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王都の夜間未受理窓口 〜出せなかった願いを受理したら、人生が少しだけ書き換わりました〜  作者: swingout777


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第32話 夜間窓口を、昼の王宮へ持ち込む

 中央記録広間の奥にある大きな記録扉が、低く鳴った。


 ごうん、と。


 まるで、長い間開けられていなかった地下の扉が、ようやく呼吸を始めたような音だった。


 扉の上に浮かんだ文字は、広間にいる全員の目に見えていた。


 補助封印庫記録照会

 宮総保第七号


 ノアの謝罪文から浮かび上がった番号。


 十年前、王女救済願を受理してはならないと命じた通達の番号。


 ローディス・カイルの顔から、初めて余裕が消えていた。


「照会を止めなさい」


 彼は低く命じた。


 だが、誰も動かなかった。


 王宮側の職員も、庁舎の記録官も、貴族院の書記も、動けなかった。


 なぜなら、今この場は公開審理中であり、通達番号は関連証拠として浮上している。


 ここで照会を止めれば、それ自体が記録に残る。


 カイル・ロムが震える手で帳簿に書いていた。


「王宮総務卿ローディス・カイル様、補助封印庫記録照会の停止を命令」


「書くな」


 ローディスの声が鋭くなる。


 カイルの手が一瞬止まった。


 だが、すぐにまた動いた。


「命令に対し、記録係カイル・ロム、継続記録」


 広間がざわめく。


 ローディスの視線がカイルを刺すように向いた。


 若い記録係の顔は青ざめている。

 それでも、ペンを置かなかった。


 リディアは、その姿を見て胸が熱くなった。


 夜間未受理窓口で読まれたものは、もう夜だけに留まっていない。


 今、昼の広間で、誰かが記録を続けている。


 記録扉の前に、淡い光が集まった。


 一枚の書類が、空中からゆっくりと降りてくる。


 黒い縁取りのある通達書。


 王宮総務卿室の印。

 王宮記録監査局の照合印。

 そして、封印された補助番号。


 宮総保第七号


 リディアは、息を呑んだ。


 ついに出た。


 受理してはならないと命じた、昼の書類が。


 ノアは、謝罪文に手を置いたまま通達を見ていた。


 ミリア王女は、王女救済願の原本を抱きしめている。


 ヴァルター・グレイスが、記録卓の前に進み出た。


「通達原本、確認します」


 ローディスが低く言う。


「局長。それ以上読めば、あなた自身も戻れない」


「すでに戻れません」


 ヴァルターは答えた。


 その声は、静かだった。


「十年前に戻れなかった時点で、私は戻る場所を失っていました」


 広間が静まる。


 ヴァルターは、通達書を開いた。


 そして、読み上げた。


「王宮総務卿室発。宮総保第七号。第一王女アレリア殿下に関連する非公式申請、嘆願、救済願、面会願、搬出願その他一切の書類については、王家保全および第二王女殿下の療養保護のため、受理を認めない」


 ミリアの手が震えた。


 リディアは、その横に立つ。


 ヴァルターは続ける。


「当該書類が提出された場合、受付記録を残さず、必要に応じて代替紙による未受理処理を行うこと」


 広間が大きくざわめいた。


 代替紙。


 白紙申請書。


 ミリアの原本が奪われ、代わりに白紙へ未受理印を押されたことが、通達の文言そのものにあった。


 ミリアは、息を詰めた。


「代替紙……」


 声が震えている。


「私の言葉を、最初から別の紙にするつもりだったのですね」


 誰も答えられなかった。


 ヴァルターは、わずかに息を吸って続けた。


「提出者が未成年王族である場合、その発言は療養記録へ編入し、独立した嘆願記録として扱わないこと」


 イリスが口元を押さえた。


 カイルのペンが止まりかける。


 リディアは、ミリアの療養記録を思い出した。


 悪夢。

 情緒不安定。

 同語反復。

 療養継続。


 その下に隠されていた、本当の言葉。


 私は、嘘をついていません。

 あの紙を返して。

 お姉様の名前を、病名にしないで。


 通達は、最初からミリアの言葉を病状へ押し込めるために作られていた。


 ヴァルターは最後の行へ目を落とした。


 声が、少しだけ低くなる。


「発出者、王宮総務卿ローディス・カイル。照会補助、記録監査局」


 広間が静まり返った。


 ローディスの名が、原本で確認された。


 王女救済願を奪い、差し替え、療養記録へ押し込めるための通達。


 それは誰かの記憶ではなく、正式な王宮文書としてここにある。


 ローディスは、ゆっくり立ち上がった。


「その通達は、王家を守るためのものだ」


 声はまだ整っていた。


 だが、先ほどまでのような余裕はなかった。


「当時、第一王女殿下は危険な思想に傾いていた。民の嘆願を無制限に受け取り、王宮と貴族院の均衡を崩そうとしていた。第二王女殿下は幼く、混乱していた。王家の内部混乱を防ぐためには、必要な処置だった」


 ミリアが、ゆっくり顔を上げた。


「私は、混乱していたかもしれません」


 小さな声だった。


 だが、広間に届いた。


「怖かった。泣いていた。うまく話せなかった。きっと、大人から見れば混乱していたでしょう」


 リディアは、ミリアを見る。


 彼女の手は震えている。


 けれど、もう隠れていない。


「でも」


 ミリアは、原本を記録卓に置いた。


「混乱している人の言葉は、すべて捨ててよいのですか」


 ローディスは答えない。


「幼い人の言葉は、聞かなくてよいのですか」


 広間が静まる。


「病んでいるとされた人の願いは、本人確認をせずに別の記録へ移してよいのですか」


 その問いは、アレリア王女の改革案そのものだった。


 リディアは、改革案の写しを手に取った。


 ミリアの言葉の続きとして、読み上げる。


「第三条。未成年者、奉公人、寡婦、孤児、病者その他、自ら申し立てることが困難な者に関する書類については、本人確認を省略してはならない」


 紙が淡く光る。


 リディアは続けた。


「代理人または雇用主の申告のみをもって本人意思とみなすことを禁ずる」


 この条文が、広間の中央に浮かび上がった。


 まるで、アレリア王女自身がここに立っているかのように。


 ローディスは、苦々しく言った。


「それは正式な法律ではない」


「はい」


 リディアは答えた。


「まだ、法律ではありません」


 広間が静まり返る。


 リディアは、王女救済願、通達書、療養記録、改革案の写しを順に見た。


「でも、今この公開審理の手続きとして採用できます」


 ローディスの目が細くなる。


「何を言っている」


「今ここで、未受理にされた書類を扱っています。受理禁止、不存在処理、療養記録への編入、代替紙処理。どれも、本人の声を聞かずに進められました」


 リディアは、記録卓に手を置いた。


「なら、この審理の場だけでも、アレリア王女の条文に従うべきです」


 カイルが息を呑む。


 ノアが、リディアを見る。


 リディアは続けた。


「本人確認をする。理由を記録する。判断者を明らかにする。第三者の立会いを置く」


 彼女は、夜間未受理窓口で使ってきた受理印の重さを思い出した。


「それは、夜間未受理窓口でしてきたことです」


 広間に、ざわめきが起きる。


 夜間未受理窓口。


 存在しないはずの窓口。


 出せなかった書類を受け付ける夜の場所。


 リディアは、はっきりと言った。


「夜間窓口を、昼の王宮へ持ち込みます」


 その瞬間、記録卓の上に置かれた複数の書類が、一斉に光った。


 王女救済願。

 改革案。

 通達書。

 内部告発受付控え。

 ノアの謝罪文。

 セシリアの婚約破棄届。

 マルタの絶縁届。

 テオの養子縁組願。

 ミナの面会希望届。

 ダリオの紙片。

 ミリアの療養記録。


 すべての光が、記録卓の中央に集まる。


 そこに、小さな空白ができた。


 白紙一枚分の空白。


 ノアが、静かに言った。


「リディア様」


「はい」


「それは、制度を作る発言です」


「まだ正式な制度ではありません」


 リディアは答えた。


「審理の手続きです」


 ヴァルターが、低く呟いた。


「暫定未受理再審査卓」


 広間が静まる。


 リディアは、ヴァルターを見る。


 彼は記録卓の中央を見つめていた。


「公開審理内に、未受理再審査のための暫定卓を設ける。審理対象となった未受理、不存在処理、受理禁止、代替紙処理の書類について、本人確認、処理理由確認、判断者確認を行う」


 カイルが、すぐに書き始める。


「暫定未受理再審査卓……」


 その文字が帳簿に刻まれる。


 ノアの表情が、ほんのわずかに揺れた。


「それは」


 声が低い。


「夜間未受理窓口の、昼の形です」


 リディアは頷いた。


「はい」


 ミリアが、改革案の写しに触れる。


「お姉様の願いに、近いものですか」


「近いと思います」


 リディアは答えた。


「まだ小さいです。まだ一時的です。でも、夜の窓口でしかできなかったことを、昼の記録卓で始められます」


 ミリアの目に、涙が浮かんだ。


 だが、今度の涙は絶望ではなかった。


 ローディスが、記録卓を叩いた。


「認められない」


 広間の空気が揺れる。


「そのような手続きを、元書記官補佐と療養中の王女が勝手に作れるはずがない」


 ヴァルターが静かに言った。


「勝手にではありません」


「何?」


「公開審理請求は受理済みです。請求書には複数の署名があり、関連証人も出ています。審理対象の中に、未受理処理の手続きそのものが含まれている」


 ヴァルターは、アレリア王女の改革案を見た。


「ならば、審理を進めるための暫定手続きとして設置できます」


「王宮総務卿として、却下する」


「審理長単独では却下できません」


 ヴァルターは言った。


「先ほど、審理構造はすでに変わっています。受理済み案件の関係者が関連証人として道を開いたため、審理継続には複数機関および提出者本人の確認が必要です」


 カイルが必死に記録する。


 ローディスの顔が、冷たくなる。


「詭弁だ」


「手続きです」


 ヴァルターは答えた。


 その声は、かつての王女の言葉を思い出しているようだった。


 綺麗事で終わらせないために、条文にする。


 リディアは、記録卓に置かれた白紙一枚分の空白を見た。


 そこに、薄い文字が浮かび始める。


 暫定未受理再審査卓 設置申請


 紙が現れた。


 何も書かれていなかった場所に、白い用紙がゆっくりと姿を持つ。


 ミリアが息を呑む。


「また、申請書……」


 リディアは、うなずいた。


「今度は、奪わせません」


 ノアが受理印の木箱を取り出す。


 夜間未受理窓口から持ち出したわけではない。


 しかし、そこに現れた。


 昼の中央記録広間の記録卓の上に。


 木箱の中には、受理印、仮受付印、継続受付印。


 そして、新しい小さな印があった。


 印面には、こう刻まれている。


 再審査


 ノアは、その印を見て静かに目を閉じた。


「昼の印です」


「昼の印?」


 リディアが尋ねる。


「夜間窓口の印ではありません。公開審理が、この場で新しく作った印です」


 リディアの胸が震えた。


 夜から昼へ。


 受理印が、別の形を持ちはじめている。


 カイルが、白紙へ文字を書き込む。


 暫定未受理再審査卓 設置申請

 目的:公開審理対象となる未受理、不存在処理、受理禁止、代替紙処理の書類について、本人意思、処理理由、判断者、照会先を確認すること

 設置根拠:公開審理請求C-117、王国嘆願制度改正案写し、王女救済願原本、関連受理済み案件群


 リディアは、ペンを取った。


 最初に署名するのは、自分でよいのか。


 迷った。


 その時、ミリアが手を伸ばした。


「私が、先に書きます」


 リディアは頷き、ペンを渡す。


 ミリアは震える手で署名した。


 ミリア・エル・ラウゼリア

 提出者本人


 次に、リディア。


 リディア・クラウス

 告発者


 ノア。


 ノア・エルセイド

 受付在席証人


 カイル。


 カイル・ロム

 記録係


 イリス。


 イリス・ベルク

 王宮侍女証人


 そこで、セシリアが前へ出た。


「関連受理済み案件提出者として、署名します」


 ローディスが言う。


「認めていない」


 セシリアは静かに答えた。


「先ほど、私の届は関連証拠として記録されました」


 彼女は署名した。


 セシリア・レント

 関連受理済み案件提出者


 続いて、マルタ。


 マルタ・フェイン

 関連受理済み案件提出者


 リーナも、小さな手で署名した。


 字は少し震えていた。


 リーナ・フェイン

 本人証人


 エルザが署名し、テオも書いた。


 テオはペンを握りしめ、少し乱暴な字で名を書いた。


 テオ

 本人


 エルザが横から小さく言う。


「姓はこれから一緒に考えようね」


 テオは耳を赤くした。


 ミナは字がうまく書けなかった。


 エルザが支えようとしたが、ミナは首を振った。


「自分で書く」


 小さな手で、ゆっくり書いた。


 ミナ

 本人


 リディアは、その署名を見て目頭が熱くなった。


 本人。


 ただそれだけの言葉が、これほど重い。


 ダリオが署名する。


 ユリスも続く。


 署名欄は、どんどん埋まっていく。


 夜間未受理窓口で受け取られた人たちが、昼の再審査卓を作るために名前を置いていく。


 それは制度の始まりとしては小さく、頼りなく、危うい。


 けれど、確かに始まりだった。


 最後に、ヴァルターがペンを取った。


 広間が静まり返る。


 記録監査局長。

 十年前の関係者。

 今なお責任を問われるべき人物。


 彼が署名欄に名を書く。


 ヴァルター・グレイス

 記録監査局長/関係者


 関係者。


 その一語を見て、リディアは息を呑んだ。


 ヴァルターは、自分を審理の外に置かなかった。


 ローディスは、低く言った。


「それを書いた意味を分かっているのか」


「はい」


 ヴァルターは答えた。


「だから書きました」


 申請書が光る。


 文字が浮かぶ。


 設置申請、要審査


 リディアは、再審査印を手に取った。


 だが、押す前にノアが静かに言った。


「リディア様。この印は、一人では押せません」


「誰と?」


「夜間窓口を昼へ持ち込むなら、夜と昼の両方が必要です」


 リディアは、ノアを見た。


 ノアは、ミリアを見る。


 ミリアは、原本を抱いたままうなずいた。


「私も?」


「はい」


 ノアは言った。


「提出者本人として」


 そして、カイルを見る。


「記録係として」


 カイルは息を呑む。


 最後に、ヴァルターを見る。


「記録監査局として」


 ヴァルターは、無言で頷いた。


 リディアは印を持ち、ミリアがその手に重ねた。

 カイルが申請書の端を押さえ、ノアが台帳に手を置く。

 ヴァルターが通達書と改革案の両方に手を添える。


 五人の手が、一つの書類を囲んだ。


 ローディスが叫ぶ。


「やめろ!」


 だが、もう遅かった。


 リディアは、再審査印を押した。


 印面が紙に触れる。


 音は、夜間窓口の受理印よりも小さかった。


 けれど、広間全体に響いた。


 再審査卓設置


 その文字が、申請書に沈む。


 次の瞬間、中央記録広間の床に、新しい線が走った。


 記録卓の前に、小さな受付台が現れる。


 夜間未受理窓口のカウンターに似ている。


 けれど、木の色は明るく、上には王宮と庁舎の印が並んでいる。

 硝子灯はない。


 代わりに、天窓から昼の光が差し込んでいた。


 受付台の前面に、文字が浮かぶ。


 暫定未受理再審査卓


 広間が、どよめいた。


 リディアは、その受付台を見つめた。


 夜間窓口が、昼の王宮へ持ち込まれた。


 完全ではない。


 まだ暫定だ。

 まだ審理の中だけだ。

 まだローディスは座っている。

 まだ制度はできていない。


 それでも、夜に迷い込むしかなかった願いのための場所が、昼の光の下に現れた。


 ミリアは、口元を押さえていた。


「お姉様……」


 改革案の写しが、静かに光る。


 その余白に、アレリア王女の筆跡が浮かぶ。


 誰か一人が受け取るのではなく、仕組みで受け取ること。


 ミリアの涙がこぼれた。


 リディアは、再審査卓の前に立った。


 ノアも、その横に立つ。


 カイルが記録席に座る。


 イリスはミリアを支え、ヴァルターは少し離れた場所で記録監査局長として立った。


 ローディスは、立ったまま彼らを見ている。


 その目には、明確な怒りがあった。


「君たちは、王宮の中に存在しない窓口を作った」


 彼は言った。


 リディアは、静かに答えた。


「いいえ」


 彼女は、昼の光を受ける受付台に手を置いた。


「存在しないことにされていた窓口を、見える場所へ置きました」


 その瞬間、再審査卓の上に最初の書類が現れた。


 それは、王女救済願ではなかった。


 白い小さな紙。


 記録卓の影から、誰かがそっと差し出したような紙だった。


 表題は震える文字で書かれている。


 証言申出書


 差出人欄には、こうあった。


 王宮侍医補佐 匿名希望


 紙の余白に、一文が浮かぶ。


 アレリア殿下に出された薬の記録を、私は見ました。


 広間が凍りついた。


 ローディスの顔色が変わる。


 ミリアが息を呑む。


 リディアは、再審査卓の上の紙を見つめた。


 昼の窓口に、最初の新しい願いが届いた。


 ノアが静かに言った。


「リディア様」


「はい」


「受け付けますか」


 リディアは、その紙に手を伸ばした。


 もう、夜ではない。


 中央記録広間の昼の光の下で。


 彼女は答えた。


「受け付けます」


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