10月12日 昼過ぎ
'りょう'視点のお話です。
好きな子を見つけた。
睡蓮の花が空を見上げる池で、彼女はひとりうつむいていた。
その池は農学部の実習圃場用の水を貯めておくのを目的に作られたため池で、鑑賞用ではなかった。池周りの草は生え放題の上、水は濁っていて野暮ったい景色を見せる。ただ、睡蓮の咲く時期になると人が集まるようで、日曜になると子連れ孫連れでにぎわう。今日は人がいないようだった。たまたまなのか、平日の昼間はこんなものなのか。
池の脇にはいくつかベンチがあって、そのひとつに彼女が座っていた。体育座り。ベンチなのに。おでこを膝に乗せてうずくまっている。また凹んでいるらしかった。
彼女とは同じ学部だけど、出会ったのはサークルでだ。と言っても、その子はあまり参加せず、3か月ほどで辞めてしまった。その間、何度か話しただけだったが、他の誰よりも可愛いと思った。彼女がサークルを辞めた後も、学内で会うたび引き留めるように立ち話をしていたが、最近は挨拶も返って来ない日がある。心に余裕がないようで、よく沈んでいる。きっと例の彼氏のせいなんだろう。俺が口を出すことではないんだろうけど、足は彼女の方へ動いた。
「なんか、あった?」
声をかけると、彼女はがばっと顔を上げた。俺が近付く足音には気づかなかったらしい。
「あ…えと…」
戸惑ってる。そりゃそうか。いきなり話しかけられたら誰だって驚くわな。
「あ、やっぱりあさみちゃんだ。」
おどけたように言ってみる。
「え…わかってて声かけたんじゃないの?」
「んーん。あさみちゃんな気はしてたけど、4割ハズレかなって。」
嘘。わかってたよ。
「あたしじゃなかったらどうする気だったの?」
遠目に見たってすぐにわかる。
「いやぁ、ベンチに体育座りして頭伏せてるなんてわかりやすい落ち込み方してたら知り合いじゃなくても声かけるって。」
これも嘘。いや、半分くらいホントかも。女の子か子供だったら気分次第で声をかけるかもしれない。でも今日、声をかけたのはあさみちゃんだったからだ。
ちょっとわざとらしいけど彼女の隣に座った。隣と言っても子供一人が座れるくらいの間をあけて。
「あ、でも別に落ち込んでたんじゃなくて、ちょっとお昼寝してただけなんだよ?」
嘘。それも痛々しい嘘。一緒に悲しい笑顔。思わず目をそらしてしまった。
「そっか」とか「そうなんだ」とかは言っちゃだめだ、と思った。言ってしまえば彼女と俺の関係は希薄なまま固定される。そんな気がする。
「…先週は目ぇ真っ赤に腫らして学校来てたよね?」
きっと今こんな話をしても余計沈んでしまうだけなんだろう。それで彼女を傷つけてしまうかもしれない。でも、口が勝手に動いていた。
「え?」
「結構前からだけど、最近沈んでること多いよね。」
「どうして知ってるの?」
だって目が行くんだよ。気づいたら見てるんだよ。なんて口には出せないけど。
「俺とかぶってる講義、結構あるんだよ?沈んでるときはおはよって言っても気づいてくれないけど。」
なるべく明るく振る舞う。
「あ、ごめん。」
「いいよいいよ。でも、悩み事、俺で何かできることあれば手伝うよ?」
「うん、ありがと。でも大丈夫だから。明日になれば元気になってる。」
やんわり断られた。
「平日だけで週に3日以上は沈んでんのに?」
でも諦めない。
「あたし、そんなに目立つかな?」
「いや、知ってる人だから気づくだけだと思うよ。」
「『知ってる』って?」
「あさみちゃんのこと。あ、悩みが何かまでは知らないよ。単に知り合いって意味。俺そんなエスパーじゃないし。」
彼氏のことなのは知ってるけど、言わない。
「でもさ、俺に話すのはアレとしてもさ、友達には相談したほういいよ。」
「うん…。」
反応が悪い。相談したくないのか、相談したけど相手にされなかったのか。それとも…
「それとも、友達に相談できないようなことなの?」
「うん…あ、うんじゃなくて、そんなことないんだけど」
「じゃあ俺には相談できる?」
「え、あ…」
明るく、明るく、まくしたてる。
「いや、無理して話さなくてもいんだよ。俺なんて言っちまえば他人だしさ。でも逆に、他人だからこそ気楽に言っちゃえることもあるんじゃない? 気まずくなったらもう会話しなきゃいいだけなんだから。」
背水の陣。もう会話しなきゃいいとか、言っててかなりキツイ気分だ。
沈黙が続く。心臓が潰されるような緊張も同じ時間だけ続いていく。
「じゃあ…聞いてくれる?」
心底ほっとした。もう10分以上経ったような心地だ。
そして彼女は恋人の話を始めた。二人の出会いから。自分で話させたとはいえ、そんな話を聞くのは正直、苦痛でもある。
「それでね、しんちゃんに…あ、彼氏にね」
「いいよ、普段の呼び方で。しんご君でしょ。」
「えっ、知ってるの?」
「うん、まぁ、あさみちゃんとよく一緒にいるから覚えたってだけだけど。」
なるべく明るく振る舞う。注意していないと、きっと嫌な奴になってしまうから。
「あさみちゃんがサークル辞めたあたりさ、すれ違ったとき、たまに気づかない振りしたことあったじゃん。あれ、彼氏に遠慮してたんだよ。」
「そうだったの? あたしが影薄いだけだと思ってた。」
「すれ違っても気づかないくらい影薄い人なんて実際はいないよー。」
笑顔で言う。つられて笑ってくれればいいと思ったけど、彼女の顔はどんよりしたままだった。
「…ていうか、あんな幸せそうにしてんのに声かけるなんて無理っしょ。『え、あの男誰だよ』なんてなったら最悪やん。」
「そんなに幸せそうだったかな?」
「そりゃーもう。」
憎たらしいくらいに。
あ、話が脱線してるな。本題に戻さないと。
「あ、ごめん、話それちゃったね。」
「ううん。えっと…」
「彼氏からのライムの返事が来なくなって、彼に、まで聞いた。」
「あ、そうだった。」
その後は浮気の話になった。流石に明るい振る舞いはやめて喋らずに聞いた。浮気は一度や二度じゃないらしい。というか、発覚してるだけで二桁に上るらしい。腹立たしい。こんな可愛い娘捕まえといて他に目が行くなんて、しかも悲しませるなんて、本当に腹が立つ。
話の終わりに彼女は言った。
「でね、どうしたらあたしだけのことを見てくれるかな?」
そう来たか。そこまでされて『どうしたら自分だけを見てくれるか』って、どんだけ一途なんだよこの娘。
普通はそれだけ浮気されたら別れるよな。最低じゃないか、その男。すっぱり別れてしまえばいいのに。
なんでそういう発想になるんだろうか。
はぁ…。
なんでって、好きだからに決まってるよな。認めたくないけど、それは俺の個人的な都合だし。
「…好きなんだね。」
「うん。」
即答。妬ましい。
しかし、きっとそういう人間は改善しない。あさみちゃんだけを見るようになんてならない。
『失って初めて気づいた』とか、そういう何か大きなきっかけでもない限りは。
でも『別れろ』はだめだ。そう言われるのが一番嫌なはず。
そもそもそれじゃあ質問に答えてないし。
しかし、アドバイスなんてしようがないだろ。どうしようもないじゃん。でも何か言わないと…。
「俺、そういうこと疎いからうまいアドバイスなんてできないけど、あさみちゃんに魅力が足りないってことじゃないと思うんだ。彼、かっこいいし、他の子にアプローチされちゃうんじゃないかな。そんで、別にその子に気持ちが行ってなくても、快楽に負けてというか、だらしないところが出ちゃって…」
つまらない回答になってしまった。しかもやっぱり質問に答えていない。
「りょうちゃんもそうなの?」
「え…いや…」
どもってしまった。違う、俺はそうじゃない。
「りょうちゃんの他の友達も?」
いや、浮気をしない人は大勢いる。
「んーん、仮に全部の男の人がそうだったとしても、あたしはしょうがないなんて思えないよ。」
「違うよ。」
口をついて出た。
「本当に好きな人がいたらその人以外とはできない。可愛い娘がいたら目で追っちゃうくらいはあるかもしれないけど、だけど『いざ!』ってなると、好きな人以外いらないと思う。少なくとも、俺は。でも、俺以外にもそういう人、たくさんいると思う。」
でも、人間性の問題にしてしまうと、どうしたら彼氏に自分だけを見てもらえるか、という質問がどん詰まる。畜生、俺って頭の回転遅いなぁ。
「…そっか。少し安心した。でもそれだと、あたしはそこまで愛されてないってことだよね?」
しまった。
「いや! そうじゃないよ。彼だってあさみちゃんのこと好きだって。じゃなきゃ他の娘たちと同じようにされるはずじゃん。あさみちゃんは『彼女』なんだから。問題は…」
自分でも何を言っているかわからない。
問題は…って言ったが今、解決できる問題があるのか?
考えるべきは『どうしたら自分だけを見てくれるのか?』だろ。
例えば、この世界から他の女がいなくなってしまえば…。
「じゃあさ、携帯壊しちゃおうよ。」
唐突に思いついた。
「へ?」
「要は他の娘と連絡取れなきゃいいんじゃないかな?接点なくなれば何もしようがなくなるじゃん。」
そうだ、一回ライムの返信が来なければ次送る時にでかい勇気がいる。異性相手だと特に。彼氏の携帯の設定いじって受信しなくすれば、セフレの大半は切れるんじゃないか?
喋りながら考え、考えながら喋った。なるべく具体的な方法で。きっと穴だらけなんだろうけど、簡単にバレて広まるような浮気を繰り返してる男だ。案外問題なく成功するかもしれない。
「んで、あとは飲み屋でコップをバシャーって。お互い酔ってればちょっとわざとらしさ残ってても大丈夫だよ。」
彼女は黙って聞いていたが、これで俺の話が終わりだと気づき、口を開けた。
「でも、怒られちゃうよ。」
そう言っている口がかすかに弓なりになっている。やっと笑った。思わずにやけてしまう。
あ、もしかしたらチャンスだ。今、勇気を出せばあさみちゃんにライムする口実ができる。
ライムを起動して友達追加のQRコードを表示する。
「はい。」
そして画面をあさみちゃんに向けた。笑顔。笑顔。
「成功したら教えて。あ、失敗しても教えて。」
「でもあたし、りょうちゃん登録してあるよ?」
「え?」
きょとんとしてしまう。
「サークル入ってひと月くらいに学年のグループできたじゃん。あのとき友達追加したから。相互になってなかったっけ? なんか送ってみるね。」
俺もそのグループであさみちゃんを友達に追加した。メッセージは送ったことがないから気付かなかったけど、お互いに登録してたのか。
そのグループの女子、俺はあさみちゃんだけしか登録しなかったけど。もしかしてこの娘は全員分登録しているのだろうか。
「いやいいよ。俺も登録済みだから。」
「え?」
「や、用もないのに連絡先登録なんてキモいかなって思って。」
なんとなくバツが悪い。
「そんなことないよー。あたしもやってるし。」
「男と女の子じゃ印象違うじゃん。」
「そうかな?」
「うん。」
「でもいざってときに使えるかもしんないじゃん。」
あまりにもあっけらかんとして言うから、意図せず笑ってしまう。
「ふっ、いざってどんなときだよ。」
「飲み会遅れたときとかー…ほら、今とか。」
あさみちゃんは笑顔でそう言った。
どきっとした。
笑顔が可愛かったからか、言葉に惹かれたのか、あ、両方だ。でも本人は自覚ないんだろうなぁ。
―***―
しばらくして、あさみちゃんからメッセージが届いた。
ただ 【ごめんできなかった】 とだけ。
最後に絵文字が一つ。象の絵文字。どういう意味だろう。ただ可愛いからつけてるだけかもしれないが。
返信には迷った。
俺が怒る理由はないし、できなかった理由を聞くのも面倒な印象を与えるんじゃないかと思って。
結果、おちゃらけた。笑ってるスタンプで誤魔化した。そのあと、ちょっと長い説教じみた文章を送った。ちゃんと冗談だと気づいてもらえる程度の。
そこからは雑談になった。
だんだん彼女が眠そうになってきたので、こっちからおやすみって送った。
これからは気軽にライムできる気がした。




