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無からの招待状

 どこまでも、リリアに似ていた。


 ソウマは言葉を失った。

 見間違いだと思いたかった。

 距離がある。

 顔など見えるはずがない。

 それでも、心のどこかが理解してしまっていた。

 あれはただ似ているだけではない。

 もっと根本的な何かが同じだった。

 剣の構え方。

 重心の置き方。

 立ち姿そのもの。

 あの見慣れた癖を、遠くから見せつけられているような気味の悪さがあった。


「……嘘だ」


 もう一度呟く。


「俺は……信じない……」


 返事はない。

 当然だった。

 だが、リリアは微動だにしないまま、抜いた剣を静かに下ろした。

 切っ先が王都へ向く。

 王城上空の歪みが脈打った。


 ドクン――。


 そんな音が聞こえた気がした。

 実際に鳴ったのかは分からない。

 しかし広場の空気が変わる。

 誰もが息を呑んだ。

 空気が重い。

 圧し掛かるような圧迫感。

 王都全体を巨大な手が握り潰そうとしているかのようだった。

 黒い人型は歩みを止めない。

 ゆっくりと。

 一定の速度で。

 崩れた街並みの中を進んでいく。

 騎士たちは近付けない。

 魔法も。

 剣も。

 何も届かない。

 ただ後退ることしか出来なかった。

 その異様な光景を見ながら、ソウマはふと違和感を覚える。

 誰も戦っていない。


 この王都には騎士がいる。

 魔導士もいると聞いた。

 これだけの戦力がありながら、誰一人として黒い人型へ攻撃を仕掛けない。

 恐怖だけが理由ではない気がした。

 何かを知っている。

 何かを理解している。

 だからこそ近付かない。

 そんな空気があった。


 ◆◇◇


 広場の反対側から数人の魔導士が現れる。

 ローブは破れ、顔色も悪い。

 先頭を歩く老騎士を見て、周囲の騎士たちが道を開けた。

 ソウマはその顔に見覚えがあった。

 先ほど結界について話していた老騎士だった。

 老騎士は黒い人型を見る。

 そして。

 ほんの僅かに目を細めた。

 驚きでもない。

 恐怖でもない。

 もっと別の感情だった。

 長い年月をかけて辿り着いた答えを目の前へ突き付けられたような。

 そんな顔だった。


「やはり……」


 老騎士が呟く。

 風に紛れそうなほど小さな声だった。

 しかしソウマの耳には妙にはっきり届いた。


「間に合わなかったか」


 隣にいた魔導士が顔を上げる。


「団長」

「結界を解く」


 その言葉に周囲がざわつく。


「しかし――」

「もう意味がない」


 老騎士は空を見る。

 王城上空。

 歪みの中心。

 そして尖塔の人影。

 その全てを見渡すように。


「既に境界は破られている」


 ソウマの眉が動く。


 境界。


 聞き覚えのない言葉だった。

 だが胸の奥がざわつく。

 何かが引っ掛かる。

 理解出来ないのに、知っている気がする。

 そんな不快な感覚だった。


 老騎士は静かに目を閉じる。

 疲れ切った表情だった。

 まるで何十年も戦い続けてきた人間のように。

 そして――







「フィア」







 そう呟いた。

 ソウマの呼吸が止まる。



 フィア。



 聞き間違えるはずがない。

 その名前は。

 絶対に。

 老騎士は続ける。



「すまない」



 誰へ向けた言葉なのか分からなかった。

 だが、その声には深い後悔が滲んでいた。


 次の瞬間。

 王城上空の歪みが大きく広がった。

 空が裂ける。

 景色が軋む。

 王都全体から悲鳴が上がった。

 そして、黒い人型が初めて顔を上げた。

 その視線の先には。

 尖塔の上に立つ、リリアによく似た人影だけがいた。


 ◇◇◆


 空が軋んでいた。

 そんな音が聞こえた気がした。

 実際には違うのかもしれない。

 だが、王都にいた誰もが同じものを感じていた。

 見上げていた。

 王城上空を。

 裂け始めた空を。

 そして、その中心にある異常を。

 ソウマもまた同じように動けなかった。


 フィア。


 老騎士の口から零れ落ちたその名前だけが頭の中を反響している。

 なぜここでその名が出てくる。

 なぜ老騎士は謝った。

 なぜ――。


 考えようとした瞬間。

 王都の景色が一瞬だけ歪む。

 崩れた建物。

 逃げ惑う人々。

 騎士たち。

 その全ての輪郭が曖昧になる。


 そして、ソウマは見た。

 王都ではない、別の景色を。


 暗い空。

 崩れた城壁。

 無数の死体。

 ソウマの前には、血に濡れた少女。

 淡い青髪。

 蒼い瞳。

 幼い。

 少女は膝をついていた。

 泣いている。

 声は聞こえない。

 だが泣いていることだけは分かった。

 その前には誰かが倒れている。

 青髪の女性だった。

 親子なのだろう。

 ソウマの呼吸が浅くなった。

 ソウマはここがどこなのか知りたくなった。

 一歩踏み出した途端、景色が崩れた。

 視界が白く弾ける。


「っ――!」


 現実へ引き戻される。

 ソウマは大きく息を吸った。

 肺が痛い。

 心臓が激しく脈打っている。


(今のは……)


 幻覚ではない。

 夢でもない。

 だからこそ答えは出ない。

 出る前に、王都そのものが動き始めた。

 轟音。

 大地が揺れる。

 王城上空の歪みが拡大していた。

 空だけではない。

 街並みそのものへ広がっている。

 建物が軋む。

 石畳へ亀裂が走る。

 窓ガラスが割れる。

 世界が壊れ始めていた。


「後退!」


 素早い騎士の指示。

 避難民の泣き声。

 何もかも諦めたような絶望の音。

 全てが混ざり合う。

 それでも、黒い人型だけは変わらない。

 歩いている。

 ゆっくりと。

 一定の速度で。

 世界の崩壊など関係ないかのように。

 その姿を見ながら、ソウマは気付く。

 黒い人型が近付いている。

 尖塔へ。

 あの人影へ。

 あと少し。

 あと少しで届く。

 そんな距離だった。

 その時。

 尖塔の人物が動いた。

 剣を構える。

 静かに。

 無駄のない動作だった。

 何千何万何十万と繰り返してきた動きのように。

 ソウマの背筋が震える。

 知っている。

 あの構えを。

 長年培われた、経験によるものだと。

 リリアの剣術だった。


「嘘だろ……」


 掠れた声が漏れる。

 その、次の瞬間だった。


 尖塔の人物が消えた。

 目で追えなかった。

 本当に一瞬だった。

 風が揺れる。

 次の瞬間には、黒い人型の目の前に立っていた。

 王都全体が静まり返る。

 誰も声を出せない。

 ソウマも。

 騎士も。

 魔導士も。

 全員がその光景を見ていた。

 黒い人型。

 そして。

 銀髪の剣士。

 向かい合っている。

 たった数歩の距離。

 世界の終わりを前にしたような沈黙が広がる。

 ソウマは息を止めた。

 何かが起きる。

 そう思った。

 先に動いたのは黒い人型だった。

 ゆっくりと腕を上げる。

 それだけしか動かない。

 しかし、銀髪の剣士は剣を振った。

 迷いのない一閃。

 銀色の軌跡が空を裂く。

 そして。


 世界が止まった。


 しかし、一瞬だけ。

 風が止まる。

 炎が止まる。

 人々の動きが止まる。

 音が消える。

 静止世界。

 ソウマはそれを知っていた。

 知っているはずだった。

 だが違う。

 これも自分の能力ではない。


「……え」


 声が漏れる。

 その直後。

 黒い人型の身体が揺れた。

 初めてだった。

 輪郭が崩れる。

 黒い滲みが吹き飛ぶ。

 ソウマは人型の奥に何かを見た。

 人影。

 確かに何かがいた。

 だが見えない。

 認識出来ない。

 理解しようとした瞬間。

 頭の奥で激しい痛みが走る。


 ジジジジジジジッ――!!


「ぐぁっ……!」


 視界が砕ける。

 王都が歪む。

 空が裂ける。

 現実そのものが崩れていく。

 その混濁した視界の中で。

 ソウマは見た。

 銀髪の剣士がこちらを見ていた。

 遠い。

 届くはずがない。

 見えていないはずだ。

 それでも、確かに目が合った。

 そして、その人物は静かに口を動かした。

 言葉は聞こえない。

 だが。

 ソウマには分かってしまった。

 その口が紡いだ言葉を。


『来て』


 次の瞬間。

 世界が白く染まった。


 ◆◆◇


 白だった。

 何も見えない。

 先ほどまでの暗闇とは違う。

 今度は白だった。

 視界が塗り潰されている。

 輪郭がない。

 距離もない。

 上も下も分からない。

 ただ、白だけが続いていた。


「……っ」


 ソウマは目を開こうとする。

 閉じようとする。

 だが、自分が本当に目を開いているのかすら分からなかった。

 身体の感覚も曖昧だった。

 落ちている気もする。

 立っている気もする。

 浮いている気もする。

 何一つ確信が持てない。

 そして。

 静かだった。

 あまりにも。

 王都の悲鳴も。

 炎の音も。

 崩壊の轟音も。

 全て消えている。

 残っているのは白だけだった。


『来て』


 声が蘇る。

 あの銀髪の剣士。

 リリアによく似た人物。

 こちらを見ていた、あの視線だけが焼き付いて離れない。

 ソウマはゆっくりと顔を上げる。

 その時だった。


 白い世界へ影が落ちた。

 人影だった。

 遠い。

 しかし見える。

 確かにそこに立っている。

 ソウマは目を細めた。

 見覚えがある。

 長い銀髪。

 剣。

 凛とした立ち姿。

 間違いない。

 王城の尖塔にいた人物だった。


 聞きたいことは山ほどあった。


 王都。

 黒い人型。

 停止世界。

 フィア。

 侵食。

 全て。


 だが、何から聞けばいいのか分からない。

 すると相手はソウマを見た。

 真っ直ぐに。

 逃げ場のない視線だった。


『私が言うのは一つだけ』


 白い世界が揺れる。

 輪郭が崩れ始めている。

 時間がない。

 そんな気配があった。


『王城へ行くこと』


 ソウマの眉が動く。


「王城?」

『そう』

「……行って何がある」


 相手は少しだけ考える素振りを見せた。

 そして。


『あなたの求める答えが』


 そう言った瞬間。

 世界へ亀裂が走る。

 白い空間が割れる。

 ガラスのように。

 音もなく。

 無数のひびが広がっていく。

 ソウマは反射的に周囲を見回した。

 崩れている。

 この場所そのものが。


「待て!」


 思わず叫ぶ。

 相手を見る。


「お前は誰なんだ!」


 今度こそ答えろ――そう言いたかった。

 だが、相手は静かに笑った。

 どこか、懐かしさを含んだ笑みだった。

 そして。


『その答えは』


 白い光が溢れる。

 輪郭が消えていく。

 声も遠ざかる。


『もう少し後』


 世界が砕けた。

 視界が落ちる。

 白が消える。

 光が消える。

 音が戻る。

 重力が戻る。

 ソウマは落ちた。

 再び。

 どこかへ。

 どこまでも。

 深く。

 深く。

 そして――。


 ソウマは目を開いた。

 冷たい石畳。

 白い息。

 静寂。

 誰も動かない王都。

 止まった炎。

 止まった人々。

 聞こえるのは自分の呼吸だけ。

 あの、止まった世界だった。


「……っ」


 ソウマは勢いよく身体を起こす。

 夢ではない。

 断言できた。

 王都。

 黒い人型。

 尖塔の剣士。

 全て覚えている。

 だが。

 一つだけ。

 奇妙なことがあった。

 顔が思い出せない。

 あの人物の顔だけが。

 どうしても。

 思い出せなかった。

 まるで最初から存在しなかったかのように。


(……誰、だったんだ)


 ソウマはしばらく黙り込む。                  

 そしてゆっくりと顔を上げた。                   

 停止した王都の奥。

 王城が見える。                         

 黒い滲みの中心。

 全ての異常が集まる場所。


『王城へ行くこと』


 声が蘇る。

 ソウマは立ち上がった。

 迷いはなかった。

 答えがある。

 あそこに。

 そう信じていた。


 王城へ続く静寂の道を見つめながら。


 ソウマはゆっくりと歩き出す。


 世界(異常)の中心へ向かって。

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