第37食 ミネストローネ
翌朝、崖の上で迎える朝は、偽りの太陽の光によって爽やかに始まった。
だが、シャロたちの目の前にある光景は、その爽やかさとは対極にあるものだった。
「……よし。行こう」
シャロが落ち着いた声で言う。
目の前には巨大な『大地の傷跡』とも呼ぶべき火口が口を開けている。
直径数キロメートルにも及ぶ巨大な穴。
その底からは、絶え間なく黒煙と硫黄の臭いが立ち上り、不気味な赤熱の輝きが漏れ出している。
第六層の中枢、そして更なる深部への入り口だ。
「うっわぁ……外から見てたのと、真上から見るのとじゃ全然迫力が違うナ」
アグニが恐る恐る崖の縁から下を覗き込む。
熱気が蜃気楼のように揺らめき、底までの距離感さえ狂わせるようだ。
「ここが火山の中か……初めて見るゾ。アタシの田舎にも山はあったけど、こんな風に中身が丸見えになってる山なんてなかったからナ」
「普通はそうだろうな……いいか二人とも、本当に気をつけろよ」
ヨシュアが真剣な眼差しで二人を見る。
「ここから先は、今までの道中とは比じゃないほど危険だ。足場は悪いし魔物は強い。空気には毒気が混じっている事もある。絶対はぐれるなよ」
「うん、わかってる……それに」
シャロは火口の闇を見つめ、ギュッと拳を握りしめた。
「『レッドドラゴン』にも注意してね。いつ、どこから襲ってくるかわからない……今の私たちで、勝てるかどうかもわからないから」
その言葉に、場の空気が引き締まる。
かつてのトラウマ、圧倒的な捕食者。
昨夜の美味しい食事と睡眠で気力は充実しているが、心の奥底にある恐怖心が消えたわけではない。
それでも、進むしかない。
仲間を探すため、そして自分たちが生き残るために。
「行こう、慎重にな」
三人は火口の内壁に沿って刻まれた、細い道を下り始めた。
***
火口内部の世界は、まさに地獄の釜の底へと続く階段だった。
「道」とは名ばかりの、岩壁をわずかに削っただけの狭いスロープ。
幅は大人二人が並んで歩くのがやっとで、谷側には手すりなど存在しない。
一歩踏み外せば、遥か下のマグマ溜まりへと真っ逆さまだ。
「っと、危ねぇ……!」
先頭を歩くアグニが、崩れかけた岩に足を滑らせて体勢を崩す。
パラパラと小石が落ちていき、数秒経っても着地音は聞こえない、吸い込まれて消えただけだ。
「アグニ!壁側に寄って歩けと言っただろう!」
「わ、わかってるヨ!でも狭いんだよココ!」
ヨシュアが背後から叱責する。
緊張の糸が張り詰めたまま、じりじりと高度を下げていく。
下へ行けば行くほど、気温は加速度的に上昇していった。
「暑っ……!なぁ、なんか急に暑くなってこないカ?」
アグニが額の汗をぬぐいながらシャツの襟をパタパタさせる。
「当然だ、熱源に近づいているんだからな。《フリーズ》!」
ヨシュアが杖を掲げると、杖の先端が涼やかな光を放つ。
次の瞬間、三人の周囲の空気がふわりと冷たい膜に覆われた。
サァァァ……
まるで高原の朝のような、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
「おぉ……!すずしぃ~!」
アグニが生き返ったような声を上げる。
「いやあ快適だナ!」
「流石にここを対策無しに通るのは厳しいからな」
「でも確かにこれは生き返るね」
「一応一日は持つように魔法をかけたが、絶対に離れるなよ。それと、魔物の炎のブレスは流石にこれでは防げないからな」
「おう、わかったゾ!」
一行はヨシュアを中心にした「動く避暑地」として、再び歩を進めた。
しばらく歩き、火口の中腹あたりに差し掛かった頃だった。
道幅が少し広くなり、テラスのような空間に出た。
そこで、シャロの足がピタリと止まった。
「……来る」
彼女の呟きと同時に、前方の岩陰から複数の気配が膨れ上がった。
ズルリ、ズルリと岩を擦る重い音。
そして、鼻をつく焦げ臭い獣の臭い。
「グルルルル……」
現れたのは、全身が赤い鱗に覆われた巨大なトカゲたちだった。
体長は三メートルほど。
太く強靭な四肢、地面を引きずる長い尻尾、そして何より特徴的なのは、常に燃えているかのように赤熱している喉元だった。
ファイアリザード、火山の環境に適応し灼熱のブレスを吐き出す、まさに小型のドラゴンと言うべき魔物だ。
その数五体、狭い通路を塞ぐようにして、こちらを威嚇している。
「出たな、トカゲ野郎!ドラゴンの手下ってところか!」
「先手必勝!《リーフ・カッター》!」
シャロは腕を振り抜き、無数の葉を生成して射出した。
鋼鉄のように硬化された葉の刃は、旋風となってファイアリザードの群れへと襲いかかる。
だが。
「グオオオオッ!」
先頭のリザードが大きく口を開けた。
ゴオオオオオッ!!
吐き出されたのは、火炎放射器のような一直線の炎。
シャロの放った葉の刃は、敵に届く前にその炎に触れ、一瞬で灰となって燃え尽きた。
「くっ!」
すかさずシャロ達は横に飛び、灼熱のブレスを回避する。
「相性が悪いな!植物の攻撃じゃあいつらの攻撃は抜けないぞ!」
ヨシュアが叫ぶ。
ファイアリザードたちは、シャロの攻撃が無効であることを見せつけるように、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
「動きはトロいが、あの炎のブレスは強力だ!まともに食らったらタダじゃすまんぞ!」
「でもな!」
アグニがニヤリと笑い、地面を蹴った。
「いくら強力でも、当たらなきゃ問題ねぇだろッ!!」
彼女は真正面から突っ込んでいく。
自殺行為に見える特攻。
ファイアリザードたちは即座に反応し、近くに居た二匹が口を開けた。
ゴオオオッ!!!
二匹同時に放たれた炎の奔流がアグニを飲み込もうとする。
しかし、アグニは素早く横へと飛び、炎を回避する。
そしてそのまま前方へ飛び、手に魔力を集中させる。
「粉砕ッ!《オーラ・ナックル》!」
ドゴオオオオン!!
アグニの鋭い右拳の一撃が先頭のリザードの脳天に直撃した。
硬い鱗ごと頭蓋骨を粉砕する衝撃。
ファイアリザードは悲鳴を上げる間もなく地面にめり込み、絶命した。
「はああっ!《リーフ・カリバー》!」
シャロも駆け出した。
遠距離がダメなら、近距離で斬るしかない。
彼女は右手に魔力を集中させ、鋭い草の剣を生成する。
アグニが倒し損ねたもう1体のファイアリザードに切りかかる。
ズバアアッ!
ファイアリザードの硬い鱗もなんのその。
シャロの一撃はファイアリザードを両断した。
血と体液が噴き出て痙攣すると、ファイアリザードは動かなくなった。
「ギシャァッ!」
残る三体のリザードが、仲間を倒された怒りで狂乱する。
彼らは並んで巨大な炎の壁を作り出した。
通路を完全に遮断する『炎の障壁』。
熱波がシャロの顔を焼く、これでは近づけない。
「無駄だ!《ブリザード・ストリーム》!」
だが、ヨシュアが後方から強力な氷の魔法を放つ。
杖から放たれる猛吹雪が炎の壁に直撃し、激しい音を立てながら鎮火させた。
「今だッ!」
「くらえっ!」
そこをすかさず二人が飛び出した。
炎を消されて狼狽するリザードたち。
その懐に、アグニとシャロが滑り込む。
シャロの剣閃が走る。
アグニの拳が光る。
1体のファイアリザードが切断され、1体のファイアリザードが殴り飛ばされる。
「後1体!」
残るファイアリザードは後1体。
ファイアリザードは苦し紛れに炎のブレスを吐くが、たった1体の攻撃、隙を付いた訳でもない、それは二人に軽々と避けられる。
「くらええええ!」
「いっけえええ!」
「はああああっ!」
シャロの斬撃、アグニの打撃、ヨシュアの魔法、それが1体のファイアリザードに同時に命中した。
完全なオーバーキル、ファイアリザードは抵抗の術もなく動かなくなった。
「ふうっ!終わったナ!」
アグニが汗をぬぐい、一息つく。
「とりあえず、今の俺達でもここの魔物には通用するようだな」
ヨシュアが冷静に状況を分析する。
「さてと、いつものように食事にしようか」
「待ってましタ!」
戦闘が終わった時のルーティーン、食事。
シャロはファイアリザードの死体を集め、手で触れる。
硬い鱗の隙間からにょきにょきと緑の茎が伸び、瞬く間に成長していく。
実ったのはじゃがいも、ニンジン、タマネギ、ニンニク、トマト、そして肉牛。
シャロはまず肉牛を手際よく解体し、一口大よりも少し大きめの角切りにしていく。
次に野菜の下処理。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギの皮を剥き、ヘタや芯を取り除く。
そして、その野菜くずを鍋で煮込む。
出汁を取っている間に、牛肉の下ごしらえを進める。
カットした肉に塩と粗挽きの黒胡椒を強めに振り、手で揉み込んで味を馴染ませる。
そして、熱した鍋に油を引き、肉を投入した。
ジューーーーーッ!!
激しい音が鳴り響き、香ばしい煙が立ち上る。
表面を焼き固めることで肉汁を閉じ込めるのだ。
全体にこんがりと焼き色がついたら、一度肉を取り出しておく。
「いい匂いだ……!これだけでも食えるゾ!」
「まだ我慢してねアグニ。ここからが本番だから」
肉を焼いた鍋を洗わず、そのまま旨味が残った油で、刻んだニンニクを炒める。
香りが立ってきたら、賽の目に切ったタマネギ、ニンジン、ジャガイモを投入。
タマネギが透き通るまでじっくりと炒める。
焦がさないように、丁寧に。
野菜に火が通ってきたら、ここで主役の登場だ。
完熟トマトをざく切りにして鍋に加え、木べらで潰しながら炒め合わせる。
トマトの水分が飛び、ペースト状になって旨味が凝縮されたところで、先ほど取っておいた『野菜出汁』をザルで濾しながら注ぎ入れる。
ジュワァァァ……。
鍋の中が鮮やかな赤色に染まる。
そこに、取り出しておいた牛肉を戻し入れ、ローリエを一枚浮かべて蓋をする。
グツグツ、コトコト。
煮込むこと数十分。
野菜は角が取れて柔らかくなり、牛肉はホロホロに、トマトの酸味はまろやかな甘みへと変化していく。
シャロが蓋を開けると、真っ白な湯気と共に、濃厚なトマトと肉の香りが爆発した。
仕上げに塩胡椒で味を調えれば。
「完成!『特製・濃厚ミネストローネ』!」
本来のミネストローネよりも肉の比率が高く、ビーフシチューに近い贅沢な一品である。
「うっひょー! 待ってましたぁ!」
アグニが一番に器を受け取る。
鮮やかな赤色のスープに、ゴロリとした牛肉と野菜が顔を覗かせている。
「いっただきまぁーす!フーフー、ズズッ……!」
熱々のスープを口に運ぶ。
その瞬間、アグニの表情がとろけた。
「んん~ッ!うめぇぇぇ!」
彼女は叫んだ。
「トマトの酸味がすっきりしてて、でも肉の脂がガツンと来て……!野菜の甘みがすげぇ溶け込んでる! 身体中に染み渡る味だぁ……!」
肉を噛み締めれば、ホロリと崩れて肉汁が溢れ出し、スープと混ざり合う。
「しかし……まさかこんな暑い所で熱々のスープとはな」
ヨシュアは周囲のマグマを見渡し、肩をすくめた。
ヨシュアの魔法のおかげで快適とは言え、外気温は高く、スープも熱々。
普通なら冷たいものが欲しくなる場面だ。
「なんだ?要らないなら貰うぞ?」
「断る。別に要らないとは言ってない」
ヨシュアは盗られないよう器を遠ざけると、スプーンで一口啜った。
「……ふむ、美味い、やはり肉はいい」
シャロも自分の分を口にした。
熱い、けれど、美味しい。
トマトのリコピンとビタミン、牛肉のタンパク質が、疲労した細胞の一つ一つに行き渡るような感覚。
「美味しい……やっぱり、温かいご飯は元気が出るね」
シャロがほっと息をつく。
過酷なダンジョンの深層、死と隣り合わせの場所だからこそ、こうして火を囲み、温かい料理を食べる時間が何よりも尊い。
「おかわりあるからね。いっぱい食べて、火山の底の所まで一気に行くよ!」
「おう!鍋ごとよこセ!」
「順番だ、アグニ」
赤く輝く火口の底。
絶望的な風景の中で、三人の冒険者たちは鍋を囲み、束の間の安らぎと活力を腹に収めた。
胃袋が満たされれば、力も心も強くなる。
彼女達は最後のスープ一滴まで平らげ、満足げに息を吐いた。
こうして、火山での奇妙で贅沢な食事は終わりを告げた。
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