第46食 カツ丼
7層「大樹海」フロアの探索は続いていた。
鬱蒼と茂る草木、湿った空気、そしてどこまでも続く緑の迷宮。
地面は腐葉土でふかふかとしており、一歩踏み出すたびに靴が沈み込むような感覚がある。
頭上を覆う巨木の枝葉が日光を遮り、辺りは薄暗く、常にジメジメとした湿気がまとわりついてくる。
さらに悪いことに、植物たちの生命力が強すぎるのだ。
「あーもう!この草、邪魔だゾ!」
アグニが目の前の巨大なシダ植物を拳で薙ぎ払いながら愚痴をこぼす。
彼女の身長よりも高い草が壁のように密集しており、少し油断するとすぐに視界が遮られてしまう。
ただ歩くだけで、まるでジャングルを切り開く開拓者のような労力を強いられるのだ。
体力馬鹿のアグニでも、この終わりの見えない「歩きにくさ」には閉口気味のようだ。
体にまとわりつく湿気と、草いきれの匂いが不快指数を高めているのだろう。
「なぁヨシュア。前みたいに空を飛んでいこうぜ?お前の魔法なら楽勝だロ?」
アグニが期待のこもった目でヨシュアを見る。
6層の火口ではヨシュアの風魔法で空を飛んで移動した事もあった。
空の旅なら、こんな湿気や草むらに悩まされることもない。
「お断りだ」
ヨシュアは即答し、杖で草を優雅に払いながら進む。
彼女の銀色の髪は湿気で少しぺたりとしているが、その態度はあくまで冷静だ。
「飛行魔法を複数人にかけるのは、魔力消費が大きいんだ。これからどんな強敵が出るかもわからん未知の階層で、そんな理由で魔力と体力を浪費したくない」
「ケチ!」
「なんとでも言え、たかが歩きにくいぐらい我慢しろ。それに、空には空の魔物も居る。空を飛んだところで、そいつらに襲われるだけだ」
「そうだぞアグニ。大きなダンジョンは足場が悪いところも多い。今のうちにこういう環境に体を慣らしておいたほうがいい」
先頭を行くエミルが振り返らずに言う。
彼女は音もなく、草を揺らさず、スイスイと進んでいく。
「それに、あまり急いでも次の階層を進める力がつかないからね。ゆっくり行こうよ」
シャロも苦笑しながらフォローする。
シャロもエミルもヨシュアも冒険者としての経験が長い為、こういうのも慣れっこだ。
「へいへい、わかったヨ……」
アグニは渋々頷き、再び草との格闘に戻った。
しばらく歩き続けると、視界がぱっと開けた。
そこにあったのは、巨大な運河だった。
幅は数十、いや何百メートル以上もあるだろうか。
濁った緑色の水が、ゆっくりと流れている。
うっすらと見える対岸には再び鬱蒼とした森が続いているのが見える。
「なんだ?行き止まりカ?」
アグニが首をかしげる。
対岸までは距離があるし、橋のようなものも見当たらない。
「ヨシュア、ここを通る必要があるのか?」
「ああ、だから水上歩行を使う」
ヨシュアは杖を掲げると、水上魔法を発動させる。
「《マリンウォーク》」
杖から光が溢れ、シャロ達4人を包み、馴染んで消えた。
水上歩行の魔法がちゃんとかかったか確認する為、エミルがゆっくり運河に足を踏み入れると、ちゃぷんと言う音と共に、運河の上に立った。
「よし、行くぞ」
こうしてシャロ達4人は運河の上を歩き始めた。
「水の上を歩くのは久しぶりだナ!やっぱり楽しいゾ!」
アグニがウキウキ気分で運河の上をスキップする。
「よく言う。5層の時は散々文句垂れてた癖に」
そんなアグニの様子にヨシュアが文句を言う。
「あ、あれは景色が変わらない事に文句を言っただけだゾ!ずーっと何もない水平線じゃ、流石に飽きるもんだゾ!」
「へいへい、そうですか」
「あははっ」
そんなやり取りをしながら4人は進んでいく。
しかし、そんな平穏は長くは続かなかった。
しばらく進んでいくと、4人は微かな殺気を感じ取る。
そして、水の波動の乱れ。
「……何か来る」
シャロが低く呟く。
「ん?どこダ?」
アグニがキョロキョロと周囲を見回す。
森の方には魔物の気配はない。
空にもいない。
つまり――
「河の中だ!」
ヨシュアが叫ぶと同時に、水面が爆発した。
ザッパァァァン!!
「うおっ!あぶねっ!」
水しぶきと共に現れたのは、巨大な顎。
ドス黒い鱗に覆われた、体長8メートルはある巨大なワニだ。
「ブラッドアリゲーターか!」
その名の通り、獲物の血を好み、鋼鉄のように硬い鱗で全身を覆った水辺の捕食者だ。
しかも1匹ではない。
次々と水面に姿を現し、シャロを取り囲んだ、その数、10匹以上。
黄色い瞳が、獲物を定めてギラギラと光る。
「でけぇワニだナ!喰らいやがれ!」
アグニが反応し、飛びかかってきたワニの横っ面を拳で殴りつける。
ドゴォッ!
アグニの剛腕から繰り出される岩をも砕く剛腕の一撃。
しかし。
「グウッ……!」
ワニは少し首を振っただけで、すぐに体勢を立て直し、再び大きな口を開けて威嚇してきた。
鱗に傷一つついていない。
「硬ってぇ!?なんだこいつら、鋼みてぇだゾ!」
「どうやら奴の硬い鱗は、並みの物理攻撃は通用しないようだな」
ヨシュアが冷静に分析する。
「だが所詮は水生生物……僕が纏めて蹴散らしてやる!」
エミルが前に進み出る。
彼女は剣を抜き、それを天高く掲げた。
その瞳を静かに閉じ、体内の魔力を練り上げる。
周囲の空気がビリビリと震え始めた。
「あれをやる気か!」
シャロとヨシュアは瞬時に理解した。
エミルの得意の広範囲魔法をやるつもりだと。
強力無比な魔法だが、高レベルの魔力制御とタメ時間を必要とする大技だ。
その間、無防備になるエミルを一瞬たりとも傷つけさせてはならない。
「アグニ、来るよ!エミルを守って!」
「おうよ!任せろ!一匹たりとも通さねぇ!」
シャロ、ヨシュア、アグニの3人は、エミルを囲むように三角形の陣形を組んだ。
「《スカイ・フロート》!」
ヨシュアが杖を水面に叩きつけると、風の魔力が4人の体を包み込み、一気に上空へと打ち上げた。
水上から離れ、空中に退避した瞬間、足元にはエミルを狙って口を開けた無数のワニたちが群がっていた。
「ギシャアアアアッ!」
空中に逃げてもブラッドアリゲーターたちは口から高圧の泥水を弾丸のように吐き出して攻撃してくる。
獲物を逃すまいとする殺意の嵐。
「《リーフ・シールド》!!」
シャロは大きな葉を生やし、まるで盾のように展開し、敵の攻撃を防ぐ。
そして隙あらば硬い種子の弾丸を連射し、ワニの目や鼻先といった柔らかい部分を正確に狙い撃つ。
「《アイス・シールド》!」
ヨシュアは瞬時に氷の盾を展開し、飛んでくる泥の弾丸を弾き返す。
「オラオラオラァッ!!」
アグニは拳に魔力を込め、飛んでくる泥の弾丸を殴り弾く。
「……待たせたな!」
エミルの魔力が頂点に達する。
剣に纏った雷光が太陽のように眩しく輝き始める。
髪が逆立ち、肌が粟立つほどのエネルギー量だ。
「行くぞ!」
エミルがカッと目を見開き、空中で体勢を反転させ、眼下のブラッドアリゲーターの群れに向かって、雷を帯びた剣を全力で振り下ろした。
「巻き起これ!《サンダー・ストーム》!!」
ドォォォォォォォンッ!!
落雷の嵐。
何本もの太い雷撃が雲を突き破り、運河の水面に垂直に突き刺さる。
閃光が世界を白く染め上げ、鼓膜を破るような轟音が炸裂する。
凄まじい高電圧の稲妻が水中を駆け巡り、ブラッドアリゲーターたちを逃げ場のない電気の檻に閉じ込めた。
「ギャガガガガガガッ!!」
断末魔の叫びと共に、ワニたちが激しく痙攣する。
強靭な鱗も、物理防御も、電撃の前には無意味だ。
身体を内部から焼き尽くされ、水しぶきが高く上がり、一帯が白と紫の閃光と蒸気に包まれる。
ヨシュアが4人を空中に浮かせたのは、ブラッドアリゲーターから距離を取るだけでなく、水上を伝う強力かつ広範囲の雷魔法に巻き込まれないようにするためだ。
やがて光が収まり、蒸気が晴れていくと、そこには腹を上にして浮かぶワニの死体の山が広がっていた。
流石のブラッドアリゲーターとは言え、あの雷の嵐には耐えられなかったようだ。
「す、すげェ……」
風の魔法でゆっくりと着水したアグニが、呆然と呟く。
水面にはプカリプカリと黒い巨体が漂っている。
「……やったか」
エミルが剣を下ろす。
彼女自身も、自分の放った魔法の威力に驚いているようだった。
「まさかこんな威力が出せるようになってたなんて……以前の僕ならもっと小規模な雷しか出せなかったのに」
「シャロの食事の効果は凄いな」
ヨシュアが感心したように言う。
レッドドラゴンの肉による力の底上げは、魔力にも顕著に現れているようだ。
エミルの魔法適性が、一段階上のレベルへと昇華されている。
「ぬし」を喰らうということは、その力を我が物にするということなのだろう。
「ふぅ、これで邪魔者はいなくなったね」
シャロがパンパンと手を払う。
そして、プカリと浮かぶ大量のワニを見つめ、笑みを浮かべた。
「じゃあ……いつもの、やっちゃいますか!」
「よし来タ!」
「シャロの食事、楽しみだな!」
戦闘後のいつものルーティーン。
アグニも、そしてエミルもそれを楽しそうに喜ぶ。
「エミル……お前、順応速いな……」
その後ろで、少し呆れたようにヨシュアが呟いた。
シャロは手近なブラッドアリゲーターを引き寄せ、その巨体に手を触れた。
魔力が手から流れ込み、ワニの死体を苗床にして、巨大なハスの葉が成長した。
4人はそのハスの葉に乗ると、シャロが今度はワニの死体から食材を生やす。
生えて来たのは「米」「玉ねぎ」「卵」「ネギ」「アーモンド」そして「豚」だ。
シャロは手慣れた様子で調理を開始する。
まずは豚肉だ、ロースの塊肉を取り出し、葉のナイフで分厚くカットする。
2センチはあるだろうか?贅沢な厚切りだ。
筋切りを丁寧に行い、ナイフの背でトントンと叩いて繊維をほぐし、肉を柔らかくする。
塩コショウを両面に振り、下味をつける。
次に、小麦粉を薄くまぶす。
余分な粉をはたき落とし、溶き卵にくぐらせ、アーモンドをたっぷりとつける。
鍋にたっぷりの油を熱し、温度を確認する。
箸を入れると、小さな泡がシュワシュワと上がる、適温だ。
そこに、衣をまとった豚肉を静かに投入する。
ジュワワワワワッ!!
小気味よい音が響き、香ばしいラードの香りが一気に立ち込める。
油の中で踊るカツ。
最初は大きな泡が、次第に小さくなり、音が軽快になっていく。
きつね色に色づいていく衣。
見ているだけで涎が出てくる光景だ。
「うおぉ……!いい音だ!いい匂いダ!」
アグニが鼻をひくつかせ、我慢できずに鍋に顔を近づける。
「こらアグニ、危ないから離れて!油が跳ねるよ!」
シャロが注意しつつ、絶妙なタイミングでカツを引き上げる。
網の上に乗せると、余熱でさらに中まで火を通す。
サクサクの衣、ジューシーな肉。
これだけでも十分メインディッシュになる「トンカツ」の完成だ。
だが、今回の料理はここからが本番だ。
次は鍋に、水、醤油、酒、砂糖を入れて混ぜ、煮込み、特製のタレを作る。
そこに薄切りにした玉ねぎをたっぷり入れ、火にかける。
グツグツと煮立ち、醤油と出汁の香りが広がる。
焦げた醤油の匂いとはまた違う、甘く、ふくよかで、どこか懐かしい香り。
玉ねぎがしんなりと透き通ってきたら、揚げたてのトンカツを一口大にザクザクと切って乗せる。
ジュッ!
タレが衣に染み込む音。
サクサクの衣が、出汁を吸ってしっとりと変化していく。
そこへ、溶き卵を回し入れる。
「の」の字を書くように、全体に行き渡らせる。
黄身と白身を完全に混ぜきらず、少し白身が残るくらいがポイントだ。
白と黄色のコントラストが美しい。
蓋をして、少し蒸らして、数秒待つ。
卵が半熟になった絶妙なタイミングで火から下ろす。
炊きたての熱々ご飯を丼に盛り、その上から鍋の中身を滑らせるように乗せる。
とろとろの卵、出汁を吸ったカツ、甘い玉ねぎが白米の山を覆い尽くす。
最後に、彩りとして刻んだネギを散らす。
「完成!『カツ丼』!」
黄金色の卵に包まれたカツの輝き、飴色に染まった玉ねぎ、そして立ち上る醤油と出汁の甘辛い湯気。
誰がどう見ても、これは暴力を伴う美味さだ。
「うおおおっ!なんだこれハ!?」
アグニが興奮して身を乗り出す。
エミルとヨシュアも物珍しそうにカツ丼を眺める。
シャロを除いたここのメンバーはみんな「東洋料理」及び「丼もの」にはなじみが無いからだ。
「東洋の食事には馴染みがないだろうけど、きっと気に入ると思うよ。さあ、食べてみて!」
「いただきます!」
アグニはスプーンを掴み、ガツガツとかきこむ。
大きな一口。
カツを噛み締めた瞬間、サクッとした衣の食感と、ジュワッと溢れる肉汁、そして甘辛いタレの味が口の中で爆発を起こす。
卵のまろやかさが全体を包み込み、ご飯が進む進む。
「んん〜ッ!うめええええ!この肉!サクサクでジューシーで、このタレが最高だゾ!」
「ほう……これは……」
エミルも一口食べ、目を見開く。
「このタレを吸った衣が、ご飯と絶妙に合うな」
「ああ、肉も米も、玉ねぎまで美味い」
ヨシュアも絶賛し、静かに食べる。
「ふふっ。あまり作らない料理だけれど、我ながら上手くいった」
シャロも大満足で頬張る。
「せっかく醤油を作ったから、しばらくは東洋食づくしだよ!」
シャロは嬉しそうにそう宣言する。
醤油は遠い異国の調味料。
中々手に入る機会は無いし、作るのにも手間と時間がかかる。
それが簡単に、短時間で、大量に作れるとならば、シャロの料理人魂に火が付くのも当然の事だった。
「おう!大歓迎だ!アタシこの味も大好きだゾ!」
「楽しみにしてるよ。未知の味との出会いも冒険の一つだ」
「次はどんな料理が出てくるのか、興味が尽きないな……酒にも合いそうだ」
このフロアの新たな楽しみができつつ、冒険の旅は続くのだった。
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