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王都の夜間未受理窓口 〜出せなかった願いを受理したら、人生が少しだけ書き換わりました〜  作者: swingout777


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第36話 私の願いは、未受理にされました

 中央記録広間の床に、民の嘆願の光が残っていた。


 白。

 青。

 赤。

 灰。

 金。

 黒。


 色の違う紙片が、淡く浮かび、番号を与えられ、存在確認簿へ移されていく。


 民嘆願存在確認一号。

 民嘆願存在確認二号。

 民嘆願存在確認三号。


 番号は、まだ増えていた。


 カイル・ロムと臨時記録補助たちが、必死に書き取っている。


 暫定未受理再審査卓の前には、いつの間にか人の列ができ始めていた。


 最初に立ったのは、橋崩落事故の再調査願を出した老女サラだった。


 彼女は、布包みを胸に抱いたまま、再審査卓の前へ進み出る。


 足元は震えている。

 だが、目はまっすぐだった。


 リディアは、存在確認印を手にしたまま彼女を迎えた。


「お名前を、記録してもよろしいですか」


「サラです」


 老女は答えた。


「東市場で、野菜を売っています」


 カイルが書く。


 申出者:サラ。東市場。

 関連嘆願:橋崩落事故再調査願。


 リディアは、できるだけ穏やかに尋ねた。


「今日、ここで詳細をすべて話す必要はありません。まず、存在確認だけでもできます」


 サラは、小さく頷いた。


「はい」


 そして、布包みから古い紙を出した。


 雨に濡れたように波打ち、端が擦れている。


 何度も折りたたまれ、何度も開かれた紙だった。


「これが、私の控えです」


 その紙が、再審査卓の上で淡く光った。


 表題が浮かぶ。


 橋崩落事故再調査願 控え


 その下に、かすれた字で一文が浮かんだ。


 息子は、酒に酔って落ちたのではありません。橋が腐っていたのです。


 広間が静まった。


 サラの手が震える。


「私は、十年前から言ってきました。でも、村の役人にも、領主の窓口にも、庁舎にも、どこでもこう言われました」


 彼女は、紙を見つめたまま言った。


「もう処理済みです、と」


 その言葉に、リディアの胸が痛んだ。


 処理済み。


 また、整った言葉だ。


 終わっていないものを終わったことにするための言葉。


 サラは、顔を上げた。


 その声は震えていたが、広間の端まで届いた。


「私の願いは、未受理にされました」


 その瞬間、再審査卓の上に置かれた紙が強く光った。


 存在確認簿に、新しい欄が浮かぶ。


 本人申出:あり

 主張:事故原因再調査希望

 現処理状態:未受理/処理済扱い


 リディアは、存在確認印を押した。


 存在確認


 紙の震えが、少しだけ収まった。


 サラは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「まだ、調査が始まったわけではありません」


 リディアは正直に言った。


「今日は、ここに存在したと記録しただけです」


「それでいいんです」


 サラは涙を拭った。


「息子の死を調べてほしいと願った母親がいたと、残るだけで」


 リディアは、何も言えなかった。


 ただ、もう一度静かに頷いた。


 サラが下がると、次の人が前へ出た。


 中年の男だった。


 粗末な上着を着て、手には油の染み込んだ紙を持っている。


「鉱山で働いていました」


 男は言った。


「坑道の落盤で、弟が死にました。事故だと言われました。でも、支柱が抜かれていたんです。修繕願を出していたのに、通らなかった」


 紙が光る。


 坑道落盤事故証言書――受理禁止


 男は、奥歯を噛みしめた。


「私の願いは、未受理にされました」


 カイルが記録する。


 存在確認印が押される。


 次に来たのは、若い母親だった。


 背中に幼い子どもを背負っている。


「夫は港で荷を運んでいました。荷崩れで死んだと聞かされました。でも、同じ場所で何人も死んでいます。補償願を出しました」


 紙が光る。


 港湾荷役人死亡補償願――不存在処理


 彼女は、震える声で言った。


「私の願いは、未受理にされました」


 次は、片足を引きずる老人。


「兵役で息子を失いました。遺族補償を求めました。書類は届いていないと言われました」


 兵役遺族補償願――返戻記録なし


「私の願いは、未受理にされました」


 次は、奉公人らしい少女。


 まだ十六にも満たないように見えた。


「給金を払ってくださいと書きました。雇い主に知られたら困るから、名前を伏せて出しました。でも、雇い主の報告で問題なしとされました」


 未払い給金申立――分類外


「私の願いは、未受理にされました」


 その言葉が、広間に繰り返されていく。


 私の願いは、未受理にされました。


 私の願いは、未受理にされました。


 私の願いは、未受理にされました。


 それは叫びではなかった。


 しかし、何度も繰り返されるうちに、広間の壁に染み込んでいた沈黙を剥がしていくようだった。


 ローディス・カイルは、記録卓の奥で黙っていた。


 顔色は変わらない。


 だが、彼の周囲の王宮職員たちは、明らかに落ち着きを失っていた。


 この数は、想定を超えている。


 王女一人の問題でも、庁舎職員一人の告発でもなくなっている。


 民が、自分の紙を持って立ち始めている。


 リディアは、次々と存在確認印を押しながら、息が浅くなるのを感じた。


 重い。


 一件ずつは短い。


 でも、その背後には人生がある。


 死んだ息子。

 帰らない給金。

 会えない子ども。

 壊れた橋。

 閉じられた窓口。


 それらが、番号になっていく。


 番号にすることへの怖さもあった。


 けれど、番号を与えなければ、また消えてしまう。


 アレリア王女の言葉が、心の中で響く。


 人の痛みは、数にすると軽く見える。けれど、一つずつ読むと、読む者が潰れる。


 リディアは、印を握る手を止めた。


 ほんの一瞬。


 その瞬間、ノアが隣に立った。


「休んでください」


「でも」


「続けるために、休んでください」


 その言葉は、アレリア王女の改革案そのものだった。


 担当者を交代させる仕組みが要る。

 読んだ者を休ませる仕組みが要る。


 リディアは、息を吸った。


「代わりを」


 言いかけて、言葉が止まる。


 誰に代わってもらうのか。


 ノアか。

 カイルか。

 ヴァルターか。


 その時、ミリアが前へ出た。


「私が」


 リディアは目を見開く。


「殿下」


「少しだけ」


 ミリアの声は弱い。


 けれど、確かだった。


「私は、民の嘆願を全部読むことはできません。でも、存在確認なら、少しだけできます」


「無理をなさらないでください」


 イリスが心配そうに言う。


 ミリアは、小さく頷いた。


「無理をしすぎないために、少しだけです」


 彼女は、再審査卓の前に立った。


 リディアが持っていた存在確認印を、ミリアへ渡す。


 印は、ミリアの手に渡ると、少しだけ光を弱めた。


 まるで、重さを確かめているようだった。


 ミリアは、両手で印を持つ。


 その姿に、広間が静まった。


 十年前、自分の願いを未受理にされた王女が、今、民の未受理に存在確認印を押そうとしている。


 次に前へ出たのは、年配の男だった。


 農夫らしい太い手をしている。


「村の井戸水が濁りました。子どもが何人も腹を壊しました。水を調べてほしいと出しました」


 紙が光る。


 井戸水汚染申立――未受理


 男は、ミリアの前で緊張したように頭を下げた。


「王女様に言うようなことではないかもしれませんが」


 ミリアは首を横に振った。


「言ってください」


 男は、しばらく唇を噛んだ。


 それから、はっきり言った。


「私の願いは、未受理にされました」


 ミリアの手が震えた。


 だが、彼女は印を押した。


 存在確認


 紙が静かに光を帯びる。


 ミリアは、男に向かって言った。


「今、存在を確認しました」


 それだけだった。


 救うとは言わない。

 調べると断言もしない。


 けれど、存在を確認した。


 その言葉に、男は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 次に、小さな少女が母親に背を押されて前へ出た。


 手には、しわくちゃの紙がある。


「お父さんに会いたいって書きました」


 少女は、ほとんど泣きそうだった。


「でも、お父さんは私に会いたくないって言われました。でも、本当は違うかもしれないって」


 紙が光る。


 面会希望届――家門判断優先


 ミリアの顔が一瞬、痛みに歪む。


 ミナの面会希望届を思い出したのだろう。


 少女は、小さな声で言った。


「私の願いは、未受理にされました」


 ミリアは、ゆっくり膝を折った。


 王女が、少女と同じ目の高さになる。


「私も」


 ミリアは言った。


「会いたい人に、会えませんでした」


 広間が静まる。


「だから、あなたの願いがどこで止まったのか、記録します」


 存在確認印が押される。


 少女の紙に、細い光が灯った。


 少女は、泣きながら母の元へ戻った。


 ミリアの手は震えていた。


 イリスがそっと支える。


「殿下、もう」


「あと一件だけ」


 ミリアは言った。


「あと一件」


 リディアは止めようとした。


 だが、ミリアの表情を見て、言葉を飲み込んだ。


 これは無理をしている。


 けれど、ただ自分を痛めつけているのではない。


 ミリアは、王女として初めて民の願いを受け取っている。


 アレリア王女がしようとしていたことを、ほんの少しだけ、自分の手で確かめている。


 次に前へ出たのは、若い兵士だった。


 まだ顔に少年らしさが残っている。


 彼は、王宮側の席を気にしながらも、再審査卓の前に立った。


「私は、名前を伏せたいです」


 リディアが言った。


「できます」


 カイルが記録する。


 申出者:匿名希望。兵士。


 兵士は、紙を差し出した。


 表題が浮かぶ。


 夜間巡回報告――分類外


 リディアは眉をひそめた。


 兵士は、喉を鳴らして言った。


「十年前ではありません。昨夜の報告です」


 広間の空気が変わった。


 昨夜。


 リディアたちが夜間未受理窓口で動いていた夜。

 封印庫が開かれた夜。


 兵士は、顔を青ざめさせながら続けた。


「王宮総務卿室から、北棟と封印庫周辺の巡回記録を差し替えるよう指示がありました。私は、差し替え前の記録を控えました」


 ローディスの目が、鋭く兵士へ向いた。


 兵士の肩が震える。


 だが、彼は紙を離さなかった。


「私の報告は、未受理にされました」


 ミリアの手が止まった。


 これは、過去の民の嘆願ではない。


 今まさに行われている未受理だ。


 リディアは、胸が冷えるのを感じた。


 ローディスは、まだ止めていない。


 今も記録を差し替えようとしている。


 兵士の紙に、細かい文字が浮かぶ。


 昨夜、王宮北棟衣類搬入口より不明経路発生。

 第二王女殿下の療養室前に外部者立入り。

 封印庫開封。

 総務卿室より巡回記録の簡略化指示。

 差し替え前記録を本報告に添付。


 カイルが息を呑む。


 ノアが低く言う。


「昨夜の私たちの移動記録です」


「それを差し替えようとした」


 リディアは、ローディスを見た。


「公開審理中にも、記録の切断が続いています」


 ローディスは、静かに言った。


「王宮の警備記録を公開の場で扱うことは危険だ」


「では、証言保護付きで仮受付します」


 リディアが答える。


 ミリアは、存在確認印を握りしめた。


「これは、存在確認だけでは足りませんね」


 その言葉に、ノアが頷く。


「保全が必要です」


 再審査卓の上に、新しい印が現れた。


 記録保全


 リディアは、その印を手に取ろうとした。


 だが、ミリアが先に手を伸ばした。


「私が押します」


「殿下」


「昨夜、私の部屋の前で起きたことです」


 ミリアは兵士を見る。


「あなたは、怖かったのですね」


 兵士は唇を噛み、頷いた。


「はい」


「でも、控えを残してくれた」


「……はい」


「なら、記録します」


 ミリアは、記録保全印を押した。


 記録保全


 兵士の紙が強く光った。


 その光は、広間の記録扉へ伸びる。


 扉の奥から、別の書類が反応した。


 王宮北棟巡回記録

 封印庫周辺警備記録

 総務卿室指示控え


 三つの表題が浮かぶ。


 ローディスが立ち上がった。


「その記録は保安上、非公開だ」


「非公開でも、保全はできます」


 リディアが返す。


「今、差し替えられる恐れがあるため、原本保全を求めます」


 ヴァルターが立つ。


「記録監査局長として、保全に同意します」


 エレノアも言う。


「式典管理官として、保全手続きに立ち会います」


 カイルが記録する。


 兵士は、安堵したように膝から崩れそうになった。


 ノアが支える。


「よく出しました」


 兵士は、小さく頭を下げた。


「誰かが書けって」


「誰が?」


 兵士は一瞬ためらった。


 それから、低く答えた。


「ヴァルター局長が」


 広間がざわめく。


 リディアはヴァルターを見る。


 ヴァルターは表情を変えなかった。


「記録を残せと言いました」


「昨夜から?」


「封印庫を開ける前からです」


 ヴァルターは答えた。


「ローディスが動くと分かっていました」


 リディアは、彼の横顔を見つめた。


 ヴァルターは、十年前に守れなかった記録を、今度こそ残そうとしていたのだ。


 ローディスが低く言う。


「裏切ったな、ヴァルター」


 ヴァルターは、静かに返した。


「十年前に裏切ったのは、記録の方でした」


 広間が静まる。


「私は、今日ようやく戻っただけです」


 その言葉に、ノアがかすかに目を伏せた。


 ミリアも、涙を浮かべてヴァルターを見ていた。


 リディアは、民嘆願存在確認簿を見た。


 古い願い。

 昨夜の報告。

 今まさに消されようとしている記録。


 過去と現在が、同じ卓の上に並んでいる。


 未受理は、昔の傷ではない。


 今も続いている処理だ。


 だからこそ、止めなければならない。


 ミリアは、存在確認印をリディアへ返した。


 顔色は悪く、立っているのもつらそうだった。


「少し、休みます」


「はい」


 イリスが支える。


 ミリアは席へ戻りながら、振り返った。


「でも、受付を止めないでください」


 リディアは頷いた。


「止めません」


 その言葉に、再審査卓の上の光が少し強くなる。


 民の嘆願は、まだ浮かび上がっていた。


 だが、もう無秩序ではない。


 存在確認簿。

 記録保全。

 証言保護付き仮受付。

 暫定分類。


 少しずつ、仕組みが生まれている。


 ローディスは、それを見ていた。


 彼の目には、怒りだけではないものがあった。


 警戒。

 焦り。

 そして、わずかな恐れ。


 民の嘆願が浮かび上がることを、彼は恐れていた。


 それは、王宮が責められるからだけではない。


 一度浮かび上がった願いは、もう元の深さへ沈めにくいからだ。


 リディアは、再審査卓に手を置いた。


「民嘆願存在確認簿、受付を継続します」


 カイルが記録する。


 その時、存在確認簿の最後のページが、ひとりでにめくれた。


 まだ何も書かれていないはずのページ。


 そこに、金色の文字が浮かんだ。


 王女アレリア宛 未開封嘆願 一括保管先


 広間が静まり返る。


 ヴァルターの顔色が変わった。


 ミリアが立ち上がりかける。


 リディアは、文字を読み続けた。


 王宮地下第三書庫


 ノアが低く呟く。


「まだ、あったのですね」


 リディアの胸が強く鳴る。


 アレリア王女宛の民の嘆願。


 まだ未開封のまま、一括で保管されている。


 それは、今日浮かび上がった紙片よりも大きな束かもしれない。


 ローディスが、即座に言った。


「地下第三書庫は閉鎖されている」


 リディアは、彼を見た。


「なぜですか」


「焼損のためだ」


 ヴァルターが、低く答えた。


「違います」


 広間が静まる。


「焼損扱いにされていますが、実際には封鎖です」


 ミリアの手が震える。


「お姉様宛の嘆願が、まだそこに……」


 リディアは、再審査卓に置かれた存在確認印を見た。


 そして、静かに言った。


「次は、そこを開けます」


 ローディスの顔が、冷たく強張った。


 中央記録広間の床に、地下へ続く薄い線が浮かび上がる。


 民の嘆願は、まだすべて浮かび上がったわけではなかった。


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