第21食 アップルパイ
日射しが刺す。
灼けた空気は波のように揺れ、足元の砂は歩くたびに乾いた音を上げる。
広がる景色は果てしなく、左右を見渡しても、目に映るのは黄金色の砂丘だけだ。
そんな果てしない砂漠を四人の冒険者が汗だくになりながら歩いていた。
「……はぁ……もう無理……」
ふわふわした耳を持つウサギ獣人の魔女、リリーがぴょこんとした耳をだらりと垂らしながら言った。
「無理と言っても歩くしかないのよ」
金色の髪を持つエルフの魔女、サラがそう返す。
砂漠の光を反射する長い髪は乾ききっており、額には汗が浮いていた。
「くそっ……水筒ももう空だ……」
黒いローブを着た魔術師ダリルは水筒の水を飲もうとするが、中身が無い事に悪態をつく。
「魔法で水を出すことはできないのか……?」
そう問いかけたのはエリオット。
白い法衣を纏った神官で、少し年上で落ち着いた顔立ちだが、今はその表情にも焦りが滲んでいる。
「無理よ、魔法の水は飲んでも意味ないし、飲みすぎると魔力中毒で腹を壊すわ。だからダンジョン内での水源が大事なのよ……」
「そううまくは行かんか……」
「ていうかさ!何でコンパスがあって迷うのよ!!」
リリーが耳をぴょこんと立てた。
ダリルの手には、小さな金属製の円盤、魔導コンパスが握られている。
ダリルが肩で息をしながら、説明するように口を開く。
「魔導コンパスは“方角”は示すが、“ダンジョンの出入口の方向”までは保証しない。どちらが東で、どちらが西かは分かっても、出口がどこかは分からない。今の俺たちは四層の中をさまよっているだけだ」
「な、なんでそんな不親切な仕様なのよ……!」
「ダンジョンだからだよ。そもそも親切なほうが不自然だ」
エリオットが神妙な顔で周囲を見渡す。
「ポーションも尽きた。食料も底だ。早く戻らないと本気で危険だぞ……このままでは砂漠に飲まれる」
四人の足取りがさらに重くなる。
サラは目を細め、遠くの砂丘をぼんやり見つめた。
陽炎で揺れる景色は、まるで世界そのものが蜃気楼に溶けていくかのようだった。
「本当に……出口どこにあるのよ……」
「文句言っても始まらん」
エリオットは汗を拭いながら言う。
「もう少し歩けば何か変わるかもしれない」
「希望的観測じゃん……」
「希望がなきゃ死ぬだけだ」
返す言葉もなく、リリーは耳をしょんぼりと垂らした。
四人が再び黙って歩き始めた時──
風が吹いた。
乾いた砂を巻き上げる細い風。
四人は思わず腕で顔を覆う。だが同時に、ダリルがふと顔を上げた。
「……みんな、何か居るぞ!」
そう言った直後、四人が動きを止めた。
魔術師特有の鋭敏な感覚が背筋に走り、みんなは素早く周囲を見渡す。
ピリッと、肌を刺すような感覚が砂漠の空気に混じる。
次の瞬間、砂煙の向こうから黒い影が、いくつも浮かび上がった。
長い尻尾、揺れる巨大な鋏、黒く光る甲殻、左右の眼は赤く燃えるように輝く。
「スコーピオン……!」
サラが凍りついたように呟いた。
「よりによって、こんな時に……!」
姿を現したのは巨大なサソリの魔物、スコーピオンの群れだった。
その数、十いや、二十は居る。
砂丘の向こうから次々と影が湧き出し、砂を巻き上げながら迫ってくる。
「来る……ッ!みんな構えろ!」
スコーピオンの群れがどんどんと突進してくる。
砂煙が竜巻のように舞い上がり、視界を覆っていく。
「《フレイムランス》!」
まずはダリルが先手を切る。
ダリルの手元に現れた炎の槍が一直線に走り、突進してきたスコーピオンを貫く。
「《ウォーターカッター》!」
サラが杖を振り、水の刃を生み出す。
乾いた砂漠の空気を切り裂き、スコーピオンの尾を斬り飛ばす。
「《ダークジャベリン》!」
リリーの杖先から闇色の槍が次々と飛び出し、突進してきたスコーピオンの甲殻を外側から砕いた。
「《ホーリーバースト》!」
エリオットの光魔法が四方に展開し、まばゆい光の波がスコーピオンたちを焼き尽くす。
四人の攻撃が次々と敵に命中し、ダメージを蓄積させていく。
一見すると、四人の圧倒的優勢。
だが、スコーピオンの群れは、倒しても倒しても現れる。
砂の下から湧くように、影が次から次に姿を見せていた。
「くそ……きりがない……!」
ダリルが額の汗を拭う。
「でも、やるしか──」
リリーが言い、再び魔法を放つ。
しかし
「くっ……もう魔力が無い……!」
リリーは疲れたように耳が垂れ肩で息をする。
「わ、私も……もう空っぽ……」
続いてサラも魔力が空になる。
「くそっ……俺もだ!」
続いてエリオットも。
彼の表情にも苦悶が走る。
「どうやら……俺もだ……!」
そして頼みの綱のダリルまでも。
額に汗を大量に浮かべ、足元がよろめいていた。
四人が同時に魔力切れを起こすという最悪の事態が、ついに訪れた。
魔術師は強大な力を使える反面、魔力量の消耗が激しい。
魔力が尽きた魔術師はただの人間、戦闘力ゼロも同然。
「嘘でしょ……こんな時に……!」
リリーの声が震える。
だが、スコーピオンは容赦なく迫ってくる。
尻尾の毒針が砂を叩き、鋏が大きく広がり、巨体の影が四人を覆った。
「くっ……!」
ダリルが杖を握りしめる。
「魔力がなくても……戦うしか……!」
エリオットが前へ出る。
「無茶よ、エリオット!」
サラが叫ぶ。
「それでも……!」
四人は絶望的な状況の中、震える手で杖を構えた。
死を覚悟するほどの緊迫した一瞬。
スコーピオンが一斉に跳びかかる。
砂が爆ぜ、巨大な影が四人に覆いかぶさる。
その瞬間。
サアアアアッ
青々とした“葉”が無数に舞い上がった。
風に乗って飛び、鋭利に尖った葉が雨のように降り注ぐ。
「ギイイイイイッ!!」
跳びかかってきたスコーピオンの甲殻を切り裂き、尾を斬り落とし、鋏を断ち、次々と砂へと沈めていく。
四人は呆然と立ち尽くした。
「今のは……?」
「助かった……のか……?」
スコーピオンの群れがざわめき、怯えたように方向を変える。
葉を飛ばしてきた方向へと四人が視線を向けると、砂丘の上に、二つの影が立っていた。
ひとりは透き通った翠の髪を風になびかせる少女、シャロ。
もうひとりは炎のような赤い髪をし、戦士のように堂々と立つアグニ。
「冒険者……?」
サラの声がかすれる。
「まだ残ってる。片づけるよ、アグニ!」
「おうヨ!」
スコーピオンが咆哮する。
今度はシャロとアグニへと標的を変え、一斉に突進していく。
最初の一体が跳びかかる。
アグニは後ろへ一歩下がり、拳を固めた。
「遅いゾ!」
拳が甲殻を叩き割り、スコーピオンの巨体が吹き飛ぶ。
一体、二体、三体。
アグニの拳が砂漠に轟くたび、スコーピオンが砕け砂に沈んでいく。
同時にシャロは手を広げた。
腕から伸びた茨が生き物のように蠢き、鋭く尖った先端でスコーピオンを叩きつけ、尾を絡め取って地面に叩きつける。
四人はただ呆然と見ているしかなかった。
残ったスコーピオンは二人の手によってあっと言う間に全て倒されたのだった。
砂煙が収まり、静寂が戻る。
倒れていたスコーピオンの残骸を見つめ、次にシャロを見つめ……そしてヒソヒソ声で囁き合う。
「……あれ、アルラウネじゃない?」
リリーが声を潜める。
「いや、でも……魔物が人間を助けるわけないでしょ……?」
サラが眉を寄せた。
「魔物に似てるが人間だろう……」
ダリルもシャロを見る。
「どちらにしても、敵だったら……俺たちは今ごろ死んでる」
エリオットは額の汗をぬぐいながらぼそっと言った。
シャロは砂の上を軽く駆け、倒れた四人の前にしゃがむ。
「大丈夫?怪我はしてない?」
その声は驚くほど優しくて、どこか森の風みたいに柔らかかった。
「えっ……あ……だい、大丈夫……です……助けてくれて……ありがとう……」
サラが驚いた顔で答える。
他の三人も立ち上がり、次々に頭を下げた。
「恩にきる、助かった」
「命の恩人だよ……」
「ありがとな……」
四人はまだ信じられない表情で、ちらちらとシャロの顔とアグニの顔を見ていた。
(喋ってるってことは、やっぱり人間だな……)
(そうね……魔物は喋れないわ)
(少なくとも、敵じゃなさそうだ……)
(紛らわしい恰好してるわね……)
そんなヒソヒソ声をよそに
ぐぅぅぅ~~~~…………
砂漠の静寂に、四人の腹の音だけが高く響いた。
「うぅ……恥ずかし……」
リリーが顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。
「もう……限界……」
サラの声はかすれていた。
「腹減った……」
エリオットが座り込む。
「すまない……助けてもらったばかりで悪いが……食料と水……それに可能ならポーションも……売ってもらえないだろうか……?」
ダリルが申し訳なさそうにシャロに声をかけた。
「わかった、作るから待ってて」
「……作る?」
四人は同時に呟いた。
作る?この砂漠で?食料を?どうやって?
魔術師四人は顔を見合わせる。
(え、まさか料理の材料を持ち込んでるって言うのか?)
(ダンジョンで料理……?どれだけ変人なの?)
(浅い階層ならまだしも、ここはもう四層よ?)
(いや、でもなんかそんなふうじゃなさそうだぞ?)
そんな疑問を抱える四人のすぐ目の前で、シャロはスコーピオンの死骸を集め、その真ん中にしゃがみ込んだ。
「まさか、魔物を食べようとするんじゃないだろうな……?」
ダリルが疑念を抱く中、シャロがそっとスコーピオンの死骸に手を置く。
その瞬間、スコーピオンの硬い甲殻を突き破り、青々とした芽が伸びた。
「は……?」
魔術師たちの視界が一瞬理解を拒む。
芽は一瞬で成長し、小さな木を形成する。
その枝にありえないほど大きな果実が実った。
リンゴに卵、そして黄金色の小麦の穂。
「「「「…………………」」」」
四人は口をぱくぱくさせるしかなかった。
(果物に卵に小麦を生やす魔法!?)
(あんな魔法、聞いたことある……?)
(少なくとも魔物から生やす魔法なんて聞いたことが無いわよ!)
(今から作るって、こういう事か……)
アグニは後ろでケラケラ笑っている。
「何回見ても面白いナ!これ!」
そんな混乱の中、シャロは静かに話し始める。
「ねぇ、代金の事なんだけど、代わりにコンパスを貰ってもいいかな?」
「……コンパス?」
「ダンジョンの途中で……荷物全部紛失しちゃったんだ。だからコンパスも無いんだ。この砂漠の階層を抜けるためにも、コンパスが必要なんだ」
四人は顔を見合わせた。
最初に口を開いたのはダリルだった。
「……なるほど。事情は理解した。こちらも助けてもらった以上、これ以上ない礼をしたい。コンパスなら、予備がある。それを渡そう」
シャロは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ、取引成立だね」
四人は座り込んだまま、シャロの一挙手一投足を見つめる。
ここからが、シャロの本領だった。
シャロはまず力を使い、小麦の穂から小麦を外し、すり鉢に集めると、粉に挽いていく。
「あんな魔法も使えるのか……!」
四人が混乱している中、シャロは淡々と作業を続けた。
小麦粉を挽くと、卵、油、塩、砂糖、水をそこに混ぜ合わせる。
こね始めると、生地はみるみるまとまり始めた。
生地を布の中で休ませる間に、次にリンゴの準備に取り掛かる。
瑞々しいリンゴを手に取り、手際よく小さく切っていく。
砂糖と油を加え、鍋で煮る。
甘酸っぱい香りが砂漠に広がり、四人の喉がごくりと鳴った。
「やば……いい匂い……」
「魔物の死骸から出てきたとは思えないな……」
「美味しそう……」
「腹減った……」
四人の目は完全に料理に釘付けだった。
生地が休まると、麺棒で伸ばし、フォークで穴を開ける。
そこに煮込んだリンゴを丁寧に詰め、残った生地を細長く切り、格子状に編んで蓋にした。
そして、鍋の中に入れ、じっくり、じっくり焼き上げた。
甘い香りが風に乗って広がり、四人の意識が食欲に塗りつぶされる。
そして
「できたよ!」
シャロが取り出したのは、黄金色の輝きを放つアップルパイ。
表面はサクサクに焼け、バターのような香りとリンゴの甘酸っぱい匂いが立ち昇る。
砂漠とは思えない、まるで高級菓子店の一品だった。
四人は固まったまま、言葉を失っていた。
「……これ、本当にダンジョンで作ったのよね?」
サラは呆然としたままパイを覗き込んだ。
「砂漠でアップルパイなんて前代未聞だぞ……」
エリオットが乾いた声を漏らす。
ダリルもリリーも、何か幻でも見ているかのようにパイをじろじろと観察していた。
「さぁ、冷めないうちに食べよう」
そんな4人の反応を見ながら、シャロは淡々と言う。
「うう……おいしそうだゾ!早く切り分けてくレ!」
アグニがヨダレを拭いながら身を乗り出す。
シャロはパイを6等分すると、焼きたての湯気がふわりと立ちのぼり、リンゴの甘い香りがさらに強くなる。
砂漠の乾いた空気にその香りはあまりにも眩しく、食欲を刺激してやまなかった。
さらにシャロはミルクを6つのカップと器に注いでいく。
「じゃ、食べよっか」
アグニは待ちきれないとばかりにパイを両手で掴む。
「いただきまーす!」
そのまま豪快にかぶりつくと
「うまっ!!んっま!!凄いゾ!サクサクだゾ!!」
アグニの顔が一瞬で花開くように輝いた。
四人の冒険者はその食べっぷりに驚きつつ、そっとパイを手に取る。
サクッ
驚くほど小気味よい音が砂漠の静寂に響いた。
かじったサラの目が丸くなる。
「……っ!おいしい……!」
「ほんとだ……サクサクしてるのに、中はとろとろだ……」
エリオットも目を見開いた。
リンゴは甘みが強く、それでいてしつこくない上品な酸味があった。
舌の上にとろけるように広がる食感と香りは、魔物の死骸から生まれた食材だとは到底思えない。
リリーは涙ぐみながら噛みしめる。
「うう……本当に死ぬかと思ったわ……空腹と……スコーピオンの群れで……でも……生きててよかった……」
ダリルも深く息を吐いて声を震わせた。
「すごい……今まで旅の中で色んな料理を食べてきたが、これほど幸福感のある甘さは初めてだ……」
甘いパイを飲み込んだ後、ミルクを飲む。
「凄いなこのミルク……濃厚で美味い……」
喉を潤した4人は、思わず目を閉じて天を仰いだ。
「あぁ……生き返る……力が湧いてくるようね……」
サラが胸を押さえる。
「乾いた身体に染みわたるな……」
エリオットも喉を撫で下ろす。
四人は空腹と乾きから解放され、ゆっくりと息を整えた。
「シャロ!おかわり!」
あっと言う間にパイを平らげたアグニが、まだまだ足りないとばかりにお代わりを要求する。
「あ……じゃあ私もお願いできるかしら?」
「じゃあ俺も……」
「俺も!」
「わ、私も!」
アグニにつられて4人の冒険者もお代わりを要求する。
「はーい。すぐ作るから待っててね」
それをシャロは笑顔で返事を返すと、再びパイを作り始める。
作る音と食べる音だけが静かに響き、それ以外の会話はしばし途絶えるほど、皆が食事に集中していた。
やがて食べ終わり、満足そうに息をつく。
「これだけの料理に……ポーションまで貰ったんだ。代金は本当にコンパス1つでいいのか?」
ダリルはシャロからポーションを受け取ると、真面目な表情で尋ねた。
「構わないよ。今の私たちにはコンパスが一番必要だから」
シャロは穏やかに答える。
「……そうか。なら言葉に甘えさせてもらうよ」
ダリルは丁重に頭を下げ、自分の荷物の中から予備の魔導コンパスを取り出して手渡した。
「取引成立だナ!」
アグニが満面の笑みを見せる。
四人は深々と礼を言った。
「本当に……助かったわ。命を救われて、さらにここまでしてもらって……」
サラが瞳を潤ませる。
「俺たちは、今日ここで死んでもおかしくなかったんだ……感謝してもしきれない……」
エリオットも頭を垂れる。
「情けは人の為ならず、だよ」
シャロは笑って首を振った。
「さて、俺達はそろそろ行くよ。本当にありがとう」
ダリルが立ち上がり、四人の魔術師達はその場を立ち去ったのだった。
「本当にオアシスみたいな体験だったわね。甘いパイに甘いミルク……」
サラが笑って言う。
「天国かと思ったよ……いや、本当にそんな気分だった」
エリオットが笑いながら肩を落とす。
「さて、満腹のうちに……お腹がすく前に脱出しないとね!」
リリーが気を引き締める。
「ああ!」
ダリルが相槌を打つと、四人の魔術師は広大な砂漠を再び歩き始めるのだった。
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