第46話 拾う男
死んだ冒険者の荷物は、ギルドへ届ける。
それは決まりだった。
剣、短剣、革鎧、薬瓶、銅貨袋、依頼品、手紙、身につけていた小さな飾り。
戻れるものは戻す。
親族へ。
所属していたパーティへ。
依頼人へ。
それでも残ったものは、回収者へ渡される。
死者の荷物を拾うことは、嫌がられる仕事だった。
だが、必要な仕事でもあった。
リーネは、その欄を何度も見ている。
回収品。
回収場所。
回収者。
返還先。
残余処理。
帳面に載れば、死んだ者の持ち物は、誰かの手へ戻る。
だから、その仕事自体を悪いとは言えない。
言えないからこそ、嫌なものが残る。
昼前、ガルドがギルドへ来た。
年は四十を少し過ぎた頃。背は高くない。腕も太くない。古い革鎧は手入れされているが、傷が多かった。腰の剣は短く、柄の革がすり減っている。
強い冒険者には見えない。
だが、長く生き残ってきた者の顔をしていた。
「第三横穴の手前で拾った」
ガルドは受付台に、布に包んだ品を置いた。
短剣が一本。
薬瓶が二本。
銅貨袋。
革鎧の留め具。
割れた木札。
リーネは品を並べ、帳面を開いた。
「回収者は、ガルドさんでよろしいですね」
「ああ」
「発見時、所有者は」
「死んでた」
「確認しましたか」
ガルドは肩をすくめた。
「胸が割れてた。あれで生きてるなら、神殿に持っていくべきだな」
周囲の冒険者が小さく笑った。
リーネは笑わなかった。
「所属は確認できますか」
「木札が割れてた。新人だろうな。顔は知らん」
「パーティの痕跡は」
「なかった」
「同行者は」
「俺は見てない」
答えは早かった。
早すぎるわけではない。
だが、何度も同じことを聞かれている者の早さだった。
リーネは帳面をめくった。
ガルドの回収記録は多い。
多すぎる。
死者の荷物を専門に回収する冒険者は他にもいる。危険な階層の後始末をする者。魔物が去ったあとに入る者。親族に形見を戻すことで、わずかな報酬と残余品を得る者。
汚い仕事ではある。
だが、必要な仕事だ。
ガルドの記録は、その範囲に収まっているように見える。
表の上では。
「この短剣は、親族照会に回します。薬瓶は所属確認後、返還または処分。銅貨袋は保管。留め具は残余扱いになる可能性があります」
「残ったら俺でいい」
「まだ決まっていません」
「分かってるよ」
ガルドは笑った。
その目は、短剣ではなく革鎧の留め具を見ていた。
換金しやすいものを見る目だった。
受付の端で、若い冒険者が二人、ガルドへ頭を下げた。
「ガルドさん、今日の道、お願いします」
「おう。浅いとこだけだ。無理すんなよ」
ガルドの声は親切だった。
リーネは顔を上げる。
「同行依頼ですか」
「案内だよ。正式な依頼じゃない」
ガルドが言った。
「新人が道を聞きたいって言うから、ついでにな」
「危険区域へは入らないでください」
「分かってる。俺は弱いからな。危ないところへは近づかん」
笑いが起きた。
本人も笑っていた。
その笑いだけが、少し乾いていた。
午後、裏口の掃除箱に紙が入っていた。
開いたのはレンだった。
木箱を戻そうとして、底に挟まった紙に気づいた。古い紙。四つ折り。前の紙と似ているが、今回は中に小さな金具が包まれていた。
革鎧の留め具。
朝、ガルドが持ち込んだものと同じ型だった。
紙には短く書かれていた。
あの男を処理してほしい。
名はない。
だが、誰のことかは分かる。
リーネは紙を見て、すぐに閉じた。
「これは依頼ではありません」
声は硬かった。
マスターも紙を見た。
「殺しは受けん」
短い言葉だった。
リーネは頷いた。
「受けられません。依頼票にもできません。記録にも残せません」
「捨てろ」
マスターが言った。
リーネは紙を持ったまま動かなかった。
「ですが、ガルドさんの回収記録は確認できます」
マスターがリーネを見た。
「偏っているか」
「場所が寄っています。第三横穴、古い階段口、東側の崩れ道。その近辺で、新人の回収が多いです」
「証拠にはならん」
「なりません」
「なら」
「同行記録の確認はできます。新人への案内が続いているなら、注意喚起もできます」
マスターは少し黙った。
「帳面にできるのは、そこまでだ」
「はい」
リーネは紙を伏せた。
「これは依頼ではありません。ですが、回収記録の偏りは確認できます」
レンは紙に包まれていた金具を見た。
朝のものとは違う。
別の死者のものだ。
だが、匂いが似ている。
湿った革。古い血。薬瓶の甘い匂い。
それから、ガルドの手の油。
「レン」
マスターが言った。
「新人の道を見てこい」
「仕事か」
「ダンジョン入口周辺の安全確認だ」
リーネは帳面を開いた。
ダンジョン浅層入口、安全確認。
対象、第三横穴周辺。
目的、新人案内に伴う事故防止。
書ける。
殺しではない。
処理でもない。
だが、紙はそこにある。
レンは頷いた。
「見てくる」
ダンジョンの入口は、町外れの石門の先にある。
浅い階層は明かりもあり、冒険者の出入りも多い。だが横穴へ入れば、すぐに足音が変わる。湿った石。古い水。魔物の爪が壁をこすった跡。
ガルドは新人二人を連れて歩いていた。
「こっちは人が多い。安全だが、稼ぎは薄い」
「じゃあ、稼げる道は?」
新人の一人が聞く。
ガルドは笑った。
「稼げる道は、死ぬ道だ。だから少しだけ、端を歩く」
言葉だけなら、親切な忠告だった。
ガルドは第三横穴の手前で足を止めた。
「ここから先は入るな。だが、入口近くに古い薬草が生える。採るなら、壁沿いだ」
新人たちは頷く。
ガルドは先に進まない。
横穴の入口から少し離れ、崩れた石柱の陰へ移動した。
見える場所。
だが、助けるには少し遠い場所。
レンは別の影から見ていた。
新人の一人が壁沿いの薬草へ手を伸ばす。足元の石が沈む。
小さな音。
奥から、甲殻の擦れる音が返った。
魔物が動いた。
新人が驚いて後ずさる。もう一人が剣を抜く。足場が悪い。逃げる道は細い。横穴の入口へ向かえば、奥から魔物が出る。戻れば、崩れ石に足を取られる。
ガルドは動かなかった。
腰の袋を外していた。
薬瓶を入れるためか。銅貨袋を入れるためか。
死んでから拾うために。
レンは壁を蹴った。
音を立てて石を落とす。魔物の頭がそちらを向く。その隙に、レンは新人の襟首をつかんで後ろへ引いた。
「戻れ」
「え、な、何だよ!」
「戻れ」
もう一人も突き飛ばすように退かせる。
魔物の爪が、さっきまで新人の足があった場所を削った。
ガルドが舌打ちした。
ほんの小さな音だった。
だが、レンには聞こえた。
「ガルドさん!」
新人が叫んだ。
「危なかったな!」
ガルドはすぐに顔を作った。
「だから壁沿いにしろって言っただろ。そこの雑務係がいなきゃ、危なかったぞ」
レンはガルドを見た。
ガルドは笑っている。
だが、手は腰の袋を握ったままだった。
新人たちは気づかない。
レンは短く言った。
「戻れ」
「でも、まだ薬草が」
「戻れ」
今度は新人も従った。
ガルドは顔をしかめた。
「おいおい、稼ぎを潰すなよ。浅いとこだぞ」
「浅い」
レンは言った。
「死にやすい」
ガルドの目が細くなる。
「何が言いたい」
「見ていた」
「何を」
「待っていた」
沈黙が落ちた。
ガルドは笑った。
「俺は弱いんだ。助けに入って一緒に死んだらどうする。助けられない時は、見極める。それがベテランだ」
「薬瓶を出さなかった」
「間に合わん」
「袋を開けた」
「回収の準備だ。死んだら持ち帰らなきゃならん。規定だろ」
言葉は通っていた。
帳面に載せれば、そう書けるかもしれない。
危険判断。
救助困難。
死亡後回収準備。
正しい言葉はいくらでもある。
だが、新人はまだ生きていた。
「まだ、生きていた」
レンが言った。
ガルドの笑いが消えた。
「……お前、何なんだ」
レンは答えなかった。
ガルドは一歩下がった。
その足が、横穴の奥へ向く。
逃げ道を知っている足だった。
「俺は殺してない」
ガルドは低く言った。
「死んだ後に拾ってるだけだ。拾わなきゃ親族にも戻らねえ。パーティにも戻らねえ。残りをもらうのは規定だ。俺は規定どおりにやってる」
「誘った」
「道を教えただけだ」
「待った」
「助けられなかっただけだ」
「袋を開けた」
「仕事だ」
ガルドはそう言って、横穴へ走った。
レンは追った。
第三横穴の奥は、浅層の地図には載っていない古い割れ目につながっている。ガルドは知っていた。追われた時に使う道。死体を見つけた時に、一時的に荷物を隠す場所。
ガルドは足が速くはない。
だが、迷わない。
曲がる。潜る。石を蹴る。
追う者の足を止める場所を知っている。
レンも止まらなかった。
奥の窪みに、古い荷袋がいくつか隠されていた。革の手袋。錆びた短剣。割れた木札。小さな髪飾り。
ギルドへ届けられていないもの。
ガルドはその前で振り返った。
「見るな」
「見た」
「俺だけじゃない。みんなやってる。死んだ奴から拾うやつはいくらでもいる」
「死んだ後なら」
「同じだろ!」
ガルドの声が割れた。
「どうせ死ぬんだよ。弱い奴は死ぬ。知らない道に入る。足を滑らせる。魔物の音も分からない。俺が拾わなきゃ、全部腐る。俺が届けてやってるんだ」
レンは髪飾りを見た。
小さい。
戦うためのものではない。
「届けてない」
ガルドは息を詰めた。
「それは、たまたまだ」
「多い」
「黙れ」
ガルドは短剣を抜いた。
レンは動かなかった。
ガルドの短剣は震えていた。
怖がっている。怒っている。だが、殺す覚悟は浅い。
死体を待つ者の手だった。
生きている相手を斬る手ではない。
「俺を殺すのか」
ガルドが言った。
「依頼か? あの紙か? 誰だ。誰が頼んだ。俺から何を取られた奴だ」
「依頼じゃない」
「じゃあ何だよ」
「戻さない」
「どこへ」
「ギルドへ」
ガルドは笑った。
「俺は冒険者だ。戻るに決まってる」
「戻らない」
ガルドが短剣を振った。
刃はレンの肩をかすめた。
次の瞬間、レンの腕が伸びた。
腕ではなかった。
黒いものが、腕の形をやめてガルドの手首を包んだ。
ガルドの目が見開かれる。
「お前――」
声は最後まで出なかった。
水音がした。
革袋が落ちる。
短剣が石に当たり、軽い音を立てる。
ガルドの足が一度だけ床を蹴った。
それから、静かになった。
レンはしばらく動かなかった。
石の上には、ガルドの革袋だけが残っていた。
中には薬瓶が二本。空の布。小さな金具。銅貨が少し。
レンは髪飾りを拾った。
届けるものだった。
夕方、ギルドへ戻った新人二人は、顔を青くしていた。
リーネは事情を聞き、帳面に記録した。
第三横穴周辺、安全確認。
新人二名、危険区域接近。
負傷なし。
案内者ガルド、所在確認中。
回収記録の偏りについて確認継続。
同行義務違反の疑い。
資格、暫定保留。
死亡とは書けない。
死体がない。
逃亡とも書けない。
逃げたと確認できない。
だから、所在確認中。
リーネはペンを止めた。
「レンさん。ガルドさんは」
「戻らない」
「死亡ですか」
レンは少し黙った。
「帳面には、まだ書けない」
マスターが奥で目を伏せた。
リーネはそれ以上聞かなかった。
聞けば、書く場所が必要になる。
レンは受付台に、小さな包みを置いた。
「回収品」
中には、髪飾りと割れた木札が入っていた。
リーネはそれを見た。
「どこで」
「横穴」
「ガルドさんのものですか」
「違う」
「届けられていなかったものですね」
「たぶんな」
リーネは回収品の帳面を開いた。
回収者の欄で、手が止まる。
ガルドではない。
レンでもない。
仕事として回収されたものではない。
だが、戻すべきものだった。
リーネはゆっくり書いた。
未処理回収品。
第三横穴奥にて確認。
所有者照会。
回収経緯、確認中。
確認中。
今日は、その言葉ばかりが増える。
夜、ギルドの裏口は静かだった。
掃除箱の底に、紙はなかった。
誰かが持っていったわけではない。
リーネが、昼のうちに保管箱へ移していた。
依頼としてではない。
証拠としてでもない。
ただ、捨てるには早いものとして。
マスターは帳面を閉じた。
「殺しは受けてない」
誰に言うでもなく、そう言った。
リーネは答えた。
「はい」
「だが、消えた」
「はい」
「そう見える」
リーネは何も言えなかった。
レンは裏口の鍵を閉めた。
手にはもう何も持っていない。
ガルドの名は、今日の帳面に残った。
死亡ではない。
処分済みでもない。
ただ、所在確認中。
けれど、誰もが少しずつ分かっていた。
拾う男は、もう拾いに行かない。




