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スライムさんは、ギルドで優等生を演じています  作者: 安威要
第一章 順路をお守りください

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第14話 消えるはずのないもの

 『走らないでください』


 朝のギルドでその声を聞くと、レンは一拍だけ歩幅を整えた。

 急がない。止まるべきところで止まる。優等生の基本だ。


 二階へ上がり、マスターの部屋へ入る。


「仮控えがある」


「はい」


「なら次は何だ」


「残す帳面です」


「違う」


 マスターは机を指で軽く叩いた。


「残さない帳面だ」


 レンは小さく目を細めた。


「消えるはずのないものが、消えている」


「消えてない」


「……どこかにある」


「そうだ」


 机の上には、第12話と第13話で拾ってきた控えの写しが並んでいた。

 七番。徴許。エ・二。クラウスの動線。

 線はまだ細いが、もう単なる偶然ではない。


「帳面の表では合わせられないズレがある」


 マスターが紙の一点を叩く。


「だから裏で先に世界を合わせてる」


「気分の悪い言い方ですね」


「気分のいい不正を見たことがあるか」


 それはなかった。


「今日やることは一つだ。裏帳簿の実在を確定しろ」


「見つけて、見て、戻る」


「そうだ。持ち出すな。抱えたまま捕まるな」


「優等生向きの指示ですね」


「珍しくな」


     ◇


 税務倉区の奥は、昼でも光が鈍い。


 帳場を抜ける。

 控え室を抜ける。

 紙の匂いがだんだん薄れ、その代わりに鍵と油の匂いが強くなる。人の出入りが減るにつれて、扱っているものの値段ではなく、扱う権限の重さだけが残る。


 目的の扉は、控え室のさらに先にあった。


 低い鉄扉。

 新しい蝶番。

 鍵が二つ。

 壁には小さく『記録管理者以外立入禁止』の札。


 帳簿庫、と大きく書いてあるわけではない。

 だが、こういう場所ほど名前を出したがらない。


 レンは書類束を抱えたまま、書類搬入の流れを待った。

 扉の前には細身の職員が一人。中へ入る別の男へ帳票を渡している。


 今だ。


 レンはその後ろに自然に続いた。


「おい、それはどこのだ」


 職員が振り返る。


「保留区画の控えです」


「ここじゃない」


「指示が変わりました」


 即答。

 間を置かない。考える時間を相手に渡さない。


「誰の指示だ」


 もう一歩来たか、と内心で思う。


 だがその瞬間、奥の男が苛立った声を上げた。


「早くしろ。鍵を開けたままにするな」


 職員が舌打ちする。


「……中で確認しろ」


 それで十分だった。


 扉が半分開く。

 レンは頭を下げるようにして、そのまま中へ滑り込んだ。


     ◇


 帳簿庫の中は、思っていたより狭かった。


 棚が両側に並び、その間に人が一人通れる幅だけ空いている。

 机はない。読む場所ではなく、しまう場所だ。


 置かれている簿冊はどれも薄い。

 正規台帳のような重さがない。その代わり、紙の質が揃っていない。急いで綴じたもの、あとで差し替えたもの、捨てる前提で束ねただけのもの。表に出すつもりがない帳面の顔だ。


 レンは一冊を抜き取った。


 番号。

 棚。

 印種別。

 移送先。

 その横に、短い矢印。


 押収仮置 → 税収保留

 税収保留 → 消失扱い

 消失 → 別番号へ再記載


 変換表だ。


 記録ではない。

 変換の手順そのものだった。


「……」


 頁をめくる。


 同じ箱番号が二度出てくる。

 片方は消し込み。もう片方は別の印で生きている。

 消えているように見えて、実際には消していない。別の場所へ流しただけだ。


 七番。

 徴許。

 エ・二。


 昨日見た記号が、ここでは迷いのない形で並んでいた。


 さらにその先に、もう一つ印がある。


 最終。


 ただ二文字。

 だがその二文字があるだけで、表の帳面に乗せられるのだと分かる。


「誰だ」


 外で声がした。


 レンの指が止まる。


「書類が一つ多い」


 嫌な言い方だった。

 数えている。


 帳簿を棚へ戻す。

 だが元の位置を探す時間が惜しい。薄い簿冊の列、その三段目、右から四つ目。そこへ差し込む。


 外の声が続く。


「中は何人だ」


「二人です」


「三人じゃないのか」


 足音が近づく。


 まずい。


 逃げ道は扉しかない。

 だがそこは最初に見られる。


 レンは視線を走らせた。


 右は棚。

 左も棚。

 奥は壁。


 棚と壁の間に、わずかな隙間がある。

 人が通る幅ではない。埃を避けるための余白ですらない。置いた棚が壁から少し浮いただけの、意味のない狭さだ。


「開けるぞ」


 鍵が鳴る。


 時間がない。


 レンは身体を横に向け、その隙間へ体を押し込んだ。


 肩が引っかかるはずだった。

 胸で止まるはずだった。

 だが、止まらない。


 布が擦れる音だけが残る。


 視界が暗く落ちた。

 棚板の裏。壁の冷たさ。紙の乾いた匂いが鼻につく。


     ◇


 扉が開いた。


「……二人だな」


「だから言っただろ」


 すぐ目の前で声がする。


 レンは息を殺した。

 ここは人間のための空間ではない。だから誰も、人間がいる前提で見ない。


「さっき、誰か入ってなかったか」


「搬入だ。もう出たんだろ」


「書類の数が……」


 足音が棚の列を一歩、二歩と入ってくる。

 止まる。

 紙束の端が触れ合う音。簿冊を確かめている。


 もう一歩近づけば見つかる、という距離で足が止まった。


「鍵、開けたままにするなよ」


 別の声がそれを切った。


 苛立ち。

 面倒。

 早く終わらせたい気配。


 足音が戻る。


 扉が閉まる。

 鍵が二度鳴る。


 それでもレンはすぐには動かなかった。

 外の気配が完全に離れるまで数を数える。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 そこでようやく、ゆっくりと体を戻した。


     ◇


 問題は、出る時のほうだった。


 入るより楽でも、見られずに出るほうが難しい。


 レンは一度、棚の陰から扉の隙間を見た。

 外にはもう誰もいない。だが通路の先に、さっきの職員が背を向けて立っている。ここで扉を開ければ音で気づく。


 その時、別の搬入音が近づいた。


「次の控えだ」


 声と一緒に台車の車輪が鳴る。


 使える。


 レンは扉が開く瞬間に合わせ、内側から帳簿束を一つ持って外へ出た。

 まるで最初から中にいた職員みたいに、台車の横へ並ぶ。


「これも戻す」


 短く言う。


「ああ」


 返事は雑だった。

 雑で助かる。


 だが二歩進んだところで、先ほどの職員が振り向いた。


「おい、それはどこから」


 危ない。


 レンは足を止めず、抱えた簿冊を少し持ち上げた。


「三番束、綴じ直しです」


「誰が言った」


「中です」


 答えながら、そのまま角を曲がる。

 書類を抱えた人間を、角の向こうまで追うのは面倒だ。しかも“中”と言われると、さっき自分が開けた帳簿庫のことを思い出してしまう。


 足音は来ない。


 レンはそのまま控え室の手前で簿冊を別棚へ滑らせ、空になった腕で歩幅を戻した。


 走らない。

 振り返らない。

 優等生の離脱は、だいたいそういう形になる。


     ◇


 ギルドへ戻る頃には、夕方の煤が窓の外を鈍くしていた。


 マスターの部屋へ入る。


「見たか」


「見ました」


 レンは紙の端へ覚えてきた記号を書き出す。


「裏帳簿です。変換表になってました」


「内容は」


「箱の身分の書き換えです。押収仮置、税収保留、消失、別番号。消したんじゃなく、別の正しさへ流してます」


 マスターの目が紙の上で止まる。


「記録してるんじゃないな」


「はい」


「世界を合わせてる」


 その言い方がいちばん気持ち悪かった。


「徴許もありました。エ・二は生きてます」


「エか」


「それと、もう一つ」


 レンは短く息を整える。


「最終、の印がありました」


 マスターがそこで指を止めた。


「やはりあるか」


「最終確認者ですか」


「ああ。表へ流していいと決める手だ」


「クラウス、エ、その上」


「そうなる」


 机の上に、見えない線が一本増えた感じがした。


「気づかれたか」


「たぶん半分くらい」


「半分は厄介だな」


「同感です」


 マスターは紙の上に、クラウス、エ、最終の順で小さく点を打った。


「次で太くする」


「誰を追います」


「エじゃない」


「最終ですか」


「そこへ行くには、まだ一枚足りん」


 足りない顔。

 足りない役割。

 そのどちらかだ。


 消えるはずのないものは、消えていなかった。

 最初から無かったことにされていただけだ。


 帳面の裏で、現実そのものが書き換えられている。

 そしてその最後に、たしかに“よし”と言う手がある。


 次に追うべきは、箱でも印でもなかった。

 その入れ替えを最後に許した手だ。

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