第48食 親子丼
第7階層『大樹海』
鬱蒼と茂る巨木と、視界を遮るほどの巨大なシダ植物が支配する緑の迷宮を、五つの影が慎重に進んでいた。
分厚いミスリル製の重鎧を身に纏い、身の丈ほどもある大剣を背負った大柄な男、リーダーの重戦士ガストン。
純白の法衣に身を包んだ聖女エリア。
眼鏡をかけた魔術師ルーク。
身軽な皮鎧を装備した無口な双剣使い、軽戦士のシオン。
そして同じく軽戦士のバルツ。
数々の困難なダンジョンを踏破し、互いの命を預け合ってきた固い絆で結ばれた五人。
彼らの実力は折り紙付きであり、未踏の領域であるこの第7階層まで到達できたのも、その卓越した個々の技術と、何よりも完璧なまでのチームワークの賜物であった。
「しっかし……この階層は鬱陶しいな。湿気で鎧が重く感じるぜ」
ガストンが、まとわりつくような熱帯特有の湿気を手で払いのけながらぼやいた。
彼の声には疲労が滲んでいたが、その歩みには一切の迷いも隙もない。
「ぼやくな、ガストン。大雨の後の森なんてこんなものだ。それに……出口の気配すらまだ掴めないんだ。体力は温存しておけ」
バルツが周囲に油断ない視線を配る。
「ええ、バルツの言う通りですわ。このフロアに足を踏み入れてから、魔物たちの生命力が異様に高いのを感じます。神の御加護があらんことを」
聖女エリアが胸の前で手を組み、祈るように目を閉じた。
彼女の存在そのものが、薄暗い森の中で唯一の温かな光のように感じられ、ガストンの心を安らげる。
「よし、気を取り直して進むとするか!」
ガストンが気合を入れ直し、再び太いシダ植物を大剣の柄で押し退けて進んだ。
それからしばらく森を作業のように切り開いて進んだ後、不意に、鬱蒼とした緑の視界が嘘のようにパッと開けた。
「……おおっ!」
ガストンが思わず感嘆の声を漏らした。
後ろを歩いていたルークやシオン、バルツ、そしてエリアも、息を呑んで足を止めた。
そこにあったのは、広大で美しい「花畑」だった。
色とりどりの無数の花々が咲き乱れていた。赤、青、紫、黄金色。
見たこともないような華麗な花弁が風に流れてゆらゆらと揺れ、甘く馨しい香りを空間全体に漂わせている。
近くには綺麗な蝶が、まるで精霊のように辺りを舞っている。
「凄い……こんなダンジョンの奥深くに、こんな綺麗な場所があるなんて……」
エリアが、法衣の裾を両手で軽く持ち上げながら、魅入られたように花畑へと一歩足を踏み出した。
ルークもまた、魔術師としての好奇心を刺激されたように眼鏡を押し上げる。
過酷な大樹海の探索で張り詰めていた彼らの神経が、その幻想的な美しさと甘い香りにほだされ、ほんの一瞬だけ緩んだ。
「でも、気をつけろよ」
ガストンの太い声が、その緩んだ空気を引き締めた。
彼は大剣の柄にしっかりと手をかけ、鋭い眼光で美しい花畑を見渡した。
「どれだけ綺麗だろうが、ここはダンジョンの深層、第7階層だ。こんなあからさまに目立つ場所が、安全なわけがない。美しい花には必ず猛毒や罠が潜んでいると相場が決まってる……絶対に隊列を崩すな」
「了解だ、リーダー」
シオンが双剣を抜き、低い姿勢を取る。
バルツも剣を構え、全方位を警戒した。
五人は、油断することなく、互いの背中を守り合う陣形を組みながら、ひざ下まである美しい花々の間を慎重に歩き始めた。
一見すると、魔物の気配は全くない。
静寂が花畑を包み込んでいる。 だが、花畑の中央付近に差し掛かった時だった。
「……ん?」
ガストンが、先頭を歩きながら微かな違和感を覚えた。
足元から立ち上る花の香りが、先ほどの甘い香りから、徐々に血や泥が混じったような、酷く生臭い匂いへと変化しているように感じたのだ。
霧が立ち込め、周囲の空気が急激に重く、冷たく、息苦しいものへと変わっていく。
「な、なんだこの霧は!?」
「前が見えません……!」
「おいルーク、魔法でこの霧を晴らしてくれ……おいルーク?」
仲間が慌てる中、ガストンが冷静にルークに指示を出すが、何故か返事が返ってこない。
それどころか、他の仲間達の声も聞こえなくなり、代わりに獣のような唸り声が少しずつ聞こえてくる。
不安に思いながらも、しばらくすると霧は晴れて行った。
「良かった……霧が晴れたよう……だ……!?」
ガストンの視線の先、彼の後ろを歩いていたはずの仲間たちの様子が、明らかにおかしかった。
「グルルルルッ……」
「アァァァ……ガァァァァ……」
ルーク、バルツ、そしてシオンの肌が、土気色を通り越してどす黒く変色し、顔の血管が異常なまでに隆起して紫色に浮かび上がっている。
瞳の焦点は定まらず、白目が血走り、口からは獣のような低い涎混じりの唸り声が漏れていた。
「おい!どうしたんだお前ら!しっかりしろ!」
ガストンは血の気が引くのを感じながら、仲間たちに必死に呼びかけた。
毒か?呪いか?あの花の香りに何か猛毒でも混ざっていたのか?
そして、なぜ自分だけは無事なのか?わからない。
「エリア!早くこいつらに解毒と浄化の魔法を頼む!!」
ガストンが、後方にいる純白の聖女に叫んだ。
彼女ならば、どんな重い状態異常でも光の御手で一掃できる。そう信じて。
「……アァ……ウゥ……ッ」
だが、振り返ったガストンが見た光景は、絶望そのものだった。
聖女エリアの美しい金髪は、泥のように薄黒く変色し、彼女の頬にも血管が浮き出て、瞳は赤く、ただ鈍く、飢えたような光だけが宿っていた。
法衣の純白さは禍々しい闇の靄で汚れ、彼女もまた、うつろな声を上げていたのだ。
「エリア……!嘘だろ……お前まで!」
ガストンが思わず一歩後ずさった、次の瞬間だった。
「ウグウウルルルルルッ……!」
うつろな目のまま、彼女のその口から発せられたのは、回復の祈りでも、光の祝詞でもなかった。
本来聖女であったはずの彼女の杖の先から、黒紫色の禍々しい闇の力が放たれた。
明らかに「治療」ではなく「攻撃」の魔法。
「おい、エリア!目を覚ませ!俺だ!お前の仲間のガストンだぞ!」
慌てるリーダー格のガストンの言葉は、彼女の耳には一切届いていない。
「クソッ!」
説得が聞かないとわかると、ガストンはエリアの杖をはたき落とす。
しかし、その直後、別の影が猛スピードで襲い掛かってきた。
「ギガァァァァァァァッ!!」
獣の唸り声と共に、双剣がガストンを狙って閃いた。
軽戦士のシオンだ。 いつもの寡黙な彼ではなく、完全に理性を失い、剥き出しの殺意を帯びた化け物の一人となっていた。
ガストンが間一髪で身を引いて回避すると同時に、後方からはルークが魔術の詠唱に入り、バルツも短剣を投げつけてくる。
「くそっ、全員おかしくなっちまったのかよ!」
事態はさらに最悪の方向へと加速した。
彼らは魔物と化したが、その戦闘能力、技術、経験という「冒険者としての動き」は全く失われていなかった。
そして、信じ難いことに――
「ウガァァァァァッ!!」
「グルルルルッ!!」
ルークが放った漆黒の炎が、ガストンではなく、シオンの背中を焼き払おうとしたのだ。
そして、バルツの放った短剣は、エリアの法衣に突き刺さった。
「な、なんだ……あいつら、仲間割れをしてるのか!?」
ガストンの予想を超えて、魔物と化した四人は完全に錯乱し、彼らの周囲にいる最も近い「動く存在」に見境なく襲いかかり始めた。
かつての仲間たちが、奇声を上げ、互いに殺し合いを演じるという地獄絵図が、花畑の中央で繰り広げられた。
双方が双剣で切りつけ合い、至近距離から魔法を放ち合い、血と肉が飛び散っていく。
「やめろお前ら!互いに傷つけ合うな!」
ガストンが叫ぶが、その声は虚しく花畑に消える。
そして、互いに傷つけ合いつつも、彼らのうちで最も近くにいたバルツが、再びガストンに狙いを定めた。
「……コロ……ス……」
鋭い短剣を抜いたバルツが、黒いオーラを纏いながら凄まじい速度でガストンに肉薄してきた。
一体何が何だかわからない。
どうすればいい? どうすれば、彼らを元に戻せる?
そもそも、回復や解呪の要であるパーティ唯一の聖女・エリア自身が闇の魔物と化してしまっているのだ。
「一体どうすればいい……!?彼らを倒せば、元に戻るのか!?」
何が何だかわからない、どうしてこうなったのかもわからない、何故自分だけが無事なのかもわからない。
だが、今わかる事は、とにかく彼らを倒してでも止めなければならない事だった。
「チクショウ!」
ガストンは、重い鎧の音を響かせ、大剣を上段から躊躇なく振り下ろした。
「ウオオオオオオオオッ!!!」
迫ってきたバルツが、ガストンの圧倒的な質量の一撃を短剣で受けようとしたが、鋼鉄の巨剣は彼を斜めに切り裂いた。
「グアアアアッ!」
バルツの体が切り裂かれ、鮮血と黒い瘴気を吹き出して崩れ落ちる。
「……ッ!」
ガストンが息を呑むが、感傷に浸る時間はなかった。
相手は相手で、剣を抜き、魔法を放ち、容赦のない組織力……いや、個々の圧倒的な反撃を加えてくる。仲間割れを繰り返す中で、ルークの魔法やシオンの強烈な斬撃がガストンへも向けられるのだ。
7階層まで潜った仲間だ、その個々の強さは折り紙付きであり、ガストンがいかに熟練の重戦士であろうと、彼らを同時に相手にするのはかなり厳しい。
ルークの放つ闇の火球が、ガストンの肩の鎧を融かし、皮膚を焦がす。
「がはっ……」
シオンの双剣が、死角からガストンの足首と腿を浅く切り裂き、強烈な痛みが走る。
それでも、幸いなことに、元仲間達は錯乱し、見境なく互いを狙い合うため、その「定期的に仲間割れをする」という狂った生態を利用するしかなかった。
「……俺が、引導を渡してやる!」
ガストンはシオンの背後に隠れ、ルークがシオンに気を取られた隙を突いて、ルークの胴体を大剣の切っ先で刺し貫いた。
ルークはビクリと震え、断末魔と共に倒れた。
その隙に、シオンがエリアに向けて突進し、エリアを切り裂いた。
エリアもまた、断末魔と共に倒れた。
残るは、シオンただ一人。
「シオン……頼む、これで、眠ってくれ」
ガストンが、肩から血を流し、息も絶え絶えになりながらも大剣を横に薙いだ。
シオンの体は抵抗することなく、ガストンの一撃を受けて、花畑の上に静かに倒れ伏したのだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ガストンが膝から崩れ落ち、大剣を地面に突き立てて荒い息を吐き出す。
全身は傷だらけで、鎧はボロボロになり、自らの力で長年の仲間を全滅させたという絶望と虚無感が、彼の心を真っ黒に染め上げていた。
「おい……元に、戻ってくれよ……頼むから……」
ガストンが、倒れたルークやバルツ、シオン、そしてエリアを見渡して祈るように呟いた。
倒せば、呪いが解け、彼らが元の人に戻るかもしれない、淡い期待。
だが、現実は彼が見たこともないほど残酷だった。 倒れた仲間達は、元の人に戻らないのはもちろんのこと、それどころか、彼らの肉体は、あたかも太陽の下に放置された氷のように、内側からジュクジュクという音を立てて、黒くドロドロに溶けていき始めたのだ。
「な……なんなんだよ、これは……!」
ガストンが目を大きく見開いて後ずさりする。
美しい花畑の地面が、彼らの溶けた黒い肉体の液体を吸い込んでいく。
「……あ?」
ガストンの視界が唐突にグラリと揺れ、先ほどまで大剣を握っていた自らの右手に強烈な違和感を覚えた。
顔を上げてみると、自分自身の右腕の皮膚が薄黒く変色し、まるで粘土が崩れるかのように、ドロドロと腐ってはがれ落ちようとしていた。
「嘘……だろ……俺も、か……?」
恐怖がガストンの魂の底から噴き出し、パニックに陥らせた。
仲間を魔物に変え狂わせた「何か」。
それはガストンの肉体をも確実に、時間をかけて蝕んでいたのだ。
どんどんと自分の右腕から肩へ、そして胸元へと肉が腐り、ドロドロの液体となって零れ落ちていく。 痛覚は麻痺しているのか、痛みすら感じない。
ただ、凄まじい速度で己の生命力と「力」が抜けていく感覚だけが、冷たく彼を支配した。
「嫌だ……死にたくない……なんで……こんな……!」
ガストンが悲鳴を上げようとするが、声帯までが腐敗を始め、掠れた空気の音しか漏れない。
絶望が、彼の全てを飲み込んだ。
自らの左手で腐り落ちる体を止めようと藻掻くが、無情にも全身は溶け続け、崩れ落ちる。
もう終わりだ、そう完全に諦め、彼はその場に倒れたのだった。
***
「ん……うぅ……」
重い瞼を押し上げる。
霞む視界が徐々にピントを結び、薄暗い樹海の天井と、自分を覗き込むように囲むいくつかの顔を映し出した。
「ガストン!ガストン!気がついたのですね……!」
涙ぐんだ声。
それは、禍々しい闇の魔法を放つ化け物へと成り果て、倒されたハズの聖女、エリアの声だった。
ガストンは弾かれたように身を起こした。
「エリア!?お前、姿が……元に戻って……!ルーク!バルツにシオンも!みんな、無事なのか!?」
ガストンは信じられないものを見る目で仲間たちを見回した。
エリアの金髪は美しく澄んだ輝きを取り戻しており、ルークの知的な瞳にも、バルツとシオンの落ち着いた表情にも、狂気や魔物化の兆候は微塵も残っていない。
彼らは皆、ガストンが知る「人間の仲間」そのものだった。
「よかった……本当によかった……っ!」
ガストンは、無骨な両手で顔を覆い、安堵のあまり咽び泣いた。
あの凄惨な同士討ちは、一体何だったのか。
ドロドロに溶けていく自分の肉体は。
「あの人たちが私たちを助けてくれたんですよ」
エリアが優しくガストンの肩に触れ、背後を指さした。
ガストンが涙を拭ってそちらを見ると、そこには見知らぬ四人の冒険者パーティが立っていた。
キノコの笠を被った不思議な少女、巨大な牛の獣人、銀色の狐の獣人、そして、金髪のエルフの剣士。
「気がついたようだね」
エルフの剣士、エミルが、穏やかな微笑みを浮かべてガストンに歩み寄ってきた。
「君が最後まで昏睡していたが、もう大丈夫だ。他の仲間たちは、一足先にポーションで治しておいたよ」
「あんたたちが、俺たちを……?ありがとう。本当に、どう礼を言ったらいいか……」
ガストンが深々と頭を下げる。
「もう本当にダメだと思った……お前らが全員魔物になっちまって、自分の体もドロドロに腐っていって……」
だが、そのガストンの言葉を聞いた魔術師のルークが、怪訝そうに眉をひそめた。
「ガストン、何を言っているんだ?『仲間が全員』?いや、魔物になって襲い掛かってきたのは、お前たち四人の方だったじゃないか」
「はぁ?何を言ってるんだルーク。魔物になったのは俺以外の全員だ!俺はたった一人で、魔物になったお前たちと必死に戦ったんだぞ?」
バルツが声を荒げた。
さらにシオンも。
「僕も同じだ。一人だけ取り残されて、魔物になったお前たちに囲まれていた」
とポツリとこぼした。
「え……?」
ガストンは戸惑った。
「私もです……解呪魔法を唱えようとしたら、突然襲ってきて……」
エリアを見れば、彼女も青い顔で首を振っている。
話を聞き合わせていくうちに、五人の間でとんでもない事実が発覚した。 どうやら全員が共通して『自分だけが人間のままで、他の仲間全員が化け物になって襲い掛かってきた』と思い込んでいたらしいのだ。
それはつまり、あの狂気の同士討ちは――「互いが互いを化け物だと思い込んで、本気で本物の仲間と殺し合いをしていた」という恐るべき事実を意味していた。
「な、何がなんだかわからねぇ……俺たちは、幻でも見ていたっていうのか?」
ガストンが戦慄に震えながら呟く。
「そう、その通り。これが原因だよ」
そこへと、キノコの笠を被った少女――シャロが、ガストンたちの目の前に『何か』をひょいと放り投げた。
それは鮮やかな瑠璃色の羽を持つ小さな「蝶」の死骸だった。
この花畑を舞っていた、あの蝶だ。
「これは『ミラージュバタフライ』強い幻覚作用のある毒性の鱗粉を広範囲にばらまく危険な蝶だよ」
シャロが説明する。
「これで君達は幻覚を見せられて、同士討ちをさせられていたというわけ。僕達が見つけた時には、君達は全滅寸前の状態だったよ」
エミルが真剣な表情で言った。
「そんな恐ろしい魔物が、こんな花畑に潜んでいたなんて……」
エリアが口元を覆い、ガストンも脂汗を流した。
もし、シャロ達の介入があともう少し遅ければ、この恐ろしい蝶の餌食となっていただろう。
「この蝶の幻覚効果に陥っていたら、俺たちも相当厄介だったはずだ。だが、お前たちが先んじてあいつらの獲物になってくれて助かった。おかげで鱗粉の範囲外から先手を打って、蝶を仕留めることができたからな」
杖を提げたヨシュアが冷徹に言い放った。
「だが、それはそれ、これはこれだ」
ヨシュアがスッと手を差し出した。
「救助費と治療費で1人1万エンス、合計5万エンスを要求する。払えるな?」
「ああ……助けてもらわなかったら全滅してたのは事実だしな……」
ガストンたちはお互いの財布からかき集め、きっちり5万エンスをヨシュアに手渡した。
助けられなかったら同士討ちで全滅していたのは動かしようのない事実だ。
高いとは思わない。
ヨシュアがチャリン、と硬貨の音を鳴らして革袋に収めた、その時だった。
ギューーーーーーゥルルルル…………
静寂を取り戻した花畑に、ひときわ大きな腹の鳴る音が響き渡った。
音の主は、ガストンだ。 極度の緊張と恐怖の幻覚から解放され、心底安心した途端、人間の体は正直に強烈な空腹を訴え始めたのだ。
「あー……その、なんだ。色々とすり減っちまって……」
赤面する重戦士に、アグニがとケラケラ笑った。
「じゃあ、ちょうどいいし食事にしようか!」
シャロが嬉しそうに提案すると、集められたミラージュバタフライの死骸に触れる。
すると、シャロの手から緑色の魔力が溢れ出す。
淡い光に包まれた蝶の死骸から、あっという間に植物が生え、成長していった。
蝶は小さいが、7層の魔物となれば、持ってる魔力は多い。
数も多い為、植物の成長には事欠かない。
そこに生え出したのは、青々と茂る「稲穂」、立派な「玉ねぎ」、新鮮な「卵」、そして最後に丸々と太った「鶏」が一羽、コッコッと鳴きながら現れたのだ。
「なっ……!?魔物から、鶏や野菜が……出た!?」
ガストン達五人は、幻覚の時以上に目をひん剥いて驚愕した。
「はははっ、初めて見るとそうなるよな!アタシも最初は腰抜かしたゾ!」
アグニが腹を抱えて笑い、エミルも同じく笑っている。
「まぁ……当然の反応だな」
ヨシュアは呆れたようにため息をついた。
「これから食事を作るけど、よかったら皆も食べる?1食7000エンスで売るよ!」
シャロが商魂逞しくウィンクする。
「7000エンスか……」
ガストンたちは顔を見合わせた。
もはや7層と言う深部まで来たら、お値打ち価格と言えども相当な価格になる。
しかし、あの真っ白な米、新鮮な鶏肉と卵。
目の前で繰り広げられる「見たこともない魔法」が生み出した食材。
何より、7階層に潜ってからというもの、保存の利く乾パンや塩辛い干し肉といった味気ない食事しか摂っていなかった彼らにとって、温かく新鮮な料理は悪魔的なほどの魅力があった。
「……背に腹は代えられない。買おう!全員分だ!」
ガストンの決断に、残りの四人も力強く頷いた。
「毎度あり!じゃあ、特製の料理を作るね!」
シャロの調理が始まった。
まずは手早く米を研ぎ、鍋に仕掛けて火にかける。
その間に、鶏肉を手際よく一口大のそぎ切りにし、玉ねぎは甘みが出やすいように薄切りに揃えていく。
そして別の鍋に調味料を配合し始めた。
醤油、砂糖、酒、水。
黄金比で配合されたその液体が火にかけられると、醤油と砂糖が焦げる特有の甘辛い香りが、瞬く間に花畑の空気を塗り替えた。
「なんだこれは……?嗅いだことの無い香りだ……」
バルツの喉が大きく鳴る。
ダシがふつふつと煮立ってきたところに、薄切りの玉ねぎを投入する。
玉ねぎが透き通ってきたら、鶏肉を入れる。
クツクツクツ……
醤油ベースの甘辛いダシをたっぷりと吸い込みながら、鶏肉が白く色づき、ふっくらと煮上がっていく。鶏の良質な脂がダシに溶け出し、旨味の相乗効果が凄まじい香りを放つ。
次にシャロは五つの卵をボウルに割り入れ、箸で軽く数回だけ溶きほぐした。
そして、煮立っている鍋の中心から外側へ「の」の字を書くように、溶き卵の三分の二を流し込む。
強火で一気に卵の縁が白く固まり始めた瞬間、残りの卵液を真ん中に回し入れ、すぐに蓋を閉じた。
たった数秒の蒸らし時間。蓋を開けた途端、凄まじい湯気の中に現れたのは、黄金色に輝く奇跡のような柔らかさを保った「半熟の卵とじ」。
ダシを吸って茶色く染まった鶏肉に、鮮やかな黄色と白の卵が、まるで宝石のようにとろとろに絡みついている。
「わぁ……!」
エリアが思わず歓声を上げた。
シャロは炊きあがったばかりの真っ白なご飯を五つのどんぶりに盛りつけ、その上に、鍋から滑らせるようにして熱々の鶏肉と卵とじを一気に乗せた。
甘辛い煮汁が白米に染み込んでいく。
「はいっ!親子丼の完成だよ!」
シャロが生み出した、東洋のソウルフード。
ガストン達の前に並べられたどんぶりからは、これまでに嗅いだことのないような食欲を刺激する香りが立ち上っていた。
「親子丼……?聞いたことが無い料理だ……」
「美味そうだけど……魔物から生えた食材って事を考えると……」
旨そうだが、魔物から作られた食材だ。
その上に彼らにとって見たことも無い東洋の食事、流石に躊躇してしまう。
「シャロ!アタシのは!?」
アグニが大きな声で尋ねる。
ガストン達の所には美味しそうな親子丼が並ぶが、アグニ達3人の所には何もない。
「もう少し待ってて!流石にこの人数をいっぺんに作るのは無理だから!」
「早くしろヨ!」
すっかりお腹を空かせたアグニ。
一方で中々料理に手を付けようとしないガストン達。
その様子を見ていたアグニが、自分の腹をさすりながらニヤリと笑った。
「なんだ、食べないのカ?だったらアタシが貰うゾ!」
「そ、そんなことは言ってない!食う!食うぞ!」
ガストンは慌ててどんぶりを抱え込み、とろとろの卵と鶏肉、そしてダシの染みたご飯を一緒くたに大きく口に放り込んだ。
「――――――――ッ!!」
ガストンの動きが、ピタリと止まった。
瞳孔が開き、咀嚼する顎だけが本能のままに動き続ける。
「が、ガストン……?大丈夫ですか?もしかして、毒でも……?」
心配するエリアの前で、ガストンは静かにフォークを下ろし、そして、天を仰いだ。
「なんだ……こりゃあ……美味すぎる……っ!!この甘辛い汁が肉と合って……米まで美味ぇ!」
「そ……そんなにか……!?」
その様子を見て、他の4人も食べ始める。
「……卵が、クリームのようにトロトロだ!こんな食感、王都の高級レストランでも食べたことがない!」
ルークが理性をかなぐり捨て、無心でかき込む。
「この甘塩っぱい味付け……疲れた体に染み渡りますわ……っ」
聖女エリアも、法衣が汚れるのも構わずにどんぶりに顔を近づけて夢中で食べていた。
バルツもシオンも無言で丼をかき込み、あっという間に底を空にしていく。
「す、すまん!これ、お代わりできないか!?7000エンス払う!!」
「私もお願いします!」
結局、鍋の限界までガストン達はお代わりを要求し、アグニがお預けを食らって暴れる寸前まで食べ続けたのだった。
すっかり満腹になり、心身ともに完璧に回復したガストン達は、改めて用意した代金をシャロに支払い、深々と頭を下げた。
「本当に、あんたたちには命から胃袋まで救われた。この恩は一生忘れない」
ガストンの感謝の言葉に、シャロ達は笑顔で頷いた。
「……これからどうするつもりだ?」
ルークの問いに、ガストンは静かに首を振り、来た道を指差した。
「俺たちは、まだこの7階層には早すぎたんだ。身の丈に合わない冒険は、死を招くだけだと痛感したよ」
ガストンは、ルーク、エリア、バルツ、シオンの顔を愛おしそうに見回した。
「一旦上層へ戻って、装備も経験もやり直す……俺は二度と、幻覚の中であってもお前たちを失いたくない。今回のことで、それが骨の髄まで身に染みたからな」
その言葉に、四人の仲間たちも穏やかな笑顔で同意の頷きを返した。
誇り高き冒険者としてのプライドよりも、命と仲間の絆を選んだ彼らの決断だった。
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