10月16日 朝
あくびを噛み殺しながら地下鉄に乗った。
大学は市街地から少し外れたところにあるため、学校の近くに住む俺たちは自転車で動くことが多い。今日も最寄駅までは自転車で来た。
何気なく地下鉄の窓から外を見ると、トンネルのコンクリート壁がずっと流れて行っている。そういえば、なぜ地下鉄にこんな大きな窓が付いているのだろうか。灰色の壁を見せられ続けることで乗客の気分が沈んでしまう気がするが。
目的の駅に着くと、早くも人の多さにうんざりする。普段なら日曜日に来たりはしないところだ。
時計を見ると待ち合わせまではまだ20分もあった。
ゆっくり待てばいいかと思って駅前の広場に出て、適当な手すりに腰掛けると、こちらに歩いてくる美奈子と目が合った。
「…おはよう。」
「おはよ。もう一本遅い電車で来ても間に合ったんじゃない?」
「そうかもしんないけど、遅刻するよかいいっしょ。」
「そうね。」
「ていうか美奈子も早すぎないか? 用事があるからこっちで待ち合わせにしたんだろ。」
「ただの買い物。早く終わったのよ。」
今日は珍しく美奈子と二人だ。
というか、飲み屋以外にあさみと二人きりで出かけたことはない。
あさみには彼氏がいるんだから、それが当たり前だけど。
「1時間近く暇ね。どっかカフェでも入る?」
「それがいいな。外歩くのも寒いし。」
研究室で4年の先輩と一緒に話しているうちに、俺と美奈子の趣味が似ていると気が付いた。今日これから見る映画も、二人とも一人で見に行こうと思っていたやつで、どうせなら一緒に見るかということになったのだ。
それまで美奈子の好みなんて全く知らなかったが、それは美奈子も同じだったようだ。それもそうか。俺たちはあさみを中心にした友達なのだから。
「美奈子はどれ?」
「ブレンド、ホット。」
「じゃあ俺買ってくから席よろ。」
「おけ。」
短い会話を交わしてカウンターに並ぶ。ここは先に飲み物を購入して、自分で席に持っていくタイプの店だ。普通は席を確保してから買うのだが、時間が早いからか半分以上空いているようだ。
二人分のコーヒーを買って美奈子が座っているところに行く。
席に座ってコーヒーを置くと、美奈子が五百円玉を人差し指と中指で挟んで差し出てしてきた。碁石を置くような手つきだ。テーブルにパチンと音が鳴る。
「独特の持ち方ですね。」
「こんな持ち方初めてですわよ。」
変な会話になる。
持ち方の意図はわからないが、素直にもらってお釣りを渡す。
さらに財布から千円札を取り出し、今受け取った五百円玉と共に渡した。
映画のチケット代だ。美奈子が代表でウェブ購入してくれている。
「ありがと。勝手に端の席にしたけど、大丈夫だった?」
「ああ、一番前でスクリーン見上げるとかじゃなきゃ大丈夫。」
「同意同意。首痛くなるもんね。後ろの席だから安心してよ。」
そうしてゆっくりコーヒーを飲んで、映画館に向かった。
デートみたいだな。
…いや、そうでもないか。
隣ではなく、前を立って歩く美奈子を見て考え直した。
―***―
「つまんなかったわね。」
「全体的にはそうだなー。」
映画のあと、近くのスープカレー屋に来た。
早速感想を言い合う。
「顔は良いけど、驚くほど演技が下手。あれ何、アイドルか何かなの?」
「ああ…」
たしかに、主役の一人の演技が大根だった。台詞が棒読み過ぎて感情移入が全然できない残念なイケメン。
「デルタファイブのボーカルだよ。」
「うわ、グループ名から知らないわ。」
「…あのお邪魔虫の人はめっちゃ上手かったよね。」
「そうそう、すごかった!」
しばらく映画の話で盛り上がった。
スープカレーを食べ終え、一息つく。
「ねぇ、りょう君。」
「うん?」
「アタシと付き合ってよ。」
「いいよ、どこに?」
「そうじゃなくて、恋人になって、って意味。」
…え?
今、告白されてるのか?
面食らって、言葉が出ない。
美奈子はまっすぐ俺を見ている。普段どおりの口調だが、少し強張った顔。緊張しているのがわかる。
冗談ではなく、本気だ。
なら俺も真面目に答えなければならない。
「…ごめん、好きな人がいるから。」
「知ってるわよ、あさみのことが好きなことくらい。」
「……」
バレバレだったのだろうか。
美奈子が鼻でため息をつく。
「それでもいいから付き合ってよ。りょう君が好きなの。アタシのことは、これから好きになってくれればいいから。」
『それでもいい』、か。
答えに困る。
例えば恋愛感情じゃなくても、ちょっといいなと思う程度でもいいから一緒にいて欲しい、とか。たまたま寂しかったからとか、そんな程度の理由でも構わない。他の人を見ていたって、それでも構わない。
その気持ちは痛いほどにわかる。自分がそうだから。
でもそれは…。
「…それは、誠実じゃない。」
「それでもいいの。」
「……」
「あさみがりょう君のことを見てくれないこと、わかってんでしょ?」
それはわかっている。
特に先週、痛感した。
だからと言ってほいほいと乗り換えるのは
「だからと言ってほいほいと乗り換えるのはだめだ、なんて思ってんでしょ?」
あれ…今、考えていることが読まれたのか?
「りょう君、結構わかりやすく顔に出るのよ。自覚ないと思うけど。」
美奈子が呆れたように小さく笑った。
「そんなにわかりやすいのか?」
「そーよ。あさみはあのとおりだから騙せるでしょうけど。」
「……」
「だからさ、ほいっと乗り換えてよ。そのあと、合わないと思ったら振ってくれてもいいし。」
それはやっぱりひどいのではないだろうか。
「いい、って言ってるの。ね?」
俺が何も答えていなくても会話が成り立っている。そこまではっきりと顔に出ているのか。
付き合い始めれば情が移る。
美奈子は良い人間だ。性格が良いし、趣味が合うのはもうわかっている。外見も。
きっと好きになるだろう。
だが、あさみと今までどおりの関係を続けるわけにはいかなくなる。
少なくとも、お互いの家に行くのはだめだろう。
…いいや、むしろ今のこの関係を続けるのこそ良くないか。
あさみは俺のことを恋愛対象としては見ていない。
わかっている。
もう潮時なのかもしれない。
「…わかった。付き合おう。」
「へ?」
「よろしく、美奈子。」
美奈子が驚いた顔をしている。こんなに無防備な表情は初めて見るかもしれない。
「はぁ~~~」
そして大きなため息をしながら顔を伏せる。
「良かった。勝算ほとんどないと思ってたし、良かったぁ。」
そう言って顔を上げた。
笑顔だ。
冗談を聞いて笑っているときとは違う笑い方。
「ありがと、りょう君。よろしくね。」
素直に可愛いと思った。




