第2食 ポップコーン
重く湿った空気の中、剣がぶつかり合う音が響いた。
四人のパーティが鷲の頭に獅子の胴を持つ魔物、グリフォンと戦っている。
鋭い鉤爪が岩肌を削り、巨大な翼が起こす突風が砂塵を巻き上げる。
その咆哮だけで、鼓膜が震えるほどの圧力があった。
グリフォンの攻撃にエミルが即座に反応する。
その巨体が弾かれるように動き、盾を構えた瞬間――金属を焼くような衝撃音。
グリフォンの爪が盾を裂き、火花が散った。
「ぐっ……!だが、まだだ!」
エミルの脚が沈む。
だが、そのまま全身の力を込めて、剣を下から突き上げた。
獣の腹に刃が沈み、黒い血が飛び散る。
「《インフェルノ・フレイム》!」
ヨシュアの冷たい声が響くと、後方で魔法陣が輝いた。
赤い紋が空気に刻まれ、次の瞬間、轟音と共に閃光が走った。
グリフォンの背に爆炎が炸裂する。
羽が焼け、獣が苦痛の声を上げた。
焦げた羽毛が雪のように舞い落ちる。
「はあああっ!!」
暴れるグリフォンの動きを避けながら、シャロが素早く懐に潜り込む。
その姿はさながら手練れの暗殺者のようだ。
そして、そのまま短剣でグリフォンの身体を切り裂く。
「《セイクリッド・フォース》全開!」
グリフォンが悲鳴を上げ暴れ回る中、セレナの支援聖魔法が更に力を増す。
白色の光がエミルの身体を包み込み、剣先が白く光る。
「いっけえええええっ!!!」
エミルの咆哮と共に剣が振り下ろされる。
炎と光の中で、刃が一直線にグリフォンの首筋を切り裂いた。
断末魔の叫びが洞窟を揺るがし、やがて巨体が崩れ落ちる。
「やった……!やったよ!」
シャロが喜びの声を上げる。
「ああ、やったな!私達の勝利だ!」
エミルが剣を肩に担ぎ、笑う。
だが、その瞬間。
ゴゥウウウウウッ!!
突然、洞窟の奥が赤く光った。
いや、光ではない、炎だ。
黒い影が、奥の闇を突き破る。
岩壁を砕きながら、巨大な翼を広げて現れた。
「ドラゴン……!?何故こんな所に……!?」
ヨシュアが顔色を変える。
「どうしよう……どうしようエミル!」
セレナの祈りが途切れる。
次の瞬間、灼熱のブレスが放たれた。
視界が真っ赤に染まり、みんなの姿が炎に飲まれていく。
***
ガバッ!
薄暗いダンジョンの中、シャロは跳び起きた。
『嫌な……夢……』
目を覚ましたシャロは、麦わら帽子を軽く押さえながら立ち上がった。
『まずは……顔を洗わなきゃね……』
彼女はふらふらと歩き出した。
少し進むと、昨日と同じ泉が見えた。
ダンジョンの奥にひっそりと湧く水場。
光の反射で青緑色に輝いている。
シャロは膝をつき、小さな手を伸ばして水をすくった。
指先に触れた瞬間、ひんやりとした感覚が伝わる。
ぱしゃり。
顔に水をかけると、眠気がすっと抜けていく。
そして、目の前の水面を見つめ――小さく息を呑んだ。
そこに映っていたのは、やはり“人間”ではなかった。
丸い胴体に、短い手足。
表面は淡い赤茶色で、頭には麦わら帽子。
昨日と同じ――コルンムーメの姿。
『夢じゃ……なかったのね……』
ぽつりと、つぶやく。
昨夜の出来事が、すべて夢だったらどんなに良かっただろう。
ドラゴンの炎、仲間との別れ。
そして、自分が“死んだ”瞬間の記憶。
あの痛みも、恐怖も、今も鮮明に覚えている。
それでも、生きている――いや、“生まれ変わっている”。
シャロは顔を上げた。
水に映る自分の姿をもう一度見つめ――その小さな胸に、決意を宿した。
『……とにかく、強くならないと。みんなに追いつくために!』
昨日、角ウサギを倒した。
それが自分の新しい第一歩だった。
植物の魔物としての力、ツタの操作、作物を実らせる能力。
それをもっと使いこなせば、今よりも強くなれるかもしれない。
ただ、焦ってはいけない。
コルンムーメは下位の魔物だ、素早さも攻撃力も高くない。
それでも工夫次第では生き延びられる。
シャロは洞窟の中を見渡した。
緑の苔が壁に点在し、湿った空気の中に微かに植物の匂いが漂っている。
遠くで小さな生き物の足音が響いた。
彼女は軽く伸びをすると泉のそばを離れた。
ふらふらと洞窟の通路を進む。
岩肌に手を当てながら慎重に歩く。
『とりあえず、これから何をするか考えないと』
まず考えるべきは行動の方向性だった。
下層へ降りるか、あるいは戻るか。
けれど、そのどちらも現実的ではない。
角ウサギ一匹にあれだけ苦戦した。
あの戦いの途中、ツタを出すのにどれほど集中力を使ったことか。
魔力の流れを感じることはできるが、それを魔法に変える術式はない。
つまり、今の自分は力も技もない下級魔物。
そんな状態で、下層の魔物たちに挑めばどうなるかは火を見るより明らかだった。
戻ると言う選択肢も無い。
恐らくここは入口近くだろう、戻ろうと思えばすぐに戻れるハズだ。
しかし、今の自分は魔物の身、言葉を喋る事も出来ない。
他の冒険者と出会ってしまったら、即座に討伐されてしまうだろう。
仮に運よく街に戻れたとしても、騎士や冒険者を呼ばれ、討伐される事には変わりない。
『だったら……ここで頑張るしかないか』
前を向く。
幸いこのダンジョンには泉があり、水の心配はない。
それに、昨日のようにとうもろこしを“生やす”こともできる。
食料にも困らない。
少なくとも、当面は生きていける。
街に戻る必要はなさそうだ。
そして、狙いは昨日決めた通り、進化する事。
この弱々しい体を、より上位の存在へと成長させる。
そうすれば、きっと強くなれるだろう。
魔物の進化には多くの戦闘経験が必要だという。
危険だが、それしか道がない。
逃げてばかりでは何も得られない。
小さく息を吐き、ダンジョンの通路へと歩み出す。
しばらく歩いていると、ひんやりとした湿度に、わずかに混じる獣の匂いを感じとる。
『……?』
耳を澄ませる。
洞窟の奥、暗がりの向こうからカツン、と何かが岩を蹴るような音。
間違いない、何かがいる。
シャロは思わず身を低くした。
ツタをそっと地面に這わせ、警戒する。
しばらくして、岩陰からそれは現れた。
丸々とした大きな影。
灰色の毛並みに、赤く光る双眸。
「ギチチ……」
短い鳴き声。
牙をむき出し、背を低くして今にも飛びかかりそうな構え。
『大ネズミ……!』
角ウサギよりも少し強いだけの相手だが、その角ウサギにすら苦戦する今の自分では辛い相手だ。
『気を引き締めないと……!』
シャロは後ろ足を少し開き、両腕――ツタを動かす“感覚の中心”を意識する。
大ネズミが静かに間合いを詰める。
そして――。
「ヂウッ!!」
突進。
その瞬間、シャロは横に飛んだ。
風を切る音が耳を掠め、すぐ横を大ネズミの巨体が通り抜けていく。
『はぁっ……!』
シャロは転がりながら、右手を突き出した。
その指先から、緑のツタが伸びる。
しかし大ネズミは素早く中々捕まえられない。
角ウサギの時とは同じようにはいかない。
シャロの隙を見て大ネズミが飛び込んでくる。
鋭い前歯をぎらつかせ、シャロに噛みついた。
『うぐっ!』
傷口から血の代わりに緑の樹液が流れる。
痛みに耐え、シャロは大ネズミをツタで捉える。
『捕まえた……!』
大ネズミを引きはがし、ツタを思い切り引く。
そして持ち上げる。
大ネズミの体が浮かび上がった。
地面から離れ、宙にぶら下がる。
『やぁあああっ!!』
振り上げて、叩きつける。
ずしんっ!
岩肌が揺れ、砂埃が舞う。
大ネズミが呻き声を上げる。
再び持ち上げる。
叩きつける。
何度も、何度も。
ずしんっ!!
最後の一撃。
大ネズミの体がぴくりとも動かなくなった。
洞窟に静寂が戻る。
土煙の中、シャロは肩で息をした。
『はぁ……はぁ……』
息を整えながら、倒れ伏す大ネズミを見つめる。
その灰色の毛並みは、今や泥と埃にまみれ、完全に沈黙していた。
『ふぅ……なんとか勝てた……』
シャロは息を整え、自分の傷口を見る。
『やっぱりもう人間じゃなくなったんだなって……』
傷口から血の代わりに樹液が流れ出るのを見て、もう自分が人間でなくなってしまった事を思い知らされた。
『お腹空いた……』
悲しくても、おなかはすく。
シャロは大ネズミに歩み寄った。
その毛皮の下からは、ほのかに温もりが残っている。
昨日と同じように、彼女は手をそっと当てた。
『……さて、今日も、いただきます』
ツタの根が地面に触れ、大ネズミの体を包み込む。
すると、その体から緑の芽が顔を出し、瞬く間に伸びていく。
みるみるうちに蔓が広がり、鮮やかな黄緑の葉が生まれた。
やがて、葉の間からふっくらとした黄金色の実が顔を出す。
それはとうもろこし。
昨日と同じように、シャロはその実を手でもぎ取り、満足げに見つめた。
『今日も、いい出来だね』
胸をなで下ろしながらつぶやく。
『……焼けたら、もっと美味しいんだけどな』
――焼きとうもろこし。
村の屋台で食べた、あの香ばしい匂いと塩の味。
それをふと思い出したのだ。
だが、今の自分には焼く手段がない。
火を起こす道具も、魔法も使えない。
このままではどれだけ頑張っても生のまま食べるしかない。
『火……火かぁ……』
ツタの先で顎をなでるような仕草をしながら考える。
ふと、倒した大ネズミの姿を見た。
毛並みは汚れていて、ところどころに黒ずんだ土がこびりついている。
『そうだ、大ネズミは泥棒ネズミとも呼ばれるぐらい色々なものを集める習性があるって聞いた。探せば何かあるかも……!』
新たな閃きに胸が高鳴る。
シャロは周囲を見渡しながら、慎重に歩き始めた。
大ネズミの通った跡を追う。
地面には小さな足跡と、かじられた骨の欠片。
その先に狭い穴のような隙間を見つけた。
『ここ……かな?』
ツタで慎重に岩をどかす。
すると、奥には小さな空間があった。
小さなと言っても、今のシャロにとっては大きな空間だ。
そこにはまるで人間の部屋のように、さまざまなガラクタが散らばっている。
布切れや紙切れ、枯れ葉や枝、何かの骨、そして……
『あった!火打金!』
火打金として丁度良さそうな金属の欠片が巣にはあった。
少し錆びているが、打ち付ければ鋭い音がしそうな質感だった。
ツタの先でそれを持ち上げ、確かめる。
厚みも形も、ちょうどいい。
『なら、あとは火打石があれば……!』
洞窟の地面には無数の石が転がっている。
しかし、全てが火花を出せるわけではない。
堅く、粒子が細かく、金属を打てば火花を散らすものでなくてはならない。
そんな条件の石を探しながら、シャロは岩場を移動した。
やがて、1つの形のいい灰色の石を見つけた。
角ばった面がいくつもあり、硬度も高そうだ。
試しに金属片を軽く当てる。
カッ、と小さな火花が散った。
『やった……!本当にできた!』
シャロは跳ねるように喜んだ。
火打金と火打石、これで火を起こせる。
小さな魔物の体には似合わない、人間らしい成果だ。
けれど、それだけでは終わらなかった。
火打石を拾った場所の近くで、もうひとつ光るものを見つけたのだ。
白く、ほんのりと光沢を放つ鉱石のような塊。
『これってもしかして……』
舐めてみると、ほんのりと塩辛い。
『間違いない、岩塩だ!』
火と塩、この二つがあれば、料理らしい料理ができる。
そして、ネズミの巣は拠点として活用できそうだ。
シャロの顔に、ぱぁっと笑顔が広がる。
『よし、早速やってみよう!』
まずは自分の力で藁を生やした。
それを地面の中央に並べると、火打石と火打金を構え、慎重に打ちつける。
カチッ、カチッ。
火花は散るが、すぐに消える。
『むぅ……やっぱり慣れない体だと難しいな……』
それでもシャロは諦めなかった。
何度も、何度も打ち続ける。
五回目、十回目――
ついに、乾いた藁の先がオレンジ色に光った。
『ついた!ついた!!』
シャロは慌てて息を吹きかける。
ふう、ふうと、植物の体で息を吐くのは不思議な感覚だ。
それでも、火はゆらりと立ち上がり、藁を飲み込んで広がっていく。
『やったぁ!ついた!』
その炎を見て、シャロは思わず笑顔をこぼした。
洞窟の中で、初めて見る温かな橙色の光。
それは、まるで人間だった頃の記憶を呼び覚ますようだった。
『さて……焼いてみよっか!』
彼女は先ほど実ったとうもろこしをいくつか持ってきて、岩の上に並べた。
その内の一本を火に近づけると、じゅうじゅうと音がし始めた。
甘い香りが洞窟中に広がる。
『うわ……すっごくいい匂い!』
思わずツタの先をぴくぴくと動かしながら、焼き加減を見守る。
焦げ目がつき始めたその時――
『……ん?』
パチン!
突然、粒のひとつが弾け飛んだ。
続けざまに、ポンポンポンッと弾ける音が洞窟中に広がる。
目を丸くしたシャロの目の前で、とうもろこしの粒が次々に白く膨らんでいった。
『なっ……!破裂種だったの!?』
それはポップコーン。
一瞬、呆気に取られたが、すぐに笑いがこみ上げる。
『はは……まさか、こんな偶然があるなんて!』
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
シャロは岩塩を石で削り、さらさらとした粉をポップコーンに振りかけた。
手に取って一口――。
『……おいしいっ!!』
甘さと香ばしさ、塩の加減が絶妙だった。
外はカリッと、内はふわふわ、ちゃんとしたお店にも匹敵する味だ。
『これは絶品ね!』
コルンムーメの顔に幸せそうな笑みが浮かぶ。
しばらく夢中で食べ続け、気づけば山盛りだったポップコーンはあっという間に消えた。
体の奥から温かさが広がり、力が満ちていくのを感じる。
『ふぅ……おなかいっぱい……おいしかった……』
食べることで強くなる、それは魔物の本能。
だが、それを料理として味わうのは、まさしく人間らしい発想だった。
シャロは腹いっぱいになって、満足げに腰を下ろす。
炎がゆらめき、岩肌に橙の光を投げかける。
それを眺めながら、ふとつぶやいた。
『後は……調理器具さえあればなぁ……』
皿、鍋、串――あの頃の当たり前の道具たち。
それが今、どれほど恋しいか。
だが、手に入るはずもない。
『ま、贅沢言ってもしょうがないか』
火を得た。
塩を得た。
それだけでも、この過酷なダンジョンでは奇跡だ。
『うん。この調子で、頑張ろう』
こうしてシャロはまた気合を入れるのだった。
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