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王都の夜間未受理窓口 〜出せなかった願いを受理したら、人生が少しだけ書き換わりました〜  作者: swingout777


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第25話 自分の未受理を入口にする

「リディア・クラウス。告発者です」


 そう名乗った瞬間、封印庫の床に押された仮受付印が強く光った。


 淡い朱色の光が、黒い石床を走る。


 封印庫内不存在処理記録群――存在確認

 個別受理判断、未了

 仮受付


 その文字が、ローディス・カイルの足元まで伸びた。


 王宮総務卿。


 十年前、ミリア王女の申請書を奪った白い手袋の持ち主。

 今も同じ白い手袋をして、同じように整った袖口で、同じように人の願いを「受理してはならない」と言い切る男。


 ローディスは、リディアを見た。


 まるで、床に落ちた小さな紙片でも見るような目だった。


「告発者?」


 彼は静かに繰り返した。


「王宮記録監査局長。これは、どういうことです」


 その視線がヴァルターへ移る。


 ヴァルターは、黒い金庫の横に立っていた。


 表情は冷静だ。

 だが、リディアには分かる。


 この場は、ヴァルターの想定をすでに越えている。


 原本は開封された。

 ミリア王女が読んだ。

 記録係が書いた。

 封印庫の不存在処理記録群には、仮受付印が押された。


 もう、ただ封じ直すだけでは済まない。


「ミリア殿下より原本返還請求がありました」


 ヴァルターは淡々と答えた。


「局長権限および提出者本人確認により、王女救済願原本を返還しました」


「返還?」


 ローディスの声が少し低くなる。


「それは返還されるべき書類ではありません」


 ミリアが原本を胸に抱きしめる。


 その手は震えていた。


 けれど、もう紙を隠すようには抱いていなかった。

 見えるように、確かにそこにあると示すように抱いている。


「私の申請書です」


 ミリアが言った。


 声は小さい。


 けれど、封印庫の中で消えなかった。


「十年前、私が書いたものです」


 ローディスは、ミリアへ視線を向けた。


 その目に、わずかな苛立ちが浮かぶ。


「殿下。お体に障ります。療養室へお戻りください」


 ミリアの肩が震えた。


 その言葉に、十年間押し込められてきた記録の匂いがあった。


 療養。

 休息。

 保護。

 心身の安定。


 その名の下で、彼女の言葉は病状にされてきた。


 リディアは一歩前へ出た。


「ミリア殿下は、提出者としてここに立っています」


 ローディスの目が細くなる。


「君に発言を許した覚えはない」


「許可ではなく、記録として発言します」


 リディアは胸元の解雇通知を取り出した。


 雨に濡れ、何度も折られた紙。


 昨日、彼女を王都庁舎から追い出した紙。


 けれど、今は違う。


 その紙の奥には、本当の一文が残っている。


 彼女は、告発者である。


 リディアは、それをローディスの前に掲げた。


「この処分通知は、本来、内部告発受付準備として処理されるはずでした」


 紙が淡く光る。


 処理痕が浮かび上がる。


 原処理:内部告発受付準備

 告発者保護申請:作成中

 告発対象:婚約関連文書不正処理

 分類外:EX-04へ移管

 告発者保護申請:削除


 ローディスは、その文字を一瞥しただけだった。


「庁舎の処分記録にすぎない」


「いいえ」


 リディアは首を横に振った。


「これは、私自身の未受理です」


 封印庫の光が、わずかに揺れた。


 ノアがリディアを見る。


 ヴァルターも、かすかに目を細めた。


 リディアは、自分の紙を見つめながら続けた。


「私は、セシリア・レント様の婚約関連文書に不正処理を見つけました。本来なら告発者として保護されるべきでした。でも、私の報告はEX-04へ移管され、私自身が改ざん者として処分された」


 ローディスは黙っている。


「そして、その処理の先に、バルツァー家、聖ユレーネ孤児院、王宮嘆願処理記録、王国嘆願制度改正案、王女救済願が繋がっています」


 リディアは、解雇通知を胸の前で持ち直した。


「だから、この紙はただの処分通知ではありません。封印庫へ入るための立会権限を発生させた、関連告発書類です」


「元書記官補佐が、王宮総務卿に向かって随分なことを言う」


「元、ではありません」


 言った瞬間、自分でも驚いた。


 だが、言葉はもう出ていた。


「私の職員名簿上の名前は消されかけています。でも、まだ私は私の記録を完全には手放していません」


 リディアは、自分の名前をはっきりと言った。


「リディア・クラウスです」


 その名に反応するように、解雇通知の端が赤く光った。


 紙の余白に、新しい文字が浮かぶ。


 職員記録:消失処理中

 本人記憶保持

 告発者記録:一時復元


 ローディスは、その文字を見てわずかに眉を寄せた。


「未受理窓口の小細工か」


「小細工ではありません」


 ノアが静かに言った。


「未受理のまま残された記録が、本人の意思と関連書類によって一時的に接続された状態です」


「死亡扱いの書記官が説明するのか」


 ローディスの声は冷たい。


 ノアは一瞬だけ沈黙した。


 だが、顔を上げた。


「はい」


 彼は、静かに言った。


「死亡扱いの書記官だからこそ、説明します」


 封印庫の空気が張り詰める。


 ノアは、自分の台帳を開いた。


 そこには彼自身の記録が浮かんでいる。


 ノア・エルセイド

 王宮臨時受付補助

 処理分類:EX-04

 記録状態:死亡扱い


「私も、存在しないことにされた記録です」


 ノアは言った。


「だから、存在しないことにされた書類がどこへ流れ着くのかを知っています」


 ローディスは、口元を少し歪めた。


「ならば分かるはずだ。そこに残る願いは、必ずしも救いではない」


「分かっています」


「受理してはならない願いもある」


「はい」


「それを分かってなお、この封印庫に仮受付印を押したのか」


「押したのは私です」


 リディアが言った。


 ノアの前に、少しだけ出る。


「受理禁止の分類が必要な場合があることは分かりました。けれど、それを誰が、なぜ判断したのかを記録しなければ、何でも隠せます」


 彼女は黒い箱の列を見た。


「この中には、本当に危険な願いもあるのでしょう。誰かを殺してほしい、消してほしい、罰してほしい。そんな願いもあるのだと思います」


 ローディスは動かない。


「でも、この中には、セシリア様の婚約破棄届と同じものもある。マルタさんの絶縁届と同じものもある。テオさんの養子縁組願と同じものもある。ミリア殿下の救済願と同じものもある」


 リディアは、仮受付印が広がる床を見た。


「だから、すべてを叶えるとは言いません。ただ、存在を認めます。個別に読む必要があると記録します」


 ローディスは、静かにリディアを見た。


「その結果、国が乱れたら?」


「乱れないようにするために、読むんです」


「幼い」


「そうかもしれません」


 リディアは、もうその言葉に傷つかなかった。


「でも、読まずに閉じ込めた結果が、今ここにあります」


 彼女はミリアを見る。


 十年間、療養室で同じ言葉を繰り返していた王女。


 次にノアを見る。


 十年前に受け取れなかったまま、死亡扱いとして窓口に残された書記官。


 そして、自分の手元の解雇通知を見る。


 告発者である事実を消され、処分者にされた紙。


「読まなかったことも、国を壊します」


 リディアは言った。


「静かに、ゆっくりと」


 その言葉に、ローディスの表情がほんのわずかに変わった。


 不快ではなく、記憶を刺されたような変化だった。


「それは、アレリア殿下も言っていた」


 ヴァルターが低く呟いた。


 ローディスの視線がヴァルターへ飛ぶ。


「局長」


「国をこれ以上静かに壊さないためだと、あの方は言った」


 ヴァルターは、黒い箱の列を見た。


「私は、その言葉を恐れました」


「恐れたから、潰したのですか」


 リディアが問うと、ヴァルターはすぐには答えなかった。


 やがて、短く言った。


「止めた」


「同じです」


「違う」


 ヴァルターの声が低くなる。


「私は、あの方を止めたかった。潰したかったわけではない」


 封印庫が静まり返った。


 ローディスは、ヴァルターを見ている。


 その目には明らかな警戒があった。


「十年前の感傷を、ここへ持ち込まないでいただきたい」


「感傷ではない」


 ヴァルターは静かに答えた。


「記録です」


 その一言で、リディアは息を止めた。


 記録。


 ヴァルターが、その言葉を使った。


 ローディスの顔が険しくなる。


「記録監査局長としての立場をお忘れか」


「忘れていない」


「ならば、ただちに王女救済願原本を再封印し、ここで見聞きした内容を整理するべきです」


「整理とは」


 ヴァルターの声は冷たかった。


「消す、という意味ですか」


 ローディスは、返事をしなかった。


 しかし、その沈黙は十分だった。


 ミリアが原本を抱きしめる。


 イリスが彼女を支える手に力を込める。


 記録係の若い男は、震えながらも帳簿を閉じずにいる。


 リディアは、解雇通知を見た。


 この場をどう突破するか。


 封印庫を開けた。

 原本を返した。

 再読した。

 仮受付印を押した。


 だが、それだけではまだ足りない。


 このまま封印庫の中で押し戻されれば、すべては再び「整理」される。


 必要なのは、入口だ。


 外へ出す入口。


 夜間未受理窓口へ逃げるためだけの入口ではない。

 昼の記録へつなげる入口。


 リディアは、自分の解雇通知を握りしめた。


 自分の未受理。


 改ざん者にされた処分通知。

 告発者保護申請を削除された痕。

 職員名簿から消されかけた名前。


 これを、入口にする。


「ノアさん」


「はい」


「私の解雇通知は、まだ正式には受理していませんね」


「はい」


「けれど、告発者記録として一時復元されています」


「その状態です」


「では、この場で正式な告発受付に切り替えられますか」


 ノアの表情が変わった。


「リディア様」


「できるか、できないかで答えてください」


 ノアは、少しだけ目を伏せた。


「理論上は、できます」


「危険は?」


「非常に高いです」


「代償は?」


「あなたの処分通知を、完全に未受理案件として開くことになります」


 リディアは、解雇通知を見た。


 まだ読めていない部分がある。


 自分の書類を完全に開くということは、自分が消されかけた経緯をすべて読むことだ。


 そこには、痛みがある。

 怒りがある。

 自分がどれほど簡単に切り捨てられたかを知ることになる。


 そして、開いた以上はもう戻せない。


「それで入口ができますか」


「はい」


 ノアは答えた。


「あなたの告発者保護申請を、封印庫内で再起動すれば、この場の書類群を関連資料として紐づけられます」


「すると?」


「封印庫内の記録を、少なくとも一部、王都庁舎の正式な告発受付台帳へ送れます」


 リディアは息を吸った。


 それだ。


 封印庫の中だけでなく、庁舎の昼の台帳へ。


 存在しないことにされた書類を、正式な告発関連資料として流し込む。


 ローディスが鋭く言った。


「認められない」


「認めるかどうかは、受付後に判断されます」


 リディアは答えた。


「まずは提出します」


「誰が受け付ける」


 ローディスは冷笑した。


「庁舎は君を処分済みだ。名簿にもない。君の告発など、窓口に立つ前に消える」


「だから」


 リディアは、解雇通知を両手で広げた。


「自分の未受理を、入口にします」


 その言葉に、封印庫の床の仮受付印が強く光った。


 ノアが台帳を開く。


 ヴァルターが静かに見ている。


 ミリアが、不安そうにリディアの名を呼ぶ。


「リディアさん」


「大丈夫です」


 本当は、大丈夫ではなかった。


 手は震えている。

 胸は痛い。

 名前が消える恐怖は、ずっとそこにある。


 けれど、今ここで自分の未受理を開かなければ、封印庫の記録はまた閉じられる。


 リディアは、解雇通知に指を置いた。


「リディア・クラウス」


 自分の名を言う。


「王都庁舎書記官補佐。内部告発者。処分通知EX-04移管。告発者保護申請削除」


 紙が強く光り始める。


 その光は、温かくなかった。


 焼けるように熱い。


 リディアは息を詰めた。


 視界が揺れる。


 王都庁舎の廊下。

 保管庫の台帳。

 不自然な空白。

 自分の報告書。


 上司がそれを受け取る。


 記録監査局へ回す。


 そこで、紙の向きが変わる。


 リディアの名前が、告発者欄に記される。

 次の瞬間、黒い線で塗りつぶされる。


 告発者保護申請が作成される。

 それが削除される。


 処分通知が作られる。


 承認者はヴァルター・グレイス。


 だが、その下にもう一つ、照会先がある。


 リディアは目を凝らす。


 黒く滲んでいる。


 読めない。


 さらに深く潜ろうとした瞬間、胸を掴まれるような痛みが走った。


「っ……!」


 ノアが叫ぶ。


「リディア様、戻ってください」


「まだ」


 リディアは紙を離さない。


 照会先。


 誰が、彼女をEX-04へ移すよう求めたのか。


 ヴァルターだけではない。


 その奥に、別の名がある。


 黒い滲みの下から、文字が浮かぶ。


 王宮総務卿室


 続いて。


 ローディス・カイル


 リディアは、息を呑んだ。


 自分の解雇通知にも、彼の名がある。


 セシリアの婚約破棄届から始まった告発は、すでに王宮総務卿室へ届いていた。

 だから消された。


 リディアは、現実へ引き戻された。


 膝が崩れそうになる。


 ノアが支える。


 リディアは荒い息をしながら、ローディスを見た。


「私の処分通知」


 声がかすれている。


「王宮総務卿室へ照会されています」


 ローディスの顔から、初めて表情が消えた。


「庁舎内部の処分に、王宮総務卿が照会する理由は何ですか」


 リディアは、解雇通知を掲げた。


 文字が浮かぶ。


 照会先:王宮総務卿室 ローディス・カイル

 照会理由:王宮嘆願関連記録保全


 リディアは続けた。


「保全ではなく、封鎖ですね」


 ローディスは答えない。


 ヴァルターが、彼を見る。


「総務卿」


 その声は、低かった。


「あなたが、リディア・クラウスの処分に照会を出したのですか」


 ローディスは、しばらく沈黙した。


 そして、ゆっくりと言った。


「国の記録を守るためです」


 リディアは、小さく笑った。


 疲れた笑いだった。


「皆さん、そればかりですね」


 国を守るため。

 王女を守るため。

 子どもを守るため。

 記録を守るため。


 守るという言葉の下で、どれほどの書類が奪われたのか。


 解雇通知の光が広がっていく。


 床に新しい文字が浮かぶ。


 リディア・クラウス処分通知――告発受付へ再移管

 関連資料:王女救済願原本、王国嘆願制度改正案、封印庫内不存在処理記録群

 入口生成中


 封印庫の奥で、空気が裂けるような音がした。


 黒い箱の列の間に、細い光の線が現れる。


 扉ではない。


 紙の隙間のような、白い入口。


 その向こうに見えるのは、王都庁舎の受付台帳だった。


 昼の庁舎。


 公式な告発受付台帳。


 リディアは、息を呑んだ。


「つながった……」


 ノアが言った。


「あなたの未受理が、入口になりました」


 ローディスが鋭く命じる。


「閉じろ!」


 王宮記録監査官たちが動こうとする。


 だが、ヴァルターが一歩前に出た。


「動くな」


 その声は静かだった。


 しかし、誰も動けなかった。


 ローディスが彼を睨む。


「局長、何のつもりです」


「記録が開いています」


 ヴァルターは言った。


「開いた記録を、監査前に閉じることはできません」


「誰に向かって言っている」


「王宮総務卿に」


 ヴァルターの声は変わらない。


「そして、十年前の関係者に」


 ローディスの目が細くなる。


 リディアは、その間に解雇通知を入口へ向けた。


 自分の紙が、光の中へ吸い込まれていく。


 完全に手放すわけではない。


 でも、写しが送られていくのが分かる。


 王都庁舎の告発受付台帳へ。


 続いて、ミリアが原本を抱えたまま言った。


「私の申請書も」


 リディアは振り向く。


「殿下」


「送ってください」


 ミリアは震えていた。


 それでも、原本を差し出した。


「原本は私が持っています。でも、写しを。今度は、消されない場所へ」


 ノアが台帳をかざす。


「原本写し、作成」


 王女救済願の文字が、淡い光となって入口へ流れていく。


 記録係も、自分の帳簿を開いた。


「読み上げ記録、送付します」


 イリスがメモを差し出す。


「侍女証言も」


 リディアは、改革案の写しを持つ手に力を込めた。


「王国嘆願制度改正案、現存確認記録」


 それも、光となって入口へ流れていく。


 封印庫の黒い箱たちは、まだすべてを差し出してはいない。


 だが、存在確認の記録だけは送られた。


 存在しないことにされた書類群が、初めて昼の台帳に影を落とした。


 入口の向こうで、巨大な台帳がひとりでにめくれる。


 そして、一行が浮かんだ。


 内部告発受付番号:未定


 リディアの胸が詰まる。


 未定。


 まだ正式ではない。


 でも、空白ではない。


 続いて、文字が変わる。


 受付番号発行中


 ローディスが一歩踏み出す。


「止めろ!」


 だが、もう遅かった。


 台帳に、黒い文字が刻まれる。


 内部告発受付番号:C-117


 リディアは、その番号を見つめた。


 受付番号。


 ただの数字と記号。


 けれど、それは存在の証だった。


 リディア・クラウスの告発が、初めて昼の記録に場所を得た。


 彼女は改ざん者ではない。


 告発者として、受付番号を持った。


 解雇通知が、彼女の手の中で静かに変化した。


 表題が揺れる。


 解雇通知


 その文字の下に、別の表題が浮かぶ。


 内部告発受付控え


 リディアは、涙が出そうになった。


 戻ったわけではない。


 名誉が完全に回復したわけでもない。

 処分が取り消されたわけでもない。


 けれど、入口はできた。


 自分の未受理が、扉になった。


「……受け付けられた」


 リディアが呟くと、ノアが静かに頷いた。


「はい」


 彼の声も、わずかに震えていた。


「受け付けられました」


 ミリアが小さく笑った。


 涙で濡れた顔で。


「よかった」


 その言葉が、リディアの胸に染みた。


 その瞬間、封印庫の入口から大きな足音が響いた。


 新たな兵たちが近づいている。


 ローディスの顔には、もう余裕がなかった。


「総務卿命令です。全員拘束しなさい」


 ヴァルターが振り返る。


「その命令は記録に残ります」


「残せばいい」


 ローディスの声は冷たい。


「残ったところで、処理する方法はいくらでもある」


 リディアは、受付控えを握った。


 入口はまだ開いている。


 けれど、いつ閉じるか分からない。


 ノアが言った。


「退避します」


「どこへ」


「夜間未受理窓口へ」


 ミリアが原本を抱きしめる。


「私も?」


「はい」


 ノアは答えた。


「提出者本人として、原本を守る必要があります」


 イリスがミリアを支える。


 記録係も帳簿を抱えている。


 リディアはヴァルターを見た。


「あなたは」


 ヴァルターは、ローディスと迫る足音の方を見た。


「私はここに残ります」


「なぜ」


「入口を閉じるまで時間を稼ぎます」


「でも」


「リディア・クラウス」


 ヴァルターは、初めて彼女の名前を、処分対象ではなく一人の人間として呼んだように聞こえた。


「告発者なら、記録を持って逃げなさい」


 リディアは、息を呑んだ。


 ヴァルターは続ける。


「私が守れなかった記録です」


 その言葉には、十年分の重さがあった。


 リディアは深く頷いた。


「行きます」


 ノアが台帳を開く。


 封印庫の床に、夜間未受理窓口へ続く扉が現れる。


 淡い朱色の光で縁取られた扉。


 リディアは、ミリアとイリス、記録係を先に通す。


 ノアが続く。


 最後に、リディアはもう一度封印庫を振り返った。


 黒い箱の列。

 ローディス。

 ヴァルター。

 そして、まだ読まれていない無数の書類。


 受理してはならない願い。

 受理されると困る願い。

 読まれないまま眠る願い。


 それらを全部置いていくわけではない。


 仮受付印は、もう床に残っている。


 存在確認は、昼の台帳に送られた。


 だから、いつか戻ってこられる。


 リディアは、受付控えを胸に抱いた。


 そして扉をくぐった。


 夜間未受理窓口の受付室へ戻ると、カウンターの上で台帳が大きく開いていた。


 そこには、新しい文字が浮かんでいる。


 内部告発受付番号:C-117

 告発者:リディア・クラウス

 関連未受理案件:王女救済願、王国嘆願制度改正案、封印庫内不存在処理記録群


 リディアは、その文字を見つめた。


 自分の名前がある。


 消されかけていた名前が、今ここにある。


 その下に、もう一行が浮かんだ。


 次段階:公開審理請求


 ノアが静かに言った。


「ここから先は、隠された書類を表へ出す手続きになります」


 ミリアが、原本を抱いたまま顔を上げる。


「私も、出ます」


 リディアは彼女を見る。


「殿下」


「お姉様の願いを、もう箱の中に戻しません」


 ミリアの声は震えていた。


 けれど、その目は確かだった。


「私が、証言します」


 その瞬間、王女救済願の原本が淡く光った。


 受付室の時計が、ゆっくりと動き出す。


 夜が、少しずつ明けようとしていた。


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