第53食 おでん
見渡す限りの銀世界が、どこまでも続いていた。
空からは真綿を解いたような粉雪が絶え間なく降り注ぎ、太陽の光を反射してダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いている。
風は冷たいが、今のシャロたちにはそれを楽しむ余裕があった。
「ふふっ、本当に綺麗……」
シャロは、フリーズバイソンの毛皮に顔を埋めながら白銀の景色に目を細めた。
バイソンの毛皮は驚くほど温かい。
内側に溜まった体温が逃げず、まるで陽だまりの中にいるような心地よさだ。
さらに足元にはシャロ特製のスノーシューが装着されている。
これがあるおかげで、深く積もった新雪の上でも足が沈み込むことなく、まるで作られた道を歩くかのように軽快に進むことができていた。
「おい、見てみろヨ!こんなに雪が積もってりゃ、雪合戦し放題だゾ!これならデカい雪だるまも作り放題じゃねぇカ?」
アグニが楽しそうに雪を蹴散らしながら笑う。
彼女の機動力はスノーシューによって完全に回復しており、時折わざと雪の深い場所へ飛び込んでは、ヨシュアに怒られていた。
「雪合戦か、いいな。故郷でも偶にやったことがあるよ。意外と戦略性が問われるんだ」
エミルもアグニの言葉に乗る。
過酷な第8階層への突入だったが、装備が整ったことで一行の空気はどこか遠足のような穏やかさを帯び始めていた。
「……お前たち、遊びに来たんじゃないんだぞ。ここは第8階層、一歩間違えれば凍死か魔物の餌食だ。少しは真剣になれ」
最後尾を歩くヨシュアが、いつものように不機嫌そうな声を出す。
「まあまあヨシュア、少しは肩の力を抜かないと疲れちゃうよ。景色を楽しめるくらいの余裕がある方が、いざって時に動けるしね」
シャロがなだめるように言うと、ヨシュアは「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いたが、それ以上の小言は言わなかった。
しばらく進んでいくと、巨大な氷の川が一行の行く手に広がった。
水面は殆ど凍り付き、氷の隙間からわずかに川の水が流れているのが見える。
「すげーっ!川まで凍り付いてるゾ!」
見たことも無い見事な光景にアグニは目を輝かせ、氷の上に飛び乗った。
「で、今度はこの川を渡るのか?」
「ああ、念のために水上歩行の魔法をかける。万一この氷河に落ちたら、あっと言う間に体温を奪われてお陀仏だからな、防寒着も濡れたらただの重しだ。おい、戻ってこい馬鹿牛!」
ヨシュアはアグニを呼び戻すと、杖を掲げ、水上歩行の魔法をかける。
「スノーシューは脱いだ方が良いね。氷の上だとかえって滑りやすくなるから」
シャロのアドバイスに従い、4人はスノーシューを一旦脱ぎ、リュックに仕舞った。
「よし、行こう」
エミルを先頭にして、シャロ達は氷の運河を歩き始めた。
半分ほどまで渡った頃だった。
それまで周囲を警戒していたシャロの肌が、ピリピリとした殺気を感じ取った。
「……みんな、止まって!何か来る!」
「どこだ!?周りには何もいねぇゾ!」
アグニが周囲を見渡すが、見えるのは流氷と水面だけだ。
「河の中だ!」
シャロの叫びと同時に、四方を囲む水面が爆発した。
水柱の中から飛び出してきたのは、筋骨隆々とした魚人の群れだった。
全身を青白い鱗に覆われ、鋭い牙と、何よりその手には長大な槍が握られている。
「『アイスマーマン』か……!」
ヨシュアが吐き捨てるように言った。
魚人の魔物マーマン、それの上位種、氷の環境に適合した、凶悪な魔物だ。
アイスマーマンたちは水面から躍り出ると、空中で槍を振り回し、槍から鋭い氷の礫を放ってくる。
「はあっ!」
シャロ達は各々の得意技で飛来する氷を回避し、叩き落とす。
「所詮は水の中に住む奴らダ。エミル、お前の出番だゾ!一気に感電させてやレ!」
「わかった!」
アグニの激励を受け、エミルが大きく頷いた。
彼女は足場の氷の上で姿勢を低くし、魔力を剣へと集中させる。
「はああああっ!《ライトニング・ジャッジメント》!」
エミルが剣を天空へ突き上げると、天から巨大な雷の柱が運河目掛けて降り注いだ。
水中にいる敵にとって、強力な電撃は文字通りの必殺。
誰もが、その一撃で戦いは終わると思った。
「――!?なにっ!?」
アイスマーマン達が、掲げた槍をさらに高く突き出した。
すると、降り注いだはずの雷光が、まるで吸い込まれるようにその槍の穂先へと集まっていったのだ。
雷のエネルギーはアイスマーマンを傷つけることなく、その槍の中に完全に吸収されてしまった。
「嘘だろ!?雷を吸い取ったのカ!?」
アグニが驚愕の声を上げる。
雷を蓄えた槍は青白く発光し、マーマンがそれを力強く振るうと、今度は吸収した電撃がシャロたちへと撃ち返された。
「《ローズ・ウォール》!」
「《アイシクル・ウォール》!」
シャロが生成したぶ厚い草の壁と、ヨシュアが展開した氷の壁が重なり、なんとか電撃を防御する。
「あの槍は避雷針の役割もしているのか……どうやら奴らには雷魔法は逆効果のようだぞ!」
ヨシュアが冷徹に分析すると、エミルは屈辱に唇を噛んだ。
「まさか雷が効かないなんて……雷が通用しないなら、どうやって戦えばいいんだ!」
「エミル、アグニ、お前たちはひとまず自分の身を守ることに専念しろ。奴らへの攻撃は、俺とシャロで行う!」
ヨシュアの指示を受け、シャロは構えを取った。
遠距離攻撃を持たないアグニ、雷を封じられたエミルでは、奴らへの攻撃手段が無いからだ。
だが、アイスマーマンたちは非常に賢明だった。
一度攻撃を仕掛けるとすぐに水中に潜り、予測不能な場所から再び飛び出してくる、ヒット&アウェイの戦法だ。
「ちょこまかと……!《アース・バレット》!」
「逃げるなっ……!《リーフ・カッター》!」
ヨシュアが放つ岩の弾丸も、シャロが放つ葉の刃も、水中に潜られてしまえば威力が減衰し、マトモなダメージを与えられない。
「くっ、このままじゃジリ貧だよ……せめて、あいつらが出てくる場所かタイミングさえわかれば……!」
シャロが焦りを見せ始めた時、ヨシュアが隣でニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「シャロ、エミル、俺に考えがある……エミル、もう一度、全力で雷魔法を使え」
「えっ!?でも、また吸収されるだけだぞ!?」
エミルが聞き返すが、ヨシュアの瞳には確信めいた光があった。
「それはだ……………で…………した瞬間に…………だ」
「……なるほど、そういう事ね」
「考えたな、ヨシュア」
作戦を聞いた二人は、再び魔力を練り始めた。
「はあぁぁぁっ!《ライトニング・ジャッジメント》!」
エミルが再び剣を掲げ、天空から先ほど以上の雷を呼び寄せる。
案の定、水中に潜っていたアイスマーマンたちが、エサを見つけた魚のように一斉に水面から姿を現した。
「ギギィッ!」
彼らは勝ち誇ったような声を上げ、全員が槍を高く掲げる。
雷を吸収し、再び反射しようという魂胆だ。
「今だ!雷を吸収するために、必ず全員が水上に出ると思ったぞ!」
ヨシュアが杖を突き出し、叫ぶ。
「《テンペスト・ストリーム》!」
「《リーフ・ストーム》!」
ヨシュアとシャロ、二人の全魔力を込めた風魔法が合体し、巨大な水上竜巻が発生した。
雷を吸収することに集中していたアイスマーマンたちは、逃げる間もなくその渦に飲み込まれた。
「ギガアアアアッ!?」
竜巻は水ごとアイスマーマンを根こそぎ巻き上げ、空中で激しく回転させる。
槍の避雷針機能も、特大の暴風には無力だった。
やがて魔法が解除されると、ボトボトと力尽きたアイスマーマンたちが氷の上に叩きつけられ、そのまま全滅した。
「……はぁ、はぁ、なんとか倒せたね……」
シャロが膝をつき、荒い息を吐く。
「流石だなヨシュア。あえて吸収させて、敵が顔を出すタイミングを操作するなんて……けど、流石に疲れたよ。8層の魔物は、能力まで厄介すぎる」
エミルが息を切らしながら言う。
しかし、勝利の余韻に浸る間もなく、全員が激しい震えに襲われた。
「そ、そんな事より……さ、寒いッ!寒すぎるゾ!」
アグニがガタガタと歯を鳴らす。
先ほどの竜巻で巻き上がった大量の水しぶきを、全員が頭からマトモに浴びてしまったのだ。
濡れた毛皮がどんどんと体温を奪っていく。
「とりあえず火だ……火を起こすぞ……!」
ヨシュアは震えながら氷の上に焚火を作り、4人は毛皮を脱いでその火を取り囲む。
「ふぅ……生き返る……」
「ホントだね……さて、食事にしようか」
「待ってました!」
シャロが火に当たりながら、倒したアイスマーマンの死体を、いつものように食材へと変換し始めた。
今回の目的は、とにかく身体の芯から温まる料理だ。
シャロの手から、アイスマーマンのエネルギーが形を変えて実っていく。
まずは、つるりと光沢のある『卵』。
次に、土から掘り出したばかりのような、白く太い『大根』。
さらに、ほくほくとした食感を予感させる『じゃがいも』と、肉厚な『しいたけ』『エリンギ』。
そして、ねっとりとした甘みの『里芋』、鮮やかな橙色の『人参』。
極め付けは風味豊かな『昆布』と『ごぼう』。
彼女はテキパキと準備を開始した。
まずは、皮を剥いた大根を厚めの輪切りにし、角を落として「面取り」をする。
こうすることで、煮崩れを防ぎ、味を沁み込みやすくするのだ。
じゃがいもや里芋も適切な大きさに整えていく。
次に、野菜のクズや昆布をたっぷりの水に入れ、焚き火の強火で一気に煮出す。
同時に他の野菜や芋、卵も下茹でをしておく。
「ふぅ……いい香りがしてきた」
立ち上る湯気が、既に身体を温め始めていた。
琥珀色に透き通った濃厚な出汁が取れると、醤油、砂糖、酒、塩を加え、つゆを作る。
その黄金色のスープの中に、下ゆでした大根、じゃがいも、里芋、人参、ごぼう、そして固茹でにして殻を剥いた卵を、一つずつ丁寧に沈めていく。
数十分間後、具材が琥珀色に染まり始めたところで、シャロは鍋を火から下ろした。
「お!シャロ!できたのか!?早く、食わせてくれ!もう腹が空いて限界だゾ!」
アグニがフォークを握りしめて身を乗り出すが、シャロは静かにそれを制止した。
「まだだよアグニ。一旦冷ます事で、つゆが食材にしみこんで、もっと美味しくなるんだ。どうせ食べるなら美味しい方が良いでしょ?」
「……わかったゾ」
アグニは恨めしそうに鍋を睨むが、シャロの料理に対する妥協のなさは熟知している。
静寂の雪原、焚き火の爆ぜる音と、鍋から漏れ出る甘い香りが、四人を包み込む。
そして、ある程度冷ましたら、もう一度火をつけて温める。
ぐつぐつと煮え立ったところで、一人一人の器に丁寧に盛り付けた。
芯まで飴色に染まった大根、ほっくりと割れるじゃがいも、そして出汁をたっぷりと吸ったプルプルの卵。
「さあ、召し上がれ!特製おでんだよ!」
「いっただっきまーす!!」
アグニが、待ちきれないとばかりに大根を口へ放り込んだ。
「――ッ!?ア、アツウゥッ!!……でも、うめえぇ!噛んだ瞬間、中から美味いつゆが溢れ出してくるゾ!」
アグニがハフハフと激しく息を吐きながら、涙目になって大根を頬張る。
「……ああ、これは確かに絶品だ。特に卵が美味しい。味がしみ込んでる」
エミルも夢中になって器を抱え込んだ。
「……これは間違いなく、酒に合う料理だ」
ヨシュアが真剣な顔でおでんを食べつつ、ワインを味わう。
凍てつく銀世界、降り続く雪。
だが、その一角だけは、黄金色に輝く鍋を囲み、四人の温かな笑い声が響いていた。
アイスマーマンとの激闘による疲労も、冷水による死の恐怖も、この温かなおでんがすべて溶かしていった。
「ふぅ……食った食っタ!」
「毛皮もすっかり乾いたみたいだね」
食事を終え、服もすっかり乾いた四人の瞳には、先ほど以上の強い光が宿っていた。
「……さて。身体も温まったことだし、そろそろ行こうか。8層はまだまだ広い」
エミルの号令に、三人が力強く応える。
一歩、また一歩。
彼女たちの刻む足跡は、白銀の世界を確実に切り拓いていくのだった。
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