第067回
『Mikiko's Room(https://mikikosroom.com/)』で連載した、会津若松への旅行記(原題は「単独旅行記Ⅶ」)です。
この回のオリジナルは、↓のページに掲載しています。
https://mikikosroom.com/archives/50285552.html
なお、「小説を読もう!」では、写真を2分の1サイズに縮小して投稿しています。
フルサイズの写真は、上記オリジナルページをご覧下さい。
特に断りのない写真は、わたしが撮影したものですので、ご自由にお使いください。
なお、本文のみをまとめた総集編(後書きはありません)は、↓のページからご覧いただけます。
https://mikikosroom.com/archives/24257587.html
み「あ、説明板があった。
へー。
1432年に建てられた別荘が始まりか。
1432年って、何時代?」
ハ「日本史、得意やったんやないんか?」
み「それは高校時代の話。
あれから何年経ってると思うんだ」
ハ「50年か?」
み「殺すぞ。
早く調べい!」
ハ「へいへい。
えーっとやな。
室町時代に入って、100年くらい経ったころや」
み「室町時代って、何年から何年?」
ハ「1336年から1573年やて」
み「げ。
マジ?
240年近いじゃん。
江戸時代とほとんど変わんないよ。
そんなに長かったんだ」
ハ「将軍の数は、15人ずつで一緒やからな。
1432年は……。
6代将軍、足利義教の治世や。
お。
江戸幕府の将軍と、共通点があったで」
み「どんな?」
ハ「15代将軍が、一番長生きしとる」
み「江戸幕府は、徳川慶喜だよね」
ハ「満で76まで生きとるわ。
亡くなったんは大正時代や」
み「室町幕府は?」
ハ「15代将軍は、足利義昭。
享年、満で59。
あと2ヶ月生きれば還暦やったな」
み「それで、一番長命なの?」
ハ「せやな。
次が、10代将軍・足利義稙の満56歳や。
15人中、満年齢で50年以上生きたんは、4人しかおらん」
み「まさに、人生50年だったんだね。
でも、15代将軍って、殺されなかったの?」
ハ「晩年は、秀吉から厚遇されたそうや。
なにしろ、前将軍やからな。
徳川、毛利、上杉やらの大大名よりも……。
上位の席次を与えられとったと。
秀吉のいい話し相手やったて」
み「秀吉といくつ違い?」
ハ「えーっと。
はは。
こりゃ驚いた。
同い年や。
秀吉の方が、9ヶ月先の生まれやな」
み「へー。
それで話が合ったのかもね。
おんなじアニメ見てたとか」
ハ「見てるかい!」
み「おー。
まさしく日本庭園だ」
ハ「綺麗やな」
み「ま、それは確かだけど……。
常緑樹ばっかりだ。
いっつもおんなじ景色じゃん」
ハ「冬は、雪景色やろ」
み「それはそうだろうけど……。
わたしはやっぱり、落葉樹が好きだね。
雑木林みたいな。
しかしここ、冬は雪吊りをするんだろうね」
ハ「会津の雪やったら、せんわけにはいかんやろな」
み「いくらくらいかかるんだろ?」
ハ「建設課に聞きにいくか?」
み「あ、そうだ。
そもそも、ここの持ち主ってどこよ?
まさか個人じゃないよね。
そしたら、会津若松市?
それとも、福島県?
国営ってことはないでしょ」
ハ「Wikiによると(https://w.wiki/5G3V)……。
“平成3(1991)年3月、会津松平家から会津若松市が譲り受けた”とある」
み「じゃ、それまで個人の所有だったわけ?
公開もされてなかったの?」
ハ「一般公開が始まったんは、1953(昭和28)年10月11日からやて」
み「会津松平家って、今もここにあるの?」
ハ「戊辰戦争後、東京に移ったようやな。
お。
『福島民報(https://www.minpo.jp/)』に、おもろい記事があったで。
『戊辰以来、松平家が会津に帰る 15代の親保さん(24)会津若松市のITコンサル会社で勤務』やて」
み「どんな記事よ?」
ハ「読むで。
+++
会津松平家が戊辰戦争以来、会津若松市に“帰還”した。
会津松平家15代の松平親保さん(24)はコンサルティング大手アクセンチュアに今春入社し、市内の拠点で働いている。
IT技術を用いたまちづくり「スマートシティ構想」の実現が目標だ。
会津藩祖の保科正之から幕末の松平容保まで、代々の藩主が治めた縁深い城下町で「市民の皆さんがより誇りを持てる地域にしたい」と地域貢献を誓っている。
+++
やて」
み「へー。
しかし、けっこうなプレッシャーなんじゃないの?
簡単に辞められないよ」
ハ「覚悟があったんやろ」
み「しかし、お年寄りなんか……。
いきなり土下座したりするんじゃないの?」
ハ「あるかもな」
み「頑張ってもらいたいね。
将来はぜひ、会津若松市長になってほしいもんだよ」
■厳しい夏
こうした庭園では、今年の夏は大変だったでしょうね。
何がと云えば、水やりがです。
しないわけにはいかなかったと思いますよ。
高木はまだしも、ツツジ類なんかは絶対にやられたはずです。
スプリンクラーなんかは、設置されてないでしょうしね。
見栄えに影響しますから。
となると、軽トラにタンクを積んで園路を巡らせ……。
もう一人が、長いホースを伸ばして散水してたんじゃないですか。
水やりは、炎天下はできません。
やった水がお湯になって、根を痛めてしまうからです。
早朝か、夕方、陽が射さなくなってからです。
連日、早出に残業だったんじゃないでしょうか。
それでも、そうした庭園は、人力灌水がされたのでしょうが……。
こちらの小公園なんて、放ったらかしでしたよ。
業者との維持管理の契約に、灌水を入れてないんだと思います。
うちの近くに、中くらいの規模の公園があります。
ここに、大きなコブシの木が植わってるんです。
たぶん、わたしが小学校のころ……。
その公園の前を通学してたときからあった木です。
その木が、この夏、すべて葉を落としました。
その公園は砂地で……。
しかも、地面が人の背丈ほどの高さにあるんです。
盛土されたわけではありません。
逆です。
切土です。
昔、砂丘だった山の砂を取り崩し……。
残った台地上に作られた公園なんです。
高い上に砂地なので、水が捌けやすいんだと思います。
保水力がないわけです。
それで、コブシがやられてしまった。
がっくりしましたね。
毎年、このコブシの花を見ることで、春を実感してましたから。
もう見れないのかと思うと、胸が塞がる思いでした。
ところが!
復活したんですよ。
9月半ば過ぎから、一転して雨続きになりました。
砂地のおかげで、雨水がすぐに根まで届いたんでしょう。
それで、一斉に、新しい葉を開いたんです。
ギリギリ助かったという感じじゃないですか。
でも、来年の花は、ちょっと少ないかも。
葉を2回も開いたわけですから。
いえ、むしろ1年くらい、花は休んでもらっていいです。
まだまだ、長生きしてほしいですから。
あと、今年目立ったのは、一般住宅での樹木の枯れです。
空き家はもちろん、散水されませんし……。
お年寄りだけの住居でも、されなかったようです。
体力的に無理だったのかも知れませんが……。
水道水を庭に撒く気になれなかったのかも知れません。
クーラーさえ、ケチって点けないで熱中症になる人もいるくらいですから。
やられてた木は……。
高木では、ハナミズキ、ヤマボウシ、ナツツバキ、モミジ類、カツラなどでした。
カツラは、あんまり庭木には使われない樹種ですが……。
葉っぱがハート型で可愛いからでしょう、建売住宅の玄関前のシンボルツリーとして植えられてます。
低木では、ツツジ類全般がやられてました。
特に、サツキツツジとドウダンツツジがひどかったです。
近所に、ドウダンツツジの見事な生け垣のお宅があったんですよ。
毎年、素晴らしい紅葉を見せてくれてました。
それが今年は、夏に真っ赤になりました。
紅葉ではなく、枯れてしまったわけです。
もう、その家の住人は、庭木になんか、興味がなくなってしまったのかも知れませんね。
あ、お年寄りとは限らないか。
代替わりして、若手が住んでるのかも知れません。
庭は、亡くなった親が丹精したものです。
でも、受け継いだ子は、庭木なんかにまったく興味なし。
水やりをする気になんかならなかったんでしょう。
おそらく、枯れたドウダンツツジが植え替えられることはないでしょう。
そんな気があるくらいなら、水やりして枯らさない方がずっと得なわけですから。
枯れ木の生け垣になっても、おそらく何も感じないのでしょう。
ま、それが今の日本の現実です。




