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王都の夜間未受理窓口 〜出せなかった願いを受理したら、人生が少しだけ書き換わりました〜  作者: swingout777


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第7話 死者に届かなかった謝罪文

 王女救済願――控え一部


 かすれた文字を見た瞬間、夜間未受理窓口の時計が止まった。


 九時でも、十時でも、十一時でもない。

 針は、どの数字にも届かない中途半端な場所で凍りついている。


 リディアは、手の中の古い紙片を見下ろした。


 薄い紙。

 欠けた角。

 水に濡れたような波打ち。

 そして、王宮の古い印。


 先ほど受理したばかりのユリスの謝罪文から、なぜこんなものが現れたのか。


「ノアさん」


 リディアは、紙片から目を離せなかった。


「これは、ユリス様のお父様のものですか」


 ノアは、すぐには答えなかった。


 いつもなら、正確すぎるほどすぐに言葉を返す人なのに。


 彼は紙片を見つめたまま、ほんの少しだけ顔色を失っているように見えた。


「可能性はあります」


「ユリス様のお父様は、王宮に関わっていたんですか」


「先ほどの記録では、文具店主となっていました」


「でも、この紙は王宮文書です」


「ええ」


 ノアはようやく、紙片へ手を伸ばした。


 リディアはそっと渡す。


 ノアの指が紙に触れた瞬間、紙片の端に薄い光が走った。


 小さな文字が、もう少しだけ浮かび上がる。


 王宮臨時受付 保管控え

 担当補助:ダリオ・オルダ


「ダリオ……」


 リディアは呟いた。


「ユリス様のお父様の名前ですね」


「はい」


 ユリス・オルダの父。

 古い文具店を営んでいた、無口な父親。

 息子が謝れないまま亡くなった人。


 その父が、十年前の王女救済願の控えに関わっていた。


「ダリオ様は、昔、王宮で働いていたんでしょうか」


「そのようです」


「文具店を始める前に?」


「あるいは、文具店を営みながら王宮へ紙や筆記具を納めていた可能性もあります。臨時受付の補助は、正式な官吏でなくとも雇われることがありました」


 ノアの声は落ち着いていた。

 けれど、その手はまだ紙片を離さない。


 リディアは、彼を見た。


「ノアさんは、この控えを知っていたんですか」


 沈黙。


 それが答えのようだった。


「……十年前」


 ノアは、低く言った。


「王宮で一時的に設けられた臨時受付がありました。王族や高官宛ての急ぎの嘆願、救済願、告発文を受け付ける窓口です」


「夜間未受理窓口とは別の?」


「はい。昼の制度の中に置かれた、正式な受付です」


「そこに、王女救済願が出された」


 ノアは頷かなかった。

 否定もしなかった。


 リディアは胸元に手を当てる。


 まだ、ユリスの謝罪文を受理した時の重みが残っている。


 父に謝れなかった青年。

 死者には届かない謝罪文。

 でも、生きている母との間で止まっていた時間は少し動いた。


 その謝罪文から、王女救済願の控えが出てきた。


 それは偶然ではない。


 この窓口で起こることは、いつも都合がよすぎる。

 そして、都合がいいものには代償があると、ノアは言った。


「ユリス様に、確認する必要があります」


 リディアは言った。


 ノアが顔を上げる。


「今すぐに、ですか」


「はい」


「彼は先ほど、お父様への謝罪文を受理したばかりです。感情が大きく動いています」


「分かっています」


「その直後に、父親が王女救済願に関わっていたかもしれないと告げるのは、残酷です」


「でも」


 リディアは、ノアの言葉を遮った。


「この紙は、ユリス様のお父様が残したものです。私たちだけで扱うわけにはいきません」


 ノアは黙る。


「それに、死者には届かないのなら」


 リディアは、さっき自分が学んだばかりのことを思い出しながら言った。


「生きている人に、確認するしかありません」


 ノアの黒い瞳が、静かにリディアを映した。


「あなたは、受理官としての迷い方を覚えるのが早いですね」


「褒めていますか」


「半分ほど」


「残り半分は?」


「無茶です」


 リディアは小さく息を吐いた。


「それでも、行きます」


 紙片をノアから受け取り、胸の前でそっと持つ。


 すると、受付室の奥にある扉が、音もなく開いた。


 先ほどユリスの文具店へ続いた扉。

 その向こうに、また紙と木とインクの匂いが漂っている。


 ノアが言った。


「必要な場所へ、道が開きました」


 リディアは頷き、扉をくぐった。


 オルダ文具店の裏口に出ると、雨はほとんど止んでいた。


 店の中には、まだ灯りがともっている。


 窓の向こうで、ユリスと母親が並んで座っていた。

 二人の前には、さきほど受理された謝罪文と、古い紙飛行機。


 まだ泣いたあとの空気が残っている。

 けれど、そこには先ほどまでの張りつめた痛みだけではなく、少しだけ温かな沈黙があった。


 リディアは、入り口で迷った。


 この空気を壊したくない。


 だが、手の中の紙片がかすかに熱を持つ。


 まるで、まだ終わっていないと言っているように。


 ノアが店の扉を軽く鳴らした。


 からん、と古いベルが鳴る。


 ユリスが振り向いた。


「リディアさん……?」


 母親も立ち上がる。


「何か、まだ」


 リディアは、できるだけ穏やかに言った。


「ユリス様。お母様。確認したいことがあります」


 ユリスの顔に、不安が戻る。


 リディアは、その変化に胸が痛んだ。

 せっかく少し動き出した時間へ、また別の重さを持ち込もうとしている。


 けれど、ここで黙れば、この紙もまた未受理になる。


「お父様は、以前、王宮に関わる仕事をされていましたか」


 母親の表情が変わった。


 ユリスは眉をひそめる。


「王宮? 父さんが?」


「ご存じありませんか」


「文具店の店主でした。王宮なんて、納品で何度か出入りしたくらいじゃ」


 ユリスが母親を見る。


「母さん?」


 母親は、目を伏せていた。


「……昔のことよ」


「知ってるのか」


「少しだけ」


 リディアは、手の中の紙片を見せた。


「謝罪文を受理した後、この紙片が現れました。そこに、お父様のお名前がありました」


 母親は紙片を見た瞬間、息を呑んだ。


「それ……」


「ご存じなのですね」


 母親は、椅子に座り直した。


 手が震えている。


「ダリオが、ずっと隠していた紙です」


 ユリスが立ち上がる。


「隠していた?」


「ええ」


「どうして、そんなものを」


 母親は、棚の奥へ目を向けた。


 そこには、先ほど紙飛行機が入っていた古い箱がある。

 父親が、息子の子どもの頃の紙飛行機をしまっていた箱。


「あの箱の二重底に、入っていました」


 リディアは、紙片を見た。


「では、お父様は意図して残していた」


「たぶん」


 母親は小さく頷いた。


「でも、私には詳しく話してくれませんでした。ただ一度だけ、言ったことがあります」


「何と?」


 母親は、ゆっくり言葉を探した。


「『受け取れなかった紙がある』と」


 ノアの表情が、かすかに硬くなった。


 母親は続ける。


「王宮へ紙を納めに行った夜、臨時受付の手伝いを頼まれたそうです。人手が足りないから、書類の控えを整理してほしいと」


「十年前ですか」


「ええ。王女様が亡くなられた年です」


 店内の空気が冷えた。


 ユリスは何も言えずにいる。


 母親は、震える手で紙片に触れた。


「その夜から、ダリオは少し変わりました。前より無口になって、夜中に何度も起きるようになった。何か書こうとして、やめて、紙を丸めて」


「それを、ユリス様には」


「話せなかったのでしょう。あの人は、弱いところを見せるのが下手でしたから」


 ユリスが苦しげに笑った。


「俺と同じだ」


 母親は、息子を見た。


「ええ。よく似ているわ」


 リディアは、紙片をカウンターに置いた。


「この紙片には、王女救済願の控えとあります。お父様は、王女様に関わる書類を残そうとしていたのかもしれません」


 ユリスは顔を上げた。


「王女様って、十年前に病で亡くなった……?」


「はい」


「父さんが、そんなことに」


 ユリスは混乱しているようだった。


 無理もない。

 ようやく父への謝罪文を受理したばかりなのに、その父に自分の知らない過去があったと突きつけられている。


 リディアは慎重に言った。


「まだ、すべては分かりません。ただ、この紙がお父様の名前とともに残っている以上、何かを見たか、何かを受け取った可能性があります」


 ユリスは母親を見る。


「母さん、他に何か聞いてないのか」


 母親は首を横に振りかけて、止まった。


「一つだけ」


「何?」


「ダリオは、あの紙を見つけた私に言ったの」


 母親の声がかすれる。


「『これは、俺が死んでも捨てないでくれ。いつか、あれを読める人が来るかもしれない』って」


 リディアの胸が強く鳴った。


 読める人。


 紙片が、リディアの手の中で熱を持つ。


 ノアが低く呟く。


「ダリオ・オルダは、未受理の声を読めたわけではない。ですが、残すべきものだと気づいていた」


「父さんが」


 ユリスは、呆然として紙片を見た。


「そんな大事なことを、俺は何も知らなかった」


「親子でも、全部は知れません」


 リディアは言った。


「だからこそ、残された書類があるのかもしれません」


 ユリスは苦しそうに唇を噛む。


「俺は、父さんのことを何も知らなかった。文具店にしがみつく古臭い人だと思っていた。なのに、父さんは」


「ユリス様」


 リディアは静かに彼の名を呼んだ。


「お父様のすべてを知らなかったことは、あなたの罪ではありません」


 ユリスが顔を上げる。


「でも、俺は最後にひどいことを」


「それは消えません」


 リディアは、あえてはっきり言った。


「最後に傷つける言葉を言ったことも、謝れなかったことも、消えません」


 ユリスの肩が震える。


 けれどリディアは続けた。


「でも、それだけでお父様との全部が決まるわけでもありません」


 母親が小さく頷いた。


「ダリオは、あなたのことをずっと気にしていたわ」


 ユリスは俯いた。


「だったら、どうして言ってくれなかったんだ」


「言えなかったのよ」


 母親は静かに答えた。


「あなたが言えなかったように」


 その言葉に、ユリスは何も返せなかった。


 店内の硝子灯が、小さく揺れる。


 その時、紙片の裏に、新しい文字が浮かび上がった。


 リディアは息を呑む。


 そこに現れたのは、ダリオの筆跡らしき震えた文字だった。


 俺は、受け取ったふりをした。


 リディアは、その一文を読み上げた。


 ユリスと母親が同時に顔を上げる。


「受け取ったふり……?」


 ノアが紙片を見つめる。


「これは、ダリオ様自身の未受理の一文です」


「父さんの?」


 ユリスの声が震えた。


「王女救済願に関わる控えでありながら、同時にダリオ様の後悔も残っているのでしょう」


 リディアは紙片に触れた。


 すると、断片的な記憶が流れ込んできた。


 王宮の一室。

 夜。

 慌ただしい足音。

 積まれた書類。

 若い書記官たち。

 震える小さな手。


 そして、文具店主だったダリオが、臨時受付の端で控えを整理している。


 彼は正式な官吏ではない。

 ただ紙を揃え、控えを分け、印を乾かすだけの補助だった。


 そこへ、幼い少女の声が飛び込んでくる。


 ――受け取ってください。


 リディアの喉が詰まる。


 視界の中で、誰かが一枚の申請書を机に置く。

 だが、すぐに別の手がそれを取り上げる。


 未受理印。


 赤い印が押される。


 ダリオは、それを見ていた。


 見ていたのに、止めなかった。


 いや、止められなかった。


 ただ、机の端に落ちた控えの切れ端だけを、そっと袖の中に隠した。


 記憶が途切れる。


 リディアは、息を吐いた。


「お父様は、王女救済願が未受理にされる場にいたのかもしれません」


 ユリスは硬直していた。


「父さんが……何もしなかったってことですか」


「分かりません」


「でも、見ていたんでしょう」


 ユリスの声には、怒りが混じっていた。


「誰かが助けを求めていたのに、父さんは黙っていたんでしょう」


 リディアは、すぐに否定できなかった。


 母親がユリスの腕に触れる。


「ユリス」


「だって、そうじゃないか」


 ユリスは一歩下がった。


「俺は父さんに謝りたかった。父さんは本当はすごい人だったんだって、今なら思えるかもしれないと思った。でも違う。父さんだって、誰かを見捨てたのかもしれない」


 痛い言葉だった。


 リディアは、ノアを見た。


 ノアの顔は、かすかに青ざめていた。


 この話は、ノア自身にも刺さっている。

 おそらく、十年前の王女救済願を受理できなかったのは、ダリオだけではない。


 ノアもまた、そこにいた。


 けれど、今ここでノアの過去を開くわけにはいかない。


 リディアは、ユリスへ向き直った。


「ユリス様」


「……何ですか」


「お父様が、その場で何もしなかった可能性はあります」


 ユリスの顔が歪む。


「ですが、何も残さなかったわけではありません」


 リディアは紙片を掲げた。


「この控えは、お父様が危険を承知で残したものです。誰かに読まれる日を信じて、隠したものです」


「それで、罪が消えるんですか」


「消えません」


 リディアは即答した。


「罪も、後悔も、怖くて動けなかった事実も、消えません」


 ユリスは黙った。


「でも、後から残そうとしたものまで、なかったことにする必要はありません」


 その言葉に、ノアがわずかに目を伏せた。


 母親が紙片を見つめる。


「ダリオは、何度も言っていました」


「何をですか」


「自分は、紙を売るしかできない男だと。でも、紙は残る。人がいなくなっても、紙は残ると」


 彼女は震える手で、紙片に触れた。


「あの人は、これを残すことで、遅すぎる謝罪をしようとしていたのかもしれません」


 死者に届かなかった謝罪文。


 リディアは、タイトルのようにその言葉を胸の中で繰り返した。


 ユリスの謝罪文は、父には届かなかった。

 そして、ダリオの謝罪もまた、王女には届かなかった。


 けれど、紙は残った。


 届かなかった謝罪が、十年後に誰かの手へ渡ることもある。


 ユリスは長い間、紙片を見つめていた。


 やがて、かすれた声で言う。


「俺は、父さんを許せばいいんですか」


「いいえ」


 リディアは首を横に振った。


「今、無理に許す必要はありません」


「でも」


「許すためではなく、知るために受け取ることもあります」


 ユリスの目が揺れる。


「知るため……」


「はい。お父様が何をしたのか。何をできなかったのか。その後、何を残そうとしたのか。それを知ることと、許すことは同じではありません」


 店の中に静けさが落ちた。


 ユリスは、父の残した紙飛行機を手に取る。

 もう片方の手で、王女救済願の控えを見る。


 父は、良い人だった。

 父は、弱い人だった。

 父は、自分を待っていた。

 父は、誰かの願いを受け取れなかったかもしれない。


 それらは、同時に存在する。


 人は、一枚の書類のように単純ではない。


 ユリスはゆっくり頷いた。


「受け取ります」


 リディアは、彼を見る。


「この控えを?」


「はい」


「これは、お父様の後悔も含んでいます。王女様の事件に関わるかもしれない。持っていれば、危険があるかもしれません」


「分かりません」


 ユリスは正直に言った。


「危険かどうかも、父さんが何をしたのかも、俺にはまだ分かりません。でも、知らないまま父さんを憎むのも、知らないまま美化するのも、嫌です」


 彼は紙片に手を伸ばした。


「父さんが残したものなら、俺が受け取ります」


 リディアは頷いた。


 だが、紙片はすぐには渡さなかった。


「この控えは、夜間未受理窓口でも保管します。あなたが持つ写しを作り、原本は案件として扱わせてください」


「それで構いません」


 ノアが、処理痕写しと同じ透明な紙を出す。


 紙片の上に重ねると、古い文字が写し取られていく。


 その間、リディアは受理印を手にした。


「この書類は、まだ完全には受理できません」


 ユリスが頷く。


「分かります」


「ですが、ダリオ・オルダ様が残した控えとして、仮受付します」


 受理印ではなく、仮受付印。


 ノアが別の小さな印を出す。


 リディアはそれを紙片の写しに押した。


 赤ではなく、淡い朱色の印。


 仮受付


 その瞬間、紙片の裏にもう一文が浮かんだ。


 いつか、読める人へ。


 ユリスの目に、涙が浮かぶ。


「父さん……」


 その一言には、怒りも、悲しみも、少しの誇らしさも混じっていた。


 すべてが整理されたわけではない。

 むしろ、新しい疑問が増えた。


 それでも、ユリスは紙片の写しを両手で受け取った。


 父が残した、知らなかった重みを。


 店を出る前、母親がリディアに声をかけた。


「リディアさん」


「はい」


「ダリオのことを、調べるのですね」


「はい」


「それなら、これを」


 母親は棚の奥から、小さな帳簿を取り出した。


 古い納品帳だった。


「王宮へ納めた紙の記録です。十年前の頁だけ、ダリオが何度も見返していました」


 リディアは帳簿を受け取る。


 重かった。


 紙の束なのに、誰かの沈黙が詰まっているようだった。


「お借りします」


「お願いします」


 母親は深く頭を下げた。


「あの人が、何を残そうとしたのか。私も、知りたいのです」


 リディアは頷いた。


 夜間未受理窓口へ戻ると、時計の針は再び動き出していた。


 受付室のカウンターに、納品帳と王女救済願の控えを置く。


 ノアはしばらく無言でそれを見ていた。


「ノアさん」


 リディアは言った。


「あなたは、十年前の臨時受付にいましたね」


 ノアの手が止まる。


「なぜ、そう思いますか」


「紙片を見た時の顔です」


「顔」


「はい。とても、後悔している人の顔でした」


 ノアは黙った。


 その沈黙は、否定ではなかった。


 リディアはそれ以上、追及しなかった。


 今はまだ、その時ではない。


 ノア自身の未受理は、まだ紙の奥で沈んでいる。


 カウンターの上で、王女救済願の控えが淡く光った。


 納品帳がひとりでに開く。


 十年前の日付。

 王宮臨時受付へ納められた紙束の記録。


 そこに、見慣れない記号があった。


 EX-04対応用紙 一束


 リディアの喉が乾く。


「EX-04……」


 セシリアの婚約破棄届。

 自分の解雇通知にあるかもしれない記号。

 そして、十年前の王宮臨時受付。


 すべてが、同じ場所へつながっていく。


 ノアが低く言った。


「リディア様。ここから先は、通常案件ではありません」


「分かっています」


「国の記録に触れることになります」


「分かっています」


「あなた自身の記録も、危うくなる」


 リディアは、胸元の解雇通知に手を置いた。


 雨に濡れ、にじんだ紙。

 自分を追い出した書類。


 けれど、まだ終わっていない書類。


「もう、危うくなっています」


 リディアは言った。


「それに、読めてしまいました」


 ノアが彼女を見る。


 リディアは、王女救済願の控えに触れた。


 紙の奥から、かすかな声がする。


 幼い声。

 震えながら、それでも必死に差し出された声。


 お姉様を、殺さないで。


「読めてしまったものを、見なかったことにはできません」


 その瞬間、夜間未受理窓口の奥で、白紙の申請書を収めた木箱がひとりでに開いた。


 白紙の中央に、新しい文字が浮かぶ。


 それでも、読んで。

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