表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第六章 書けない依頼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/50

第43話 裏口の紙

 依頼票には、決まった形がある。


 依頼人の名。

 内容。

 場所。

 報酬。

 期限。

 危険の有無。


 どれかが空いていれば、受付では止める。足りないものを聞き、曖昧なものを直し、必要なら受け付けない。


 仕事にするためには、形がいる。


 だからリーネは、裏口で見つかった紙を見た時、すぐに言った。


「これは依頼ではありません」


 朝のギルドは、まだ開いたばかりだった。


 表の扉ではなく、裏口の方でレンが木箱を動かしていた。厨房へ運ぶ薪と、昨日洗った空き瓶を分けていたらしい。その木箱の下に、紙が一枚挟まっていた。


 依頼票ではない。


 古い包み紙を破ったような、薄い灰色の紙だった。四つに折られている。表には何も書かれていない。中を開くと、町外れの水場らしい簡単な略図があった。


 線は雑だった。


 道。

 小川。

 古い水門。

 荷車が通る橋。


 その横に、短く一言だけ。


 困る。


 リーネは紙を机に置いた。


 マスターは茶を飲みながら、それを斜めに見た。


「紙切れだな」


「はい。依頼人の名もありません。報酬もありません。依頼内容もありません」


「じゃあ紙切れだ」


「ですが、場所は示されています」


「落書きかもしれん」


「落書きにしては、裏口の木箱の下に挟まっています」


 マスターは茶を置いた。


「風で飛んできたんだろ」


「裏口の木箱の下に、ですか」


「器用な風もある」


 リーネは返事をしなかった。


 レンは受付の横に立っていた。紙ではなく、紙についていた泥を見ている。


「レンさん」


「どうした」


「見覚えはありますか」


「場所は知っている」


「町外れの水場ですか」


「たぶんな」


「紙を置いた人は」


 レンは少しだけ黙った。


「急いでいた」


「なぜ分かるんですか」


「折り目がずれている」


 リーネは紙を見た。


 確かに、四つ折りの端が少し合っていない。だが、それだけで急いでいたと分かるものなのかは判断できなかった。


 リーネは口を開きかけた。


 置いた者の足跡。紙の泥。折り目の癖。

 聞けば、レンは何かを答えるかもしれない。


 だが、その答えを帳面に置く場所はなかった。


 リーネは紙を伏せた。


「……そうですか」


 それ以上は聞かなかった。


 マスターは紙をつまみ上げ、くしゃりと丸めかけた。


「捨てるぞ」


「待ってください」


 リーネは思わず止めた。


「何だ」


「捨てる前に、控えだけ取ります」


「依頼じゃないんだろ」


「依頼ではありません」


「なら控えもいらん」


「ですが、後で関係する可能性があります」


 マスターは嫌そうな顔をした。


「関係させるな」


 リーネは紙をもう一度見た。


 困る。


 誰が困るのか。

 何に困るのか。

 なぜ正式に言わないのか。


 どれも書かれていない。


 だから、仕事ではない。


 リーネはそう判断した。


 昼前、その判断は揺れた。


 町外れの水場を通る荷運び依頼が遅れた。荷車の車輪が泥にはまったという。


 次に、薬草採取へ向かった冒険者が戻ってきた。いつもの道が水でぬかるんでおり、遠回りをしたため採取量が減ったと言う。


 さらに、革職人の使いが来て、川沿いで干していた皮の一部が濡れたと文句を言った。正式な苦情票は出さない。ただ「水が変なんだよ」とだけ言って帰った。


 リーネは帳面を見た。


 三件とも、町外れの水場に関係している。


 朝の紙に描かれていた場所だった。


 マスターは帳面を閉じた。


「レン」


「どうした」


「町外れを見てこい」


「散歩か」


「経路確認だ」


 リーネが顔を上げる。


「正式な依頼ですか」


「荷運びの遅延が出た。ギルドの経路確認なら書ける」


「水場の確認ではなく?」


「それは誰も頼んでない」


 言い方は雑だが、筋は通っていた。


 朝の紙は依頼ではない。

 だが、荷運びが遅れた。

 なら、荷運び経路の確認はギルドの仕事にできる。


 リーネは帳面に記録した。


 町外れ経路確認。

 目的、荷運び遅延対策。

 担当、レン。

 同行、必要なし。


「一人で大丈夫ですか」


 リーネが聞くと、レンは短く答えた。


「見てくる」


 リーネは一瞬だけ顔を上げたが、言い直しは求めなかった。

 命令を受けた返事ではない。

 それでも、拒んだ言葉でもなかった。


「お願いします」


「はい」


 レンは裏口から出た。


 町外れの水場は、ギルドから歩いて半刻ほどの場所にある。


 小川が二つに分かれ、一方が畑へ、一方が古い水門を通って荷車道の脇へ流れている。普段なら、道の脇の溝に水が流れ、足元は少し湿っている程度だ。


 今日は違った。


 水門の板が斜めに浮き、流れが道側へ寄っている。荷車の轍には泥水が溜まり、橋の手前だけが深くぬかるんでいた。


 レンは水門に近づいた。


 板は壊れている。


 古くて折れたのではない。無理に持ち上げようとして、片側の留め具が外れている。木の割れ方が新しい。


 周囲には足跡があった。


 二人分。


 一人は重い靴。足幅が広く、荷運びか土木の者。

 もう一人は軽い靴。こちらは水門に近づいていない。少し離れた場所から見ていた。


 指示を出す者と、作業する者。


 レンはそう判断した。


 水門のそばに、短い木杭が落ちていた。折れている。補修用ではない。無理に差し込んで、板を止めようとしたものだ。


 誰かが壊した。

 直そうとした。

 直せなかった。


 それを報告しなかった。


 レンは水面を見た。


 水は低い方へ流れる。

 塞がれれば溢れる。

 道があればそこへ行く。


 紙より、分かりやすい。


 後ろから声がした。


「あんた、ギルドの人か」


 振り向くと、若い男が立っていた。荷運びの服を着ている。袖口が濡れ、右手の甲に木のささくれで擦ったような傷があった。


「そうだ」


 レンが答えると、男は慌てて両手を振った。


「いや、俺は何も知らねえよ。俺がやったんじゃない」


 聞く前に、言った。


 レンは男の手を見た。


 水門の板を持ち上げた手だ。

 だが、壊すためではない。戻そうとして傷をつけている。


「やったのか」


 レンが言うと、男の顔が青くなった。


「違う。違うんだ。上の人に言われて、少しだけ流れを変えろって。畑の方に水が行きすぎて、荷車道が乾きすぎると埃が立つからって。それで、ちょっと板を上げたら、留め具が外れて」


「報告は」


「できるわけないだろ」


 男は声を落とした。


「俺が勝手にやったことにされる。指示した人は知らないって言う。水門を壊したなんてことになったら、弁償だ。俺の給金じゃ無理だ」


 レンは水門を見た。


 男は続けた。


「紙を置いたのは俺じゃない」


 レンは男を見た。


「知ってるのか」


「……知ってるっていうか。誰かが何とかしてくれればって、みんな思ってる」


「誰か」


「ギルドとか」


 男はそれ以上言わなかった。


 レンは、朝の紙を思い出した。


 困る。


 それだけなら、誰の名も汚れない。

 誰も頼んでいない。

 誰も壊していない。

 ただ、水だけが道へ流れる。


 レンは水門の留め具に手をかけた。


「直すのか?」


 男が聞いた。


「戻す」


「戻るのか」


「流れは」


「水門は?」


「壊れている」


 男は唇を噛んだ。


「じゃあ結局、報告しなきゃならないのか」


「たぶんな」


「俺、終わりだ」


「全部は、落ちない」


「何が」


「責任」


 男は意味が分からない顔をした。


 レンも、詳しくは言わなかった。


 板を完全に修理することはできない。道具もない。

 だが、水の流れを畑側へ戻すだけならできる。


 レンは折れた木杭を外し、近くの石を動かした。流れの角度を少し変える。板の下に噛んでいた泥を取り、外れた留め具を仮に押さえる。


 水が音を変えた。


 道側へ溢れていた流れが、ゆっくり元の溝へ戻っていく。


 荷車道の泥はすぐには乾かない。

 だが、これ以上悪くはならない。


「これでいいのか」


 男が聞いた。


「よくはない」


「じゃあ」


「悪くなりにくい」


 レンはそう言って、手についた泥を払った。


 夕方、レンが戻ると、リーネは帳面を開いて待っていた。


「どうでしたか」


「水門が壊れていた」


「壊れていた?」


「流れが道へ寄っていた」


「原因は」


 レンは少し黙った。


「触った者がいた」


「誰ですか」


「書くと、一人になる」


 リーネの手が止まった。


 マスターが奥から声をかける。


「どういう意味だ」


「指示した者がいる。触った者もいる。置いた者もいる」


「紙か」


「たぶんな」


「全部書けるか」


「書けない」


 リーネは帳面を見た。


 町外れ経路確認。

 荷運び遅延対策。

 水場周辺の安全確認。


 そこまでなら書ける。


 だが、水門を誰が壊したかを書くには、証言がいる。指示した者の名もいる。責任の所在もいる。

 それを書けば、最も弱い立場の者だけが残る可能性がある。


 書かなければ、なかったことになる。


 どちらも正しくない。


「水門の正式な修理は、町の管轄ですね」


 リーネは言った。


「そうだな」


 マスターが答える。


「では、ギルドとしては荷運び経路の状態を町へ報告します。水門の破損は、経路異常として添えます」


「誰が壊したかは」


「書けません。確認していませんから」


「指示したやつは」


「書けません。聞いていませんから」


 マスターは少しだけ笑った。


「帳面らしい逃げ方だな」


「逃げではありません」


 リーネはペンを取った。


「書けることを書きます」


 帳面には、こう残った。


 町外れ経路確認。

 荷車道にぬかるみあり。

 水門板の破損により水流が一部変化。

 町管理側へ修理確認を依頼。

 ギルド依頼への影響あり。経路変更を一時指示。


 誰が壊したかは、書かない。

 誰が困ったかも、書かない。

 裏口の紙のことも、書かない。


 だが、水門が壊れていることは残る。


 リーネは最後に確認印を押した。


「これで仕事です」


 レンは帳面を見た。


「紙は」


「依頼ではありません」


「そうだな」


「ですが、仕事になりました」


 レンは少しだけ間を置いた。


「……そうか」


 夜、ギルドの裏口を閉める前に、レンは木箱を戻した。


 朝、紙が挟まっていた場所を見る。


 何もない。


 そう思った時、掃除箱の底に、折られた紙が一枚あるのが見えた。


 同じ折り方だった。


 レンは拾わなかった。


 しばらく見てから、箱の蓋を閉じた。


 背後でリーネが言った。


「レンさん」


「どうした」


「今、何かありましたか」


 レンは少しだけ考えた。


 紙はある。

 だが、まだ開いていない。

 開けば、何かが始まる。


「まだ、仕事じゃない」


 リーネは黙った。


 リーネは、その言葉を知っていた。


 まだ仕事ではないものほど、後から帳面の隅に来る。

 そういう顔を、レンはしていた。


 レンは裏口の鍵を閉めた。


 帳面には、町外れ経路確認の記録だけが残った。

 裏口の紙は、どこにも載らない。


 それでも、次の紙はもう来ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ