第52食 グラタン
ヨルムンガンドを倒し、一行は迷いのない足取りで、さらに深部へと続く道を進み始めた。
「……何か来るゾ!」
しばらく進んでいると、アグニがいち早く反応し、拳を構える。
洞窟の奥からカサカサと巨大な影が現れる。
それはデススパイダーだった。
「ギチギチッ!」
デススパイダーが威嚇の音を鳴らしたかと思うと、その口から強靭な糸を吐きつけて来た。
四人が同時に回避し、反撃に動いた。
先陣を切ったのはシャロだ。
彼女が生成した草の剣が、デススパイダーの硬い外殻を次々と切り裂いていく。
悲鳴を上げる魔物に対し、追撃の拳が叩き込まれた。
アグニの拳がデススパイダーの胴体に直撃し、数メートル後方へ吹き飛ばす。
続けてヨシュアが杖を掲げると、虚空から透明度の高い、極めて硬質な氷の槍が具現化した。
それは吸い込まれるようにデススパイダーの身体を貫き、その動きを完全に封じる。
最後に跳んだのはエミルだった。
彼女の愛剣から眩い閃光が走り、デススパイダーの巨体が真っ二つに両断された。
1体だけとは言え、かつて苦戦を強いられた深層の魔物が、ものの数秒で沈黙した。
「よし!しっかり強くなってる!」
シャロが微笑み、いつものように食材を生成し、ミルク、油、砂糖、醤油、ポーションを食材から丁寧に補充する。
「よし、これでバッチリだよ!さあ、先へ進もう!」
一行は意気揚々と歩き出した。
***
「……なあ、なんか寒くなってこないカ?」
しばらく洞窟内を進んでいると、アグニが自分の腕をさすりながら言った。
吐く息が、いつの間にか白くなっている。
「第7階層の出口が近い証拠だろうな……しかし寒い……恐らく8層は……」
ヨシュアの言葉通り、前方に光が見える、この洞窟の出口だ。
その向こう側からは、肌を刺すような凍てつく風が吹き抜けてきている。
一行が出口を通り、その先の景色を目にした瞬間、全員が息を呑んだ。
「凄い……!」
そこに広がっていたのは、一面の銀世界だった。
視界の限り続く氷の平原と、高くそびえ立つ氷の山々。
空からは絶え間なく粉雪が舞い降り、太陽の光を反射してダイヤモンドダストのように輝いている。
幻想的で美しい光景――だが、それは同時に「死の静寂」を意味していた。
「うっひゃあ!なんだこれ、寒すぎんだロ!指先が凍りそうだゾ!」
アグニがガタガタと震えながら飛び跳ねる。
エミルも剣の柄を握る手が強張っている。
「これは不味いな……防寒装備なしでは数分も持たないぞ」
ヨシュアが眉をひそめ、即座に杖を振るった。
「《ヒート》!」
ヨシュアが魔法を詠唱すると、淡く赤い光の膜が一行を包み込む。
内側の温度が急激に上昇し、凍えそうだった身体に温もりが戻ってきた。
「ふぅ……助かったゾ、ヨシュア」
「まだ少し寒いが……だいぶマシになった、ありがとう」
「それで、今度はどっちに向かえばいいの?」
シャロの問いに、ヨシュアは目を閉じた。
「待っていろ。今、第8階層の構造を探知する」
彼女は雪の上に杖を突き立て、魔力の波紋を周囲に広げる。
精神を集中させ、広大な階層の地図を脳内に描き出していく作業だ。
シャロたちはその間、彼女を邪魔しないよう周囲を警戒しながら待った。
十数分後、額にうっすらと汗をかいたヨシュアが目を開ける。
「……見えた。ここから北西、大きなクレバスの下に出口へ続く道がある」
「よし、決まりだね……とにかく動こう。ヨシュアの魔法があってもまだ寒い……」
シャロの言葉に、全員が頷き、銀世界の中へと足を踏み入れた。
行軍を始めてからしばらくした頃だった。
ザッ、ザッ、という、重量感のある足音が雪を叩く音が聞こえてきた。
「……どうやら、魔物のお出ましだよ」
シャロがそう言うと、雪煙の向こうから、四つの巨大な影が現れた。
それは、全身を青白い剛毛で覆われた巨大な牛の魔物――『フリーズバイソン』だった。
頭部には巨大な角があり、その鼻息は触れるものを凍らせる霧と化している。
「モオオオオッ!!」
四体のバイソンが、重戦車のような勢いで突進を開始した。
雪を跳ね上げ、大地を揺らすその迫力に、アグニが好戦的な笑みを浮かべる。
「へっ、ちょうど体が冷えてきたところダ。いい暖取りになりそうだゼ!」
迎え撃とうと身構えたその時、一体のフリーズバイソンが、その巨大な蹄を力一杯雪に叩きつけると、衝撃波と共に周囲の雪が生き物のように盛り上がっていく。
「……っ!?避けろ!」
エミルが叫ぶと、盛り上がった雪から鋭利な「氷のトゲ」が突き出してきた。
「わわっ!?なんだ今の、地面から槍が生えてきたゾ!」
間一髪で横に跳んだアグニが驚愕の声を上げる。
「ここは第8階層だ!このレベルの魔物なら、魔法の一つや二つ、使ってきてもおかしくないだろう!」
ヨシュアの言葉を裏付けるように、フリーズバイソンたちは突進を止めず、次々と足元から氷のトゲを発生させてくる。
接近を阻みつつ、確実に獲物の動きを制限する戦法だ。
「くっ、雪で足を取られて動きづらいゾ……!」
アグニが苛立ちを露わにする。
腰まで埋まりそうな深い雪が、彼女たちの機動力を著しく奪っていた。
回避に専念するだけで精一杯の状態だ。
「こうなったら、空から攻める!」
シャロ、ヨシュア、エミルは各々空を飛び始める。
空ならばいくら地上が雪だらけで動き辛くても問題ない。
「《サンダー・ブレード》!」
「《リーフ・カッター》!」
「《フレイム・ランス》!」
エミルの雷剣が、シャロの葉の刃が、ヨシュアの炎の槍がバイソンを襲う。
攻撃は確実にヒットしている、普通の魔物ならこれだけで決着がついていたはずだ。
しかし、バイソンの硬い毛皮と厚い脂肪が衝撃を和らげている。
第8階層の魔物ともなれば、体力も凄まじく、中々倒れない。
バイソンも負けじとつららの弾丸を放ち、攻撃してくる。
8層の魔物ともなれば、空のアドバンテージを取っても苦にしてくれない。
「キリが無いな……最大出力で一気に倒すぞ!」
「わかった!」
エミルの合図と共に、3人は全力の必殺技を放つ。
「《リーフ・ストーム》!」
「《サラマンダー・ストリーム》!」
「《ライトニング・カリバー》!」
シャロの鋭い刃のような木枯らしが、ヨシュアの全てを焼き尽くすような大竜巻が、エミルの激しく輝く雷の聖剣が、フリーズバイソンに襲い掛かる。
ドゴオオオオッツ!!!
「モオオオオオオッ!!!」
流石のタフなフリーズバイソンでも、彼女達の渾身の一撃には耐えきれず、そのまま崩れ落ちたのだった。
「……ふぅ、流石にここの魔物は骨が折れるな、一筋縄じゃいかないぞ……」
エミルが肩を回しながら、倒れたバイソンを見下ろす。
「とりあえず火だ、火を起こすぞ。やはり寒い」
ヨシュアが杖を振ると、雪の上に魔法の火が灯る。
シャロたちはその火を囲み、ようやく凍りついていた身体を解きほぐした。
「しかし……思った以上に厄介な場所だぞ。さっきみたいに空を飛んで戦うのも手だが、魔力はできる限り節約したい。おまけに1人何の役にも立ってない奴が居るしな」
ヨシュアがアグニを見つめて、眉をひそめて呟く。
「だって、アタシ飛べないし、雪が積もってて動けないんだゾ!」
アグニも頬を膨らませて反論する。
「……とにかくなんとかしないとな」
ぐううううううっ……
そんな話をしてると鳴り響く腹の音。
もはや考えるまでもなく、アグニの腹の音だ。
「シャロ~ハラ減ったゾ~何か作ってくれ~」
「わかった。でも、調理の前に、ちょっとやりたい事があるんだ」
シャロが立ち上がり、倒れたフリーズバイソンの死体へと歩み寄り、葉のナイフを片手に解体し始める。
「おいおい、シャロ!まさかその肉を食うのカ?魔物の肉は食えないんだゾ!?忘れたんじゃないだろうナ!」
アグニが驚いて声を上げる。
魔物の肉は通常、魔力の毒素が含まれており、人間が食せば腹を下すどころか命に関わる事もある。
だからいつもシャロの能力により、無害な食材に変換してるのだ。
しかし、今回はそれをしない。
「アグニ、落ち着け、シャロが魔物をそのまま出すわけないだろう。狙いは毛皮……だろ?」
エミルがそう言うと、シャロはその通りと首を縦に振る。
「うん。この毛皮、すごく暖かそうでしょ?これを皆の防寒着にするの」
シャロはテキパキとナイフを扱い、驚くほど滑らかな動作で巨大な毛皮を剥ぎ取っていく。
剥ぎ取った毛皮から丁寧に肉を削ぎ落とし、仕上げに魔法で生み出した「温かいお湯」で血汚れや油分を洗い流した。
「よし、あとはこれを焚き火の近くで乾かせば、立派なコート代わりになるよ!」
大きな四枚の毛皮が火を囲むように並べられる。
「さあ、毛皮を乾かしている間に、本命の調理を始めようか!」
シャロはフリーズバイソンの残骸にそっと触れた。
彼女の掌から淡い光が漏れ、瑞々しい作物が次々と姿を現した。
まずは黄金色に輝く立派な『小麦』、皮が薄く甘みの強そうな『玉ねぎ』、肉厚の『マッシュルーム』、そして綺麗な羽根の『鶏』が実った。
まずは小麦を挽いて純白の粉にし、玉ねぎとマッシュルームを小気味よい音を立てて刻んでいく。
鶏肉は一口大のサイズに切り分けられ、軽く下味をつける。
続いてたっぷりとした量のミルクと油を注ぎ込み、掌を器にかざすと、器の中でミルクがボコボコと泡立ち、瞬く間に凝固していく。
シャロは浮き出た水分を丁寧に絞り出し、さらに再び魔力を使って発酵を促した。
完成したのは、濃厚な香りと粘りを持つ、美しい乳白色の塊だった。
以前作ったカッテージチーズよりも、ずっとコクと深みがあるナチュラルチーズだ。
続いて大きな鍋に油を引き、まずは鶏肉を炒める。
ジューッという、食欲をそそる派手な音が雪原に響き渡る。
続いて玉ねぎを投入、飴色に透き通るまで炒め、甘みを引き出す。
そこに、香り豊かなマッシュルームを加え、旨味を閉じ込める。
ここに挽きたての小麦粉を振りかけ、油と馴染ませる。
シャロは丁寧に木べらを動かし、ダマにならないよう小麦粉を炒めていく。
そして、温めておいたミルクを、数回に分けて少しずつ注ぎ込んだ。
ミルクを加えるたびに、鍋の中はとろりとした純白のソースへと変化していく。
極上の『ホワイトソース』の完成だ。
最後に塩胡椒で味を調えると、その上に先ほど作ったナチュラルチーズを惜しみなく散らす。
蓋をして、弱火でじっくりと加熱すること数分。
「ヨシュア、仕上げをお願い!」
「……わかった。火力調整は任せろ」
ヨシュアが杖の先から細い火炎を放射する。
表面のチーズを、焦げ目がつく程度に絶妙な加減で炙っていく。
香ばしい、何とも言えない芳醇な香りが立ち上った。
「完成!特製『鶏肉とキノコのグラタン』だよ!」
真っ白な雪の上で、熱々の湯気を立てる黄金色のグラタン。
エミルが目を輝かせて呟く。
「……久しぶりの洋食だね。美味しそうだ」
「待ってましたッ!いただきまーす!」
アグニが真っ先にスプーンを突っ込む。
ふーふー、と少しだけ冷まし、思い切り口に運んだ。
「――っ!あ、熱っ、でも……うっめぇぇぇ!このトロトロが美味いゾ!」
濃厚なホワイトソースが鶏肉の旨味を包み込み、発酵チーズのコクが全体をまとめ上げている。
マッシュルームの歯応えがアクセントになり、噛むたびに多幸感が口いっぱいに広がる。
「……美味い。体の芯まで熱が染み渡るようだ」
ヨシュアも幸せそうに目を細める。
「このチーズも絶品だな。まさかダンジョンで、それもこんな下層でチーズが食べられるとは思わなかったよ」
エミルも器用な手付きで熱々のグラタンを平らげていく。
凍えるような銀世界の中で、その温かさは何物にも代えがたい救いだった。
四人は夢中になって鍋をつつき、あっという間に空っぽに食べつくした。
「ふぅ……食った、食った。これならこの雪山も怖くないゾ」
アグニが満腹で腹を叩く。
「さて……と」
シャロは立ち上がり、残りのフリーズバイソンの死体へと歩み寄った。
「何をする気だ?まだ何か作るのか?」
エミルがシャロに問いかける。
「ヨシュアが言ってたよね、何か楽に動ける方法が必要だって」
そう答えつつ、シャロはバイソンの残骸に手を触れ、魔力を注ぐと、肉塊から細いながらも頑丈な「木」と、しなやかな「ツタ」が急速に成長し、伸びてきた。
シャロは手に入れた木を適度な長さに切り、火の熱で少しずつ曲げて円形にする。
そこに、しなやかなツタを網目状に丁寧に編み込んでいった。
「できた!簡易的な『スノーシュー』だよ!」
それは、東洋の「かんじき」によく似た道具だった。
シャロは全員の分を手早く作り上げ、皆の靴の裏に取り付けていく。
「さあ、立ってみて」
促されて立ち上がったアグニが、目を見開いた。
「うおっ!?なんだこれ、全然沈まねぇ!しっかりと雪を踏めてるゾ!」
アグニが雪の上を駆け出す。さっきまでの足を取られる感覚が嘘のように、軽快に動くことができた。
「なるほど……面で支えて圧力を分散させるのか。合理的だな」
ヨシュアも感心したように自分の足元を見つめる。
「これなら移動も戦闘も遥かに楽になるぞ!」
エミルも嬉しそうだ。
「次はこれも着て見て」
シャロは、今度は焚き火のそばに置いてあったバイソンの毛皮をみんなに差し出す。
毛皮はすっかり乾いてふかふかになっていた。
羽織ってみると、それは着た瞬間に熱が籠るような圧倒的な保温力を持っていた。
「すげぇ!ポッカポカだ!」
「……すごい、これなら全然寒くないよ!」
アグニが両手を上げて喜び、エミルが毛皮の襟元に顔を埋める。
「流石、この雪原に住んでいる魔物の毛皮なだけはあるな。その辺の高級な外套よりずっと機能的だ」
ヨシュアも満足げに頷く。
さっきまで凍死の危機さえ感じた危険な銀世界。
しかし今の彼女たちは、お腹を満たし、しっかりとした靴を履き、最強の防寒着を纏っていた。
「……本当に凄いよね、シャロは、なんでもできて」
「ああ。本当に大した仲間を持ったもんだな、俺達は」
エミルとヨシュアが感心したように呟く。
「それじゃあみんな、先に進もう!」
シャロの明るい声に、三人が力強く応える。
しっかりと準備を整えた四人は、再び8層の奥へと進むのだった。
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