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穀物転生  作者: リース
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43/60

第43食 セレナ 中編

その光景は、絶望という言葉すら生温かった。


「……なんだよ……あれ」


アグニが呆然と呟く。

エミルも、カインも、誰も言葉を発せない。

あまりにも圧倒的な質量と、禍々しい気配に気圧されていた。

ただ一人、ヨシュアだけが脂汗を流しながら、必死に思考を巡らせていた。

あの化け物は、かつて文献で読んだことがある。

吸血鬼の頂点、ヴァンパイアオリジン。

さらにその先にある、伝説上の進化形態。

数千年の時を生きた真祖が、膨大な魔力と引き換えに理性を捨て、破壊の権化と化した姿。


(『ヴェノムヴァンパイア』……!アンデッドの中でも最強最悪の存在……!)


ヨシュアが戦慄する中、怪物がゆらりと首を動かした。


「……コロ……ス……」


その声は確かに全員の耳に届いた。

セレナの肉体ではなく、あの怪物本人の巨大な口で出した声。

あまりにも低く、怨念が籠もった掠れた声。


「しゃ、喋った!?」


カインが驚愕する。

魔物は言葉を話さない。

たとえ元が人間であれ、知性を失った魔物は唸り声を上げるのが関の山だ。

だが、あれは違う。

明確な殺意と言語を持って、こちらを認識している。


「……全テ……コワ……ス……!」


「来るぞッ!散開!!」


ヨシュアの叫びと同時に、セレナの巨腕が振り下ろされた。


ドオオオオオオンッ!!!


先程まで全員が立っていた場所が、一撃で消滅した。

クレーターのような穴が空き、衝撃波だけで吹き飛ばされそうになる。


「速いッ!?」


ガロンが盾を構えながら叫ぶ。

あんな山のような巨体で、動きは疾風のごとく速い。

回避した直後、すでに次の攻撃が迫っている。

横薙ぎに振るわれる裏拳。


「くそっ!」


エミルが反応し、雷を纏った剣で迎撃する。

カインもまた、龍人の膂力を活かして大剣を叩き込む。


ガギィイイイインッ!


硬い。

鋼鉄を斬りつけたような音がして、エミルの剣が弾かれた。

カインの一撃も、分厚い皮膚に傷一つつけられない。


「こんな化け物、どうやって倒せばいいんだヨ!」


アグニが絶望的な声を上げる。

魔法も効かない、物理も通じない。

まさに無敵の要塞。


だが、ヨシュアの目は死んでいなかった。

彼女は冷静に――いや、必死に恐怖を押し殺して、怪物を観察し続けていた。


「弱点はある……!」


ヨシュアが叫ぶ。

全員の視線が彼に集まる。


「あの頭だ!頭から生えている『セレナ』の部分!恐らくあれが奴の弱点だ!」


「なるほど……だが、地上の攻撃は届かんぞ!?」


高さ50メートル。

到底ジャンプして届く距離ではないし、魔法で狙撃しようにも、あの巨大な腕が邪魔をするだろう。


「空だ!空からあそこを狙い撃つ!」


ヨシュアが杖を掲げる。


「ハロルド!お前は飛行魔法を使えるか!?」


「もちろんよ!アタシを誰だと思ってるの!?」


「他に飛べるやつは居るか!?」


「俺は自分で飛べる!」


カインが叫び、背中の龍の翼をバサリと広げた。

龍人族の翼は飾りではない。


「私……私も飛べます!」


シャロもまた、背中に魔力を集中させると、緑色の翼を背中から生やす。


「僕も行けるぞ!」


エミルは黄金のオーラを身に纏い、ふわりと空へと飛び上がる。


「よし!残りは俺とハロルドで飛ばす!総員、空戦用意!ターゲットは頭上のセレナだ!」


ヨシュアの号令と共に、戦場は三次元へと移行した。

ヨシュアの浮遊魔法でアグニを浮遊させる。

ハロルドも同様にガロンとアリアを浮遊させる。

カインとシャロは自らの翼で羽ばたき、エミルは魔法で浮かび上がる。


空へ舞い上がる七つの影。

それを見たセレナが、煩わしそうに咆哮した。


「ウット……ウ……シイ……!!!」


空気がビリビリと震える。

セレナが腕を振り回す。

ブンッ!という風切り音が、嵐のような暴風となって襲いかかる。


「くっ、近づけない!」


エミルが空中で体勢を崩しながら叫ぶ。

ただ腕を振るだけで、周囲の空間が乱気流に包まれる。

さらに、セレナの体中から闇のようなものが噴き出した。


「闇の波動だ!避けろ!」


四方八方から放たれる漆黒のエネルギー弾。

一発でも掠めれば、肉体が消し飛ぶほどの威力。

空中に逃げたことで、逆に遮蔽物のない的になってしまった。


「キャァッ!」


アリアが悲鳴を上げる、みんな回避行動に手一杯だ、攻撃どころか、近づくことさえできない。

このままでは、ジリ貧だ。いずれ誰かが撃ち落とされ、そこから崩れる。


カインが歯噛みする。


「このままじゃ埒が明かない……!誰かが囮になって、その隙に本命が突っ込むしかない!」


カインが大声で提案する。


「機動力のある俺とシャロで、あいつの懐に入り込む!他の皆は、派手な魔法で奴の注意を引いてくれ!」


どうやら自前の翼を持つカインとシャロの二人が、最も自由に動けるようだと判断した。


「わかった!死ぬなよ!」


ヨシュアが即断する。

今は迷っている時間はない。


「行くぞ!全弾発射だ!」


ヨシュアとハロルドが、残った魔力を振り絞る。

氷の槍、炎の球、雷の矢、土の弾。


ドカドカドカッ!


色とりどりの攻撃がセレナの巨体に着弾する。

ダメージは皆無だが、派手なエフェクトと衝撃が、セレナの視界を遮り、意識を逸らす。


「グゥ……ッ!?」


セレナが鬱陶しそうに腕で顔を覆う。

その一瞬。

生じた僅かな死角。


「今だッ!シャロ!」


「はいっ!」


カインとシャロが、同時に急降下した。

狙うは、腕の隙間、その奥にある頭頂部。


「オオオオオッ!」


カインが加速する。

龍の翼が風を切り、赤い流星となって突っ込む。

シャロもまた、葉の翼を限界まで羽ばたかせ、緑の疾風となって続く。


だが、セレナの反応は速かった。

羽虫が懐に入り込んだことに気づき、防御していた腕を裏拳で薙ぎ払ってきたのだ。


「くっ!」


必死に軌道を変えるシャロとカイン。


ズオオオッ!!


頭上を丸太のような腕が通過していく。

風圧で全身の骨が軋む。

二人はきりもみ回転しながらも、なんとか体勢を立て直した。


「まだ来るぞ!」


休みなく、今度は反対の腕が迫る。

さらに、口から闇のブレスが吐き出される。


「くっ……!」


カインとシャロは、互いに交差するように飛び回る。

右へ、左へ、上へ、下へ。

雨あられと降り注ぐ攻撃を、紙一重でかわし続ける。

頬を熱線が掠め、火傷ができる。

衝撃波で体が打ち付けられ、口から血が溢れる。

それでも止まらない。

止まれば死ぬ。そして、セレナを救えない。


(待ってて、セレナ……!今、解放してあげるから……!)


シャロは心の中で叫び続けた。

あの時、エミルの話を聞いて、ずっと会いたかった。

優しかったセレナ、冒険のイロハを教えてくれたセレナ。

彼女がこんな姿になって、苦しんでいるなんて耐えられない。


「そこだッ!」


カインの叫び。

闇のブレスが途切れた瞬間。

次弾装填のコンマ数秒の隙。

そこが、唯一の道だった。


「おおおおおおっ!」


「はあああああっ!」


二人は迷わず、死地へと飛び込んだ。

迫りくる爪をギリギリで回避し、黒いオーラを突き破る。

皮膚が焼けるような感覚で意識が遠のきそうになる。

だが、二人は歯を食いしばり、その距離をゼロにした。


目の前。

巨大な顔面、その上にある、小さなセレナの姿。


「喰らえええええッ!!」


カインの大剣が紅蓮の炎を纏う。

シャロの生成した草の剣が、緑色に輝く。


ズバアアアアッ!!!


二つの刃が、同時にセレナの本体を切り裂いた。


「ギャアアアアッ!?」


カインの炎が傷口を焼き、再生を阻害する。

シャロの毒が神経を侵し、動きを鈍らせる。

本体へのダイレクトアタック。

流石のヴェノム・ヴァンパイアも、これにはたまらず悲鳴を上げた。


「効いてるぞ!今だ、全員かかれェッ!!」


カインが叫ぶ。

その合図を待っていたかのように、遠巻きにしていた六人が一斉に殺到した。

動きの鈍った今のセレナなら、攻撃が当たる。


「セレナァッ!目を覚ませェッ!」


アグニがヨシュアの魔法で加速し、顔面に拳を叩き込む。

ヨシュアの極大氷魔法が顔を凍らせる。

ガロンの重い一撃が腹部を切り裂く。

アリアの光魔法が闇を浄化しようと輝く。


ドゴオオオッ!ズガアアアアン!!


全員の想いを乗せた総攻撃が、セレナを襲う。


「ガッ……ア、アァ……ッ!」


セレナが苦しげに呻く。

巨体がぐらりと揺らぐ。

いける。

あと一息。

誰もがそう思った。


「トドメだ!一気に決めるぞ!」


カインが剣を振り上げる。

全員が最後の力を振り絞ろうとした、その時だった。


「……ウ……ル、サ……イ……ッ!!!!」


セレナの目が、カッと見開かれた。

直後。


ドオオオオオオオオオオオンッ!!!!!


言葉にするのも愚かしいほどの、濃密な闇の魔力が爆発した。

全方位、無差別、回避不能の衝撃波。

怒りと痛みで暴走したセレナが、自身の魔力を自爆覚悟で解放したのだ。


「なッ――!?」


誰も反応できなかった。

闇の光が視界を埋め尽くし、世界が反転する。


「がああああっ!!」


「きああああっ!!」


全員が木の葉のように吹き飛ばされた。

空中で意識を刈り取られ、地面へと叩きつけられる。

骨が砕ける音、重い着地音。

土煙が上がり、やがて静寂が訪れた。


「う……うぅ……」


シャロは、激痛で意識を取り戻した。

体中が軋む。

動こうとしても、指先一つ力が入らない。

周囲を見渡す。

カインが、エミルが、ヨシュアが、アグニが……全員、倒れている。

ピクリとも動かない。

唯一意識があるのはシャロだけだった。

だが、それも限界だ、指先一本動かすことができない状態だ。


ズシン……ズシン……。


絶望的な足音が近づいてくる。

シャロは霞む視界で顔を上げた。

そこにいたのは、傷だらけになりながらも、未だ健在な悪魔の姿。

セレナだ。

彼女はゆっくりと、虫の息のシャロへと歩み寄ってきた。


「……ミツ、ケ……タ……」


頭上のセレナが、虚ろな目でシャロを見下ろす。

巨大な手が伸びてくる。

逃げられない。

シャロの体は、その大きな手に鷲掴みにされた。


「あっ……ぐぅ……」


ミシミシと肋骨が鳴る。

シャロの体が空中に持ち上げられる。

目の前には巨大な口腔。

鋭い牙が並び、その奥は暗い奈落へと続いている。

一口で、終わる。


(嫌だ……死にたくない……まだ、何も……)


恐怖で涙が溢れる。

でも、それ以上に、悲しかった。

こんな形で、大切な仲間と終わりたくない。

助けたかった。

また一緒に、ご飯を食べたかった。


「……セレナ……」


シャロの口から、掠れた声が漏れる。

セレナが口を大きく開ける。

シャロの体が、その口へと運ばれていく。

死が目前に迫る。


「セレナッ!!」


シャロは、最期の力を振り絞って叫んだ。

その目から零れ落ちた大粒の涙が、キラリと光りながら落下し――

セレナの、ドス黒く変色した腕の上に落ちた。


ピチョン。


小さな、本当に小さな水滴。

だが、その一雫が落ちた瞬間。

奇跡が起きた。


ピタリ。


セレナの動きが止まった。

大きく開かれた口が、閉じることなく固まる。

そして、頭頂部にいる本体のセレナが、ビクリと震えた。


「……シャ……ロ……?」


赤く染まっていたセレナの瞳から、一瞬だけ、色が抜けた。

狂気の奥から、理性の光が揺らめく。

彼女の視線が、手の中にある小さな存在――ボロボロのキノコ姿の女性を捉えた。


「シャロ……?」


懐かしい、優しかったあの頃の声。

その声が、確かにシャロの名前を呼んだ。


「セ……レナ……?」


シャロが目を見開く。


次の瞬間。


「ガアアアアアッ!!」


セレナが突如、苦しみだした。

まるで、内側から何かに抵抗するかのように、頭を抱えて暴れだす。

その拍子に、掴んでいた手が緩んだ。


「きゃっ!」


シャロが投げ出され、地面へと落下する。

受け身も取れず、強く背中を打ち付ける。


「ウガアッ!イヤッ!……ダメッ!」


セレナは自分の頭を岩壁に打ち付け、何かと戦っていた。

殺意という本能と、残された僅かな理性との相克。

シャロの涙が、呼びかけが、彼女の中の「心」を揺り起こしたのだ。


「ニゲ……テ……!ハヤ、ク……!」


セレナが、絞り出すように叫んだ。

それは、かつての仲間への、最後の警告。


「ウオオオオオオオオッ!!!」


セレナは絶叫と共に、シャロたちに背を向けた。

そして、地響きを立てながら、火口の奥、さらに深い闇の方へと、全力で駆け出した。

逃げるように。

自分自身が、大切な仲間を殺してしまわないように。


遠ざかっていく巨大な背中。

それを、シャロは薄れゆく意識の中で見つめていた。


「ま……って……セレ……ナ……」


伸ばした手は空を切り、力なく地面に落ちた。

視界が暗転する。

深い、深い闇がシャロを包み込んだ。


火口には静寂だけが残された。

ただ、遠くから聞こえる獣の咆哮だけが、いつまでも響いていた。

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