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王都の夜間未受理窓口 〜出せなかった願いを受理したら、人生が少しだけ書き換わりました〜  作者: swingout777


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第31話 ノアの謝罪文

 白い手袋の人が、私の申請書を取りました。袖に、銀の留め具がありました。ローディス・カイルと呼ばれていました。


 王女救済願の原本に浮かび上がったその一文を、中央記録広間の誰もが見ていた。


 ざわめきは、波のように広がった。


 王宮側の席。

 庁舎側の席。

 貴族院の席。

 傍聴席。


 誰かが息を呑み、誰かが椅子を引き、誰かが小声で名を繰り返す。


 ローディス・カイル。


 王宮総務卿。

 この公開審理の審理長席に座っている男。


 その名が、十年前の幼い王女の申請書に残っている。


 ローディスは、表情を崩さなかった。


 ただ、静かにミリア王女を見ていた。


「殿下」


 彼の声は低く、落ち着いていた。


「幼い頃の恐怖の中で見たものを、今、正確に断定するのは危険です」


 リディアの指先が冷たくなる。


 来ると思っていた言葉だった。


 幼かったから。

 怖かったから。

 療養中だったから。

 記憶が曖昧だから。


 ミリアの声をもう一度、信頼できないものとして処理する言葉。


 ミリアの肩が震えた。


 それでも、彼女は原本から手を離さなかった。


「私は、見ました」


「そう信じておられるのでしょう」


 ローディスは言った。


「しかし、信じていることと、記録上確定できることは違います」


 その言葉は整っていた。


 だからこそ、厄介だった。


 感情ではなく記録を。

 思い込みではなく証拠を。

 その理屈自体は間違っていない。


 だが、ローディスはその言葉を、ミリアの証言を遠ざけるために使っている。


 リディアが口を開こうとした時、ローディスは視線を移した。


 ノアへ。


「そもそも、当時の受付席には、ノア・エルセイドがいた」


 広間の視線が、今度はノアへ集まる。


 ノアは静かに立っていた。


 黒い制服。

 整った姿勢。

 だが、その指先は台帳の端を強く押さえている。


 ローディスは続けた。


「申請書を受け取るべき立場にいたのは彼です。彼が受理していれば、ここまで事態はこじれなかった。殿下の訴えが届かなかった直接の原因は、受付席の書記官が職務を果たさなかったことにある」


 広間が静まり返った。


 その言葉には、事実の一部が含まれていた。


 ノアは受け取れなかった。

 未受理印が押されるのを見ていた。

 十年間、その罪を抱えてきた。


 だが、その一部だけを取り出せば、すべての責任をノア一人に押しつけることができる。


 リディアは、胸の奥に怒りが広がるのを感じた。


「それは」


 言いかけたリディアを、ノアが静かに制した。


「いいえ」


 ノアの声は、広間の中でよく通った。


 彼は一歩前へ出た。


「ローディス卿のおっしゃる通りです」


 リディアは息を呑む。


 ミリアも顔を上げた。


 ノアは、記録卓の前に立った。


「十年前、私は王宮臨時受付補助として、その場にいました。ミリア殿下が差し出した申請書を、私は受け取れませんでした」


 彼は、ミリアへ向き直る。


「その事実は、消えません」


 ミリアの目に、涙がにじむ。


 ノアは深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


 広間が静かになる。


 それは、すでに王宮北棟の部屋でも聞いた謝罪だった。


 だが、今は違う。


 公開の場で。

 記録の前で。

 多くの人の前で。


 ノアは自分の罪を口にしている。


 けれど、ローディスはそれを逃さなかった。


「認めたな」


 彼は静かに言った。


「ならば、王女救済願が未受理となった直接責任は、ノア・エルセイドにある」


 ノアは顔を上げた。


「直接責任の一部は、私にあります」


 その言い方に、ローディスの目が細くなる。


「一部?」


「はい」


 ノアは台帳を開いた。


 そこには、彼自身の記録が浮かんでいた。


 ノア・エルセイド

 王宮臨時受付補助

 処理分類:EX-04

 記録状態:死亡扱い


 彼は、その下にある空白へ手を置いた。


「私は、今日まで提出していない書類があります」


 リディアはノアを見た。


「提出していない書類?」


 ノアは頷いた。


「謝罪文です」


 ミリアの表情が揺れた。


「謝罪文……」


「はい」


 ノアは、黒い制服の内側から、一枚の古い紙を取り出した。


 それは、丁寧に折りたたまれていた。


 紙は黄ばみ、端は少し擦れている。


 何度も開き、また閉じた痕があった。


 リディアは、その紙を見た瞬間に分かった。


 これは、今朝書いたものではない。


 十年前から持ち続けていた紙だ。


 ノアは、それを記録卓に置いた。


 紙の表面に、ゆっくりと文字が浮かぶ。


 謝罪文――未提出

 宛先:ミリア・エル・ラウゼリア殿下

 差出人:ノア・エルセイド


 広間に、静かなざわめきが起きた。


 未提出。


 未受理ですらない。


 出すことすらできなかった書類。


 ノアは、リディアを見た。


「リディア様」


「はい」


「この謝罪文を、公開審理の関連資料として提出します」


 リディアの胸が締めつけられた。


 謝罪文は、赦しを求めるためだけのものではない。


 ユリスの謝罪文の時、そう学んだ。


 謝る人が、相手の赦しを勝手に期待して差し出すものではない。

 自分が何をしたのかを、相手の前に置くものだ。


 ノアは今、それをしようとしている。


 カイル・ロムが震える手で帳簿を開いた。


「ノア・エルセイド氏、謝罪文を関連資料として提出」


 ローディスが冷たく言う。


「謝罪文は証拠ではない」


「証拠ではありません」


 ノアは答えた。


「ですが、証言です」


 彼は、謝罪文を開いた。


 紙が淡く光る。


 ノアは、自分で読み始めた。


「ミリア・エル・ラウゼリア殿下」


 声は低く、静かだった。


「私は、王宮臨時受付補助ノア・エルセイドです。この文は、あなたの救済願を受理できなかったことについての謝罪です」


 広間中が、彼の声を聞いていた。


「十年前、あなたは王宮臨時受付へ走って来られました。手には申請書がありました。あなたは、第一王女アレリア殿下を助けてほしいと訴えました」


 ミリアの指が、原本に触れる。


 ノアは続ける。


「私は、手を伸ばしました」


 その一文で、ミリアの目から涙が落ちた。


「ですが、その直前に、横から申請書が奪われました。代わりに白紙が置かれました。私は、それを見ました」


 広間に、はっきりとしたざわめきが広がった。


 今のは、ミリアの記憶だけではない。


 ノアの証言だ。


 当時受付にいた書記官が、差し替えを見たと書いている。


 ローディスの表情が、少しだけ硬くなった。


 ノアは読み続けた。


「白紙に未受理印が押される時、私は止めませんでした。命令に逆らうことが怖かったからです。王宮総務卿室から、王女殿下関連の非公式申請は受理してはならないと通達されていました」


 リディアは息を呑んだ。


 王宮総務卿室からの通達。


 ローディスの席の周囲がざわつく。


 カイルのペンが走る。


 ローディスが口を開こうとするが、ノアは止まらなかった。


「通達には、受理禁止、王宮保全、王女殿下療養保護の文言がありました。私は、その意味を深く考えることを避けました。考えれば、自分が何を見過ごしているか分かってしまうからです」


 ノアの声が、わずかに震えた。


「私は、あなたの申請書を奪った者を見ました。白い手袋。袖口の銀の留め具。ローディス・カイル総務卿の側近章。私は、それを覚えています」


 広間が大きく揺れた。


 ミリアが息を呑む。


 リディアは、ローディスを見る。


 彼の顔から、さきほどまでの余裕が薄れていた。


「さらに」


 ノアは続ける。


「後日、私は王宮記録監査局の補助記録室で、王女救済願原本が不存在処理に回されたことを知りました。私は異議を出しませんでした」


 ノアは、紙から目を離さない。


「私は、あなたを直接害した者ではないかもしれません。しかし、受け取らなかった者です。止められる位置にいながら、止めなかった者です」


 リディアの胸が痛んだ。


 ノアは自分を軽くしようとしていない。


 ローディスへ責任を押し返すためだけに話しているのでもない。


 自分がしたことを、正確に置こうとしている。


 謝罪文とは、こういうものなのだ。


「私は、あなたに赦しを求める資格がありません」


 ノアの声が、少しだけかすれた。


「それでも、この文を残します。あなたの願いが受け取られなかったことは、あなたの罪ではありません。受け取らなかった私たちの罪です」


 ミリアは泣いていた。


 けれど、目を逸らさなかった。


 ノアは、最後の段落へ進む。


「もし、いつかこの文があなたに届くなら、どうかこれだけは知ってください。あなたは、助けを求めてよかったのです。私は、その手を受け取るべきでした」


 広間の空気が静かに震える。


「ノア・エルセイド。王宮臨時受付補助。死亡扱いとなる前に記す」


 ノアは、謝罪文から手を離した。


 紙の上に、淡い朱色の光が浮かぶ。


 謝罪文――未提出


 その文字が揺れ、変わる。


 謝罪文――提出


 カイルが、震える声で読み上げた。


「ノア・エルセイド氏、謝罪文提出。内容、王女救済願差し替え目撃、受理禁止通達の存在、王宮総務卿室関与の証言を含む」


 ローディスが立ち上がった。


「その文は、十年間提出されていなかった。後からいくらでも書ける」


「紙の年代確認をしてください」


 ノアは静かに言った。


「インク、紙質、王宮臨時受付の保管印。十年前のものです」


 ヴァルター・グレイスが口を開いた。


「確認できます」


 ローディスの視線が鋭く向く。


 ヴァルターは、ノアの謝罪文を見た。


「この紙には、王宮臨時受付補助室で使用されていた仮保管紙の透かしがあります。十年前の臨時受付閉鎖後、同じ紙は使用されていません」


 カイルが記録する。


「記録監査局長、謝罪文用紙の年代確認可能と証言」


 ローディスは、声を低くした。


「ヴァルター。あなたは、どちら側に立つつもりだ」


 ヴァルターは、しばらく黙った。


 そして言った。


「記録の側です」


 広間が、またざわめいた。


 リディアは、ヴァルターを見た。


 それは、彼が初めてはっきり選んだように聞こえた。


 国でも。

 王宮でも。

 庁舎でも。

 貴族院でもなく。


 記録の側。


 ローディスは、冷たい目で彼を見た。


「記録は、扱い方を誤れば国を壊す」


「はい」


 ヴァルターは答えた。


「十年間、私はそう考えてきました」


「なら」


「しかし」


 ヴァルターの声が、ほんの少しだけ強くなった。


「扱わずに封じた記録も、人を壊します」


 ミリアが、涙の残る目で彼を見る。


 ノアも、静かに顔を上げた。


 ヴァルターは続ける。


「ミリア殿下を。ノア・エルセイドを。リディア・クラウスを。セシリア・レントを。ここに立つ多くの者を」


 広間に沈黙が落ちる。


「記録監査局長として、ノア・エルセイドの謝罪文を鑑定対象として受け付けます」


 カイルが読み上げる。


「ノア・エルセイド謝罪文、鑑定対象として受け付け」


 ノアの謝罪文が、記録卓の上で光った。


 その光は、王女救済願の原本へ伸びる。


 ミリアの原本からも、光が伸びる。


 二つの紙が、細い線で結ばれた。


 十年前、つながるはずだった提出者と受付者。


 その間に、ようやく線が引かれた。


 ミリアは、ゆっくりノアを見る。


「ノア」


 名前を呼ばれ、ノアは顔を上げた。


「はい」


「私は、あなたを赦せるか、まだ分かりません」


 広間が静かになる。


 ノアは、深く頷いた。


「はい」


「あなたが受け取ってくれなかったことを、私はずっと覚えていました。夢の中で何度も、あなたの黒い服を見ました」


「はい」


「だから、すぐに赦すとは言えません」


「当然です」


 ノアの声は静かだった。


「謝罪文は、赦しを強いるためのものではありません」


 ミリアは、泣きながら頷いた。


「でも」


 彼女は、謝罪文に手を伸ばした。


 その紙に、そっと触れる。


「受け取ります」


 ノアの表情が、初めて崩れた。


 わずかに。


 本当にわずかに。


 けれど、リディアには分かった。


 十年間閉じていた何かが、そこで少しだけ開いた。


 ミリアは言った。


「赦すかどうかは、まだ分かりません。でも、あなたが書いたことは、受け取ります」


 ノアは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その声は、震えていた。


 謝罪文の文字が変わる。


 謝罪文――受取済


 広間の床に、灰色の光が広がった。


 ノアの足元から、王女救済願へ。


 そして、公開審理の記録卓へ。


 カイルが読み上げる。


「謝罪文、宛先本人により受取確認。赦免判断は未了」


 その言い方に、リディアは胸を打たれた。


 受け取った。

 だが、赦したとは書かない。


 正確だ。


 そして、その正確さこそが必要だった。


 ノアは、まだ罪から自由になったわけではない。

 けれど、謝罪文はようやく宛先に届いた。


 ローディスが、低く言った。


「茶番だ」


 その声には、さきほどよりも焦りが混じっていた。


「謝罪文を美談にしているだけだ。問題は、王女救済願原本に記された告発の真偽であり、ノア・エルセイドの感傷ではない」


 リディアは、ローディスを見た。


「その通りです」


 広間が静まる。


 ローディスの目がわずかに細くなる。


 リディアは続けた。


「ノアさんの謝罪文は、美談ではありません。責任の一部を記録するものです」


 彼女は謝罪文を指さした。


「そして同時に、申請書差し替え、受理禁止通達、王宮総務卿室の関与を示す証言です」


 リディアは、内部告発受付控えを記録卓に置いた。


「私は告発者として、この謝罪文を関連証拠に追加します」


 受付控えが光る。


 関連証拠追加:ノア・エルセイド謝罪文


 カイルが記録する。


 ヴァルターが頷く。


「記録監査局として、鑑定対象に加えます」


 ローディスの表情から、さらに余裕が消えた。


 だが、彼はまだ崩れない。


「仮に、王宮総務卿室から受理禁止通達があったとしても、それは王家保全のための通常措置です」


「通常措置で、申請書を奪って差し替えるのですか」


 リディアが問う。


 ローディスは答えない。


「通常措置で、提出者に白紙を未受理として返すのですか」


 広間が静まる。


「通常措置で、受付補助を死亡扱いにするのですか」


 その瞬間、ノアの台帳が光った。


 ノア・エルセイド死亡扱い記録


 ノアが、静かに顔を上げる。


 リディアは続けた。


「ノアさんは謝罪しました。自分の責任を認めました。では、次に記録すべきは、その謝罪文に書かれた通達の発出者です」


 ローディスの目が冷たくなる。


「元書記官補佐が、王宮総務卿を尋問するのか」


「いいえ」


 リディアは答えた。


「告発者が、関連記録の提示を求めています」


 受付控えの文字が強く光る。


 請求:受理禁止通達原本の提示


 広間がざわめく。


 ヴァルターが、ゆっくり立ち上がった。


「記録監査局長として確認します」


 ローディスが彼を睨む。


「やめろ」


「受理禁止通達が通常措置なら、提示に問題はないはずです」


 ヴァルターの声は静かだった。


「十年前の王女殿下関連申請受理禁止通達。発出元、王宮総務卿室。保管先は、王宮記録監査局補助封印庫」


 カイルが記録する手を止めかけた。


 リディアも息を呑む。


 まだ別の封印庫がある。


 ローディスが、低く言った。


「その記録は、王宮機密だ」


「公開審理対象に関連するため、少なくとも存在確認は必要です」


 ヴァルターは答えた。


 その時、記録卓の上に置かれたノアの謝罪文が、もう一度光った。


 紙の余白に、新しい一文が浮かぶ。


 ノア自身が書いたものではない。


 処理痕だ。


 受理禁止通達番号:宮総保第七号


 広間が大きくざわめいた。


 番号が出た。


 通達が実在することを示す番号。


 リディアの胸が強く鳴る。


 ノアは、その番号を見て目を閉じた。


「覚えています」


 彼は低く言った。


「その番号でした」


 カイルが読み上げる。


「受理禁止通達番号、宮総保第七号。ノア・エルセイド氏、記憶確認」


 ローディスは何も言わない。


 だが、沈黙が答えのように広間へ広がる。


 ミリアは、謝罪文から手を離し、原本を抱きしめた。


「ノア」


「はい」


「あなたの謝罪文がなければ、この番号は出ませんでした」


「……はい」


「だから、受け取ってよかった」


 ノアは、また深く頭を下げた。


 その肩が、ほんのわずかに震えていた。


 リディアは、謝罪文を見つめた。


 謝罪文は、過去を消さない。


 罪をなかったことにしない。


 だが、責任を曖昧にしないための紙になる。


 誰が受け取れなかったのか。

 誰が奪ったのか。

 誰が通達を出したのか。


 それぞれを分けるために。


 その時、広間の奥にある大きな記録扉が、低い音を立てた。


 全員の視線が向く。


 扉の上に、文字が浮かんでいる。


 補助封印庫記録照会

 宮総保第七号


 ヴァルターが言った。


「通達原本が呼び出されます」


 ローディスの顔が、初めて明確に強張った。


 リディアは息を吸った。


 ノアの謝罪文が、次の扉を開いた。


 今度は、王女救済願を受理してはならないと命じた書類そのものが、昼の広間に現れようとしていた。


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