第27食 焼き魚
シャロ達三人が迷宮のような通路を進んでいると、彼女らの行く手を阻む影が現れた。
ジャリッ、と石畳を削る音。
現れたのは鶏のトサカと蛇の尾を持つ魔物、バジリスクだ。
以前コカトリスと共に現れ、シャロの左腕を奪う死闘を演じた因縁の相手と同種である。
だが今回は、親玉もいなければ、取り巻きもいない、たった一体だ。
「ケエエエエッ!」
バジリスクが威嚇の鳴き声を上げ、毒を含んだ爪を振り上げて跳躍した。
以前ならば、その俊敏な動きに翻弄されたかもしれない。
だが。
「《ローズ・ウィップ》!」
「《フリーズ・ショット》!」
「《オーラ・ナックル》!」
三人の連続攻撃がバジリスクに命中し、断末魔すら上げられず、魔物は沈黙した。
遭遇から決着まで、わずか数秒、完璧な連携だった。
「ふぅ、こんなもんか」
アグニが拳をパンパンと払い、余裕の笑みを浮かべる。
「あんなに苦戦したのが嘘みたいだナ。アタシら、確実に強くなってるゾ」
「……まあ、悪くない動きだったな」
ヨシュアも短く評価する、その口元は僅かに緩んでいた。
個々の能力向上もさることながら、お互いの呼吸が完全に合ってきている、それが何よりの成長の証だった。
シャロはいつもの通り、バジリスクから減ってきたミルクや油、砂糖にポーションを補給すると、先に進むのだった。
***
しばらく歩いていると、遺跡の奥で下層へと続く螺旋階段を見つけた。
「おっ!あったゾ!次の階への通路ダ!」
アグニが目を輝かせて駆け寄る。
薄暗い階段の奥からは、今までとは違う、湿り気を帯びた風が吹き上げてきていた。
「やっと砂漠エリアとおさらばカ!次はどんな所なんだろうナ?森カ?火山カ?」
「ふふ、次はね……アグニもきっと驚くよ」
シャロが意味深に微笑む。
彼女には記憶がある。この先に広がる光景を。
「……匂いが変わったナ。これは、潮の香りカ?」
鼻の利くアグニが眉をピクリと動かした。
アグニは期待と緊張を胸に、長い階段を下りていった。
しばらく歩いていると、暗い通路の先に強烈な光が見えてきた。
眩しさに目を細めながら、三人は出口へと踏み出した。
「うっわああああっ……!!」
アグニの歓声が、空間いっぱいに響き渡った。
そこは、地下ダンジョンの中だとは到底信じられない世界だった。
頭上には、抜けるような青空と、白い入道雲。
そして目の前には、水平線の彼方まで続く、キラキラと輝くエメラルドグリーンの大海原が広がっていた。
第五層、大海原エリア。
寄せては返す波の音。
頬を撫でる風には、確かに潮の香りを含んでいる。
白い砂浜が弧を描き、ヤシの木に似た植物が風に揺れていた。
「すっげぇ!海だ!海だぞシャロ!ヨシュア!」
アグニが砂浜を駆け回り、靴のまま波打ち際でバシャバシャと水を蹴り上げる。
砂漠の乾ききった世界から、水に満ち溢れた世界へ、その開放感は筆舌に尽くしがたい。
アグニはしばらく喜んでいたが、やがて1つの問題にぶち当たった。
「……でも、ここを一体どうやって渡ればいいんダ?泳ぐのカ?」
アグニの言葉通り、砂浜はすぐに途切れ、その先は一面の海だった。
対岸など見えない。
あるのは、点在する小さな岩礁や小島のみ。
「バカ言え。こんな大海原、泳いで渡ったらいずれ力尽きて溺れ死ぬぞ。それに、海中にはどんな魔物がいるかわからない」
ヨシュアが即座に否定した。
大きな荷物を持つ冒険者が遠泳など自殺行為だ。
「じゃあどうすんだよ?船でも作るか?」
「それも一つの手だが、時間がかかる。だから、魔法を使う」
ヨシュアは杖を掲げた。
「ダンジョンには水没したエリアも多い。それ故に、探索を主とする魔術師は、この環境に適応するための魔法を習得することが必須なんだ、『水上歩行』と『水中呼吸』のな」
ヨシュアが静かに詠唱を開始する。
複雑な魔言と共に、杖の先から淡い青色の光が溢れ出し、三人全員を包み込んだ。
「《マリンウォーク》」
光が身体に馴染んで消えると、ヨシュアは何食わぬ顔で海面へと足を踏み出した。
チャプン、という音と共に、ヨシュアは海の上に「立った」。
「ええっ!?立った!?」
「これが水上歩行の魔法だ……ほら、お前らも来い」
ヨシュアに手招きされ、アグニが恐る恐る足を出す。
爪先でツンツンと水面をつつく。
沈まない。
意を決して体重を乗せる。
まるでウォーターベッドの上に乗ったような、少しボヨンとした感覚と共に、アグニの巨体が水の上に立った。
「うおおおおっ!立った!アタシが海の上に立ってるゾ!すっげええええっ!」
アグニが大興奮でその場でジャンプする。
着地のたびに水面が大きく波打つが、決して沈まない。
「いやー、ヨシュアは凄いナ!こんなこともできるのカ!」
「……これくらい普通だ。それより、この『水上歩行』の効力は約一日だ、絶対にはぐれるなよ」
ヨシュアは一呼吸入れると、シャロに目を向ける。
「さて、シャロ、どっちに進めばいい?」
シャロはリュックからコンパスを取り出し、方位を確認した。
彼女の脳内地図と照らし合わせる。
「あっちだね、北北東の方角に次の階層に向かう島があるはずだよ」
「よし、行くぞ」
こうして、三人は大海原への一歩を踏み出した。
***
海上散歩は、予想以上に快適だった。
足元は透き通るようなコバルトブルー、頭上には眩しい太陽。
頬を撫でる風は心地よく、灼熱地獄だった四層と比べれば天国のような環境だ。
「うーん!最高だナ!」
アグニは子供のように海を走ってははしゃいでいる。
「……まったく、落ち着きのない奴だ」
ヨシュアは呆れたように肩をすくめたが、その表情は柔らかい。
シャロは二人の様子を微笑ましく見つめながら、ヨシュアに歩み寄った。
「ありがとう、ヨシュア。本当に助かったよ。ヨシュアがいてくれなかったら、ここは絶対に通れなかった」
「俺も……お前がいなかったら、到底戦力が足りなかった。お前の食事のおかげで、魔力回路の調子も随分いい」
「アグニはどう?」
「……まあ、あいつもな」
ヨシュアはボソリと付け加えた。
「あいつも、戦力としては悪くない。馬鹿だが、あの怪力と体力は優秀だ……戦力に加えてやってもいい」
「ふふ、素直じゃないんだから」
「うるさい」
シャロがクスクス笑うと、ヨシュアはそっぽを向いた。
平和な時間。
しかし、ここはダンジョンだ。平和は長くは続かない。
ザザザッ……
足元の海面下から、不穏な気配と水音が伝わってきた。
「……来るッ!二人とも、足元!」
シャロの叫びと同時に、海面が爆発した。
バシャァァァッ!!
白い水しぶきと共に飛び出してきたのは、一匹や二匹ではない。
鋭利なナイフのような牙をびっしりと並べた、体長一メートルほどの巨大魚の群れだ。
キラーファング、集団で獲物に食らいつき、骨まで食い尽くす海のピラニア。
「うおっ!?魚が飛んできた!」
「迎撃しろ!」
アグニが反射的に裏拳で一匹を叩き落とす。
ヨシュアも氷の礫を飛ばし、空中の二匹を撃ち抜く。
だが、敵は海の中にいる。
次々と水中からミサイルのように飛び出しては噛みつき、また海中へと戻っていくヒット・アンド・アウェイ戦法だ。
「くそっ、手が出せねぇ!潜りやがった!」
海中を見れば、数十匹のキラーファングが旋回し、次なる波状攻撃の機会を窺っているのが見える。
「ヨシュア!私の『水上歩行』を解除して!」
「……なるほど、わかった!」
ヨシュアはすぐさまシャロの意図を察したようだ。
シャロは背負っていたリュックをアグニに向かって放り投げた。
「アグニ、荷物お願い!」
「お、おう!」
アグニが荷物を受け取った瞬間、ヨシュアが指を弾いた。
シャロを包んでいた青い光が霧散する。
ドボンッ!
足場を失ったシャロの身体が、海中へと吸い込まれた。
冷たい海水が全身を包み込む。
だが、苦しくはない。
進化した『マリンバロメッツ』の肉体は、水を拒絶するのではなく、受け入れた。
エラ呼吸への切り替え、ヒレの展開。
シャロは目を見開いた、水中での視界はクリアだ。
「思った通り、思い通りに動ける!」
シャロは尾ひれを一閃させた。
水を得た魚、まさにその言葉通り、彼女の機動力は爆発的に向上した。
水の抵抗を感じさせない流線型の動きで、キラーファングの群れへと突っ込む。
「《ローズ・ウィップ》!」
シャロの両腕から、無数の茨が伸びた。
それは海蛇のようにうねり、キラーファングたちを次々と串刺しにし、あるいは捕縛して締め上げる。
捕食者だったはずの魚たちが、突然現れた上位捕食者に恐慌状態に陥る。
襲い掛かってくる個体を、シャロは驚異的な遊泳速度で避けては茨で串刺しにする。
だが、全方位からの包囲攻撃に、シャロ一人では手が足りない。
「くそっ、数が多い!」
四方八方から迫る鋭い牙、その時、海上から、青白い光の槍が降り注いだ。
ヨシュアが氷魔法で敵の密集地帯へ正確無比な爆撃を行っているのだ。
「ナイス援護、ヨシュア!」
凍りついた魚たちが浮き上がっていく。
包囲網が崩れた。
シャロは残党を茨で一網打尽にし、最後の一匹を気絶させた。
戦闘終了。
シャロが海面から顔を出すと、そこにはプカプカと浮かぶ大量のキラーファングの死体と、呆然とするアグニの姿があった。
「ぷはっ!……ふぅ、片付いたよ」
「す、凄いなお前ら……アタシ、荷物持ってただけで何もできなかったゾ」
アグニが情けなさそうに耳を垂れる。
海の上では強靭な格闘家もただの荷物持ちだ。
「この環境じゃ仕方ないよ。戦士系には相性最悪だもの」
シャロは再び水上歩行をかけてもらい、海の上に上がった。
濡れた身体をブルブルと振って水を切る、鱗の肌は水切れが良い。
「それより魔物を倒したって事は、飯の時間だナ!」
ワクワクとアグニが身体を揺らす。
しかし、ヨシュアが周囲を見回して眉をひそめる。
「お前馬鹿か?海の上でどうやって食事にするんだ?足場もない、火も焚けない、少しは考えろ」
「ぐぬぬ……でも確かにそうだナ……」
「ふふ、大丈夫、それは考えがあるんだ」
「えっ?」
シャロはウィンクすると、浮いているキラーファングの死体の一つを引き寄せた。
そして、手を触れて魔力を流し込む。
ただし、今回は食材を生やすのではない。
死体を苗床にして生えてきたのは、巨大なハスの葉だった。
直径三メートルはあるだろうか、分厚く、頑丈な葉が、海面に大きく広がった。
「なるほど、これを土台にするって訳か」
「そう。これなら安定してるし、火も使えるよ」
「流石だナ!シャロ!」
三人はハスの葉の上に乗り移った。
多少揺れるが、ヨシュアの水上歩行よりも安定感があり、座り込むこともできる、即席の船の完成だ。
そして、シャロは周囲に浮いている戦利品を回収し、ハスの葉の上に積み上げた。
「今回は何を作るんだ?野菜か?果物か?」
アグニが興味津々で覗き込む。
「ううん、今日は私の『新しい力』を試してみようと思うんだ」
「新しい力?また新しいものを生やせるようになったのか!?」
「……マリンバロメッツ、ってことは、まさか」
ヨシュアが何かを察して目を見張る。
シャロは深呼吸し、積み上げたキラーファングの山に両手を置いた。
イメージするのは植物の実りではなく、命の躍動。
魔力が奔流となって死体に流れ込む。
すると、死体から芽が生え、太い幹となり、枝を広げた。
ここまでは普通だ。
だが、その先に実ったものは果実ではなかった。
ピチピチッ!
幹の先端に実ったのは、銀色に輝く魚たちだった。
清流の女王『ヤマメ』、香魚と呼ばれる『アユ』、そして鮮やかな虹色の『ニジマス』。
それらが、まるでとうもろこしのように幹の先に実り、元気に尾を振っている。
「うおぉぉぉっ!?さ、魚が生えてきたゾ!?」
アグニが腰を抜かしそうになった。
「卵が生えてくる以上にとんでもない光景だな……植物から魚が実るとは、図鑑で読んだことはあったが、実物を見ると理性が拒絶反応を起こしそうだ」
ヨシュアも頭を抱えている。
だが、シャロは満足げに魚をもぎ取った。
「大成功!マリンバロメッツなら、魚が生やせると思ったんだ!」
ピチピチと跳ねる新鮮なアユを手に、シャロは調理を開始する。
「で、今日はこれで何を作るんだ?鍋か?フライか?」
「それもいいけど、新しい食材を生やせるようになったら、まずはシンプルに焼いて素材の味を確かめるって決めてるんだ」
「焼くのか!それも美味そうだナ!」
シャロは早速魚の手当を始めた。
まずは鋭い葉で腹を裂いてワタを取り除き、血合いを綺麗に洗う。
そして、リュックから竹串を取り出し、魚に刺す。
この時S字に刺すことで、焼いた時に身が縮んで崩れるのを防ぐ事ができる『うねり串』と呼ばれる技法だ。
アユとヤマメに化粧塩を施し、全体に軽く塩を振る。
そして焚き火を起こし、串に刺した魚を焼いていく。
炭火の熱がじわじわと魚を炙っていく。
チリチリ……という音と共に、魚の皮が焼け、脂が滴り落ちて火に当たると、ジュッという音と香ばしい煙が立ち上る。
「くぅぅぅ……!たまんない匂いダ!」
アグニが喉を鳴らす。
ただ魚を焼くだけ、調味料は塩のみ。
だが、その原始的な調理法こそが、最も食欲をそそることを彼女らは知っている。
皮がパリッと黄金色に焼け、身がふっくらとしてきたら完成だ。
「はい、焼き上がったよ!」
シャロが串を手渡すと、アグニは熱さも構わずにかぶりついた。
「いっただっきまーす!」
ガブリ
パリッという皮の音、そして中から溢れ出す熱々の身と脂。
「熱っ!うまっ!……んん~っ!!」
アグニが天を仰いだ。
「身がふわっふわダ!皮がパリパリで、塩加減が絶妙で……噛むと脂がジュワッと出てくるゾ!ダンジョンでこんな美味い魚が食えるなんて!」
「ああ、本当に信じられないな……こんな事ができるのは、俺達だけなんじゃないだろうか?」
ヨシュアも上品に、しかし止まらない勢いで食べている。
ニジマスの濃厚な旨味、ヤマメの野性味あふれる味わい。
三人はハスの葉の上で、潮風に吹かれながら焼きたての魚を堪能した。
「芋に野菜に果物、魚まで食べられるようになるなんテ……お前、そのうち牛や豚も生やし始めるんじゃないカ?」
「あはは、バロメッツ種にはそういうのも居るから、もしかしたら可能性はあるかもね」
「ステーキの木ができるなら大歓迎だゾ!」
「肉か……それはいいな」
シャロが悪戯っぽく笑うと、アグニが笑い飛ばす。
ヨシュアもなんだかんだで乗り気だった。
大海原の真ん中、ハスの葉の上の宴。
満腹になった三人の顔には、冒険の疲れなど吹き飛んでいたのだった。
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