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スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第五章 帳面にない仕事

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第39話 数の合わない薬草

 薬草は、束で数える。


 一束、二束、三束。


 乾燥具合や葉の大きさで多少の差は出るが、帳面に書く時は束だ。細かく数えすぎると、かえって仕事が回らなくなる。だからギルドでは、薬草棚の左から順に十束ずつ紐でまとめ、出した分だけ帳面に線を引く。


 単純な決まりだった。


 単純なものほど、合わなくなった時に目立つ。


 朝の点検で、リーネは薬草棚の前に立っていた。


「……三束」


 帳面の残数より、棚の薬草が三束少ない。


 昨日の使用記録は二束。

 補充はなし。

 廃棄もなし。


 けれど棚には、三束分の空きがある。


 リーネは一度、数え直した。


 十、二十、三十。

 それから残りを束ごとに数える。


 やはり三束足りない。


 薬草は高価なものではない。だが、治療用の備品だ。勝手に使えば記録がいる。怪我人が出たなら、治療記録も残る。


 リーネは帳面を閉じ、治療係の老婆を呼んだ。


「昨日、薬草を追加で使いましたか」


 老婆は棚を見て、細い眉を上げた。


「使った分は書いたよ」


「二束ですね」


「ああ。切り傷と打ち身。いつものやつだ」


「他に、記録し忘れは」


「ないとは言い切れないねえ」


 老婆は悪びれずに言った。


「忙しかったですか」


「いつも忙しいよ」


「三束分です」


「三束も忘れたなら、もう引退だね」


 冗談のようで、冗談だけではなかった。


 リーネは棚の隅を見た。薬草の細かな葉が、床に少し落ちている。誰かが慌てて持ち出したというより、静かに抜き取った後に見えた。


 扉の錠に傷はない。

 窓も閉まっている。

 棚の鍵は、治療係とマスター、それから受付の予備鍵だけ。


 普通なら、内部の誰かが使ったことになる。


 普通なら。


 受付に戻ると、下級冒険者たちが朝の依頼を選んでいた。声は大きい。言い合いも多い。けれど今日は、いつもより少しだけ動きが鈍かった。


 昨日、地下の荷降ろし場で転んだという少年が、左腕を軽く回している。


「痛くないのか」


 隣の冒険者が聞く。


「昨日は腫れてたんだけどな。朝になったら引いてた」


「治療受けたのか」


「いや。寝た」


「寝ただけでそんな治るかよ」


「知らねえよ」


 別の冒険者が、首筋の包帯を押さえながら笑った。


「俺もだ。昨日の夜、包帯が汚れてたはずなんだが、朝見たら替わってた」


「自分で替えたんだろ」


「覚えてねえ」


「飲んでたんじゃねえの」


 笑い声が起きる。


 リーネは、その会話を聞いていた。


 治療記録はない。

 薬草は三束減っている。

 軽い怪我が、知らないうちに手当てされている。


 仕事ではない。


 少なくとも、帳面にはそうなる。


 レンは受付の横で、折れかけた掲示板の留め具を直していた。釘を打つ音がしない。外して、合わせて、押し込むだけで留め具が収まっていく。


「レンさん」


「どうした」


「昨日、薬草棚を開けましたか」


「開けてない」


「薬草を使いましたか」


「触った」


 リーネは息を止めた。


「どこで」


「床」


「床?」


「落ちていた」


「薬草棚の床ですか」


「違う」


「では、どこに」


「地下」


 レンは留め具を押さえたまま答えた。


 嘘ではない。

 だが、足りないところだけが残る。


「地下に薬草が落ちていたんですか」


「少し」


「それをどうしましたか」


「拾った」


「戻しましたか」


「戻さなかった」


「なぜです」


 レンは手を止めた。


 掲示板がわずかに揺れ、すぐに止まる。


「汚れていた」


「捨てたんですか」


「使えた」


 リーネは黙った。


 使えた。

 それは、誰かに使ったということだ。


「誰に」


 レンは答えなかった。


 受付の外では、さっきの少年が腕を回しながら、今日の依頼札を眺めている。首筋に包帯を巻いた冒険者は、荷運びの札を取った。


 どちらも、普通に動いている。


 普通に動けるようになっている。


 昼前、地下で小さな騒ぎが起きた。


 新人冒険者が一人、古い貯蔵庫の入口近くで倒れたという。倒れたと言っても、すぐに起き上がった。原因は、踏み板が沈んだことによる転倒。大きな怪我はない。


 マスターは舌打ちし、リーネに記録を持ってこさせた。


「立入禁止の札、まだ見えるよな」


「見えます」


「なら、入った方が悪い」


「ですが、怪我人が出ています」


「出てない」


「倒れたと」


「歩いて戻った。怪我人じゃない」


 リーネは反論しかけて、やめた。


 帳面上、怪我人にするには治療記録がいる。治療記録を作るには、どこで怪我をしたかを書く必要がある。すると、立入禁止区域に入ったことが残る。


 残れば、処分になる。


 軽い怪我なら、記録しない方が丸く収まる。


 そういう判断は、分かる。


 分かるから、気持ちが悪い。


 その日の夕方、薬草の不足はまだ処理されていなかった。


 リーネは棚の前に立ち、帳面を開いたまま考えていた。


 紛失。

 盗難。

 使用記録漏れ。

 廃棄。


 どれも、正しくない。


 だが、正しい言葉がない。


 背後で足音がした。


 レンだった。


 手には、古い布袋を持っている。中には乾いた薬草の屑が入っていた。三束分には足りない。だが、何かを包んで運んだ後の残りには見えた。


「それは」


「落ちていた」


「また地下ですか」


「たぶんな」


「レンさん」


 リーネの声が、少し強くなった。


「薬草は、備品です。使ったなら記録が必要です」


「そうだな」


「誰かを治療したなら、その記録も必要です」


「そうだな」


「では、書きます。誰に使いましたか」


 レンは布袋を棚の端に置いた。


「書かない方がいい」


「それは、レンさんが決めることではありません」


「書くと、増える」


「何がですか」


「仕事」


 短い言葉だった。


 リーネは帳面を握る手に力を入れた。


 書けば、仕事になる。


 昨日、そう思った。

 見た者が触る。マスターもそう言った。


 薬草を使ったと書けば、誰に、どこで、なぜ使ったかが必要になる。

 地下で倒れた者がいたと書けば、立入禁止の管理不備になる。

 怪我を隠した者がいたと書けば、処分になる。

 処分が出れば、また別の記録が増える。


 そして、その記録は誰かを助けるとは限らない。


「では、なかったことにするんですか」


「違う」


「何が違うんですか」


「減っている」


 レンは薬草棚を見た。


「なかったことにはならない」


 リーネは、言葉を失った。


 確かに薬草は減っている。

 助けたことを記録しなくても、使ったものだけは残る。

 痕跡は消えない。


 ただ、名前がない。


 マスターが奥から出てきた。


「古い薬草の廃棄で処理しろ」


 リーネは振り向いた。


「ですが、古い薬草は棚の右端に分けてあります。今回減っているのは通常分です」


「混ざってたんだろう」


「混ざっていません」


「混ざっていたことにする」


 マスターは、いつもの調子で言った。


「治療係にもそう伝えますか」


「伝えなくていい。俺が確認する」


「実際には、誰かに使われています」


「誰かが助かったなら、いいだろう」


「帳面が合いません」


「合わせるんだよ」


 強い声ではなかった。


 けれど、そこには線があった。

 これ以上は踏み込むな、という線。


 リーネは帳面を見た。


 古い薬草の廃棄。

 品質低下のため三束処理。

 確認者、マスター。

 作業者、レン。


 書けば、整う。


 整うが、別のものが消える。


 誰かが助けられたこと。

 地下で何かが起きたこと。

 レンがそこにいたこと。


 リーネは、ゆっくりペンを取った。


 日が落ちる頃、薬草の在庫は帳面と合った。


 古い薬草三束を廃棄。

 代わりに補充予定を明日へ繰り上げる。

 治療係は「ああ、そういうことにするのかい」とだけ言い、それ以上聞かなかった。


 下級冒険者たちは、いつも通り帰っていった。


 左腕を痛めていた少年は、出口のところでレンを見つけると、少し迷ってから頭を下げた。


「昨日、誰かに助けられた気がするんだよな」


 レンは何も言わなかった。


「いや、あんたじゃないならいいんだけど」


「歩けるか」


「ああ」


「ならいい」


 少年は変な顔をしたが、最後には笑って出ていった。


 リーネはそれを受付の内側から見ていた。


 礼は、帳面に載らない。

 治療も載らない。

 助かった理由も載らない。


 それでも、人の態度は少し変わる。


 閉店後、リーネは薬草棚の鍵をかけた。


 レンは水桶を運び、床に落ちた葉を拾っていた。一枚一枚、丁寧に。


「レンさん」


「どうした」


「薬草を使った相手を、どうして書かせなかったんですか」


「困る」


「誰がですか」


「たぶん、全員」


 リーネは返事をしなかった。


 全員。


 助けられた冒険者。

 立入禁止を管理するギルド。

 記録をつける受付。

 確認印を押すマスター。

 そして、使った本人。


「レンさんは、そういうことをよく考えるんですか」


「見ればわかる」


「普通は、そこまで見ません」


「……そうか」


 いつもの返事だった。


 けれどリーネには、少し違って聞こえた。


 レンは何かを隠している。

 そう思うには、まだ早い。


 だが、レンの周りでは、記録されないまま片づくものが多すぎる。


 リーネは帳面を閉じた。


 薬草の数は合っている。

 廃棄記録もある。

 確認印もある。


 問題はない。


 ただ、帳面に載らない親切というものがあるのだとしたら。

 それは、規則の外にある。


 規則の外にあるものは、守れない。

 そして、裁けない。


 リーネは棚の鍵を握ったまま、小さく息を吐いた。


「気のせい、でしょうか」


 レンは床に落ちた最後の葉を拾い、布袋に入れた。


「たぶんな」


 その答えだけが、また帳面に残らなかった。

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