第50食 肉じゃが
第七階層『大樹海』
その中にそびえ立つ、空を突くほどに巨大な大樹。
シャロ御一行は、その気の遠くなるような高さを、螺旋状に巻き付く極太のツタを道として、ひたすら上へ、上へと登り続けていた。
「おおっ!あそこカ!あそこが出口カ!?」
歩き続けて1時間は経った頃、大樹の幹にぽっかりと開いた、巨大な亀裂のような穴が現れた。
それは、大人数人が同時に肩を並べて入れるほど巨大な『ウロ』だった。
「正確には、あそこが出口へと繋がる『道』だ。出口そのものは、この巨大な大樹の中をさらに通り抜けた先にある」
「なるほド!中はどんなになってんだロ?」
アグニはウロの入り口に立った。
それに続いて他の3人も入口に立つ。
中はひんやりとした冷気が漂い、大樹の内部とは思えないほど広大な空間が広がっていた。
「……結構暗いね。深さがどれくらいあるのか、ここからじゃ見えないよ」
シャロが目を凝らすが、微かな魔力の光が壁面を照らしているだけで、底は深い闇に沈んでいる。
「気を付けろ。この高さにあるウロだ、中は相当深いぞ」
エミルが慎重に剣を抜き、入り口の地面を叩いて強度を確かめる。
「足場はあるのか?」
「……あそこに、螺旋状に大きな木の瘤が突き出している。あれを足場にして降りていくのがよさそうだ」
ヨシュアが杖の先に光を灯し、内部を照らし出した。
確かに、壁面には等間隔で頑丈そうな足場が点在している。
一つ一つが十分に広く、慎重に飛び移れば下へと降りられそうだった。
「よし、僕が先導する。みんな、僕の足跡をなぞるように降りてこい。いいな?」
リーダーのエミルの言葉に、全員が力強く頷いた。
縦穴の中は、外の世界とは隔絶された独特の静寂に包まれていた。
コン、コン、と靴が木肌を叩く音だけが、虚しく反響する。
エミルが軽やかな身のこなしで一段下の足場へ飛び降り、安全を確認してから手を挙げる。
それに続いてシャロ、アグニ、しんがりのヨシュアが降りていく。
どれくらい降りただろうか?外の太陽の光は既に届かず、ヨシュアの放つ魔法の光だけが唯一の頼りだった。
しばらく進んでいた時、シャロが何かに気づいて足を止めた。
「……ねぇ、あそこ。何か白っぽくない?」
シャロが指差した先、次の足場となる太い木の瘤の周囲に、薄い霧のようなものが漂っていた。
だが、それは霧ではなかった。
ヨシュアが光を近づけると、それが何千、何万という細い糸が複雑に絡み合った『巣』であることが判明した。
「……べたべたしてるナ。これ、蜘蛛の巣カ?」
アグニが指先で触れようとするのを、エミルが鋭く止めた。
「触るな!この粘着力と魔力の残滓……間違いなく強力な魔物のものだ!」
改めて辺りを見渡すと、そこかしこに同じような糸が張り巡らされていた。
足場と足場の間を繋ぐように。
あるいは、獲物が落ちてくるのを待つ網のように。
それは、もはや魔物の気配を感じ取るまでもなく、この場所が極めて危険な狩場であることを物語っていた。
「……随分と物騒な所に迷い込んじまったナ!」
アグニが喉を鳴らし、拳を握りしめる。
「暗いが大丈夫か?特にアグニ、お前の目じゃ見えないんじゃないか?」
ヨシュアが、緊張をほぐすためか、いつものようにからかうような口調で言った。
「失礼だナ!これでも最近は少しは魔物の気配ってやつを感じ取れるようになったんだゾ。エミルの特訓のおかげでナ!」
アグニがムッとして言い返す。
「ははっ、本当に飲み込みが早いな、アグニは。その調子なら、闇討ちも怖くないか?」
エミルが微笑ましそうに二人を見る。
その直後だった。
「――来るッ!!」
シャロの叫びが響いた。
シュッ!シュシュッ!!
闇を切り裂き、白い糸の束が弾丸のように吐き出された。
4人はそれぞれの足場から四方へ飛び退いた。
先ほどまで彼らがいた場所に、粘り気のある糸が直撃し、岩のように硬い木肌を瞬時に覆い尽くした。
「ギギギギッ……!」
天井の闇から、無数の赤い眼光が浮かび上がった。
姿を現したのは、大人の倍ほどもある巨大な蜘蛛。
全身を漆黒の剛毛で覆い、節だった足の先には鋭い鎌のような爪。
そして、その牙からは紫色の毒液が滴っている。
「デススパイダーの群れか!」
ヨシュアが顔をしかめる。
デススパイダー、糸と毒を使う、狂暴な7層の魔物だ。
「次から次へと……!みんな、その糸には絶対に触れるなよ!」
エミルが注意を促しながら、迫りくる蜘蛛に向かって剣を一閃させた。
デススパイダーたちは、足場を自在に駆け回りながら、執拗に糸を吐き出してくる。
シャロたちは、狭い足場の上でそれを回避しながら反撃に転じた。
「《リーフ・カッター》!」
シャロが放った鋭い葉の刃が、空中を舞う蜘蛛の一匹を切り裂く。
「凍りつけ!《アイシクル・ショット》!」
ヨシュアの氷の礫が、壁を這う蜘蛛の足を凍らせ、奈落の底へと突き落とす。
「オラァッ!!」
アグニは正面から飛びかかってきた蜘蛛を、空中での正拳突きで粉砕した。
戦況は有利に見えた。しかし、この場所は彼らのホームではない。
縦穴という逃げ場のない空間、そして至る所に張り巡らされた『糸』という罠。
「しまっ――!?」
アグニが着地した瞬間、嫌な感触が彼女の足裏を襲った。
足場の端に付着していた、透明に近い極細の糸。
それが、アグニの右足の靴をガッチリと地面に縫い付けた。
「く、くっそ!足が抜けないゾ!」
焦るアグニ。その隙を、デススパイダーは見逃さなかった。
二匹の蜘蛛が、動けないアグニに向けて同時に跳躍し、鋭い毒牙を剥き出しにする。
「アグニッ!」
そこへ割って入ったのはエミルだった。
彼女は稲妻のような速度で足場を駆け、宙に浮いた二匹の蜘蛛を瞬時に斬り伏せた。
「助かったゾ、エミル!」
「礼は後だ!ヨシュア、アグニの足を!」
「言われなくても!《フレイム・バースト》!」
ヨシュアが杖を振り下ろすと、アグニの足元で小さな爆発が起きた。
「あちちちっ!!おい、熱いゾ、ヨシュア!」
「我慢しろ!これぐらいの火力でなきゃその糸は剥がれん!それより足元にも注意しろ、この単細胞!」
ヨシュアの辛辣な言葉に、アグニは小声で毒づきながらも、再び戦闘に加わった。
一行は、張り巡らされた糸を剣で切り、魔法で焼き払いながら、徐々に蜘蛛の群れを圧倒していった。
だが、最後の一団を追い詰めたその時、事件は起きた。
一匹のデススパイダーが、死に物狂いで放った最後の一撃。
シャロは咄嗟に反応し、身体を捻った。
しかし、運悪く足元の糸を踏んづけてしまう。
ビタァッ!!
「え……あ……っ!?」
足が足場に張り付いた瞬間、全身のバランスが崩れた。
そこへ、正面から放たれた糸の網が、無防備なシャロの身体を包み込んだ。
「きゃああっ!?」
強力な粘着力。
シャロの身体は、まるで繭のように幾重もの白い糸に絡め取られ、壁へと完全に固定されてしまった。
シャロを仕留めようと、残った最大級のデススパイダーが、その巨大な牙をガチガチと鳴らしながら彼女に迫る。
「シャロ!!」
「この野郎!」
「よくもシャロを!」
三人が一斉に叫び、助けに行く。
「《オーラ・ナックル》!!」
「《ブリザード・ランス》!!」
「《ライトニング・カリバー》!!」
拳に凝縮された膨大な魔力が、巨大な氷の槍が、高圧電流を纏った光の聖剣が、デススパイダーを襲う。
ドゴオオオオンッ!!
直撃。
デススパイダーの胴体が跡形もなく吹き飛ぶ。
静寂。
全ての蜘蛛が沈黙し、縦穴の中に荒い息遣いだけが残った。
「……ふぅ。これで最後か」
エミルが剣を納め、急いで壁際のシャロの元へ駆け寄った。
「シャロ、大丈夫か!?」
「ごめん……やらかしちゃった……」
シャロは全身を白い糸に巻かれ、壁に張り付けられたまま困った顔をしていた。
「ヨシュア!さっきみたいに火でドーンと燃やしちゃえヨ!」
アグニが提案する。
しかし、ヨシュアは即座に首を横に振った。
「忘れたかこの馬鹿。今のシャロは植物の魔物で、火属性はシャロの最大の弱点だ。お前と同じやり方で焼いたら糸と一緒にシャロまで炭になるぞ」
「あ……そうだったナ」
アグニがバツが悪そうに手を離す。
「そんな所まで魔物と一緒なんだな……不便なような、納得のような」
エミルが少しだけ可笑しそうに、けれど心配そうな顔をする。
「うぅ……炭になるのは嫌だよぉ。ヨシュア、なんとかして……」
シャロが情けない声を上げる。
ヨシュアはため息をつきながら杖を構えた。
「仕方ない。火が使えないなら、時間をかけて洗い流すしかないな」
ヨシュアが呪文を紡ぐ。
すると、杖の先から優しく、しかし確かな水圧を持った水の奔流が放たれた。
バシャバシャ……
シャロの身体を包む白い糸が、水に濡れて徐々にその粘り気を失い、溶けるように剥がれ落ちていく。
「ぷはっ!……ん、冷たい……でも、少しずつ動けるようになってきたかな」
糸の呪縛から徐々に解放されていくシャロ。
真っ白な繭のようだった糸は、今はドロドロとした透明な液体となって足元の木肌に吸い込まれていく。ようやく自由の身となったシャロは、濡れた髪を払い、大きく伸びをした。
「ふぅ……!やっと動けるようになったよ。ヨシュア、本当にありがとう、助かったよ」
シャロは、キノコの笠をパタパタと振って水気を切りながら、杖を収めたヨシュアに満面の笑みを向けた。
「礼ならいい。そんなことより、早くアイツの『腹の音』をどうにかしてくれ。さっきから五月蠅くて、魔法の集中が乱れるんだ」
ヨシュアが呆れたように視線を向けた先。そこには、自分の腹を両手で押さえながら、今にも倒れそうなほど情けない顔をしたアグニが立っていた。
…………ギュルルルルルルルルゥゥゥゥ!!
大樹の空洞内に、まるで大型の魔物が唸るような重低音が響き渡る。
「……なぁシャロ、まだかヨ。アタシ、もう待たされすぎて、腹と背中がくっついて離れねぇゾ……」
アグニの目は、先ほど倒したデススパイダーの死骸を、既に獲物ではなく食材として見定めていた。
「あはは、ごめんねアグニ。すぐに作るからね」
シャロは微笑みながら、倒れたデススパイダーの山へと歩み寄った。
死骸に手を触れ、魔力を流し込む。
バキバキと音を立てて生えてきたのは『じゃがいも』の茎、青々とした葉を広げる『人参』、丸々と太った『玉ねぎ』。そして、黄金色の穂を垂らす『米』の稲。
最後に、ドサリと大きな音を立てて実ったのは見事な『牛』だった。
シャロは手慣れた様子で、まずは米を研ぎ、鍋で炊く。
次に草のナイフを手に取り、肉牛の解体に取り掛かった。
様々な部位を薄くスライスし、食べやすい大きさに整える。
続いて野菜だ。じゃがいもは皮をむいてゴロゴロとした乱切りに。
人参も同様に切り、玉ねぎは甘みが出るように厚めのくし切りにする。
次に大きな鍋に油を引き、牛肉を投入する。
ジュウウウッ!!
肉が焼ける香ばしい匂いが立ち上り、アグニの腹の音がさらに一段と大きくなった。
肉の色が変わったところで、じゃがいも、人参、玉ねぎを次々と放り込み、木べらで炒め合わせる。
全体に油が回り、野菜の表面が少し透き通ってきたところで、水と醤油と酒を鍋に一気に注ぎ込む。
ジャアアアッ……!
醤油の芳醇な香りと、酒の香りが熱気と共に立ち上り、一行の鼻腔を激しく刺激した。
仕上げに砂糖を加え、味を調える。
あとは、蓋をしてじっくり煮込むだけ。
シャロは木の蓋を閉め、火加減を調整した。
コトコトと鍋の中で具材が踊る音が聞こえる。
醤油と砂糖が混ざり合い、具材の芯まで染み込んでいく。
やがて、シャロが蓋を開けると、真っ白な湯気の中に、飴色に輝く具材が現れた。
シャロは熱々の白米を器によそい、もう1つの器にたっぷりの具と煮汁を盛り付けた。
「完成!『特製・肉じゃが』だよ!」
「うおおおおッ!!待ってましたぁッ!!」
アグニが弾かれたように器をひったくり、スプーンを突き立てた。
まずは、飴色に煮込まれた大きなじゃがいもを一口。
「――――ッ!あ、あふ、あふっ……!う、うめぇぇぇぇ!!」
アグニが目を見開いて絶叫した。
「じゃがいもがホクホクだゾ!口の中でトロけるみたいに柔らかい!それにこの甘辛い汁が米とよく合う!最高だァッ!!」
アグニはもはや言葉を忘れ、ガツガツと猛烈な勢いで肉じゃがと白米をかき込んでいく。
「どれ、俺たちも頂こうか」
ヨシュアとエミルも、シャロから器を受け取った。
エミルは上品に一口運び、その深みのある味わいに驚きを隠せなかった。
「……美味しい。初めての味なのに、なんて落ち着く味なんだろう」
「ああ、これは……」
ヨシュアは、傍らに置いたワインのコップを手に取り、肉を一口食べてからそれを煽った。
「……間違いない、これは酒に合う。醤油の塩気と肉の旨味が、ワインの渋みを引き立ててくれる。最高のつまみだ」
「ふふっ、喜んでもらえてよかった」
シャロも自分の分を口にする。
ホクホクのじゃがいも、じゅわっと味の染みた牛肉、そして、それらを受け止める真っ白なご飯。
過酷な大樹の内部、暗い闇の中。
けれど、そこには焚き火の温もりと、美味しい食事を楽しむ仲間の笑い声があった。
面白かった 続きが読みたい方は ブックマーク 感想を入れたり
下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると励みになります




