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選択の待人

短めです。

 

「よお、リリア。いや――“リリア”」

「久しぶり、かな。――神凪ソウマ」


 その言葉を聞いて、ソウマは足を止めた。

 目の前に立っているのは、確かにリリアの姿をしている。


 銀色の髪。

 見慣れた顔。

 聞き慣れた声。


 だが、ソウマはそれを見て、以前のように困惑することはなかった。


 こいつはリリアではない。

 少なくとも、自分が知っているリリアではない。

 それは、ガルネスで一度経験している。

 あの時もそうだった。

 自分の認識そのものへ干渉され、目の前にいる存在を見誤らされた。


 何を見ているのか。

 誰を信じるのか。

 何を本物と呼ぶのか。

 そういった判断そのものを、内側から崩されていった。

 だからこそ、今さら目の前の存在について、本物か偽物かを考える必要はなかった。


 これは――“リリア”だ。

 あの時、自分の前に現れたものと同じもの。

 もう二度と再会したくないと心から願い、あの場所で確かに葬った存在。

 ソウマは視線を逸らさず、その姿を観察した。


「……随分と、久しぶりだな」

「そうだね」


 “リリア”は微笑んだ。


「でも、あなたは私のことを覚えていた」

「忘れる方が難しいだろ」

「そう?」

「当たり前だろ。そりゃあんなことされたら忘れねぇよ」

「それもそっか」


 ソウマは一歩も動かなかった。

 以前ならば、相手の言葉の一つ一つを疑っていたかもしれない。

 だが今は違う。

 こいつが何者なのかは、もう分かっている。

 問題は――。


「どうして、お前がここにいる?」


 “リリア”は答えなかった。

 ただ、ソウマの背後へ視線を向けた。

 そこには、先ほど開いた扉がある。

 白い空間へ続く扉。

 開いたままの扉の向こうには、相変わらず白だけが広がっている。


「入らないの?」

「今はお前の方が問題だ」


 ソウマは振り返らない。


「ま、そう簡単には私は解決させてあげないよ?」

「……なんかキャラ変わった?」


 軽く舌を出して悪戯っぽく笑った“リリア”に、ソウマは少し気味悪そうにそう呟いた。


「そんなことはありません」

「んなわけ」

「――変わってないよ」


 少し声のトーンを落として、そう告げた“リリア”を見て、ソウマは一度緩もうとした気を引き締め直す。


「それは、お前がいるからか?」

「違うよ」

「じゃあ、何だ?」

「あなたが決めることだから」


 ソウマは眉を寄せた。

 その返答には、妙な引っ掛かりがあった。

 まるで、こちらの判断を待っている。

 否。

 待っているというより――。

 判断することそのものを、こちらへ押し戻している。


「俺に選ばせたいのか?」

「選ぶのは、いつだってあなたでしょ」


 その言葉に、ソウマは黙った。

 ガルネスでの出来事が頭をよぎる。

 認識。

 判断。

 選択。

 あの時、壊されようとしていたもの。

 そして今、またしても、自分の前には複数の道がある。


 白の空間へ続く扉。

 前庭へ続く大扉。

 夢幻の廊下へ続く扉。

 どれも、既に一度は意味を持った。


「――なるほど」

「あら」

「この扉も、同じってことか」

「あーあ、気付かれちゃった。つまんなーい」

「……お前、本当にキャラ変わったな。賢者ムーブから小悪魔キャラに転身か?」

「……ちょっと何言ってんか分かんない」


 しばらく“リリア”から目を離さなかった。

 “リリア”は攻撃の意思を見せなかった。こうして見ている間にも、“リリア”は何もしてこない。


「……お前は、あの時と同じなのか?」


 ソウマが沈黙を断つように、問う。

 あの時と同じように。


「何が?」

「……俺の認識を弄ってたりとか」


 “リリア”は少しだけ目を細めた。


「どうだろうね」

「否定はしないんだな」

「そう言ったとしても、あなたは信じないのに。そもそももう、答えを知ってるんじゃない?」


 ソウマは返事をしなかった。

 確かに、知っている。

 少なくとも、こいつが自分の認識へ干渉できる存在だということは。

 だが、それだけでは今ここで起きていることを説明できない。

 以前とは違う。

 目の前にいる“リリア”は、一人だけだ。

 姿が増えることも、声が重なることもない。

 どちらが本物なのかと問いかけてくることもない。

 むしろ今回は――。


 何もしていないように見える。

 ただ、ここにいる。

 それだけだった。


 ソウマはゆっくりと息を吐いた。

 それが最も厄介だった。

 異常が目に見える形で現れているなら、まだ対処できる。

 しかし、何も起きていないように見えるなら、何が起きているのかを判断することさえできないから。


「……お前は、ここで何を?」

「何も」

「何も?」

「うん」


 “リリア”は白の空間を見た。


「そこにあるものを見ているだけ」

「白い空間を?」

「それも含めて」


 ソウマは初めて、彼女の視線の先を追った。

 白い。

 やはり何も変わっていない。

 扉の向こうには、ただ白が広がっている。

 しかし、さっき理覚が告げた。

 ゼロか五十か。

 意味は分からない。

 それでも、あの空間が完全に何もない場所ではないことだけは分かっている。

 

 ソウマは白を見つめる。

 その時だった。


「……あれ?」


 “リリア”が小さく呟いた。

 ソウマが視線を向ける。


「どうした?」

「扉が」


 “リリア”は白の空間へ続く扉を指差した。


「少し、変わった気がする」

「……」


 ソウマもそれに導かれるように見るが、何が変わったのかは分からない。

 扉そのものは、先ほどと同じ場所にある。

 白い空間も変わっていない。

 それでも、ほんの僅かに扉の輪郭が薄くなったように見えた。

 消えかけているのではなく、輪郭そのものが曖昧になっている。

 見ているうちに、扉と白との境目が分からなくなっていく。


「……おい」


 ソウマは扉へ近づいた。

 すると、輪郭が戻った。

 一歩離れる。

 また薄くなる。

 ソウマは目を細めた。


(距離に反応している?)


 そう考えた瞬間、扉の輪郭が再び変化した。

 今度は、薄くなったのではない。

 少しだけ、遠くなった。


「……」


 ソウマは動かなかった。

 扉が動いたように見えた。

 だが、足元との距離を比べると、位置は変わっていない。

 変わったのは――。


 自分の方なのか。

 扉の方なのか。

 それすら判別できない。

 

「入るの?」


 “リリア”が言った。


「……今すぐにというわけでは」


 ソウマは答えた。


「でも、そのつもりだ」

「怖くない?」

「怖いさ」


 即答だった。

 “リリア”が少しだけ笑う。


「それでも?」

「怖いから調べるんだろ」


 ソウマは扉へ手を伸ばした。

 取っ手に触れる。

 冷たい。

 さっきと同じ感触だった。


「一応言っておくけど、今の状況であなたに危害を加えることはしないから」

「……それを信じられる根拠は?」

「私の言葉だけ――冗談だって、そんな怖い顔しないで」


その言葉を聞いたソウマは、即座に顔に明確な敵意を浮かべた。


「あなたが望むなら、この命を」

「……正気か?」

「本気だよ?逆に、そんなことしなくても信じられます〜っていうなら別だけど」

「じゃ、それで」

「酷いなあー」


 頬を軽く膨らませて、リリアが弱い抗議をしてくる。


「……じゃ、俺は行く」

「暇だし、私は近くでも歩いておこっと」


 “リリア”がいる。

 相変わらず、そこに立っている。

 ガルネスで出会ったものと同じなのか。

 それとも、同じものを使って別の何かを見せられているのか。

 今のソウマには分からない。

 だが、それでいい。


 理覚が告げた、「ゼロ」と「五十」という数字。

 消えた扉。

 戻れない空間。

 そして、この王城そのものに起きている、認識と構造のズレ。

 それらが偶然に重なっているとは、もう思えなかった。


「じゃあな、“リリア”」

「行ってら〜」


 “リリア”のあまりにも軽すぎる言葉を背に、ソウマは扉の前に立った。


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