第19食 コロッケ
洞窟の奥深くを、シャロとアグニの二人は進んでいた。
湿った空気が肌にまとわりつき、どこまでも続くような暗闇が彼らの背中を飲み込んでいく。
壁の表面は鈍く光り、どこか粘り気を帯びた鉱石が混じっていた。
「……このあたり、さっきよりも道がややこしいナ」
アグニが眉をしかめながら呟いた。
彼女の獣の耳がピクリと動き、左右の道を交互に見比べる。
この階層に入ってからというもの、谷のダンジョンのような開放感や変化のある景観はほとんどない。
ただただ岩と闇。
ときおり遠くで水滴の音が響くだけの、単調な空間が続いていた。
「……谷の時は、景色もきれいだったよナ。風もあって、空気も動いてたしサ」
アグニはあくびを噛み殺しながら、肩の荷物をずらす。
「あと すこし」
「ふあぁ……流石に退屈だゾ……」
「きを ぬかない」
二人は曲がりくねった通路を抜け、幾つかの分かれ道を通り過ぎた。
左、右、真ん中、右から2番目。
そうしていくうちに、ようやく開けた通路が見えてきた。
地面が緩やかに下っていく。
「あとは いっぽんみち」
その言葉を聞いた瞬間、アグニの目がぱっと輝いた。
「マジか!?やっとかよ!」
うんざりした顔が一転、活気に満ちる笑顔になる。
「もう分岐はこりごりダ!行くぞシャロ!」
そう言うが早いか、彼女は足を踏み出し、勢いよく駆け出した。
「アグニ!まって!」
シャロの声が響くが、彼女の足は止まらない。
空気がぐん、と押し返すような圧を帯びてくる。
そして……
「……ん?」
アグニの耳が、ピクリと動いた。
風の流れが、変わった。
奥の方から、何かが近づいてくる。
「気配……!」
背後から、シャロの声が鋭く響く。
次の瞬間、洞窟の奥の暗闇が低い唸り声とともに震えた。
ズシン……ズシン……
地面が踏み鳴らされるたびに、天井の石が小さく落ちる。
重い呼吸とともに、奥の影が大きく揺れた。
やがて、岩壁の陰から姿を現したのは、巨大な牛の頭を持つ、二足歩行の魔物。
太い角が二本、まるで岩のように伸び、全身を覆う筋肉は鉄鎧のように硬そうだ。
手には人間の胴ほどもある巨大な斧。
「……ミノタウロス!」
シャロが低く呟いた。
その声にはわずかな震えが混じっていた。
「ミノタウロス……間違いなくこの階の“ぬし”だナ!」
アグニは拳を構えながら、半歩後ろに下がる。
シャロは目を細め、じっと相手を観察していた。
しかし、その表情の奥には別の感情もあった。
『ミノタウロス……あの時も戦った相手……』
まだ彼女が“人間”だった頃。
シャロは冒険者として、仲間と共にミノタウロスを討伐したことがある。
剣士のエミル、魔法使いのヨシュア、聖女のセレナ。
三人の仲間がいた。
彼女らと共に戦い、何とか倒すことができた、よく覚えている。
『……あの時は、四人だった。今は』
視線を隣に向ける。
そこには、尻尾をゆらりと揺らしながら構えるアグニの姿があった。
他には誰も居ない。
そう、今はアグニしか居ない。
この状況で、果たしてミノタウロスを倒せるのだろうか……?
シャロは小さく息を吐き、両手を構える。
「グオオオオオオッ!!!」
ミノタウロスが雄叫びを上げた。
その声は洞窟全体を震わせ、砂や石がぱらぱらと降ってくる。
「行くぞ、シャロ!」
「うん!」
先手必勝、シャロは腕を広げると、無数の鋭い葉を生み出した。
その一枚一枚が、光を反射して刃のように煌めく。
「はっ!」
彼女が腕を振ると同時に、無数の葉が音を立てて飛び出した。
嵐のように吹き荒れる緑の刃。
しかしミノタウロスは、正面からその葉を防いでいる。
葉は確かにミノタウロスの身体に直撃していた。
だが、その厚い皮膚と筋肉がすべてを弾き返している。
ミノタウロスの身体には、かすり傷ひとつない。
それどころか、怒りを煽っただけのようだった。
「グオオオオ!!!」
咆哮が洞窟に響く。
怒りの衝撃波が風圧となって二人の髪を揺らした。
咆哮とともに、ミノタウロスが巨大な斧を振り上げる。
その一撃はまるで地そのものを割るような重さと速さを兼ね備えていた。
「来るぞっ!」
アグニが叫ぶと同時に、二人は横へと跳ねた。
ドゴオオオオンッ!
斧が叩きつけられた地面が盛大に砕け、岩の破片が四方に弾け飛ぶ。
地面に深々と亀裂が走り、まるで小さな地震が起きたようだった。
「うわ、やっべぇ……!」
アグニが思わず息を呑む。
目の前のミノタウロスは、見るからに筋肉の塊。
それだけでなく、その巨体からは信じられないほどの速度があった。
「あの動き……体格に似合わねぇほど速ぇ!」
ゴォッと空気を切る音。
ミノタウロスが再び斧を振るう。
それを、アグニは紙一重で回避した。
風圧だけで、頬に痛みを感じるほどだ。
「シャロ、あれはヤバいぞ!」
「ぜったいに あたるな!」
ミノタウロスは更に間合いを詰めてくる。
巨体のくせに、動きはまるで獣。
洞窟全体が、足音のたびに震える。
「ならば!」
シャロは再び無数の葉を舞い散らせ、ミノタウロスに向かって放つ。
吹き荒れる緑の嵐。
しかし、やはりミノタウロスには通用しない。
だが、シャロの狙いは“ミノタウロスにダメージを与える事”では無かった。
葉の嵐がミノタウロスの顔を包み込み、一瞬だが“二人の姿を見失った”。
「今ダ!」
アグニが地面を蹴る。
脚の筋肉が爆発的に収縮し、まるで弾丸のように前へ飛び出した。
「おおおおおっ!!!」
拳を振り上げ、魔力を込める。
拳が光り輝き始める。
「食らええぇっ!《オーラ・ナックル》!」
アグニの必殺技がミノタウロスの腹に直撃する。
衝撃波が洞窟の空気を震わせ、岩が軋む音が響いた。
ミノタウロスの巨体が、後方に吹き飛ぶ。
大きな音と共に壁に叩きつけられ、土煙が上がる。
「やったか!?」
「まだ!」
シャロが叫ぶ。
立ち上がるミノタウロスの目が、血のように赤く光っていた。
その怒りは極限に達し、巨体が震える。
「グルアアアアアアアアッ!!!」
再びアグニに狙いを定め、一直線に突進してくる。
速度は先ほどよりもさらに速い。
「あれ食らってまだあんなに動けるのカ!タフだナ!」
アグニが叫び、必死に避ける。
激しい動き、アグニは避けるのに必死で反撃ができない。
だが、ミノタウロスの注意は完全に彼女に向いていた。
その間に、シャロは静かに背後に回り込む。
そして、右腕を構える。
構えた右腕から一本の草が伸びる。
『葉の刃じゃ何枚当てても効果が無い。ならば、力を全てこの草に集中させる……!』
構えた草が鋭く、細く、まるで一本の剣のように変化していく。
『くらえっ!!《リーフ・ブレード》!』
シャロの放った草の剣が、音もなく閃いた。
風を切る鋭い音とともに、緑の光がミノタウロスの背中を走り抜ける。
ザシュッ!!
硬い皮膚を貫き、確かな手応えがあった。
「きいた!」
「グオオオオオオオオオッ!!!」
ミノタウロスが怒号を上げ、暴れ出す。
足を踏み鳴らすたびに、地面が揺れ、岩が崩れる。
今度はシャロに向かって襲い掛かるミノタウロス。
激しく暴れ回り、斧を何度も叩きつける。
「お前の相手はこっちダ!」
だが、シャロに注意が向けば、今度はアグニがフリーになる。
アグニは一気にミノタウロスの所に飛び込み、背中に重い拳を叩き込む。
ドゴォンッ!!
体がぐらついた。
その一瞬の隙を逃さず、背後からシャロがもう一閃。
「はあああぁぁ!!!」
草の刃が横一文字に閃き、ミノタウロスの胸を裂いた。
血が飛び散り、巨体がのけぞる。
「グオオオオオオオオオッ!!!」
怒号が洞窟を震わせる。
そして再び暴れ出すミノタウロス。
だが、シャロに注意が行けばアグニの拳が、アグニに注意が行けばシャロの草の剣がミノタウロスにダメージを与える。
二人のコンビネーションを前に、ミノタウロスは既に二人の敵ではなくなっていた。
「グアアアアアアアアアッ!!!」
ミノタウロスが吠えるが、次第にその声にも力がなくなっていく。
「はあああっ!」
「食らええっ!」
二人の連携に巨体がよろめき、膝をつき、ついにどさりと倒れたのだった。
沈黙が戻る。
土埃の中、二人はしばらく息を整えていた。
「はぁ……はぁ……やったな、シャロ……!」
「うん……たおした……!」
互いに顔を見合わせ、思わず笑みがこぼれる。
「強くなったな、アタシ達」
「うん!」
魔物に転生したばかりのシャロなら、シャロに出会ったばかりの頃のアグニなら、到底この化け物には敵わなかっただろう。
だが今は違う。
二人は確かな強さを実感していた。
アグニは拳を軽く振り、笑う。
「やっぱアタシ達、いいコンビだナ!」
「うん!」
洞窟の中に、二人の笑い声が響く。
「……さて ごはんに しよう」
「そうだナ!腹減ったゾ!」
そう言うと、シャロはミノタウロスの死体に両手をそっと触れる。
すると、彼女の体から淡い緑色の光が広がった。
そして、その光はミノタウロスを包み込むと、芽が出て、成長し、じゃがいも、人参、玉ねぎ、卵、アーモンドが次々と実った。
まずは、じゃがいもの皮をむく。
シャロが器用に手を動かして、つるりと皮を剥いていく。
皮をむき終わると、それらを鍋に入れ、水を注ぐ。
火打石で火を付けると、鍋の水を沸かす。
やがて、水がぐつぐつと音を立て始めた。
その間に、シャロは人参と玉ねぎを取り出し、小さな木のまな板の上で細かく刻み、切った人参と玉ねぎを、次は別の鍋に入れて炒める。
火加減を調整しながら、木べらでゆっくりと混ぜる。
野菜が温まり、じゅうじゅうと音を立てた。
「ああ……いい匂いがしてきたゾ……!」
人参と玉ねぎが透き通り、甘い香りが立ち上る。
ちょうどその頃、じゃがいもも柔らかく煮えていた。
ボウルを取り出し、茹でたじゃがいもを入れる。
木ベラで潰し、ふかふかの状態にする。
そこに炒め終わった人参と玉ねぎを加え、木ベラで全体を混ぜ合わせていく。
温かいじゃがいもの感触と、野菜の香ばしさが混じり合って、たまらなく食欲をそそる香りが広がった。
それをツタを使ってタネを握り、ふっくらとした楕円形に整える。
次に、鍋に油を注ぎ、再び炎にかける。
油がじわじわと温まっていき、やがて小さな泡を立てはじめる。
油を温めている間にタネを小麦粉にまぶし、次に溶いた卵、最後に砕いたアーモンドをまんべんなく付けていく。
タネが完成したら、それを油の中に落とす。
じゅわああああっ……
心地よい音が響き、香ばしい香りが漂う。
金色の泡が立ち、表面が少しずつこんがりと色づいていく。
「おおお、美味そうダ!」
「まだ だめ」
「わかってるっテ!」
焦げつかないよう、時折ひっくり返す。
油ものは特に難しい、生焼けにならないように、焦げないように、注意深く油の中を見る。
パチパチと油が跳ねる。
その音がやがて静かになったとき、シャロが油の中から箸で取り出す。
コロッケの完成だ。
「かんせい!」
大きな葉の上に揚げたてのコロッケを並べる。
黄金色の衣が輝き、湯気がふわりと立ち上った。
「おお!美味そう!もう食べていいよナ!」
「どうぞ!」
「いただきまーす!」
アグニが一つを手に取り、ふーっと息を吹きかけてから、がぶりと噛みつく。
「あっつ!うっまッ!衣はサクサクで中はホクホク!肉が無いのに味が濃くて美味しいゾ!最高ダ!」
「よかった」
シャロも自分の分を一口かじる。
「うん おいしい」
「戦いの後の飯は格別だな!」
「そうだね」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
洞窟の中に、油の香ばしい匂いと、楽しげな笑い声が響いた。
しばらくしてコロッケを食べつくした二人は岩に背を預け、ふぅっと息をついた。
アグニが腹を叩く。
「いやぁ……最高だったナ!それになんだかいつも以上に力が湧いてくる気がするゾ!」
「ふふっ」
シャロは嬉しそうに笑い、目を細めた。
その笑顔の奥に、わずかに不思議な気配が宿っているのをアグニは見逃さなかった。
彼女の体から、微かに光の粒が舞い上がっている。
「……おいシャロ、お前なんか光ってないカ?」
「……え?」
見る間にその光は強くなり、やがて彼女の全身を包み込んだ。
「な、なんだ!?シャロ!?おい!」
アグニが立ち上がり、心配でオロオロする。
何が何だかわかっていないようだ。
だが、シャロはこの感覚を知っていた。
これで三回目、“進化の予兆”だ。
しばらくすると光が収まり、シャロはゆっくりと目を開く。
「……シャロ?」
アグニが驚く中、シャロは急いで近くの湖の所に行く。
自分の姿を確認する為に。
そして、湖で確認した自分の姿、それは、かつてのような、人参やゴボウのような身体ではない。
瑞々しい若草のような髪、花の飾りをまとい、足元に届くほどのスカートのように花弁が重なり合っていた。
透き通るような肌に、顔立ち、体つきは、まるで人間の少女。
「これが……私……?」
シャロは胸に手を当て、戸惑いながら自分の身体を見下ろした。
顔は子供時代の自分の顔とそっくりだった。
頬も、唇も、昔の人間だった頃のまま。
ただし、赤茶色だった髪と目は草原のような鮮やかな緑色へと変わっていた。
そして、髪に混じる花の飾りや、スカートのような花弁が、それが人間ではないことを示している。
だが、言わなければ人間だと間違われてもおかしくないぐらいには人に近い姿となった。
「シャロ!?お前シャロなのカ!!?」
後を追ってきたアグニが問いかける。
「うん!また進化したんだ!」
「進化か!凄いナ!まるで人間みたいダ!一体何に進化したんダ?」
「この姿、十中八九“アルラウネ”に進化したんだと思う」
「アルラウネ……」
アルラウネ、少女に擬態し、森の中で旅人を惑わす植物の魔物。
シャロが限りなく人間に近づいたのも、その性質によるものだろう。
「まさか、また人間みたいに戻れるなんて……夢みたい……!」
シャロは自分の姿を見て、ぽろぽろと涙をこぼす。
もう半分諦めていた“人としての生活”それが、かなり現実的なものとなったのだ。
「よかったな、シャロ」
「うん……!」
シャロは大粒の涙を流しつつも、にこりと笑う。
その表情には確かな希望が見えたのだった。
「そういえばシャロ、お前普通に喋れるようになったんだナ?」
そう、彼女の声は以前のカタコトではない。
流暢で、滑らかに、ちゃんと“感情”が乗っている。
「アルラウネに進化したからだろうね。これだけ人に近い姿だもの、喋れてもおかしくないよ」
「それもそうだナ!」
笑い合う二人。
「アグニ」
「ん?」
「ありがとう、私と一緒にいてくれて」
ぽつりと感謝の気持ちをこぼすシャロ。
「て、照れくさいゾ!それに、アタシもシャロが居てくれてよかったと思ってるんだゾ!」
照れくさそうにアグニもシャロへの感謝の気持ちを語る。
「それなら嬉しいな」
二人はしばらく無言で、静かな湖面を眺めた。
水の中に映る二つの影、獣人と、植物の少女。
不思議な時間だった。
「さて……後はみんなと合流できたら万事解決だね!」
「そうだナ!」
シャロの瞳に、強い光が宿っていた。
失ったものを取り戻すために、アグニとシャロは並んで歩きだした。
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