第32食 パエリア
第五層の大海原のとある島の上をシャロ達は歩いていた。
「あぁ、やっぱり大地はいいナ!」
アグニが力強く地面を踏みしめ、その反動を楽しむように背伸びをした。
尻尾が機嫌よさげに左右に振られている。
「歩きやすいし、景色も岩場や草木に変わって退屈しなイ!これだよ、冒険ハ!」
「そうか、それはよかったな」
ヨシュアが適当に相槌を打つ。
「もう海には行かないよ。私の記憶が正しければ、この島のどこかに、次に進む道があるはずだから」
シャロが記憶を辿りながら周囲を見渡す。
「本当か!?次の階への道!?」
「本当だよ。ほら、そこ」
シャロが指差した先、島の中央あたりにそびえ立つ切り立った崖の下に、ぽっかりと大きな洞窟の入り口が口を開けていた。
「ここが次の階への道カ!」
「うん。あの洞窟を通れば、第六層へ続く階段があるはずだよ」
「だが注意しろ。この先はまた魔物の質が変わる。海中の敵以上に強固な連中が待ち構えているはずだからな」
「へへっ、大丈夫だっテ!アタシたちなら、どんな奴が来てもぶっ飛ばせるだロ!」
アグニは自信満々に鼻を鳴らすと、ずんずんと洞窟の中へ足を踏み入れていった。
シャロとヨシュアも、互いに目配せをしてからその後を追う。
洞窟の中は、海の洞窟らしくじっとりと湿気が強く、至る所に水が流れ、壁面は濃い緑の苔に覆われていた。
しかしダンジョンの洞窟らしく、中は薄明りが漂い、先が見えるぐらいの視界が確保されていた。
しばらく単調な一本道を進むと、やがて道が二手に枝分かれした。
「……うわ、まさか、また迷路カ?」
アグニが露骨に嫌そうな顔をして足を止めた。
三層の崖の迷路、四層の砂漠に遺跡、そしてこの洞窟。
ダンジョンというのは、とにかく人を真っ直ぐ歩かせてくれない。
「前にも言っただろう。ダンジョンなんてのはこんなのばっかだ。人を迷わせ、疲弊させるのが迷宮の本質なんだからな」
ヨシュアが追い越しざまに冷淡に告げた。
「うへぇ……気が滅入るゾ。どっちに行っても同じ景色なんだろうなァ……」
「……お前、よくそんな根性で冒険者なんてやろうと思ったよな。向いていないんじゃないか?」
ヨシュアは呆れてアグニに振り返った。
「だって冒険者だぞ?冒険だぞ?もっとこう、誰も見たことの無い珍しいものを見たいじゃんカ!伝説のドラゴンとか、黄金の都とか!」
アグニは目を輝かせ、ロマンを語る。
しかし、ヨシュアは静かに首を振った。
「お前の言うのは昔の冒険者だ、昔は大陸を横断するのも海を渡るのも命がけだったからな。だが、技術の進歩により気軽に船旅もできるようになった今は、ダンジョン探索という名の『肉体労働』が冒険者の仕事だ。ロマンなど諦めろ」
「うへぇ……また気が滅入ることヲ……」
アグニは再び気が滅入る。
彼女が抱いていた古い時代のロマンチックな冒険者のイメージは、ヨシュアの冷徹な現実論によって、氷のように砕かれていく。
そこをシャロが隣に並び、優しくフォローを入れる。
「ダンジョンだって珍しいものは無くはないと思うよ。この間だって、海賊船があったじゃない」
「!そうだナ!あれは凄かっタ!お宝はなかったけどヨ!」
現金なもので、アグニがパッと元気を取り戻した。
「ああいうのが見られるなら、まだ頑張れるゾ。よし、珍しい魔物でも探して先に進もうゼ!」
「全く、現金な奴だ」
アグニが再び意気揚々と歩き出した、その時。
ガガガガッ……
前方から石と石が擦れ合うような重い音が響いてきた。
薄明かりの向こうから、三つの影がゆっくりと現れる。
「……ほら、お前のお望みのイベントだぞ」
ヨシュアが杖を構え、警告を発した。
薄明かりの中から姿を現したのは三匹の巨大な亀だった。
ただの亀ではない、その甲羅は鈍い銀色の光沢を放ち、まるで鍛え上げられた鋼鉄を繋ぎ合わせたような無骨な質感をしている。
鋭い爪を持つ四肢は、重い甲羅を支えるために太く発達している。
アイアンタートル、文字通り鉄の守護者。
「亀か!のろそうだな!」
「バカ、待てアグニ!」
ヨシュアの制止も聞かず、アグニは先制攻撃を仕掛けるべく地を蹴った。
そこをアイアンタートル達は口を開き、圧縮された水流をジェット噴射のように放つ。
それをアグニは素早く避けると、真正面から全力の正拳突き。
ガキイイイインッ!!
高い衝撃音が洞窟に響き渡った。
アグニの拳がアイアンタートルの甲羅を直撃する。
だが、砕けるどころか傷一つ付かない。
逆にアグニの方が鉄を殴ったような衝撃に腕を痺れさせ、後退した。
「痛ってぇ!?なんだこの硬サ!」
「だから待てと言ったんだ!あの甲羅の硬さはシザークラブの比じゃない。真正面からどうにかするのは無理だ!」
攻撃を受けたアイアンタートルたちが、再び魔力を集中させる。
ドオオオオッ!!
三匹が同時に、圧縮された高圧の水流を放ってきた。
シャロ達が左右に散開する。
直撃した背後の岩壁が、まるでバターをナイフで切るかのように抉り飛ばされた。
「じゃあどうすればいいんダ!」
「奴の弱点はただ一つ!腹だ!」
ヨシュアが地面に杖を突き立て、強力な魔力を流し込んだ。
その魔力波を察知したのか、一匹のアイアンタートルがヨシュアの方を向く。
水魔法の渦潮を使った高速回転で素早く振り向くと、高圧水流を口から放つ。
「させない!《リーフ・シールド》!」
シャロが飛び出し、ヨシュアの前に立ちはだかった。
硬質化した葉を何枚も生やし、盾として展開する。
ドオオオオオオンッ!!
水流が葉の盾に激しく衝突しシャロの腕に衝撃が走るが、その攻撃は通さない。
「食らえ!《アース・アンガー》!」
ヨシュアの魔法が発動した。
1匹のアイアンタートルの真下の地面から巨大な岩の柱が杭のように突き出した。
不意を突かれたアイアンタートルは、岩の杭によって宙に放り出され、空中で無防備な腹を晒して裏返しになった。
「なるほど!」
アグニはすぐにヨシュアの意図を理解した。
鋼鉄の甲羅を持つアイアンタートルにとって、ひっくり返ることは致命的な弱点に晒されることを意味する。
「そこだああああッ!!」
アグニが好機を見逃さず、空中で跳躍した。
ひっくり返ったアイアンタートルの腹、甲羅に守られていない柔らかい肉の部分目掛けて、力を込めた拳を叩き込む。
ドゴォオォォン!!
今度は鈍い音ではない、内蔵が破裂するような凄まじい衝撃音だった。
鋼鉄の甲羅の亀は、ぴくりとも動かなくなった。
一撃必殺、弱点を突けばこれほど脆い。
「グウウッ……!」
仲間を仕留められた残りの二匹が、怒り狂って嘴から更なる水魔法を乱射する。
アグニはそれをギリギリの側転で回避し、再びヨシュアの支援を待つ。
「二体目、いくぞ!」
ヨシュアが再び杖を構える。
そうはさせまいとアイアンタートルが水流を放つが、それはシャロの葉の盾がしっかりと防ぐ。
「《アース・アンガー》!」
その隙に、二度目の岩の杭が放たれた。
二匹目もまた、放り出されて裏返しになる。
そこにアグニの必殺の一撃が炸裂した。
「二匹目ェ!!」
残り一匹となったアイアンタートルは、恐慌と怒りが入り混じった金切り声を上げた。
奴は甲羅の下に水流を発生させ、最高速度でヨシュアめがけて突っ込んできた。
その重量が直撃すれば、タダでは済まない。
「フン……苦し紛れの一撃か」
しかし、ヨシュアは慌てない。
突っ込んでくるアイアンタートルに対し、落ち着いて杖を振り上げた。
「《アース・アンガー》!」
三度放った岩の魔法は、アイアンタートルの水ごと吹き飛ばし、空中に放り出す。
「《リーフ・ブレード》!」
シャロが地を蹴った。
彼女は一本の鋭利な『草の長剣』を生成すると、アイアンタートルの柔らかな胴体を一突きする。
ザシュッ!!
長剣が深々と貫き、アイアンタートルはそのまま地面に叩きつけられた。
一度大きく跳ね、そして動かなくなった。
「……ふぅ、片付いたね」
シャロが剣を消し、額の汗を拭った。
アグニが駆け寄り、アイアンタートルの巨大な甲羅をつっつく。
「すげぇ硬さだったナ。ヨシュアがひっくり返してくれなかったら一生終わらねぇところだったゾ」
「お前はもうちょっと知識を付けた方が良い」
そんな話をしてると、アグニの腹の音が鳴る。
「さて、早速食事の準備をするね」
「待ってましタ!」
シャロは動かなくなったアイアンタートルの前に跪き、その冷たい身体に両手を添えた。
アイアンタートルの柔らかい肉から鮮やかな緑が芽吹いた。
今回実ったのは、玉ねぎ、ニンニク、パプリカ、ピーマン、トマト、サフラン、米、そしてエビ、アサリ、イカ。
「米か!久しぶりだナ!」
「今回は随分材料が多いんだな」
「ふふっ、今日はちょっと凝ってみようと思うの」
シャロは手早く食材を収穫し、即席のキッチンを展開した。
まずは野菜の手入れから始める。
玉ねぎ、パプリカ、ピーマンのヘタや種、皮を剥く。
通常なら捨ててしまうそれらの「くず野菜」を、エビの頭や殻と一緒に鍋に入れ、たっぷりの水を注いで火にかける。
グツグツと煮出すことで、野菜の甘みとエビの香ばしさが溶け出した、黄金色のスープを作る。
その間に、具材のカット。
玉ねぎとニンニクはみじん切りに、パプリカとピーマンは彩りが映えるように細切りにする。
イカは内臓を抜いて輪切りにし、エビは背ワタを取って身を整える。
植物から生えたアサリは砂抜きは不要だ。
スープを漉して別容器に移し、いよいよ本調理だ。
鍋を熱し、たっぷりの油を引く。
そこに刻んだニンニクを投入。
シュワシュワという音と共に、食欲を刺激する香りが洞窟内に充満する。
ニンニクが色づいたら、イカと野菜を入れて炒める。
ジュワアアアアッ!!
具材が油と踊る。
玉ねぎが透き通り、イカが白く色づくまでじっくりと炒める。
そこに、ざく切りにしたトマトを加える。
トマトの水分が飛び、ペースト状になるまで煮詰めることで、旨味が凝縮される。
そして、米を投入。
米を油とトマトベースに馴染ませるように、優しく炒め合わせる。
米粒がうっすらと透明感を帯びてくる。
そして、最初に作った出汁スープを注ぎ、サフランを加える。
ジャアアアアッ!!
熱い鍋にスープが注がれ、大量の蒸気が立ち上る。
そこに赤いサフランを散らすと、スープが魔法のように鮮やかな黄金色へと染まっていった。
エビとアサリを綺麗に並べ入れ、強火でひと煮立ちさせる。
そうしたら、米にスープを吸わせるため、火を弱め、蓋をしてじっくりと煮込む。
パチパチ、コトコト……
鍋の中で、米が躍るような音が響く。
サフランの高貴な香りと、魚介の濃厚な磯の香りが混ざり合い、アグニとヨシュアの鼻腔をくすぐり続ける。
水分がなくなり、鍋底からチリチリという乾いた音が聞こえてきたら、おこげが出来た合図だ。
「完成!『特製シーフードパエリア』!」
シャロが蓋を開けると、黄金色に輝く米の平原に、赤いエビやパプリカ、白いイカが宝石のように散りばめられた絶景が現れた。
「うおおぉぉぉ!すげぇ色ダ!宝石箱みたいダ!」
「サフランの香りが素晴らしいな。彩りも完璧だ」
シャロがそれぞれの皿に取り分けると、湯気と共にその香りはさらに強くなった。
アグニは待ちきれずに、スプーンで大盛りをすくった。
「いただきまぁーす!」
ガブリ。
口に入れた瞬間、魚介と野菜の旨味を極限まで吸い込んだ米の味が爆発した。
「んん~っ!!美味いッ!!」
アグニが目を見開く。
「米が!米がただの米じゃないゾ!スープそのものだ!噛むたびに旨味がジュワッと出てくる!それにこのおこげ!カリカリしてて香ばしくて最高ダ!」
「どれ……」
ヨシュアも一口運ぶ。
パラリとした米の食感とサフランの優雅な風味。
そこにプリプリのエビや、弾力のあるイカの食感がアクセントを加える。
「……美味しい。全ての具材の出汁がこの米一粒一粒に凝縮されている。ただ煮込むだけでは出せない深みだ」
「エビやアサリも殻からいい出汁が出るんだよ。トマトの酸味もいい仕事してるでしょ?」
シャロも自分の分を頬張り、満足げに微笑んだ。
洞窟の中という閉鎖的な空間が、逆にこの温かい食事のありがたみを強調しているようだった。
三人はスプーンを止めることなく動かし続け、鍋底についたおこげまで綺麗にこそげ取って完食した。
***
満腹になり、焚き火を囲んでの食後の休息。
パチパチと爆ぜる火を見つめながら、アグニがしみじみと口を開いた。
「……なぁ、改めて思うんだけド、このダンジョンで一番珍しい生き物って、シャロだよな」
「何?藪から棒に」
「だってヨ、元人間で、今はバロメッツで。魔物のくせに人間より優しくて、魔物の死体から野菜や魚を生やせて、こんなに美味い料理が作れて……その上、進化までするんだゾ?ドラゴンよりよっぽど希少種だろ」
アグニの素直な感想に、ヨシュアも頷いた。
「……確かにそうだな。魔物としての生態も、魔法的な常識も、全てが規格外だ。学会に発表すれば、歴史に名が残るレベルの特異点だぞ」
「もう、二人して変な生き物扱いしないでよ」
シャロが頬を膨らませて抗議する。
「大体、誰のせいでこうなったと思ってるの?私がこんな『珍しい生き物』になった原因は……」
「……うっ」
ヨシュアが言葉に詰まり、気まずそうに視線を逸らした。
あの時、転移魔法の失敗。
そうしなければ死んでいたとは言え、彼女の魔法がこのおかしな状況の原因なのは間違いない。
ヨシュアは帽子を目深に被り直し、小さな声で言った。
「……悪い。そのことについては、一生かけても償いきれないと思ってる」
普段は皮肉屋のヨシュアの、素直な謝罪。
その空気に、シャロはふっと表情を緩め、優しく笑った。
「ふふ、冗談だよ。気にしないで」
彼女は自分の手、植物のツタが絡む指先を見つめた。
「今となってはいい思い出だと思ってるよ。おかげでアグニとも出会えたし、こうやってみんなに美味しいご飯を作れる力も手に入ったし。人間だった頃より、ずっと自由に冒険できてる気がするもん」
「シャロ……」
「だから、結果オーライだよ」
その前向きな言葉に、アグニが膝を叩いて納得したように言った。
「なるほどな!あれだ、『怪我の大名』って奴だな!」
……一瞬の沈黙。
ヨシュアがこめかみを押さえた。
「……それを言うなら『怪我の功名』だ、馬鹿牛」
「あ!また馬鹿牛っテ!ちょっと間違えただけだろうガ!」
「お前は普段から馬鹿なんだよ」
「あははは!」
アグニの豪快な勘違いと、ヨシュアの鋭いツッコミ。
シャロの笑い声が洞窟に響き渡った。
「さて、少し休んだらまた進もうか。次の階層まで、あと少しだもんね」
「おう!腹もいっぱいだし、何が出てきてもぶっ飛ばせるゾ!」
「やれやれ……お前の元気には呆れるよ」
三人はそれぞれの装備を整え、再び薄明かりの続く洞窟の奥へと歩き出した。
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