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スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第六章 書けない依頼

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第47話 礼ではない報酬

 礼には、形がない。


 言葉だけの礼もある。

 頭を下げるだけの礼もある。

 小さな包みを置いていく礼もある。


 だから、扱いが難しい。


 依頼の報酬なら、帳面に書ける。

 納品なら、品名と数を書く。

 寄付なら、寄付者の名を残す。

 忘れ物なら、保管欄に移す。


 だが、礼は違う。


 相手は、ただこう言う。


 いつも助かっているから。


 その朝、ギルドの受付台には革紐の束が置かれていた。


 まだ開店前だった。

 表の扉の前には冒険者が二人待っている。厨房では湯が沸き始めている。レンは裏口の木箱を動かしていた。


 リーネが受付台を拭こうとして、革紐に気づいた。


 束は丁寧に結ばれている。質は悪くない。備品修理に使えるものだった。


 添えられた紙には、短く書かれていた。


 いつも助かっているから。


 名前はない。


 リーネは革紐に触れず、マスターを呼んだ。


「受付台に置かれていました」


 マスターは紙を見て、眉を寄せた。


「バルドのところの革紐だな」


「職人街のバルドさんですか」


「結び方がそうだ」


「納品記録はありません」


「注文してないからな」


「では、寄付でしょうか」


「名前がない」


「忘れ物として扱いますか」


「受付台の真ん中に忘れるか?」


 マスターの声は不機嫌だった。


 リーネは紙をもう一度見た。


 いつも助かっているから。


 何に助かったのかは書かれていない。

 誰が助かったのかも書かれていない。

 ただ、物だけが置かれている。


 礼。


 そう呼ぶには、重かった。


 昼前には、乾燥肉が届いた。


 届けたのは近所の肉屋の小僧だった。小さな包みを受付台に置き、「旦那からです」とだけ言って帰ろうとする。


 リーネはすぐに呼び止めた。


「納品ですか」


「いえ」


「注文品ですか」


「違います」


「では、何ですか」


 小僧は困った顔をした。


「旦那が、持ってけって。いつも助かってるからって」


「何に助かっているのでしょうか」


「さあ」


「お名前を残しますか」


「いや、名前はいらないって」


「名前がなければ、受け取れません」


 小僧はさらに困った顔をした。


「でも、持って帰ったら怒られるんですよ」


 リーネは返事に詰まった。


 マスターが奥から声をかけた。


「持って帰れ」


「えっ」


「受け取れん。そう言え」


「でも」


「怒られたら、俺の名を出せ」


 小僧は包みを抱え直し、逃げるように出ていった。


 その後も、同じようなものが続いた。


 野菜の籠。

 安い酒。

 錆びた工具。

 まだ使える布。

 古い油差し。


 どれも、正式な納品ではない。

 注文もしていない。

 寄付として名を出す者もいない。


 言葉だけは同じだった。


 いつも助かっているから。


 リーネは帳面を開いたまま、何も書けずにいた。


 受け取らなければ、仕事にはならない。

 だが、届けられた事実はある。

 断っても、誰かが届けに来たことは消えない。


 受付の端では、冒険者たちが小声で話していた。


「ガルド、まだ戻ってないんだろ」


「資格保留だって聞いたぞ」


「保留って、あれだろ。もう無理ってことだろ」


「誰かが頼んだんじゃないのか」


「何を」


「何って、処理だよ」


 リーネは顔を上げた。


 冒険者たちはすぐに口を閉じた。


 何も聞かなかった顔をする。

 何も言っていない顔をする。


 それでも、言葉は残る。


 処理。


 ギルドは殺しを受けていない。

 ガルドを殺す依頼は受けていない。

 帳面にも、死亡とは書いていない。


 ただ、ガルドは戻らない。


 外から見れば、それで足りるのかもしれない。


 マスターが低く言った。


「リーネ」


「はい」


「礼の形をした報酬は受けるな」


 リーネは頷いた。


「はい」


「納品なら納品書を出させろ。寄付なら名を書かせろ。忘れ物なら保管しろ。どれでもないなら、戻せ」


「分かりました」


「それでも置いていくなら」


 マスターは受付台を指で叩いた。


「汚れだ」


 その言葉は、帳面に書けない。


 けれど、リーネには一番近い言葉に聞こえた。


 午後、レンは裏口にいた。


 掃除箱の中に、野菜が三つ入っていた。芋だった。土がついたまま、布に包まれている。布には名も印もない。


 レンはそれを見ていた。


 捨てれば腐る。

 食べれば受け取ったことになる。

 返すには、相手がいる。


 相手がいないものは、戻す場所がない。


 リーネが来た。


「またですか」


「芋」


「誰が置いたのでしょう」


「子ども」


「分かるんですか」


「小さい足跡」


 リーネは裏口の土を見た。確かに小さな靴跡がある。子どもか、背の低い使い走りだろう。


「子どもに持たせたんですね」


「たぶんな」


「返せませんね」


「返す先がない」


 リーネは芋を見下ろした。


「受け取るわけにもいきません」


「腐る」


「はい」


「腐らせるのも、受け取るのも、違う」


「そうです」


 レンは布を持ち上げた。


「置いた場所に戻すか」


「それは返したことになりますか」


「置いた者は困る」


「置かせた者は困りません」


 レンは少し黙った。


「そうだな」


 その短い返事に、リーネは少しだけ目を伏せた。


 この数日、レンの言葉は短いままだった。

 だが、以前より荒くはない。必要なところで止まり、必要なところだけが残る。


 ガルドの件のあとも、それは戻っている。


 ただ、別の重さが混じっていた。


 レンは何かを持ち帰った。

 そう感じる時がある。


 リーネは、それを帳面に置く場所を知らない。


「レンさん」


「どうした」


「最近届いているものは、どこから来ていると思いますか」


「いろいろ」


「一人ではない?」


「違う」


「では、誰かがまとめて指示しているのではなく」


「流れている」


「流れている」


「紙。袋。怪我人。金具。今度は物」


 リーネは黙った。


 水場の紙。

 名乗らない老人の袋。

 裏手に置かれた怪我人。

 ガルドを処理してほしいという紙。

 そして、礼の形をした品々。


 形は違う。

 だが、どれも似ている。


 責任は置かない。

 困りごとだけを置く。

 処理されたら、少しだけ礼を置く。


 仕事にしないまま、仕事だったことにする。


「報酬ですね」


 リーネは言った。


 レンは芋を見た。


「報酬か」


「依頼があって、その対価として渡されるものです」


「依頼はない」


「だから、問題なんです」


 リーネはそう言って、芋の包みを閉じた。


「これは受け取れません」


「どうする」


「保管します。持ち主不明の持ち込み品として。一定期間後、町の救済箱へ移すことにします」


「食べないのか」


「食べません」


「腐る」


「腐る前に、書ける場所へ移します」


 レンは少しだけリーネを見た。


「そうか」


 リーネは芋の包みを持って受付へ戻った。


 帳面には、持ち主不明持ち込み品として記録した。


 品目、芋三個。

 場所、裏口掃除箱。

 持ち主、不明。

 処理予定、町救済箱へ移管。


 礼とは書かない。

 報酬とも書かない。


 ただ、物として扱う。


 夕方、職人街のバルドが来た。


 受付台に革紐の束を置いた男だ。今度は表から堂々と入ってきた。顔には少しばかり気まずさがある。


「朝の革紐、受け取らなかったって?」


 マスターが奥から出てきた。


「注文してない」


「礼だよ」


「何の」


「何のって、そりゃ……いろいろだ」


「いろいろは帳面に載らん」


「硬いこと言うなよ。こっちも助かってんだ。鼠の時もそうだし、最近も変な話が減った」


「変な話とは」


 リーネが聞いた。


 バルドは目を泳がせた。


「いや、具体的には知らん。ただ、ガルドのやつが消えて、若いのが少し安心してるって話は聞いた」


 受付の空気が、少し冷えた。


 バルドもすぐに気づいたらしい。


「俺は何も頼んでねえぞ」


 早口で言った。


「誰がどうしたかも知らん。ただ、助かったと思ってるやつがいる。それだけだ」


 マスターは近づいた。


「なら、言葉だけにしろ」


「何?」


「礼なら言葉で言え。物を置くな」


「そんなつもりじゃ」


「物を置けば、報酬になる」


 バルドは黙った。


「報酬には仕事がいる。仕事には依頼がいる。依頼がない報酬は、汚れだ」


 リーネは、その言葉を聞いていた。


 汚れ。


 やはり、帳面には書けない言葉だ。


 バルドは革紐を見下ろした。


「じゃあ、納品ならいいのか」


「注文があればな」


「注文しろよ」


「今はいらん」


「今度いる時に言え」


「その時は、納品書を出せ」


「面倒なギルドだな」


「そうしてる」


 バルドは鼻を鳴らした。


 だが、怒ってはいなかった。


「分かった。革紐は持って帰る。礼は言葉だけにしとく」


 バルドは少しだけ視線を横へ向けた。


 レンが裏口から戻ってきたところだった。


「助かってる。誰が何をしたかは知らんが、助かってるやつはいる」


 レンは答えなかった。


 バルドはそれ以上言わず、革紐を持って帰った。


 夜、リーネは今日届いた品々の処理をまとめていた。


 乾燥肉は返却。

 革紐は返却。

 酒は受取拒否。

 芋は持ち主不明品として保管し、町救済箱へ移管予定。

 工具は忘れ物として一時保管。


 帳面は埋まった。


 だが、礼を受け取らなかったことは、帳面に残らない。


 断ることにも、仕事がいる。

 それを今日知った。


 マスターは奥で酒瓶を眺めていた。受け取らなかったものではない。自分のものだ。


「リーネ」


「はい」


「今日の分、全部返したか」


「はい。返せないものは保管扱いにしました」


「それでいい」


「ですが、また来ます」


「来るだろうな」


「どうしてですか」


 マスターは酒瓶を置いた。


「一度、便利だと思われると、終わりがない」


 リーネはペンを止めた。


「ギルドは便利であるべきでは?」


「依頼ならな」


「依頼でなければ」


「使われる」


 その言葉は、短かった。


 レンは裏口の鍵を確認していた。

 鍵をかけ、少し引き、閉まっていることを確かめる。


 マスターはその背を見る。


「レン」


「どうした」


「使われるな」


 レンは振り向いた。


「使えれば、居られる」


 リーネは息を止めた。


 マスターの顔が、少しだけ険しくなった。


「それが一番まずい」


 レンは黙った。


「便利なやつは、最初に呼ばれる。最後まで残される。汚れたものから順に持たされる」


「持てる」


「持てるから、持たされる」


 マスターの声は低かった。


「全部持ったら、ここにいられなくなるぞ」


 レンは返事をしなかった。


 リーネは、その会話を帳面に書けないと思った。


 だが、忘れてはいけないとも思った。


「レンさん」


「どうした」


「仕事は、帳面に載せます」


「そうだな」


「載せられないものは、仕事にしない方法を考えます」


「できるのか」


「分かりません」


 リーネは正直に言った。


「ですが、報酬だけが届くような形にはしません」


 レンは少しだけ間を置いた。


「そうか」


 夜が深くなった。


 ギルドの表扉は閉まり、裏口も閉まった。受付台の上には、何も残っていない。


 革紐もない。

 乾燥肉もない。

 酒もない。

 芋の包みは保管箱に移された。


 見た目には、いつものギルドだった。


 だが、リーネは知っている。


 今日、何度も物が置かれた。

 何度も「いつも助かっている」と言われた。

 何度も、名前が抜けていた。


 礼ではない。


 報酬だった。


 依頼のない報酬。


 それを受け取れば、ギルドは仕事をしたことになる。

 受け取らなくても、そう思われ始めている。


 リーネは帳面を閉じた。


「マスター」


「何だ」


「私たち冒険者ギルドは、書けないことも何とかする。そう思われているのでしょうか?」


 マスターは答えなかった。


 答えないことが、答えに近かった。


 レンは裏口の掃除箱を開けた。


 底には、何もない。


 紙も、袋も、布切れも、芋もない。


 空だった。


 空なのに、次に何かが置かれる場所のように見えた。


 レンは蓋を閉めた。


「何もないか」


 マスターが聞く。


「ない」


「なら、今日は終わりだ」


 レンは少しだけ考えた。


 終わっている。

 帳面も閉じた。

 品も戻した。

 礼も受け取っていない。


 それでも、どこかに残っている。


 冒険者たちの噂。

 バルドの礼。

 マスターの警告。

 リーネの帳面。

 ガルドの所在確認中。


 レンは答えた。


「たぶんな」


 マスターは何も言わなかった。


 その夜、ギルドには何も置かれなかった。


 だが、何も置かれていないことが、少しだけ不自然に見えた。

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