第49食 から揚げ
シャロたち四人のパーティは、広大で鬱蒼とした緑の迷宮を一歩一歩、確実に前へと進んでいた。
奥へ進めば進むほど、森はどこまでも深く、暗くなっていく。
足元を覆うシダ植物や名も知らぬ奇妙な草花は、もはやシャロたちの背丈を優に超えるほどの高さまで成長しており、進路を切り開くだけでも凄まじい労力を強いられていた。
「あー……もう!いつまでこの草むらが続くんだヨ!飽きた!飽き飽きだゾ!!」
先頭を歩くアグニが、両腕でバキバキと巨大な草の茎を払い除けながら、空に向かって吠えた。
高温多湿の環境と、終わりが見えない単調な行軍が、彼女の忍耐力をゴリゴリと削り取っている。
「もう少しだ、アグニ。がんばれ」
少し後ろを歩くエミルが剣の柄に手を添え、涼やかな顔のまま励ましの声をかけた。
「ほら、アグニ。もうすぐそこだよ!」
アグニの不満を遮るように、シャロが明るい声を上げ、前方をスッと指さした。
「え?」
アグニが立ち止まり、シャロの指差す先――鬱蒼と茂る木々の不自然な隙間から覗く『それ』を見上げた。
「……うおおっ!?」
アグニの声が裏返った。
そこにあったのは、これまで見てきた森の巨木すらも雑草に思えるほどの、規格外の『大樹』だった。 幹の太さはちょっとした山ほどもあり、その頂はダンジョンの遙か上空、雲のような分厚い靄の中に突き刺さって見えない。
樹皮は岩盤のように強固で、表面には川のような太さの魔力光の脈動が走っている。
まさしく、この階層の主柱と呼ぶべき圧倒的な存在感がそこにあった。
一行は草むらを抜け、とうとうその大樹の根元へと辿り着いた。
見上げるほどに大きなその威容に、誰もがしばらくの間、言葉を失って立ち尽くしていた。
「なぁ、ヨシュア。本当にここがダンジョンの出口なのか?」
アグニが上をポカンと見上げたまま尋ねる。
「そうだ。この大樹のどこかに次の第8階層へと続く道が存在するはずだ」
ヨシュアが杖の先で大樹の幹をコツリと叩く。
「だけど……これを登るのは、控えめに言って地獄だぞ?」
エミルが、雲の上まで続く大樹の幹を見上げながら苦笑する。
「大丈夫だって!ヨシュアの魔法を使えば、こんなのひとっ飛びだロ?」
アグニが軽い調子で笑う。
これまでの冒険でも、ヨシュアの魔法には何度も助けられてきた。
しかし、ヨシュアはピシャリと言い放った。
「言っただろ、無駄な魔法は使わん。あそこを登るんだ」
ヨシュアが杖の先で指し示したのは、大樹の幹だった。
よく見れば、その垂直な岩壁のような幹の表面には、まるで螺旋階段のような具合に、大人十人が横に並んで歩けるほど極太の「ツタ」が、下から上へとぐるぐると巻き付いていた。
自然が作り出した、大樹を登るための「道」だ。
「うへぇ……マジで歩いて登るのかヨ。どんだけ時間かかるんダ……」
アグニが心底嫌そうに顔をしかめ、不満を漏らす。
「でも、それはそれで楽しそうじゃない? アグニ」
シャロがニコッと笑ってアグニの顔を覗き込んだ。
「こんなに高いところに登るなんて、滅多にない機会だよ?上まで行ったら、きっとこの大樹海全体が見渡せる絶景が待ってると思ったら、ワクワクしない?」
「……確かに!」
アグニは笑みを浮かべ、両手でパンッと頬を叩いた。
「そうだな!景色を楽しむのも冒険の醍醐味だ!よーし、アタシが一番乗りしてやるゾ!」
気分を完全に切り替えたアグニは、螺旋状に生える極太のツタの道に飛び乗り、ひょいひょいと軽快なステップで先導を切り始めた。
「元気な奴だな」
エミルが微笑ましく笑う。
「まったく……少しは落ち着いて行動してほしいんだがな」
ヨシュアはため息をつきつつも、ゆっくりとアグニの後を追って登り始めた。
シャロとエミルもそれに続く。
***
大樹のツタの道を登っていくのは、想像以上に過酷だったが、同時に壮大でもあった。
一時間、二時間と登り続けるにつれ、景色はどんどん高くなっていく。
先ほどまで見上げていた大樹海の巨木たちが、今では遥か眼下に広がる緑の絨毯のように見えた。
「おーい!下の奴ら、小せぇゾー!」
アグニが身を乗り出して、遥か下方の景色を見下ろしながら大はしゃぎする。
「危ないよ、アグニ。落ちないでね!」
シャロも汗をかきながら、一緒に眼下の景色を楽しんだ。
湿気も幾分か和らぎ、冷たく清涼な風が吹き抜けていく。
「見事な絶景だな。第7階層の全貌がよくわかる」
エミルが目を細める。
だが、その平和なパノラマ見物は、唐突な凶報によって終わりを告げた。
「……ッ!?左前方、上空!何か来る!」
ヨシュアが鋭い声で警告を発し、杖を構えた。
シャロたちが視線を向けた先、雲の切れ間から、太陽の光を遮るほどに巨大な影が、凄まじい速度でこちらに向かって滑空してくるのが見えた。
「魔物……!デカいぞ!」
エミルが剣を抜き放つ。
飛んできたのは、全長五メートルはあろうかという巨大な翼を持つ飛竜――『ワイバーン』だった。
全身を深紅のウロコに覆われ、強靭な翼で風を裂きながら、大樹に張り付く獲物を見つけて一直線に空を飛んでくる。
「迎撃準備!相手は空だ、気をつけろ!」
エミルが叫ぶ。
「ギャオオオオオオオオッ!!」
ワイバーンはシャロたちに急接近すると同時に、ワイバーンの口から灼熱の炎が吐き出され、シャロ達のいるツタの道へと襲い掛かってきた。
「散開ッ!」
ドゴオオオオオンッ!! 炎弾がツタに直撃し、爆炎が巻き起こる。
「いくぞ!」
「ああっ!」
シャロは植物の羽を生やし、ヨシュアは飛行魔法で空を飛ぶ。
エミルも雷の魔力を身にまとい、空へと飛び立つ。
だが――
「あ……おい、ちょっと待てヨ!」
アグニだけが、燃え盛るツタの道に取り残されていた。
彼女は驚異的な身体能力と格闘センスを与えられているが、エミル達のように「空を飛ぶ」手段を持っていなかったのだ。
「クソッ、アタシだけ置いてきぼりかヨ!!」
アグニが地団駄を踏むが、はるか上空で繰り広げられる空中戦には、拳の届く術がない。
空ではシャロ、エミル、ヨシュアの三人がワイバーンを包囲し、猛攻を仕掛けていた。
エミルの雷をまとった斬撃が宙を裂き、シャロの放った鋭い葉の刃がワイバーンを襲い、ヨシュアの氷の槍が急所を狙う。
しかし、ワイバーンはその巨体からは想像もつかないほど素早かった。
空という絶対的な三次元の絶対領域を完全に支配し、三人の連携攻撃を翼の羽ばたきと驚異的なアクロバット飛行で悉く回避していく。
逆に、すれ違いざまの強烈な尾のなぎ払いや、至近距離からの炎弾で反撃され、シャロたちは防戦一方に追い込まれつつあった。
「なんて速さだ……!空中じゃ、あいつの機動力に追いつけない!」
エミルが雷でワイバーンの爪を弾きながら歯噛みする。
中々決定的な一撃を攻撃させてくれず、激しい攻撃を回避しながら隙を伺うしかない。
完全な膠着状態、いや、徐々に空を飛ぶ魔力を消耗するシャロたちの方が不利な状況になりつつあった。
そんな中、ツタの上に取り残され、上空の激戦を見上げるしかできないアグニは、苛立ちの中で自分の両拳を見つめていた。
(アタシは……飛べない、届かない、また、見てるだけかヨ……!)
その時、アグニの脳裏に、今朝の出来事がフラッシュバックした。
「アグニ、君は僕と同じ魔闘気の使い手だな?」
エミルがアグニの腕の筋肉や魔力の流れを観察しながら、ふと言った。
「マトウキ?なんだそりゃ?」
アグニは首を傾げた。
「よくわからないけど、アタシはアタシのとおちゃんから戦い方を教わっただけだゾ。こうドーン!と気合いを入れると、なんか体がゴーッ!と熱くなって強くなるんダ!」
その答えに、エミルは苦笑いして首を振った。
「なるほど、アグニは感覚派みたいだね。だけどアグニ。君のその力の使い方は全くもってなっていないよ。出力に任せて、ただ無理やりに内なる魔力を力に変換して打ち出しているだけ。それではロスが多すぎるし、遠距離には届かないよ」
「むっ?じゃあどうすればいいんだヨ」
エミルはスッと立ち上がり、手の中に雷の魔力を球体状にピンポイントで凝縮してみせた。
「もっと意識して、力をコントロールするんだ。そうすれば、もっと強く……もっと色々な事ができるようになる。例えば、遠くの敵を魔力の弾丸で撃ち抜くこともね」
「ホントか!?それ、すっげぇカッコいい!エミル、アタシに教えてくレ!!」
エミルは優しく微笑み、アグニの手を取った。
「いいよ。まずは……」
アグニは目を閉じ、深く息を吐き出した。
空中で苦戦する仲間たちの様子は、耳から入る音だけで捉える。
焦るな、イラつくな。
エミルの教えを反芻する。
意識を、体中に散らばっている力じゃなくて……手先の、小さな一点に集中させる。
身体の中に流れる血液のような、熱い生命エネルギーの流れをイメージして……それを、一か所に集める。
アグニの右手が、ゆらゆらと陽炎のように歪み始めた。
今まで彼女が適当に体外に放出していた魔力が、明確な意思によってコントロールされ、手のひらに高密度の光となって収束していく。
「そして……そこから、魔力を一気に放出するッ!」
アグニが目を見開き、上空で旋回するワイバーンに向けて魔力を放つ。
ポンッ
気の抜けた音と共に、アグニの手のひらから野球ボール大の「光の弾丸」が放たれた。
「成功ダ!」
しかし、それは数メートルふよふよとシャボン玉のように浮いたかと思うと、ワイバーンに届くどころか、空の途中でパチンとあっけなく消滅してしまった。
「……あちゃー。やっぱりそう簡単にはいかねぇカ」
だが、アグニの顔に落胆の色はなかった。
むしろ、その瞳は歓喜にギラギラと輝いていた。
今まで、体に纏って物理的な攻撃力を上げる事しかできなかった彼女が、明確に魔力を遠距離攻撃の形にしたのだ。
それは大いなる一歩だった。
「もう一回!もっと集中しテ、もっと鋭ク!!」
アグニは、足を踏ん張り、何度も何度も天空に向けて手を突き出し、光の弾丸を放ち続けた。
シュッ!バシュッ!!
そのたびに、弾丸は形を変えた。
最初は丸く弱々しかったものが、やがて鋭い流線型になり、弾速は増し、込められた魔力の密度が高くなっていく。
十数回繰り返した頃には、光の弾丸は目にも留まらぬ速さで空気を切り裂き、遥か上空まで一直線に飛ぶようになっていた。
そして、ついに。
「いけえええええッ!!」
アグニの放った光の弾丸の一つが、上空でシャロ達の攻撃を回避しようとした急旋回中のワイバーンの翼に、スパァンッ!と正確に命中した。
「ギッ!?」
ダメージこそほとんど無いものの、突然地上から飛んできた鋭い魔力の直撃に、ワイバーンは明らかに体勢を崩し、苛立ったように鳴き声を上げた。
ワイバーンは、連続でハエのように飛んでくるアグニの魔力弾丸をひどく鬱陶しく思ったようだ。 標的を空中の三人から、地上のアグニへと変更した。
「ギャルルルルルオオオオオオッ!!」
ワイバーンが空中での停止状態から、巨大な翼をすぼめ、隕石のような凄まじい速度でアグニに向かって急降下急突進を仕掛けてきた。
「しまった!!アグニを狙っている!」
「アグニ!逃げろ!!」
シャロとエミルが慌てて後を追いかけるが、重力を味方につけたワイバーンの突進スピードには追いつけない。
ワイバーンは急降下しながら、その口内に限界まで魔力を溜め込み、アグニをツタの道もろとも焼き尽くそうと、超高圧縮の炎弾を吐き出した。
ゴオオオオオオオオオォッ!!!!!
落下してくる灼熱の炎と、巨大なワイバーンの爪、絶体絶命の危機。
しかし、地上に立つアグニは、笑っていた、驚くほど冷静だった。
彼女はすでに、力の流れ、魔力の圧縮、そして「放出」の完全なコツを掴み取っていた。
「上等だ……!アタシを置いて空を飛んでた事、後悔させてやるゾ!」
アグニは両足をガッチリと大樹のツタに食い込ませ、両手を腰の横に構えた。
体中の細胞から、血液から、毛根の先頭から、ありったけの生命エネルギーと魔力を、両手のひらの間へと注ぎ込む。
ギュイイイイイイイインッ!!!!
彼女の両手の間に、これまでの光弾とは比べ物にならない、太陽のような強烈な輝きと熱を放つ、巨大な『圧縮魔力の塊』が臨界点に達しようとしていた。
「アグニッッ!!」
シャロの悲痛な叫びが響く。
直後、ワイバーンの炎がアグニを飲み込もうとした、まさにその刹那。
「吹っ飛べエエエエエエぇっ!!!!!」
アグニが、両手に込めた巨大な魔力の塊を、真上のワイバーンに向かって一直線に突き放った。
ズドオオオオオオオンッ!!!!!!!!
圧倒的な光の奔流、アグニの放った極太のエネルギー波は、ワイバーンが吐いた炎のブレスを真正面から粉々に打ち砕き、さらに勢いを増して逆流した。
「ギャオオオオオオ――ッ!?」
回避する間などなかった。 純粋な破壊の力である光の奔流は、ワイバーンの巨大な胴体を真正面から捉え、吹き飛ばした。
「今だっ!」
吹き飛ばされ、身動きが取れなくなったワイバーンに、シャロ達は一斉に攻撃する。
「《サンダー・ブレード》!」
「《フリーズ・ランサー》!」
「《リーフ・カリバー》!」
シャロの鋭い葉の剣が、ヨシュアの巨大な氷の槍が、エミルの強烈な雷の剣が、ワイバーンに襲い掛かる。
「グギャアアアアアアッ!!!!」
ワイバーンは防御をする事もできずにシャロ達の猛攻を受け、そのまま力尽きて、遥か下方の樹海へと、静かに落下していった。
「できタ……!」
アグニが手のひらから立ち上る煙をフッと吹き消し、ニッと笑う。
「アタシの新たな必殺技……『オーラ・バースト』ダ!!」
シャロが真っ先に空から舞い降りてきて、アグニに抱きついた。
「アグニ!!今の、凄かった!!本当に凄かったよ!!あのワイバーンを吹き飛ばすなんて!」
エミルもふわりと着地し、驚きと称賛の入り交じった深い笑みを浮かべた。
「まさか、僕が教えた基礎を、たったの数時間でここまで昇華させるとは……恐ろしい才能だ。すっかり使いこなせるようになったな、アグニ」
最後に降りてきたヨシュアが、珍しく満足げに頷いた。
「これで今後も、空中戦でも足を引っ張らずに役に立てるな」
グルルルルルルルルルゥゥゥゥ――――ッ!!
三人がアグニの所に戻った時、信じられないほど巨大な、そして盛大な腹の虫の音が鳴り響いた。
「ハラ……減った……ゾ……」
アグニはお腹を押さえ、前のめりになって倒れる。
「魔力……使い……過ぎた……」
「あれだけの攻撃をしたらそうなるよな」
「ふふふっ、仕方ないね!早速食事にしようか!みんな!手伝って!」
シャロはそう言うと、地面に降りていく。
エミルとヨシュアもそれに続く。
そして、地面に落下したワイバーンの死骸を、3人で力を合わせてアグニの所に持ち運ぶ。
シャロは運んだワイバーンに手を触れ、魔力を流し込む。
ポコポコと音を立ててワイバーンから生えたのは、黄金色に輝く新鮮な「小麦」、パンチの効いた土の香りを放つ「ショウガ」、大粒の「ニンニク」、艶やかな「白米」、そして最後にドサリと大きな音を立てて現れたのは、極上の肉質を持つ巨大な「鶏」だった。
シャロはすぐさま行動を開始した。
まずは収穫したばかりの小麦をゴリゴリと挽いて、きめ細やかな真っ白な「小麦粉」を作り出す。
並行して葉の包丁を使い、採れたてのショウガとニンニクを丁寧にすりおろしていく。
続いてシャロは鶏を一羽丸ごと、流れるような手つきで解体していく。
モモ肉、ムネ肉、ササミ、手羽の部位ごとに分け、大きめの一口大に豪快にぶつ切りにした。
シャロは深めの木製ボウルにぶつ切りにした鶏モモ肉をごろごろと入れ、そこにすりおろした大量のニンニクとショウガを惜しげもなく投入した。
さらに醤油と酒をドボドボと注ぎ込む。
そしてボウルの中身を力強く、幾度も揉み込んだ。
醤油の黒い色が鶏肉の表面に染み込み、ニンニクとショウガの鮮烈な香りが繊維の奥深くまで浸透していく。
肉の中の水分と調味料が完全に乳化し、ボウルの中の水分が肉に吸い込まれて消えるまで、徹底的に揉み込み、しばらく漬け込む。
鶏肉を調味料の海に沈めたまま寝かせている間、シャロは休むことなく米の準備に取り掛かった。
手早く米を研ぎ、じっくりと米を炊き始める。
しばらくして白い湯気と共に米の甘い香りが空気を満たし始めた頃、シャロはボウルの中で飴色に染まった鶏肉を取り出し、先ほど挽き立ての真っ白な「小麦粉」を、一枚一枚の肉に丁寧に、しかしダマにならないよう薄く均一にまぶしていく。
同時に、鍋に並々と油を注ぎ、温める。
油の温度が適温に達したことを確認すると、小麦粉を叩いた鶏肉を、油の海へと静かに滑り込ませた。
ジュワアアアアアアアアッ!!!!!
静寂に包まれていた大樹の途中に、暴力的なまでの破裂音が響き渡った。
高温の油が肉の表面の水分を一気に飛ばし、小麦粉の衣がチリチリと音を立てて黄金色に変わっていく。
「おおお……すげぇいい匂いだ……」
熱気と共に立ち上ったのは、焦げた醤油の香ばしさ、ニンニクとショウガの食欲を殴りつけるような暴力的な匂い、そして鶏の熱された動物性油脂の甘い香りだった。
シャロは焦げる前に、衣が固まりうっすらと色づいた段階で、一度すべての肉を金網の上に引き上げた。
予熱で中に火を通し、数分間、肉を網の上で休ませた後、油の温度を高温へと急上昇させる。
鍋の中からかすかに煙が立ち上り始めた瞬間、シャロは先ほど休ませておいた鶏肉を、再び一気に高温の油の中へとダイブさせた。
いわゆる『二度揚げ』である。
バチバチバチッ!!ジュワアアアアッ!!!
先ほどよりもさらに激しい、荒々しい音が鳴り響く。
休ませていた間に肉の表面に浮き出た余分な水分が、高温の油によって一瞬にして蒸発させられ、衣は信じられないほどの軽さと極限の「サクサク感」を獲得していく。
ほんの数十秒、衣が見事な濃いキツネ色――いや、タレの染みた琥珀色に染まった瞬間、シャロは全ての肉を素早く引き上げ、しっかりと油を切った。
「はいっ!お待たせ!!『鶏のから揚げ』の完成だよ!!」
炊き立てでピンと立った白米が盛られた木のお椀。
そしてその隣の皿の上に山盛りに積まれたのは、衣がゴツゴツと逆立ち、醤油とニンニクの強烈な香りを放つ、熱々の『鶏のから揚げ』だった。
「いただきまーーーすッ!!!」
アグニはもはやフォークも使わず、手づかみで最も大きなから揚げを一つむんずと掴み、大きく口を開けてかぶりついた。
サクッ……!
「――っ!!!」
アグニの目が、限界まで見開かれた。
歯を立てた瞬間に響く、小麦粉の衣の極めて軽快な破砕音。
口の中に弾け飛んだのは、暴力的なまでに熱く、そして旨味が凝縮された大量の『肉汁』だった。
「あっっつ!!ほふっ、はふっ!う……美味えええええッ!!!」
ニンニクとショウガの下味が肉の芯まで完全に染み込んでおり、噛むたびに鶏の強烈な旨味と、香ばしい醤油の風味が口の中を暴れ回る。
外側の「サクサク」と、内側の「ジュワッ」という、二つの食感が生み出す快感。
アグニは火傷しそうな熱さにも構わず、から揚げを飲み込むと、間髪入れずに左手に持ったどんぶりの白米を猛烈な勢いでかき込んだ。
「この肉の濃い味が米と合う!美味い!美味いぞおおおッ!こんなの無限に食えるゾ!」
アグニは山盛りのから揚げをブラックホールのように次々と胃袋へと消し去っていく。
ヨシュアもフォークを手に取り、上品に一つを口に運んだ。
「ほう……確かに美味い……肉も柔らかく、味も濃くて……これは酒にも合いそうだ」
ヨシュアはワインの入ったコップを片手にしみじみと唐揚げを味わう。
「……美味い。普段の肉料理とはまた違った美味しさだな。東洋料理とは奥が深いな」
エミルもまた、笑顔でサクサクとから揚げを頬張り、白米をかき込んでいる。
「ふふふ、喜んでもらえてよかった!」
シャロも自分の分のから揚げを齧り、その完璧な出来栄えに満足げに微笑んだ。
雲の上の大樹のツタの上。
吹き抜ける涼やかな風に乗って、から揚げの匂いと、四人の楽しげな咀嚼音がどこまでも響いていく。 ワイバーンの一頭分から出来上がった、文字通り「山のような」から揚げの山は、空腹を極めていた四人の胃袋へと、あれよあれよという間に吸い込まれていった。
「ふぅーーーーーっ……」
「食った食った……もう食えねェ……」
鍋を完全に空にし、最後の一粒の米まで食べ尽くした一行は、ふかふかのツタの上に仰向けに寝転がり、極上の満腹感と疲労感に包まれていた。
「……高い所での食事も、案外いいものだな」
エミルが、雲海を見下ろしながらポツリとこぼした。
普段の暗く湿ったダンジョンの床や、血生臭い洞窟とは違い、ここは空に近く、風が清々しい。
足元には広大な緑の絨毯が広がり、遠くの地平線が緩やかに湾曲しているのが見える。
「ああ……最高だゾ。この景色に美味い飯は」
アグニがお腹をパンパンに叩きながら、満足げに同意する。
「まぁ……確かに悪くない」
常に合理性を重んじるヨシュアでさえ、珍しく目を閉じて吹き抜ける風の心地よさを味わっていた。
「時間を忘れて、このままのんびりしたくなっちゃうね」
シャロが空に浮かぶ真っ白な雲を見上げながら、うーんと大きく伸びをした。
魔物と戦う日々、見知らぬダンジョンの奥底へ進む恐怖。
それらを全て忘れさせてくれるような、優しく、静かで、満ち足りた時間がそこにあった。
「だが……」
ヨシュアがゆっくりと目を開け、現実を口にする。
「そう言う訳にも行かないけどな」
彼女の眼差しの先には、第7階層のさらに奥、まだ見ぬ深淵へと潜っていった仲間、セレナを見ていた。
「そうだな……もう少し休んだら、出発しよう」
「まだまだ大樹の頂きは遠いからね。気合入れて登らないと!」
「おう!」
天空のツタの上、まだ見ぬ出口を目指し、厳しい戦いが待っているであろう第8階層への扉を目指して。 食後の穏やかな時間は、シャロたちの決意と共に、確かに、そして静かに過ぎていくのだった。
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