第34食 ステーキ
シャロたち一行は、湿った空気が漂う暗がりの中を進んでいた。
ピチャン、ピチャン……
天井の鍾乳石から滴り落ちる水滴が、規則的なリズムを刻んでいる。
足元の岩肌は濡れて滑りやすく、所々に水たまりができていた。
「……ここを左……次は右……ここは右から2番目……」
先頭を歩くシャロが迷いのない声で指示を出す。
「しっかし、この洞窟も長いナ。景色が変わらないから、どっちに進んでるかさっぱりわかんないゾ」
「文句を言うな。地図なしでここまでスムーズに進めているのは奇跡に近いんだぞ」
最後尾のヨシュアが言った。
彼の表情は、海にいた時よりも引き締まっている。
近づいているのだ。
かつて彼女達が仲間を失い、絶望を味わった場所――第六層が。
ザッ、ザッ、ザッ。
三人の足音が重なる。
しばらく歩くと狭かった通路がふっと広がり、またしても中規模の広間に出た。
そこには、見覚えのある影が待ち構えていた。
ガガガガッ……
岩と金属が擦れ合うような重厚な音。
鋼鉄の甲羅を持つ巨大な亀、『アイアンタートル』だ。
以前三体がかりで現れ、アグニの拳すら弾き返した鉄壁の魔物。
今回は一体だけだが、その威圧感は変わらない。
「おっ、また出やがったな、鉄亀!」
アグニがニヤリと笑い、拳をバシッと合わせる。
アイアンタートルも侵入者に気づき、即座に臨戦態勢に入った。
口を大きく開け、喉の奥に魔力を収束させる。
ドオオオオッ!!
鉄砲水のような高圧の水流が放たれた。
だが、今の三人は以前の三人ではない。
三人は最小限の動きで左右に散開。
アグニが向かっていき、シャロは地面に手を付ける。
「《ローズ・アンガー》!」
すると、シャロが手を付けた地面がボコボコと盛り上がり、アイアンタートルの真下へと回り込んだ。
「ひっくり返れ!」
そして、地面から突き上げた茨の柱が亀の巨体をカチ上げ、宙に浮かせた。
バランスを崩し、裏返しになって落下するアイアンタートル。
無防備な腹が晒される。
「ナイスだシャロ!トドメは貰ったァッ!!」
待機していたアグニが、弾丸のように突っ込んだ。
右の拳に力を込める。
ドゴオオオオン!!
強烈な正拳突きが、アイアンタートルの腹に深々とめり込んだ。
衝撃が内部を駆け巡り、背中の甲羅ごと地面に叩きつける。
亀は一度ビクンと痙攣し、そのまま動かなくなった。
秒殺。
以前は三体居たとは言え苦戦を強いられ、ヨシュアの魔法支援がなければ突破できなかった相手を、物理的な連携だけであっさりと沈めてしまった。
「ふぅーッ!一丁上がり!」
アグニが満足げに笑う。
「一匹とはいえ、あっさり倒せたナ!アタシら、マジで強くなってるゾ!」
「ああ、二人共より力強くなってるな。特にシャロ、また随分パワフルになったな」
ヨシュアも感心したように頷いた。
植物のしなやかさと獣の爆発力、それが組み合わさった今のシャロは、かなりの強さになったと言えよう。
「うん、身体が軽いんだ、思い通りに動ける感じ」
シャロは自分の手を握ったり開いたりして、感覚を確かめた。
そして、動かなくなったアイアンタートルを見下ろす。
「さてと、せっかくだから補充しておこうかな」
彼女は亀の死骸に手を触れた。
様々な食材を生やし、ミルク、油、砂糖、ポーションを丁寧に補充する。
「準備完了!行こう!」
こうして三人はまた先に進むのだった。
***
さらに奥へと進むこと十数分、湿った空気が徐々に乾いたものへと変わり始めた。
そして、前方にまばゆい光が見えてきた、出口だ。
「見えタ!出口だゾ!」
アグニが叫び、駆け出す。
シャロとヨシュアも駆け足で続く。
光の向こう側、洞窟を抜けた三人の目に飛び込んできたのは、圧倒的なスケールの景色だった。
「う、わぁ……ッ!!」
アグニが息を呑む。
そこは広大な盆地のような場所だった。
そしてその中心に、天を衝くような巨大な岩山がそびえ立っていた。
第六層、火山地帯。
赤茶けた岩肌がむき出しになった荒涼とした大地。
植物は疎らで、岩と砂と風だけの世界で、頭上には海エリアと同じく青空が広がっている。
「でっけぇ……!なんだあの山!」
アグニが見上げる首が痛くなるほどの巨峰。
山頂付近は雲に隠れて見えない。
「今度は山カ!山はいいゾ!足場はしっかりしてるし、登りがいがあル!」
アグニが嬉しそうに岩場を叩く。
彼女にとって、この荒々しい風景は故郷を思い出させるのかもしれない。
「……はしゃぐなよ、アグニ」
ヨシュアの低い声が、冷や水を浴びせるように響いた。
彼女は岩山を睨みつけ、杖を強く握りしめている。
「ここは第六層だ、敵も更に強くなる、心してかかれよ」
「わかってるっテ!でもヨ、ビビってちゃ進めないだロ?」
「……お前は少しは慎重になれ」
ヨシュアは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
ここからが本番だ。
かつての仲間と離れ離れになった因縁の地。
「さて、行こう。行先はもちろん、あの山の頂上だよ」
三人は岩山の麓から、登山道とも言えないような獣道を登り始めた。
傾斜はきつく、足元はゴツゴツとした岩だらけだ。
風が吹くたびに砂塵が舞い上がり、視界を遮る。
しばらく登り続けた頃だった。
ガサガサ、カサカサ……。
岩陰から、多数の足音が聞こえてきた。
乾いた、不快な音。
「……敵だ!」
シャロが叫ぶと同時に、岩の隙間から赤い影が溢れ出してきた。
それは、大人の太ももほどもある太さと、数メートルもの長さを持つ、巨大なムカデの群れだった。
甲殻は燃えるような赤色をしており、無数の足が波打つように動いている。
フレイムインセクト、名前の通り炎属性の魔力を持つ魔物の虫だ。
「うげっ、虫かよ!しかもデカイ!」
「数は……十匹以上!囲まれる前に叩くぞ!」
アグニが前に出る。
ムカデたちが鎌のような顎を開き、威嚇音を立てる。
そして、その口から灼熱の炎を吐き出した。
「なっ!?」
アグニがバックステップで炎を避ける。
炎が岩を焦がし、熱波が顔を撫でる。
「気を付けろ!ここの魔物は全部炎を使うと思え!《アイシクル・ランス》!」
ヨシュアが氷の槍を放つ。
槍は先頭のムカデに突き刺さり、その体を凍りつかせながら砕いた。
火属性の敵に氷魔法は効果てきめんだ。
「いいぞヨシュア!アタシも行くゾ!」
アグニが岩を蹴って跳躍し、ムカデの胴体を蹴り潰す。
硬い甲殻もアグニの怪力の前には紙同然だ。
「《リーフ・カリバー》!」
シャロも『草の長剣』を生成し、ムカデの群れに切り込んだ。
「はぁっ!」
横薙ぎの一閃。
一匹のムカデが両断され、体液を撒き散らして絶命する。
順調だ。
アイアンタートルを瞬殺した今の彼らなら、この程度の雑魚敵に遅れは取らない。
「キシャアアアアッ!」
一匹のフレイムインセクトが、死に物狂いでシャロに向かって火炎を吐いた。
シャロは冷静に横へ飛ぶが、灼熱の炎がシャロの腕をかすめる。
「!!あっつ!あつっ!あつっ!」
ほんの少しかすめた程度、人間ならばちょっと熱いぐらいで済む程度の炎が、今のシャロにとっては文字通り燃えるように熱い。
炎を払いのけるものの、シャロの腕には火傷の跡がくっきりと残り、体力がごっそりと持っていかれたような感覚に襲われた。
「シャロ!?」
アグニが驚いて振り返る。
その隙に、ヨシュアが残りのムカデを氷漬けにして戦闘を終わらせた。
「大丈夫か、シャロ!何があった!?」
ヨシュアが駆け寄る。
シャロは脂汗を流しながら、赤く腫れ上がった腕を押さえていた。
「う、うん……ちょっと炎が腕をかすめたんだけれども……」
「かすめた?直撃した訳じゃないのカ?」
アグニが患部を見て眉をひそめる。
幸い火傷の傷はそんなに深くはないが、ここまで来た冒険者ならば、あの程度の炎がかすめた程度では火傷はしない。
アグニがポーションを渡し、シャロがそれを飲むと、傷はすぐに塞がった、痛みも引いていく。
シャロはホッと息をついたが、ヨシュアの表情は険しいままだ。
「……やはりか」
ヨシュアが重々しく口を開いた。
「シャロ、お前が植物の魔物になった弊害が出ている」
「弊害?」
「ああ。魔物には弱点属性を持つ者もいる。さっきの虫は水や氷だ。そして、植物の魔物は火に弱い事が多い。だからシャロ、今のお前も炎属性が弱点になっているんだ」
「そんな事が……」
今まで魔物になった事はメリットしか無かったが、ここへ来て大きな弱点が判明した。
「マズいな……この第六層に出てくる魔物は炎を使う奴ばかりだぞ」
ヨシュアが岩山を見上げる。
ここから先は、炎熱地獄。
植物であるシャロにとっては、最悪の相性のフィールドだ。
「……足手まといに、なっちゃうかな」
シャロが不安げに呟く。
すると、アグニがバシッとシャロの背中を叩いた。
「馬鹿野郎!何言ってんダ!」
アグニがニカッと笑う。
「火に弱いなら、火に当たらなきゃいいんだロ?その分、アタシ達が前に出て倒す!お前には指一本触れさせないゾ!」
「そうだな、シャロ、お前は援護を頼む。前衛はアグニに任せろ」
二人の頼もしい言葉に、シャロの胸が温かくなった。
「うん……!わかった。私も気をつける!」
シャロは立ち上がり、気合を入れ直した。
弱点がわかったなら、対策すればいい。
ぐぅぅぅ……
「腹減ったゾ……」
重い空気を変えるかのようにアグニの腹が鳴る。
「そうだね、じゃあご飯にしようか」
シャロはフレイムインセクトを集めて、手を触れる。
「今回は一体何を作るんダ?」
「今回はね、進化した私の新しい力を試そうと思うんだ」
「新しい力?また新しい物を生やせるようになったのカ!?」
「ビーストバロメッツ……まさか!?」
シャロはフレイムインセクトに魔力を流し込む。
イメージするのは命の鼓動、それも、もっと動物的な鼓動。
ズズズズズッ……!!
ムカデの死骸を苗床にして、これまで見たこともないほど太く、逞しい茎が伸び上がった。
それは瞬く間に大きくなり、その先端に大きな果実が実った。
いや、それは果実ではなかった。
先端で揺れていたのは黒い毛皮を持ち、丸々とした『牛』だった。
サイズこそ子牛ほどだが、その姿は紛れもなく牧場にいる肉牛そのものだ。
それがとうもろこしか何かのように、植物の茎に実っているのだ。
「なっ!?う、う、う、牛ィィィッ!?」
アグニがひっくり返った。
腰を抜かし、指を差してわなわなと震える。
「う、牛が生えてきタ!植物かラ!?そんな事ありえるのカ!?」
「……予想はしていたが、実際に見るととんでもない光景だな。理性が拒絶反応を起こしそうだ」
ヨシュアも額を押さえて天を仰いだ。
魚が生えた時も驚いたが、哺乳類が生えてくるインパクトは桁違いだ。
「あはは、大成功!やっぱりビーストバロメッツなら獣肉も生成できるんだ!」
シャロは嬉しそうに牛?を収穫した。
「そういえばアグニ、海にいた時言ってたよな、『そのうち牛や豚も生やし始めるんじゃないか』って」
「言った!言ったけどヨ!まさか本当になるとは思わないだロ!?」
アグニの冗談が現実になった瞬間だった。
早速シャロは草の剣を生成し、手早く牛を〆て血抜きを行った。
普通の人なら重労働な解体作業も、第六層まで到達する実力者にとっては造作もないことだ。
「すごい……綺麗な脂が入ってる」
切り出したロース肉の断面は鮮やかなピンク色に美しい網目状の脂が入った、極上の霜降り肉だった。
以前ヨシュアが言ってたように、シャロの生やす植物は極上のものになるらしい。
「さて、今回はシンプルに焼くよ!」
今回は小細工なし、肉そのものの味を楽しむ、王道のステーキだ。
分厚くカットしたステーキ肉の両面に塩と黒胡椒を振る。
鉄鍋をカンカンに熱し、油を敷いて、そこへ肉を投入。
ジュウウウウッ!!
岩山に暴力的なまでに食欲をそそる音が響き渡った。
肉が焼ける匂い、脂が焦げる芳醇な香り。
アグニがゴクリと喉を鳴らし、ヨシュアが無意識に杖を置く。
強火で両面に焼き色をつけたら、一度火から下ろして葉で包み、余熱で中まで火を通す。
この「休ませる」時間が肉汁を閉じ込め、柔らかく仕上げる秘訣だ。
数分後、再び鉄板の上に戻し軽く焼いたら完成。
「完成『特製・霜降りビーフステーキ』!」
ジュウジュウと音を立てる焼きたての肉の塊。
アグニはナイフもフォークも使わず、豪快にかぶりついた。
「いっただっきまぁーす!」
肉の繊維が断ち切られる感触。
その瞬間、口の中に熱々の肉汁が洪水のように溢れ出した。
「んぐっ……!う、うめえええええッ!!」
アグニが目を見開き、絶叫した。
「この肉めちゃくちゃ柔らかいゾ!噛まなくても溶けるみたいダ!脂が甘くて、肉の味が濃くて……最高だァァァ!」
「どれ……」
ヨシュアはナイフで一口大に切り、上品に口へ運ぶ。
咀嚼した瞬間、その表情が陶然と緩んだ。
「……凄いな。これがダンジョンの中での食事か?地上のA級レストランでも、これほどのステーキには滅多にお目にかかれないぞ」
塩胡椒だけのシンプルな味付けが、肉本来のポテンシャルを極限まで引き出している。
噛みしめるたびに、生きる力が湧いてくるような味だ。
「ん~!やっぱりお肉はいいね!元気が出る!」
シャロ自身も頬張り、至福の表情を浮かべた。
三人は無心になって肉を貪った。
過酷な岩山登りの疲れなど、脂と共に溶けて消えていくようだった。
そして完食。
満腹になった三人は、岩陰で食後の一休みをとっていた。
「ふぅ……食った食った、まさかこんな所で極上のステーキが食えるとはナ」
アグニは満足しながら空を見上げた。
「野菜に果物、卵に魚、ついに肉まで食えるようになっちまっタ。シャロがいりゃ、もうなんでも作れるナ!」
「そうだね。これからはメニューの幅も広がるよ。ハンバーグもシチューもフライドチキンも作り放題だよ」
シャロが嬉しそうに尻尾を振る。
彼女にとって、料理のレパートリーが増えることは、強くなることと同じくらい嬉しいことなのだ。
「なんでも……か」
その様子を見ていたヨシュアが、ふと思いついたように尋ねた。
「なぁシャロ、一つ聞きたいんだが」
「ん?なぁに?」
「……『酒』は、作れないのか?」
ステーキのような脂の乗った料理には確かに酒が欲しくなる。
それ以外にもフライドポテトやサーモンと言った酒にピッタリなメニューもある。
「酒かぁ……」
シャロは少し考えて、申し訳なさそうに眉を下げた。
「材料のブドウとか麦は作れるけど、お酒そのものを生やすのは流石に無理かなぁ……あれは発酵にすごく時間がかかるから、植物にポンと生やすのはできないかな」
「……そうか、やはり無理か」
ヨシュアが露骨に肩を落とし、残念がった。
魔術師の彼は、実はかなりの愛酒家なのだ。
「諦めんなよヨシュア!」
アグニがヨシュアの背中をバシンと叩いた。
「シャロのことだ、そのうち『熟成されたワインが実る木』とか、『ビールが搾れる野菜』みたいな魔物植物も生やせるようになるさ!アタシの勘は当たるんだゾ?牛の時みたいにナ!」
「……お前の勘か。あまり信用はできんが、今回ばかりは当たってほしいものだな」
ヨシュアが苦笑いし、しかし少しだけ希望を持った目でシャロを見た。
「そんな都合のいい魔物植物があればいいな」
「そうだね。私達が知らないだけであるかもしれないね」
進化の可能性は無限大。
いつか本当に、そんな夢のような木の実が生る日が来るかもしれない。
岩山の熱気の中、三人の笑い声が響く。
美味しい食事と、たわいもない会話。
それが、過酷なダンジョン攻略における、何よりの活力剤だった。
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