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理を拒む城

 

 ソウマは歩き続けていた。

 王城の廊下は、どこまでも静かだった。

 赤い絨毯。

 白い柱。

 止まった衛兵。

 壁を飾る無数の肖像画。

 どれも変わらない。

 変わらないはずなのに、その"変わらない"という事実が、不気味なほど重い。

 歩く。

 一歩。

 また一歩。

 廊下は緩やかに右へ折れ、さらに奥へと続いている。

 ソウマは角を曲がった。

 視界が開ける。

 また同じ廊下だった。


「……」


 柱。

 衛兵。

 肖像画。

 赤い絨毯。

 どこにでもありそうな王城の景色。

 それだけだ。

 何も不自然ではない。

 そう自分へ言い聞かせながら歩き出す。

 十歩ほど進んだ時だった。

 視線が、一枚の肖像画で止まる。

 若い騎士だった。

 白銀の甲冑を纏い、剣を斜め前へ掲げている。

 凛とした眼差し。

 その姿に、なぜか見覚えがあった。


「……」


 (いつ見たっけか……?さっき、いや違うな。もっと前か)


 記憶を探ろうとした瞬間、ソウマはすぐに思考を止めた。


(駄目だ)


 また曖昧になる。

 考えるほど、この世界は答えを奪う。

 ソウマは肖像画から目を逸らした。

 歩く。

 廊下を抜ける。

 もう一つ角を曲がる。

 再び長い通路。

 そして。


「……またか」


 そこにも同じ騎士の肖像画があった。

 同じ構図。

 同じ表情。

 同じ額縁。


(複製画の可能性……?)


 可能性は低くとも、その確率はある。

 しかし、胸の奥で何かが引っ掛かる。

 さっき見たものと、本当に同じなのか。

 それとも似ているだけなのか。

 その違いを確かめようとした瞬間、また記憶が滲み、さっきの絵が思い出せなくなった。


「……くそ」


 ソウマは目を閉じる。

 確認できない。

 思い出せない。

 自分の記憶が壊れているのか、この城がおかしいのか。

 その境界さえ曖昧だった。

 それでも足だけは止めない。

 止まれば、不安だけが膨らむ。

 だから進む。

 ひたすら前へ。

 やがて長い長い廊下は終わり、小さな広間へ出た。

 中央には円形の噴水があるが、もちろん水は空中で静止している。

 周囲を囲む四本の柱があり、その奥には次の廊下があった。

 その景色を見た瞬間。

 ソウマの足が止まった。


「……」


 この場所を、知っている気がした。

 初めて来たはずだが、さっきもここを通ったような気がする。

 そんなはずはない。

 一本道だった。

 分岐は無かった。

 ならば、この広間へ二度来ることなどあり得ない。


「……気のせいだ」


 そう口にする。

 その言葉には、自分自身を納得させる力すら残っていなかった。

 広間へ一歩足を踏み入れる。

 静止した噴水の水面へ目を向ける。

 そこには、自分の姿だけが映っていた。

 疲れ切った表情。

 血の気を失った顔。

 鋭く周囲を警戒する瞳。

 見慣れた自分。

 他でもない、神凪ソウマ。

 そのはずだった。


「……っ!」


 水面の中のソウマが。

 ほんの一瞬だけ、瞬きをしたように見えた。

 ソウマは反射的に身を引いた。

 視線は止まった水面へ釘付けになる。

 瞬きをした。

 確かにそう見えた。

 しかし、水面は静止したままだ。

 波紋一つ広がらない。

 映る自分も、何事もなかったように立っている。


「……」


 見間違いと結論付けようとする。

 だが、その二字は妙に軽かった。

 ソウマはゆっくりと噴水へ近付く。

 白い縁へ手を置く。

 冷たい。

 石の感触は現実だった。

 水面を見下ろすと、自分がいる。

 剣を握り締めた自分。

 疲労の色を隠せない自分。

 目を細める。

 映る自分も同じように目を細める。

 拳を握る。

 水面の自分も握る。


「……」


 同じだ。

 何もおかしくない。

 さっきの瞬きは、やはり錯覚だったのだろう。

 そう思い、視線を外した。

 その瞬間だった。

 胸の奥で、小さな違和感が疼く。

 何だ。

 何かがおかしい。

 水面をもう一度見る。

 自分が映っている。

 何も変わらない。

 だが。


「……俺は」


 今は、右腰で剣を持っているか。

 左腰だったか。

 分からない。

 反射的に視線を自分の腰へ落とす。

 右腰だ。

 確かに右手で握っている。

 では、水面は。

 同じだった。


「……っぅぅ」


 安堵した。

 その安堵が、逆に恐ろしかった。

 何を確認しようとした。

 何故そんなことを疑った。

 答えが出ない。

 思考が、自分の手を離れていく。

 ソウマは噴水から距離を取った。

 これ以上見てはいけない。

 理由は説明出来なくとも、理覚が疼いていた。


 広間を横切る。

 奥の廊下へ入る。

 歩く。

 一歩。

 また一歩。

 ふと、足が止まった。

 壁際。

 止まった侍女が一人立っている。

 銀の盆を両手で抱えたまま、時間へ閉じ込められていた。

 何気なく視線を向ける。

 それだけだった。


「……?」


 何か違和感がある。

 侍女を見ても、何もおかしくない。

 視線を外して、数歩進む。

 そうしてまた振り返る。

 同じ姿勢。

 同じ表情。

 それでも、最初に見た時と、何かが違う気がする。


「……何が」


 分からない。

 髪型?

 違う。

 服装?

 違う。

 立ち位置?

 それも違う。

 違和感だけがある。

 中身だけが抜け落ちている。

 ソウマはゆっくり目を閉じた。

 考えるな。

 考えるほど、この城は何かを奪っていく。

 そう理解しているはずなのに、ソウマは理解できないものを理解したくなっていた。

 それが摩訶不思議に恐ろしかった。

 再び目を開く。

 侍女は変わらず立っている。

 もう違和感は無かった。

 いや、そもそも違和感があったこと自体を忘れ始めていた。

 ソウマは何も言わず、その場を後にする。

 廊下へソウマの姿だけが消えていく。

 最後まで侍女は動かなかった。


 廊下は静まり返っていた。

 ソウマは一定の歩幅を崩さない。

 立ち止まれば考えてしまう。

 考えれば、この城は記憶へ触れる。

 だから歩く。

 ただ、それだけだった。

 今度の廊下は二手へ枝分かれしていた。

 右。

 左。

 どちらも同じだった。

 白い石壁。

 赤い絨毯。

 等間隔に並ぶ柱。

 違いは何一つ見当たらない。


「……」


 右を見る。

 左を見る。

 決め手はない。

 ソウマは短く息を吐き、右の廊下を選んだ。

 角を曲がる。

 長い絨毯が続いている。

 誰もいない。

 停止した空間だけが広がる。

 そのまま歩き続ける。

 十歩。

 二十歩。

 三十歩。

 不意に視界が開けた。

 小さな広間。

 中央には石造りの噴水。

 止まった水。

 四本の柱。

 奥へ続く廊下。


「……またか」


 見覚えがある。

 だが、確信は持てない。

 この城は似た造りなのかもしれない。

 そう思い込もうとする。

 広間を横切る。

 その時だった。

 視界の隅の柱の陰に、何か白いものが見えた。

 反射的に目を向けても、何もない。

 柱だけだった。


「……」


 (考えるな)


 そう自分へ言い聞かせながら、再び歩き始める。

 広間を抜ける。

 廊下へ入る。

 数歩進んだところで、ソウマは足を止めた。


「……?」


 足元だった。

 赤い絨毯。

 その端へ、小さな黒い染みがある。

 血痕のようにも見える。

 いや、ただの石の模様かもしれない。

 屈み込んで、指先で触れる。

 冷たく、乾いている。

 何なのかは分からない。

 ただ、その形だけが妙に記憶へ残った。

 三日月のような形と、欠けた円。

 それだけを頭へ刻み込み、ソウマは立ち上がる。

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 長い廊下を抜ける。

 そして。


「……」


 ソウマは動きを止めた。

 足元。

 赤い絨毯。

 端に、小さな黒い染み。

 三日月のような形。

 さっき見たものと、寸分違わない。


「……違う」


 一本道だった。

 角曲がっていない。

 戻っていない。

 同じ場所へ来るはずがない。

 ゆっくりと顔を上げると、正面には何も変わらない風景が広がっていた。

 石造りの噴水。

 四本の柱。

 奥へ続く廊下。

 さっきと同じ景色。

 同じ景色だと思った。

 その瞬間、頭の奥がずきりと痛む。


「っ……!」


 本当に同じか。

 違うか。

 思い出そうとした途端、その記憶だけが霧へ溶けていく。

 分からない。

 同じなのか。

 似ているだけなのか。

 何一つ断言できない。

 ソウマは無意識に後ずさった。

 その足が、何かへ当たる。

 振り返ると、そこには止まった衛兵が立っていた。

 剣を構えたまま、時間へ取り残されている。

 その無表情な顔を見つめた瞬間。

 ソウマの胸へ、理由のない確信が落ちた。

 ――この城は、自分(神凪ソウマ)をどこへも行かせるつもりがない。


 ソウマは、その場から動かなかった。

 目の前には広間。

 背後には静止した衛兵。

 左右へ伸びる廊下。

 どこを見ても変わらない。

 変わらないという事実だけが、ゆっくりと精神を蝕んでいく。


「……」


 この城は、自分を迷わせている。

 そう思った。

 だが、それすら本当なのか分からない。

 迷っているのは城ではない。

 自分自身なのかもしれない。

 その境界が曖昧だった。

 ソウマはゆっくりと瞼を閉じる。

 深く息を吸う。

 もちろん音は聞こえない。

 胸が上下する感覚だけが、自分がまだ生きていることを教えてくれる。


(違う)


 何かが違う。

 ここへ来てから、自分はずっと受け身だった。

 見えるものに怯え。

 聞こえるものに怯え。

 思い出せないことに怯え。

 それだけだから、簡単に飲み込まれる。

 恐怖は、分からないものを考え続けることで際限なく膨らんでいく。

 ならば、考えることを変えればいい。

 答えを探すのではなく、法則を探す。


「……そうだ」


 小さく呟く。

 聞こえない。

 それでも構わなかった。

 敵の正体は分からない。

 この城の正体も分からない。

 ならば、分からないままでいい。

 必要なのは説明ではなく、生き残るための規則だ。

 炎は熱い。

 毒は飲めない。

 崖から落ちれば死ぬ。

 世界は、理由を知らなくても法則だけ知っていれば生きられる。

 なら、この城も同じだ。

 認識が狂う理由は分からなくてもいい。

 狂う条件だけ分かればいい。

 ソウマはゆっくりと周囲を見渡した。

 柱。

 肖像画。

 衛兵。

 広間。

 すべてを"理解しよう"とはしない。

 ただ、"観察"する。

 その違いは、自分でも驚くほど大きかった。

 恐怖が、ほんのわずかに遠のく。

 それは答えを求めなくなったからだ。


「……まずは一つ」


 一つだけ。

 一つだけでいい。

 この城の法則を見つける。

 それができれば、次の一つへ進める。

 ソウマは足元へ視線を落とした。

 赤い絨毯。

 白い石床。

 柱の影。

 すべてをゆっくりと眺める。

 焦らない。

 急がない。

 理解しようとしない。

 ただ事実だけを拾い集める。

 その時だった。

 廊下の奥。

 止まった景色のさらに先で。

 白い扉が、ほんのわずかに開いていることへ気付いた。


「……?」


 王城へ入ってから初めてだった。

 今まで見てきた扉は、すべて固く閉ざされていた。

 それでも、あの扉だけは違う。

 人ひとりが通れるほどの隙間。

 その奥は暗く、何も見えない。

 ソウマはしばらくその扉を見つめた。

 思い出そうとはしない。

 比較もしない。

 ただ、一つの事実として受け止める。

 閉じているはずの扉が、一枚だけ開いている。

 それだけは、今この瞬間に確かめた現実だった。

 ソウマは剣を握り直す。

 そして、ゆっくりとその扉へ向かって歩き始めた。


【今回の小ネタ】

人間の脳は、「正しい答え」を見つけることよりも、「辻褄が合う答え」を作ることを優先します。

例えば、同じ場所を何度も歩いているのに気付かなかったり、実際には存在しない記憶を「確かに見た」と思い込んでしまったりすることがあります。

これは脳が壊れているからではありません。

むしろ正常だからこそ起こる現象です。

脳は膨大な情報を処理するため、細部をすべて記録するのではなく、「たぶんこうだった」という推測で世界を補っています。

そのため、記憶は録画映像ではなく、思い出すたびに再構成される"物語"に近いと言われています。

だからこそ、自分の記憶が絶対に正しいとは限りません。

今回ソウマがたどり着いた「答えを探すのではなく、法則を探す」という考え方は、実は科学でもよく使われる発想です。

一つひとつの出来事を説明しようとするよりも、「何度でも成り立つ規則」を見つける方が、世界を理解する近道になることがあります。

もしかすると、私たちが「現実」だと思っている世界も、無意識のうちに脳が組み立てた一つの解釈なのかもしれません。

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