャロの魔法に対する純粋な驚きが浮かんでいた。


「ふふ、ちょっとした種明かしだよ」


シャロは雪の上についたままの手に、少しだけ魔力を込めた。


「実はね、みんなに防御と回避に回ってもらっている間に、私が足元の雪の中に広範囲で『結界』を張っていたんだ。踏み込んだ瞬間に、魔物の足に絡みついて動きを封じる、不可視の『茨の結界』をね」


「茨の結界……あの短期間で奴らに悟られずそんな事ができるとは……流石だな」


ヨシュアが関心してシャロを見る。

シャロは雪原の一点をじっと見つめ、大きく腕を引くような動作を見せた。


ズズズッ……!


吹雪の轟音にかき消されそうなほどの鈍い音が響き、数十メートル先の雪の壁が不自然に盛り上がった。そして、雪を突き破るようにして、緑色の太い茨の蔓に全身を縛り上げられた『何か』が、ズズズッとシャロたちの目の前まで引きずり出されてきた。


「こいつは……!!」


エミルの表情が硬直する。

そこに横たわっていたのは、全身を分厚く純白の毛皮に覆われた、見上げるほどに巨大な雪男だった。

太い丸太のような腕と、鋭い爪。

先ほどまで一行を苦しめ、そしてアグニやヨシュアの魔法によって致命傷を負い、既に絶命している。


「ビッグフット……しかも、この尋常じゃない大きさからして『キング』級だな。流石8層の魔物って訳か‥‥…」


ヨシュアが冷静に分析を下す。

ビッグフットは雪山の階層を代表する凶悪な魔物だが、これはその中でも別格の能力を持っていた。

シャロの機転が無かったら、全滅していたかもしれない強敵だった。


「キング級のビッグフットの群れに、この視界ゼロの猛吹雪……恐ろしいコンボだったね」


シャロは、茨の戒めを解いて消滅させた。


「ぶ、ぶるるっ……!そ、そ、そ、そんな事より、マジでシャレにならねぇくらい寒いんだガ!?」


アグニが激しくガタガタと震え始めた。

戦闘が終わり興奮状態が覚めた事で、吹雪の寒さが身に染みるようになったのだろう。


「そうだ、とりあえずこの強烈な吹雪をしのぐ場所を作らないと、魔物に殺される前に凍死してしまう!」


エミルが叫ぶ。


「任せて!」


シャロは素早くキングビッグフットの巨大な亡骸に触れ、莫大な魔力を流し込んだ。

大地が大きくうねり、巨大な雪男の死体を苗床にして、瞬く間に何本かの木が猛吹雪を切り裂いて急成長し、編み込まれ、四人が完全に入り込めるほどの広々とした『木による空洞』を作り上げた。


「さあ、早く中へ!」


シャロの合図と共に、四人は転がり込むようにして木の空洞へと飛び込み、ツタのカーテンを下ろす。


「……ふぅ。や、やっと落ち着けたな……」


木の温もりに包まれた空間で、エミルが大きく安堵の息を吐き、その場にへたり込んだ。

だが、安心したのもつかの間。

猛吹雪の中で急激に冷やされたことで、着込んでいたバイソンの毛皮の表面にはびっしりと霜が降り、四人は全身雪まみれで激しく凍えていた。


「ヨシュア! 火をお願い!」


「言われずとも……」


ヨシュアが杖を振り、炎を灯す。

パチパチと爆ぜる火の粉と、じんわりと広がる熱気。


「「「「あぁぁぁ…………」」」」


火を囲んだ瞬間、四人の口から情けない、しかし至福のうめき声が漏れた。

凍っていた毛皮がじんわりと解け、体温がゆっくりと戻っていくのを感じる。

地獄のような寒さから解放された安堵で、しばらく全員が無言のまま火にあたっていた。


「……やっと、温まってきたね」


十数分後、ようやく平熱を取り戻したシャロが、パンッと軽く手を叩いた。


「さて!体が温まった所で、戦闘後のいつものルーティーンといこうか!」


「おおっ!待ってましタ!!」


アグニの目が炎のように輝きを取り戻した。

激しい戦闘、そして極限の寒さ。これを乗り越えた後のシャロの料理ほど、彼女たちの胃袋と心を救ってくれるものはない。


「外の世界は凍地獄だからね。温かいものを食べて、体の内側からも熱を取り戻そう」


シャロはそう言うと、空洞の外に出て、キングビッグフットを運んでくる。


「うー……寒寒……」


凍えながら空洞の中に戻って来たシャロは、キングビッグフットに手を触れ、魔力を注ぎ込む。

緑の光がキングビッグフットを包み込むと、そこから黄金色に輝く上質な『小麦』、新鮮な『卵』、そして見事な『豚』が実った。


シャロは葉のナイフを使いこなし、大きな豚肉のブロックから、調理に使う部位と骨とを綺麗に切り分けていく。

大きな鍋にたっぷりの水と、切り分けた豚の骨を入れ、ヨシュアの魔法の炎にかける。

豚骨がグツグツと煮立ち、アクが浮いてくるのを丁寧にすくい取りながら、シャロは並行して別の作業を進める。

フライパン代わりの鉄鍋に油を引き、豚肉の塊を入れる。

ジュワァァッ!という食欲をそそる音と同時に、豚肉の脂の香ばしい匂いが空洞の中に充満した。


「うまそぉ……!もうこれだけでも行けるゾ!」


アグニがヨダレを拭いながら覗き込む。

両面にしっかりと焼き目がついたら水、醤油、酒、砂糖を加える。

すると今度は甘辛い濃厚な香りが爆発的に広がった。

豚肉はそのまま、味がしっかりと染み込むまで弱火でコトコトと煮込まれていく。


その間に今度は小麦を挽いて小麦粉にすると、大きめのボウルに小麦粉を移し、真ん中をくぼませる。

そこに、水、塩、そして新鮮な卵を割り入れた。

粉と液体を指先で素早く混ぜ合わせ、ひとまとまりになった生地を体重をかけて力強く練り始めた。


ギュッ、ギュッ。


生地が弾力を増し、滑らかになるまで丹念に練り上げると、丸めた生地に濡れ布巾を被せ、しばらく放置した。


その間に、豚骨の鍋を確認する。

長時間煮込んだスープは骨の髄から旨味が溶け出し、わずかに白濁した濃厚な黄金色に変化していた。

シャロは丁寧に豚骨を取り除き、澄んだスープを抽出し、そこに、醤油、酒、塩を加えた。

これが味のベースとなる『スープ』だ。

ふわりと立ち上る醤油と豚骨の香りは、かつて嗅いだことのないような食欲を刺激する暴力的な匂いだった。


次に休ませておいた生地を取り出した。

生地は先ほどよりもずっと滑らかで、驚くほど伸びが良くなっている。

木の板の上にたっぷりと打ち粉を振り、麺棒を使って生地を薄く、薄く、均等な厚さに伸ばしていく。

大きな布のようになった生地をパタパタと蛇腹状に折りたたみ、ナイフでスパッと、またたく間に細く長い「紐」のような状態へと切り分けられていった。

それをほぐすと、見事な細麺のできあがりだ。


煮込んでいた豚肉を取り出すと、その鍋でお湯を沸かし、切り分けたばかりの麺をパラパラと投入する。

麺の中で小麦が踊り、熱を通していく。


火が通ったら素早く麺を湯切りし、用意しておいた深い器に注いだ特製スープの中へと滑り込ませた。

麺を箸で綺麗に整え、その上に、先ほど甘辛く煮込んでおいた豚肉をスライスして並べれば完成だ。


「お待たせ!『特製・豚骨醤油ラーメン』の完成だよ!」


シャロが自信満々に三人の前に器を差し出した。

湯気と共に立ち上る、豚骨のコクと醤油のキレが混ざり合った圧倒的な香りが、ついに限界に達していた三人の胃袋を激しくノックした。

だが、器の中を見たエミルたちは、揃って首を傾げた。


「……これはなんだ?……ひょっとして、スープパスタの一種か?」


エミルが不思議そうにフォークを手に取る。


「スープパスタってのとはちょっと違うんだ。『ラーメン』って言う、東洋の料理なんだよ。すっごく美味しいから、だまされたと思って食べてみて!」


シャロがニコリと笑って勧める。


「ラーメン……?よくわかんないが、美味そうな匂いがプンプンするゾ!いっただっきまーす!!」


食欲の化身であるアグニが、誰よりも早く麺を大量にすくってズルズルッ!と勢いよくすすり上げた。


「――ッ!?」


アグニの目が、限界までカッと見開かれた。


ズルルルッ!ズズズッ!


言葉も発さず、アグニはただひたすらに麺をすすり、熱いスープをグビグビと流し込む。


「……あっつつ!ふはぁっ!美味いッ!この細長い麺が美味いし、このスープも美味い!これは止まんないゾ!!!」


アグニは歓喜の叫びを上げながら、あっという間にチャーシューに食らいつき、再び麺を猛スピードですすり始めた。


「そこまで言うなら……」


エミルも恐る恐る麺を静かに食べ始める。


「……!これは……パスタとは全く違う食感だ。細いのにしっかりとしたコシがある。そして何より、この麺が濃厚なスープをしっかりと絡めとって口の中に入ってくる……うん、これは癖になる味だ。身体の底から熱が湧き上がってくるようだ」


ヨシュアも、冷静な顔を装いながらスープを一口飲んだ。

その瞬間、彼女の眉間から険しさがスッと消え去った。


「……ほう……これは、美味い。特に、冷えた身体にはこの上なく染み渡る、これは強い酒の後にシメとして食べれば、どれほど合うことか……」


「あはは、喜んでもらえてよかった!」


シャロも自分の器を手に取り、ズルッと麺をすすった。

ラーメンの味が、冷え切っていた心をじんわりと解きほぐしていく。

猛吹雪の特設ツリーハウスの中には、四人分のラーメンの暖かい湯気と香りで満ち溢れていた。


「ふあぁ~~食った食った。腹の底からポカポカだゾ……」


アグニが満腹のお腹をさすりながら、木の床に大の字になって寝転がる。


「あの極寒の中での死闘が嘘のようだよ。シャロの料理には、いつも本当に救われる」


エミルも穏やかな表情でつぶやいた。

すっかり満ち足りた食事を終えた四人だったが……木の壁の向こう側からは未だに恐ろしい猛吹雪の音が鳴り響いていた、一向に収まる気配はない。


「全く、外はひどい荒れようだ。これじゃあ、一歩でも外に出ればあっという間に元の木阿弥だな」


ヨシュアが小さな窓の隙間から外を覗き見て、首を振る。


「なんだか、第7階層で閉じ込められた、あの延々と続くスコールを思い出すね」


シャロが懐かしそうに微笑んだ。


「フッ、確かにそうだな」


エミルは傍らに置いていた剣をそっと鞘に収め、壁に立てかけた。


「丁度いいな。今日は強敵との死闘で魔力も体力も相当消費したし、何より、あの猛吹雪の中を歩き続けて、流石の僕も疲れた……外の様子を見る限り、すぐに吹雪が止むとも思えない。今日はもう、ここで休もう」


「賛成だ……アタシも疲れと満腹で、もう眠くなってきたゾ……」


アグニがあくびをかみ殺して賛成する。


「……異論はない。無理に進んで全滅しては意味がないからな」


ヨシュアも静かに頷いた。


「それじゃあ、今日はここまでにして、しっかり休もうね」


シャロが言うと、三人が頷く。


燃え続ける魔法の炎の優しい暖かさと、お腹を満たした『ラーメン』の余韻に包まれながら。

猛吹雪が吹き荒れる第8階層の雪原の中、木の空洞という小さな安全地帯で、シャロたちは深い安らぎの眠りについたのだった。

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