表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第四章 帰り道には気をつけてください

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

第34話 帰り道を整える

四日かけて見えたのは、犯人の顔ではなかった。


 狙い方だ。


 帰り道を狙っているわけではない。

 帰ってくる人間を狙っている。


 街に戻り、肩の力が落ち、荷の持ち方が緩む。その一拍だけを拾って、軽くやって、少しだけ抜く。大きくは取らない。深手も負わせない。だから騒ぎにならない。


 無駄のないやり方だった。


 そして、無駄がないからこそ、捕まらない。


   ◇


 朝のギルドは、今日もいつも通りに忙しかった。


 帳場では羽根ペンが紙を擦り、蒸気管が低く息を吐く。濡れた外套の匂いに、煤と油の匂いが混ざる。依頼札が剥がされ、別の札が貼られ、受付前では順番待ちの列が少しずつ入れ替わっていく。


 変わらない。


 だが、その“変わらなさ”の中に、同じ話が溶け込んでいる。


「また帰りだってさ」


「今度は誰だ」


「知らん。軽くやられたらしい」


「最近多いな」


 言いながらも、声の調子は軽い。

 笑っているわけではないが、怒ってもいない。


 被害が軽いからだ。

 そして、誰も犯人を見ていないからだ。


 レンは掲示板の前で依頼札を見ているふりをしながら、その会話を聞いた。


 慣れてきている。


 良くない形で。


 最初は“変な話”だったものが、今は“またか”で済まされ始めている。人間は慣れる。被害が小さいほど早く慣れる。


「……形になる前に止めるか」


 誰に聞かせるでもなく呟き、レンは帳場へ向かった。


   ◇


「報告は?」


 リーネは顔を上げなかった。


「ありません」


 レンは少し黙ってから言った。


「増えてる」


「噂は」


 紙を一枚めくる。


「増えていますね」


 昨日までと同じ答えだ。

 ただ、今日はその先を聞く必要があった。


「それでも何もしないのか」


 リーネの手が、ほんのわずかに止まる。


 珍しい聞き方だったのだろう。

 レン自身も、そう思った。


「何もしていないわけではありません」


 ややあって、リーネが言う。


「報告が上がれば整理します。被害者本人が来れば記録します。必要なら巡回にも回します」


「でも、今はやらない」


「確認されていませんので」


 そこでようやく、彼女は少しだけ顔を上げた。


「レンさん」


「何だ」


「帳場が扱うのは、帳場に来たものです」


 事務的な言い方だった。

 だが、その中に別の意味が混じっている。


「来ていないものまで拾い始めたら、何でも仕事になります」


「じゃあ、これは仕事にならない」


「今のところは」


 線を引くように言う。


 それで終わってもよかった。

 だが、今日はもう一歩聞いた。


「仕事にならないなら」


 レンは紙束の端を軽く叩いた。


「誰が動いても構わないのか」


 リーネはすぐには答えなかった。


 紙を揃え、控えを右へ寄せ、それから静かに言う。


「ギルドは報告を受けていません」


 一拍。


「受けていない以上、把握していません」


 さらに一拍。


「把握していないことに対して、こちらから何か言うことはありません」


 それが答えだった。


 肯定ではない。

 命令でもない。


 だが、“見えていない以上は止めない”という線は、はっきりと引かれた。


 レンは少しだけ目を細めた。


「……黙認か」


「そういう言い方はしません」


 リーネはすぐに切り返した。


「帳場は、記録のあることしか扱いません」


 それだけ言って、また紙へ視線を戻す。


 だがレンには十分だった。


 ギルドは動かない。

 動けない。

 そして、動かない以上、見えていないことには口を出さない。


 つまり、表で扱わない代わりに、裏で何が起きても聞かないということだ。


 便利な線だ、とレンは思った。

 同時に、少しだけ危うい線でもある。


   ◇


 帳場を離れたところで、低い声がかかった。


「何を企んでる」


 マスターだった。


 いつものように書類の束を片手にしている。顔はしかめているが、本気で止める顔ではない。


「企んでない」


「じゃあ考えてる顔か」


「そっちだ」


 マスターは鼻で笑った。


「軽い被害だ。放っときゃそのうち街を移る」


「その前に次が出る」


「出るだろうな」


 あっさり認める。


「だったら止めるか」


 レンが言うと、マスターは肩をすくめた。


「好きにしろ」


 そこで終わらず、少しだけ視線を細める。


「ただし、こっちは何も聞いてない」


「……聞いてない」


「報告も上がってない。依頼にもなってない。帳場も動いてない」


 つまり、とレンは理解した。


 リーネが帳場の言葉で引いた線を、マスターは現場の言葉でなぞっている。


 ギルドは知らない。

 知らないから、責任も取らない。

 責任を取らない以上、結果だけが静かに片づいていれば、それでいい。


「面倒な街だな」


 レンが言うと、マスターは少しだけ口の端を上げた。


「住みにくいか?」


 妙な聞き方だった。


 レンは一瞬だけ黙り、それから答えた。


「住めないほどじゃない」


「なら働け」


 それで話は終わる。


 止めない。

 押し出しもしない。


 だが、行くなら勝手に行けという温度だけがあった。


   ◇


 夕方、レンは帰還路へ出た。


 今日は見るだけではない。

 狩場を作る。


 犯人は人の流れに乗っている。なら、こちらは流れそのものを触る。


 荷箱が一つ、通りの端に積まれていた。中身は半端で、誰かが仮置きしたままらしい。レンは周囲を一度見てから、その荷箱をほんの半歩だけ動かす。


 わずかだ。


 だが、人が壁際をすり抜ける幅が消える。自然と中央へ寄る。


 次に灯り。


 支柱に掛かったガス灯は、角度が微妙に悪い。壁際へ濃い影を落とし、曲がり角の内側だけが見えにくい。


 レンは支柱の留め具を軽く緩め、灯りの向きを半歩分だけ変えた。明るくはならない。だが、影の落ち方が変わる。死角が浅くなる。


 さらに、壁際に立てかけられていた板切れを拾い、曲がり角の内側へ置く。意味もなく置かれた廃材に見える位置だ。だが、それがあるだけで、壁にぴたりと寄る動きが一度だけ止まる。


「……これで一つ」


 小さく呟く。


 大きな変化はない。

 誰も気づかない。


 だが、狙う側にとっては十分にうるさい変化だ。


   ◇


 二日目。


 別の帰還路を触る。


 工房の裏手へ抜ける細道。ここは逃げ道が多い。脇の路地、壊れた柵、積まれた樽の陰。襲うには便利だが、追うには厄介な場所だった。


 レンはまず樽の位置を変えた。

 横並びを縦並びに。そうするだけで、抜ける角度が変わる。


 次に、路地口に積まれた石灰袋を一つだけ移す。倒れかけたように見える形にしておけば、人はその脇を大きく回る。大きく回れば、視線が通る。


 最後に、壁の水桶を半歩だけ前へ出した。蹴れば音が鳴る位置だ。


「……逃げるなら、そっちだろ」


 呟く。


 逃げ道を消すのではない。

 逃げる先を限る。


 そうすれば、狩る側は選べなくなる。


   ◇


 三日目、レンは再び囮になった。


 荷袋に重さを入れ、片手で持つ。

 肩を落とす。

 視線を前に固定する。


 四日かけて掴んだ“帰りの人間”の動きそのままだ。


 曲がり角に入る。


 灯りが続く。

 荷箱が壁際を塞ぐ。

 中央へ流される。


 やりにくいはずだ。


 そう思った通り、気配はあったのに踏み込んでこなかった。背後で一瞬だけ迷う気配。それだけ残して消える。


 レンはそのまま歩いた。


 振り返らない。

 今はまだ、それでいい。


「……やりにくいだろ」


 誰に聞かせるでもなく言う。


 少しずつ詰まっている。

 形になってきている。


   ◇


 四日目。


 レンはもう一度、同じ場所を見直した。


 人の流れは変わったか。

 荷箱は不自然ではないか。

 灯りの角度は戻されていないか。


 細かいところを直しながら、改めて思う。


 これは仕事に近い。

 だが、依頼ではない。


 街の誰かに頼まれたわけでも、帳面に載るわけでもない。

 結果だけが残って、理由は残らない。


 地下でやってきたことに、少し似ていた。


 違うのは、今回の相手が人間だということくらいだ。


   ◇


 夜、ギルドへ戻る。


 帳場の前はもう落ち着いていて、紙の音がよく聞こえる。


「どうでした」


 リーネが、視線は紙に落としたまま言った。


 珍しい聞き方だった。


「想定外を作った」


 レンが答えると、リーネの指が一瞬止まる。


「そうですか」


「やりにくくなった」


「誰が」


「確認されてない相手が」


 レンが言うと、リーネは小さく息を吐いたようだった。


 笑ったわけではない。

 だが、その返しは少しだけ遅かった。


「でしたら」


 一拍。


「こちらとしては、何も申し上げることはありません」


 帳場の言葉で言えば、それが精一杯なのだろう。


 レンは頷いた。


 十分だ。


   ◇


 地下へ戻る。


 水の音は変わらず静かだった。


 レンは壁にもたれ、目を閉じる。


 仕込みは終わった。


 大きくは変えていない。

 だが、逃げ道は減った。

 視線は通る。

 流れは狭まった。


 狩る側は、もう今までのようには動けない。


「……次だな」


 小さく言う。


 ここまでは準備だ。

 次は処理になる。


 依頼ではない。

 報告もされない。

 ギルドは見ない。


 だから、終わらせるなら静かに終わらせるしかない。


 レンは壁から背を離した。


「食うなら、一度でいい」


 ぽつりと落ちた言葉は、水音に混じってすぐ薄れた。


 地下は何も答えない。

 ただ、戻る場所として、いつも通りそこにあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ