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穀物転生  作者: リース
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33/60

第33食 ブイヤベース

ダンジョンの5層、海のフロアの洞窟内部は、外の爽やかな海風とは無縁の重く湿った空気に満たされていた。

足元の岩肌は常に濡れており、天井からは鍾乳石が鋭い牙のように垂れ下がっている。

時折、ピチャン、ピチャン……と水滴が落ちる音が、静寂の中で不気味に反響していた。


「この分岐を左……次は右に行って……これも右……この三つの通路は、左から二番目の道」


先頭を進むシャロが、迷いのない足取りで指示を出す。

目の前には、同じような景色が続く複雑な分岐路。

地図もなしにこれほど的確に進めるのは、彼女の特殊な記憶能力があってこそだ。


「相変わらず、シャロは頼りになるナ。アタシ一人だったら、最初の分岐で野垂れ死んでた自信があるゾ」


「ああ、探知魔法が要らないのは魔力の節約になってありがたい」


ヨシュアも素直に認める。

シャロの空間把握能力は、もはや一つの才能と言っていい。

彼女の脳内には、かつてこのダンジョンを踏破した際のルートが、鮮明な映像として焼き付いているのだ。


「よし……ここを曲がれば……」


シャロが角を曲がる。

すると、それまでの狭い通路がふっと途切れ、少し開けた空間に出た。

だが、そこには道がなかった。

あるのは、部屋の床一面を満たす、黒々とした水だけ。

壁は断崖絶壁のように切り立ち、向こう岸へ渡る足場も見当たらない、完全な行き止まりに見えた。


「ん?なんだこれ、行き止まりカ?」


アグニが水際で足を止め、覗き込む。

水面は鏡のように静まり返っており、底知れぬ深さを感じさせる。


「ううん、違うよアグニ。道は『ここ』」


シャロが指差したのは、目の前の水面そのものだった。


「……え?ここを潜るのカ?」


「そう。この水路は地下で繋がっていて、次のエリアへの抜け道になってるの」


「潜るって……なんだか深そうだし、暗くて底が見えないゾ?」


アグニが少し引いたように顔をしかめる。


「まぁ、普通に潜ったら息が続かずに溺れるだろうな。距離もかなりある」


ヨシュアが冷静に分析し、杖を構えた。


「だから『水中呼吸』を使うぞ」


ヨシュアが詠唱を始める。

複雑な魔言と共に、杖の先端から柔らかな光が溢れ出した。

すると、薄い青色のオーラが三人の身体を包み込んだ。

薄い膜が一枚、肌に張り付いたような不思議な感覚。

だが、不快感はない。


「これで水中でも呼吸や会話ができるようになる。水圧の影響も軽減されるはずだ」


「おおっ!さすがヨシュア!便利だな!」


「ただし、効果が保つのは一日だ、絶対に俺から離れるなよ?効果が切れたら水圧でペシャンコだからな」


「わ、わかってるっテ!脅かすなヨ!」


アグニがブルッと身震いする。

ヨシュアはアグニの方を向き、真剣な眼差しで確認した。


「さて、行くが……アグニ、お前泳げるよな?カナヅチだったら置いていくぞ」


「もちろん!村に居た頃は、夏になれば川で泳いで魚を捕ってたもんダ!泳ぎは得意だゾ!」


アグニが力こぶを作って見せる。

その言葉に嘘はないようだ、獣人の身体能力があれば水泳も造作もないだろう。


「よし、なら行くぞ」


ヨシュアが先陣を切って、静かに水の中へと足を踏み入れた。

続いてシャロ、最後にアグニが、意を決してドボンと飛び込んだ。


水の中に入った瞬間、世界が一変した。

冷たい水が全身を包み込むが、不思議と息苦しさはない。

そして何より、視界が驚くほどクリアだった。

上から見た時は黒く濁って見えた水だが、中に入ってみるとガラスのように透き通っている。

青白い光が水中を幻想的に照らし出し、遥か先まで見通すことができた。


「……おっ、おお!?すげぇ!本当に水の中で息ができるゾ!」


アグニが水中で声を上げる。

水中なのに普通に呼吸ができ、言葉も発せる。


「ホント便利だよね、この魔法」


シャロがくるりと回転しながら答える。

シャロはその人魚のような姿に違わず、優雅で素早く泳いでいる。

アグニは獣人らしい豪快な泳ぎ方で進んでいく。

ヨシュアは杖を片手に最小限の動きで進む。


三十分ほど泳ぎ続けただろうか。

狭い水路を抜けると、視界が急激に開けた。

そこは、地底湖と呼ぶにふさわしい広大な空間だった。

天井は遥か高く、水底には珊瑚の死骸やキラキラ光る石などが散乱している。

そして、そこは生命の気配に満ちていた。


「……ストップ」


ヨシュアが鋭く声をかけ、二人を制止した。

彼の視線の先には岩陰や遺跡の陰に潜む、生き物の影があった。

巨大なハサミを持つカニ、鋭い牙を持ったウツボのような大蛇、そして半透明の身体を持つ巨大クラゲ。

水棲の魔物たちだ。


「魔物がいるな……しかも、数は少なくない」


「戦うカ!?」


「馬鹿言え。いいか、流石に水中ではこっちが圧倒的に不利だ。動きは鈍るし、お前のパンチだって水の抵抗で威力が半減する。水中では使える魔法も制限される」


ヨシュアが厳しい表情で釘を刺す。

水中戦は地上戦とは勝手が違う。

三次元的な動きに加え、環境そのものが敵に味方しているのだ。


「戦おうなんて思うなよ。ここは隠密行動で切り抜ける」


「流石に水中じゃ料理もできないからね。食材にしても焼けないし」


「ちぇっ、わかったヨ。大人しくしてるゾ」


アグニも渋々頷いた。

三人は岩陰や水草を利用し、気配を殺して進むことにした。

幸い魔物たちは縄張りを守っているようで、こちらから近づかなければ襲ってくる様子はない。

シャロが先導し、魔物の視界を巧みに避けてルートを選ぶ。

ヨシュアが背後を警戒し、アグニはなるべく泡を立てないように慎重に泳ぐ。


「……見えた。あそこが出口だ」


シャロが指差した先。

遥か前方、水面の上方に、太陽の光とは違う、出口を示す魔法的な光が差し込んでいる場所があった。

あそこまで行けば、水から上がれる。


「よし、あと少しだ……!」


アグニが安堵して速度を上げようとした、その時だった。


ズズズッ……


視界の外から巨大な、あまりにも巨大な影が、ゆらりと泳いできた。

それは、出口への道を完全に塞ぐようにして現れた。


「……なんだ、あれ……?」


アグニが目を凝らす。

それは巨大な軟体動物だった。

ぬめるような赤黒い皮膚、巨大な頭部、そして、その下から伸びる無数の太い触手。

触手の一本一本が、大木のように太く、吸盤がびっしりと並んでいる。

中心にある二つの眼球は馬車のタイヤほどもあり、黄金色に怪しく輝いていた。


「……『クラーケン』だ」


ヨシュアが呻くように言った。


「恐らく、この5層の『主』だろう」


「で、でけぇ……!あんなのが居るのかヨ!」


その威圧感はこの5層と戦った他の魔物とは桁が違う。

ただそこにいるだけで、水流が変わり、周囲の小型魔物たちが一斉に逃げ出すほどのプレッシャー。

クラーケンはゆっくりと触手をうねらせ、侵入者であるシャロたちを睨みつけた。

その目は明確にシャロ達を獲物として認識したようだ。


「どうする、ヨシュア?一旦引く?」


シャロが冷静に、しかし緊張を含んだ声で尋ねる。

この一本道を塞がれては、迂回ルートはない。

引き返すか、進むか。


ヨシュアは杖を強く握りしめた。


「……あいつからは逃げられん。背中を見せれば、あの触手で捕まって引きずり込まれるだけだ」


「ってことは……」


「やるしかない。ここで、戦うぞ!」


ヨシュアの決断に、アグニがニヤリと笑った。


「上等ダ!水の中だろうがなんだろうが、邪魔する奴はぶっ飛ばス!」


三人が戦闘態勢を取る。

静寂だった地底湖が、決戦の舞台へと変わる。


「……ッ、来るぞ!」


ヨシュアの警告と同時だった。

クラーケンがぬらりと触手を動かしたかと思うと、その巨大な質量からは想像もつかない速度で、鞭のようにしならせて叩きつけてきた。


「うらああああッ!!」


アグニが水を蹴り、果敢に突っ込んでいく。

迫りくる触手を紙一重でかわし、懐へと潜り込もうとする。

そして、アグニは渾身の力を込め、クラーケンの触手に正拳突きを放った。


ドスッ


確実に攻撃は当たった。

しかし、大したダメージにはなっていない。

水の抵抗だ、地上ならば岩をも砕くアグニの豪腕も、水中ではその威力が半減する。


「なっ……!?」


驚くアグニを、クラーケンは嘲笑うかのように、別の触手で薙ぎ払った。


「ぐはっ!?」


ドォォン!


辛うじて防御に成功したものの、アグニの身体がボールのように弾き飛ばされる。


「アグニ!」


「くそっ、やっぱり水の中じゃ力が入らなイ!」


アグニが体勢を立て直すが、クラーケンの猛攻は止まらない。

三本、四本の触手が同時に襲いかかり、包囲網を狭めてくる。

このままでは圧殺される。


「させない!」


すかさずシャロが攻撃に割り込み、草の剣を生成する。


ザシュッ!

 

鋭い斬撃が触手を切り裂く。

紫色の体液が煙のように水中に広がる。


「アグニ、大丈夫!?」


「シャロ!すまない、助かっタ!」


「こいつ、再生力が高いよ!気をつけて!」


切り裂かれた触手は、すでに傷口が塞がり始めていた。

さらに、痛みで怒ったクラーケンが、攻撃の密度を上げてくる。

水中での機動力に勝るシャロでも、アグニを庇いながらでは防戦一方だ。


「……チッ、らちが明かんな」


後方で戦況を見ていたヨシュアが、冷静に、しかし焦りを滲ませて呟いた。

彼女は即座に戦術の転換を決断した。


「おい、アグニ!下がれ!」


「なんだと!?アタシはまだやれるゾ!」


「無理だ!海中でお前の拳は届かん!奴はシャロに任せて、お前は俺を守れ!」


ヨシュアの指示に、アグニが唇を噛む。

悔しいが、事実は事実だ。今の自分は足手まといに近い。


「……くそっ!わかったヨ!で、どうすんダ!?」


「幸い、ここは地底湖の出口付近だ。水面までの距離は近い」


ヨシュアが杖を構え、上方を指差した。

遥か頭上に、出口の光が見えている。


「俺が特大の魔法で奴を吹き飛ばす。奴を強制的に『地上』へ引きずり出すんだ」


「なっ、そんなことが……!」


「できる。だが、詠唱に時間がかかる。それまで、何があっても俺に指一本触れさせるな……いいな?」


「おう!任せとケ!」


アグニがヨシュアの前に立ち塞がり、防御の構えをとる。

ヨシュアは目を閉じ、深い集中状態へと入った。

周囲の水温が、急激に下がり始める。


一方、前線ではシャロが孤軍奮闘していた。

彼女は水流を読み、クラーケンの触手を紙一重で回避し続けている。

植物と魚の特性を併せ持つ彼女の動きは、クラーケンにとっても捉えがたいものだった。


「大きい……!しかも硬い……!どこを切っても致命傷にならない!」


シャロは泳ぎながら、すれ違いざまに何度も剣を走らせる。


ザシュッ!ズバッ!


触手に傷は増えていくが、本体である頭部は遥か遠く、分厚い筋肉の鎧に守られている。

しかも、ただ切っているわけではない。

彼女の草の剣には麻痺性の神経毒が付与されている。

だが。


「まだ毒は回らないの……!?」


クラーケンの巨体ゆえか、あるいは深海生物特有の代謝機能か、毒が回る気配が一向にない。

動きが鈍るどころか、傷の痛みで狂暴さを増している。


すると、クラーケンの口元が膨らむと。


ボフッ――!!


大量の黒い液体、墨が吐き出された。

粘着質の墨は、瞬く間に透明だった湖の水を黒く染め上げ、シャロの視界を完全に奪った。

上下左右の感覚すら喪失するほどの漆黒。

アグニの狼狽する声が聞こえる。


「うわっ、なんだ!?真っ暗ダ!卑怯だゾ!どこだ、どこにいやがる!」


視覚に頼るアグニはパニック状態だ。

だが、シャロは冷静さを保とうとした。

彼女は歴戦の冒険者、光が無くても水流や気配で敵を感じ取る事ができる。


感覚を研ぎ澄ます。

右から来る水圧の変化、左後方からの殺気。

シャロは迫りくる触手を感覚だけで回避し、剣で弾く。

だが、多勢に無勢。

視界がない中での回避行動は、徐々に体力を削っていく。


そして、一瞬の隙。

シャロが右の攻撃を避けた、その死角。

下から伸びてきた細い触手が、シャロの尾ヒレを掴んだ。


「しまっ……!」


しまった、と思った時には遅かった。

スルスルと蛇のように触手が這い上がり、シャロの身体を瞬く間に縛り上げた。


「ぐぅっ!?」


全身を締め上げる強烈な力、骨が軋む音が水中を伝わる。

シャロは脱出しようと暴れるが、クラーケンの触手はそれを許さない。


「シャロ!?」


アグニが異変に気づき、叫んだ。

シャロの苦悶の声が聞こえる。

アグニは反射的に助けに行こうと足を踏み出した。

しかし、ヨシュアの小さな手がそれを止めた。

見るとヨシュアは詠唱の最中だ。

杖の周りには膨大な冷気が渦巻き、今にも暴発しそうなほどのエネルギーを溜め込んでいる。

ここでアグニが離れれば、無防備なヨシュアは即座に狙われる。


ヨシュアの額にも脂汗が浮かんでいる。

アグニは歯を食いしばり、拳を握りしめた。


「シャロオオオオオ!もう少し耐えロ!すぐ助けてやるからナ!」


アグニの叫びに呼応するように、クラーケンが次なる標的を定めた。

邪魔な盾役と、危険な魔力の発生源。

闇の中から、九本の触手が同時に襲いかかってくる。


「来やがれええええッ!!」


アグニが吼える。

幸い先ほどの大暴れで墨はだいぶ散っている。

一本目を弾く、二本目を蹴り飛ばす、三本目を肩で受け止める。

だが、限界がある。

水中での動きの鈍さと、圧倒的な手数の差。


七本目の触手が、アグニの死角を突いた。

胴体に巻き付き、そのまま締め上げる。


「ぐごぁっ……!」


肺の空気が絞り出される。

アグニまでもが捕まった。

クラーケンは勝利を確信し、残る最後の獲物、ヨシュアに向けて、残り八本の触手を伸ばした。

無防備な魔術師、その細い首をへし折ろうと、触手が迫る。

だが。


「待たせたな」


カッ!!!!


暗黒の水底が青白い光で満たされた。

ヨシュアの瞳が、氷のように冷たく、そして鋭く輝く。

詠唱完了。


「こいつを食らいな!」


ヨシュアが杖を振り下ろした。

解放された魔力は、爆発的な奔流となって前方に解き放たれた。


「《テンペスト・ストリーム》!!」


ゴオオオオオオオオッ!!!


凍てつく魔力が集まり、巨大な竜巻を放った。

巨大な竜巻は水中で巨大な渦潮となり、クラーケンの巨体を真正面から突き上げた。

クラーケンが驚愕の声を上げるものの、抵抗する間もなく、その巨体はロケットのように上方へと押し上げられていく。


そして。


ザバアアアアァァァン!!!!!


地底湖の水面が爆発した。

巨大な水柱と共にクラーケンの巨体が空中高く打ち上げられた。

地響きが洞窟全体を揺らす。

陸に打ち上げられたクラーケンは、苦痛と衝撃でのたうち回った。

触手に捕まっていたシャロとアグニも、今の攻撃のおかげで解放された。


「……よくもやってくれたね」


シャロが濡れた髪を払い、立ち上がった。

その瞳には、静かな、しかし強烈な怒りの炎が宿っている。


「こっちもダ……!あんなに締め上げやがって……骨が折れるかと思ったゾ!」


アグニがゴキリと首を鳴らし、拳を握りしめる。

水中の鬱憤、なす術なくやられた屈辱。

それらを晴らす時が来た。


目の前には、陸上で悶え苦しむクラーケンの姿。

触手は痙攣し、身体は重力に押し潰されて鈍重になっている。


「形勢逆転ダ!地上ならアタシの方が有利だゾ!!」


アグニが弾丸のように飛び出した。

クラーケンが反応し、触手を伸ばして迎撃しようとする。

だが遅い、水の抵抗がない陸上では触手の動きは鈍重で、軌道も読みやすい。

その上、ようやくシャロの毒も効いてきたようだ、先ほどと比べて動きは相当鈍っている。

アグニは迫る触手をサイドステップで軽々とかわし、懐へと潜り込んだ。


「オラァッ!!」


渾身の右ストレート。

水中とは違う、空気を切り裂く音。

地面の反発力を100%乗せた一撃が、クラーケンのブヨブヨした頭部に炸裂した。


ドゴォッ!!


衝撃が肉を伝わり、波打つ。

クラーケンの巨体が浮き上がり、悲鳴を上げる。


「今までのお返しをさせてもらうゾ!」


アグニは止まらない。

ワンツー、アッパー、ボディブロー。

怒涛のラッシュが怪物をサンドバッグにする。

クラーケンが怯み、後退しようとする。

だが、その退路を断つ影があった。


「逃がさないよ」


シャロだ。

彼女はアグニの連撃に合わせて上空へ跳躍していた。

手には極限まで圧縮し、硬度を高めた『草の剛剣』。


「これで……終わりだッ!《リーフ・カリバー》!」


落下速度と回転力を乗せた、唐竹割り。


ザシュゥゥゥッ!!


緑の閃光が、クラーケンの眉間から胴体までを一直線に切り裂いた。

鮮血ではなく、大量の墨と体液が噴き出す。

クラーケンはビクンと大きく跳ね、触手を一度だけ天に突き上げ……そして、力を失って崩れ落ちた。


ズズ……ン。


巨大な肉塊と化した怪物は、二度と動くことはなかった。


「……はぁ……はぁ……」


シャロが着地し、剣を消して膝をつく。

アグニも大の字になって地面に倒れ込んだ。


「か、勝った……!ざまぁみろイカ野郎……!」


「ふぅ……疲れた……」


そこへ水面からヨシュアがヘトヘトになりながら上がってきた。

彼女は杖を杖代わりにし、よろめきながら二人の元へ歩み寄った。


「……二人とも、無事か?」


「大丈夫……」


「おう、なんとかな。ヨシュアの魔法のおかげだぜ。あんなデカい渦潮、初めて見たゾ!」


「あれが今の俺の最大魔法だ……魔力をすっからかんに使い果たしたがな」


ヨシュアが苦笑して座り込む。

三人は動かなくなったクラーケンの前で、泥と墨にまみれながら、互いの無事を喜び合った。

深淵の死闘は、地上での完全勝利で幕を閉じたのだ。


ぐううう……


「腹減ったゾ……」


「俺もだ……」


緊張の糸が切れると同時に強烈な空腹感が襲ってきた。

あれだけの戦いの後だ、相当エネルギーも消耗したハズだ。


「よし……じゃあご飯にしようか」


「待ってましタ!」


シャロが立ち上がり、濡れた髪をかき上げた。

彼女の視線はすでにクラーケンを「敵」としてではなく「極上の食材」として捉えていた。


シャロはクラーケンのぬめるような皮膚に両手を当て、深く魔力を循環させた。

すると、クラーケンの巨体が淡い緑色の光に包まれた。

ズズズッ……と、軟体動物の皮膚を突き破り、力強い植物の芽が吹き出す。

今回実ったのは玉ねぎ、ニンニク、トマト、エビ、アサリ、タラ。


シャロは手早く食材を収穫し、調理の準備に取り掛かった。

まずは玉ねぎとニンニクの皮をむき、トマトは湯剥きをして皮を取り除く。

そしてこれらの野菜の皮、ヘタ、エビの頭や殻を、水を張った鍋に放り込み、火にかけ、出汁を取る。


その間に具材の下処理。

エビは背ワタを取り、タラは骨を抜いて一口大に切る。

植物から生えたため、アサリは砂抜きの必要は無い。

玉ねぎとニンニクはみじん切りに、トマトはざく切りにしておく。


野菜出汁の鍋から優しくも力強い香りが漂い始めたら、スープを漉して別容器に移す。

いよいよ本調理だ。

大鍋を熱し、たっぷりの油を引く。

そこに刻んだニンニクと玉ねぎを投入。

弱火でじっくりと、玉ねぎが透き通り、甘い香りが立つまで炒める。

続いてはエビ、タラ、アサリを一気に投入する。


ジュワアアアアッ!!


油と魚介が触れ合い、爆発的な香りが洞窟内に充満した。

さっと炒め合わせたら、ざく切りのトマトを加え、さらに先ほど作った熱々の野菜出汁を注ぎ込む。


ボコボコボコッ……!


鍋の中が沸き立つ。

トマトの赤、エビの朱色、タラの白、鮮やかな色彩がスープの中で踊る。

シャロは丁寧にアクを取り除き、火を弱めて蓋をした。


あとは待つだけ。

旨味を閉じ込めて、じっくりコトコト煮込むのだ。


鍋の蓋の隙間から白い蒸気が漏れ出す。

その蒸気にはニンニクの食欲をそそる香り、トマトの酸味、そして魚介の濃厚な磯の香りが凝縮されている。

冷え切った洞窟の空気が、温かい料理の熱気で満たされていく。

アグニとヨシュアは、焚き火に当たりながら、鍋をじっと見つめていた。

その瞳は、宝物を見つめるよりも真剣だ。


「……もういいかな」


シャロが蓋を開ける。

ふわぁっ、と濃厚な湯気が立ち上った。

スープは少し煮詰まり、トロリとした濃度がついている。

仕上げに塩と胡椒で味を調えれば、完成だ。


「はい、どうぞ!『特製・ブイヤベース』だよ!」


大きな器によそわれたスープは、夕焼けのように赤く輝いていた。

アグニは待ちきれずに、熱々の器を両手で受け取った。


「いただきまぁーす!」


フーフーと息を吹きかけ、まずはスープを一口。


ズズッ……


「はあああ……っ!」


アグニが深く、長く息を吐いた。

それはため息ではなく、魂が洗われるような歓喜の吐息だった。


「美味い……!染みるううう!」


アグニが目を細め、身体を震わせる。


「熱々のスープが、冷えた身体の芯まで染み渡るゾ!魚とエビの味が濃厚で、トマトの酸味がまた絶妙ダ!これ、今まで食ったスープの中で一番美味いかもしれないゾ!」


続いて具材にかぶりつく。

煮込まれてホロホロになったタラ、プリプリのエビ、スープを吸ったアサリ。


「んんっ!具も最高ダ!噛むたびにジュワッと汁が出てくるゾ!」


ヨシュアもスプーンを運び、その味わいに目を見張った。


「……これは凄いな。ただのごった煮じゃない。全ての食材が主張しつつも、一つの味にまとまっている」


ヨシュアは次々とスープを口に運ぶ。

冷え切っていた手足の先まで、温かい血が巡っていくのがわかる。

魔力回路の澱みが溶け、純粋なエネルギーが充填されていく感覚。


「美味しい……」


シャロも自分の一杯を味わった。

過酷な戦闘の後だからこそ、この温かさが何よりも尊い。

三人は鍋が空になるまで幸せな音を立てて食べ続けた。


完食。

満腹感と共に、全身に力がみなぎってくる。

クラーケンの強大な生命力を取り込んだおかげか、疲労は完全に消え去り、むしろ以前よりも魔力の上限が増えている気さえした。


「ふぅ……食った食った。元気百倍だゾ」


アグニが満足げに腹をさすった、その時だった。


ドクンッ。


シャロの身体の奥底から、抑えきれないほどの熱量が噴き上がってくる。

これは……知っている感覚。

前回の進化の時よりも、さらに強く、激しい奔流。


「うっ……!?」


「シャロ!?」


カッ――!!


シャロの全身が、眩いばかりの光に包まれた。


「この光……まさか!」


「また進化するのカ!?」


この場にいた全員が直感した。

シャロの肉体が再び限界を突破し、新たな形態へと作り変えられていく。


そして、やがて光が収束した。


シャロは立ち上がると、急いで近くの水面へと向かった。

自分の新しい姿を確認するために。


「これは……!」


水面に映っていたのは、人魚のような姿から、また変わっていた。

エメラルドグリーンの髪の間から、立派な二本の『角』が突き出ている。

その横には、パタパタと動く『獣の耳』。

背丈は人間だった頃のシャロにより近くなり、より大人びた印象を与える。


視線を下ろす。

体つきは一回り大きくなり、女性らしい丸みと、戦士のようなしなやかな筋肉を併せ持っている。

身体は白い毛皮を縫い合わせたかのような服を着ていて、胸部は転生前の人間時代よりも大きくなってるかもしれない。

そして背後には、細くしなやかな細い尻尾が生えていた。


「うおおおぉぉっ!!」


後ろから覗き込んだアグニが、歓喜の雄叫びを上げた。


「すげぇ!角だ!耳だ!それにその尻尾!」


アグニはシャロの肩をバンバンと叩いた。


「アタシと同じ『牛の獣人』に進化したんだナ!やったナ!これでお揃いダ!」


アグニの目には、シャロが完全に同族に見えているようだ。

確かに見た目は牛の獣人の女性そのものだ、アグニの妹分と言っても通用するだろう。


「……いや、それは無い」


しかし、ヨシュアが冷静かつ冷徹に否定した。

彼女は興味深そうにシャロの角や尻尾を観察しながら、首を横に振った。


「前にも言っただろ、植物の魔物からヒトに進化することは魔物学的にあり得ない。種の壁というのは、そう簡単に超えられるものじゃないんだ」


「じゃあ何に進化したんだヨ?どう見てもアタシと同じ、牛の獣人だロ?」


アグニがシャロの角を指さして見せる。


「多分だが……これは『ビーストバロメッツ』だ」


「またバロメッツか?」


「ああ。バロメッツの上位種には羊より大型の獣……特に『牛』や『馬』の姿を模した個体が存在する。それが『ビーストバロメッツ』だ。シャロの場合、人化の能力の影響で、牛獣人に近い姿に進化したんだろう」


「なるほどね……でも、これなら地上でも思いっきり走れるし、力も強くなった気がする!」


シャロは軽くジャンプしてみた。

マリンバロメッツの時の尾ヒレとは違う、バネのある脚力。

握りしめた拳には、岩をも砕けそうなパワーが宿っている。


「また進化した……!強くなれた!」


シャロはアグニと手を取り合って喜んだ。

クラーケンを倒し、新たな力を得た、これ以上の成果はない。


「これならきっと、次の階層も突破できるよ!みんなを探しに行ける!」


希望に満ちたシャロの声。

だが、ヨシュアの表情は、いつになく真剣で、重かった。

彼女は洞窟の奥、第六層へと続く暗い道を睨みつけ、低く告げた。


「……ああ。だが、油断するなよ、シャロ」


その声のトーンに、二人が振り返る。


「次の階層は……『第六層』だ」


ヨシュアが言葉を切る。

その数字が持つ意味を、シャロとヨシュアは理解していた。


「俺たちが全滅した場所……あの『レッドドラゴン』が巣食う階層だからな」


場が凍りついたように静まり返る。

かつて仲間を失い、バラバラになり、一度は死んだ場所、トラウマの源泉。

その現場を知らないアグニでさえ、真剣な顔をしていた。

しかし、シャロは顔を上げた。

その瞳に、恐怖以上の決意を宿して。


「うん、わかってる」


彼女は拳を握りしめた。


「行こう、みんなを見つけるために、今度こそ誰も失わないために」


三人は頷き合い、因縁の地へと続く道へと足を踏み出した。

新たな姿となったシャロを先頭に、リベンジの時が迫っていた。

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