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死ぬ寸前だけ時間が止まる俺の異世界生存録  作者: 紡枝
王都アストレアル編……?
31/40

正常の残響

「目指せ、首都アストレアル!」

 夜明け前の空に向かって、ソウマはわざと大きな声を張り上げた。

 広い草原に声が抜けていく。

 少し遅れて、その声が自分の耳に届いた。

「……うん。やっぱ気持ち悪いな」

 苦笑しながら頭を掻く。

 指先が髪を擦る感覚も、一拍遅れて返ってくる。

 相変わらずだった。

 呼吸。

 視界。

 感覚。

 思考。

 全部が、ほんの少しだけズレている。

 完全に壊れているわけではない。歩けるし、喋れるし、考えることも出来る。目の前の景色だって普通に見えている。

 だが、順番だけが綺麗に繋がらない。

 歩いた後に音が鳴る。

 息を吐いた後に肺が動く。

 瞬きをした後に視界が戻る。

 その微妙なズレが、ずっとまとわりついていた。

「……まあ、考えても仕方ないか」

 独り言を漏らし、ソウマは街道を歩き始める。


 ――コツ。


 遅れて、足音が鳴る。

 もう慣れた。

 慣れるしかなかった。

 慣れさせられた。

 森を抜けた先の街道は広く、しっかり整備されていた。土と石を踏み固めた道が真っ直ぐ遠くへ伸び、その両脇には朝露を含んだ草原が広がっている。

 少し冷たい朝の空気が頬を撫でた。

 空は、ゆっくりと白み始めている。

 夜が終わる。

 それだけで、少しだけ安心する自分がいた。

「……朝って偉大だな」

 ぽつりと漏らした声が、また少し遅れて返ってくる。

 夜は嫌だった。

 静かになる。

 余計なことを考える。

 そして考え始めると、必ず“あの場所”を思い出してしまう。

 何もない空間。

 順番の存在しない世界。

 理由のない結果。

『君はようやく、スタートラインに立った』

「……だからやめろって」

 思わず口に出していた。

 周囲には誰もいない。

 当然だ。

 それでも、何となく"聞かれた"気がしてしまう。

「……はぁ」

 深く息を吐く。

 遅れて、肺が軽くなる感覚が返ってきた。

 まだ慣れない。

 いや、慣れてはいけない気もしていた。

 こんな状態を“普通”として受け入れてしまったら、本当に何かが壊れる気がする。

「……」

 ソウマは視線を上げる。

 街道はずっと先まで続いていた。

 その先にあるのが、首都アストレアルだ。

 リリアが言っていた場所。

 騎士団がいて、人が大勢いて、この国の中心だという場所。

 詳しいことは知らない。

 ただ、今のソウマにとって、“人がいる”という事実だけで十分だった。

 ここ数日、自分の周囲では意味の分からないことばかり起きている。

 景色が飛ぶ。

 過程が抜け落ちる。

 同じ場所に戻る。

 声が消える。

 そのたびに、自分の認識そのものが少しずつ削れていくような感覚があった。

 だからこそ、人のいる場所へ行きたかった。

 普通に会話したい。

 普通に温かいご飯を食べたい。

 普通に眠りたい。

 そんな当たり前のことを、今は必死に求めている。

「……普通って、こんなありがたかったんだな」

 苦笑混じりに呟く。

 少し前まで、そんなこと考えもしなかった。

 元の世界にいた頃は、何も起きない毎日を退屈だと思うことすらあったのに。

 今は違う。

 “何も起きない”ことが欲しかった。

 歩く。


 ――コツ。


 遅れて、音が鳴る。

 そのズレを確認するたび、胸の奥がざわつく。

 だが、止まるわけにはいかなかった。

 立ち止まれば、余計なことを考える。

 余計なことを考えれば、また思い出してしまう。

『見損なった』

「……っ」

 ソウマは顔をしかめる。

 頭の奥に、声だけが残っている。

 意味は分からない。

 誰に言われたのかも、何に対してなのかも分からない。

 だが、消えない。

「……本当に最悪だ」

 吐き捨てるように呟く。

 そして、無理やり思考を切る。

 考えるな。

 今は、首都へ向かえばいい。

 それだけだ。

 ソウマは意識的に周囲を見る。

 草原。

 街道。

 木々。

 空。

 全部ある。

 ちゃんと存在している。

 消えていない。

「……よし」

 確認するように呟く。

 最近は、自分でも無意識にこういうことをしてしまう。

 目の前の景色が存在しているか。

 今、自分がどこにいるか。

 ちゃんと連続しているか。

 そんな確認ばかりしている。

 少し前なら笑い飛ばしていただろう。

 そんなに気にするな、と。

 だが今は、本気で確認しないと不安だった。

 しばらく歩いていると、街道脇に止まった荷車が目に入った。

「……ん?」

 自然と足が止まる。

 木製の荷車だった。

 車輪が半分外れ、片側へ傾いている。積まれていたらしい麻袋は地面に落ち、中身が散乱していた。

 乾燥豆。

 干し肉。

 水袋。

 どれも旅用の生活物資だ。

「壊れたのか?」

 近づき、しゃがみ込む。

 木材が破壊されたような跡はない。

 血痕もない。

 争った形跡も見当たらない。

 だが、人だけがいなかった。

「……」

 妙な違和感が胸に残る。

 荷車を捨てる理由が分からない。

 王都へ向かう街道だ。助けを求めるにしても、そのまま放置していく理由が思いつかなかった。

「……急いでた、とか?」

 口に出してみる。

 だが、自分でも納得しきれていないのが分かった。

 その時。

 カラカラ、と小さな音が鳴った。

「ーーっ!」

 肩が跳ねた。

 反射的に振り向く。

 荷車に吊るされていた金具が、音を立てただけだった。

「……ビビりすぎだろ、俺」

 苦笑する。

 だが、笑った後もしばらく鼓動が速いままだった。

 自分でも分かる。

 かなり参っている。

 何かが起きる気がしてしまう。

 何もなくても、警戒してしまう。

「……末期だな」

 小さくぼやきながら立ち上がる。

 視線を逸らすように、再び前を見る。

 そして。

「……おお」

 思わず声が漏れた。

 目線の先に、朝日に照らされた巨大な白壁が見える。

 首都改め、王都アストレアル。

 高くそびえる外壁と、複数の尖塔。

 中央に見える巨大な城。

 遠目でも分かる。

 巨大な中心都市だ。

「壮観だな……」

 自然と、少しだけ肩の力が抜ける。

 ようやく着く。

 ようやく、人のいる場所に辿り着ける。

 騎士団だっている。

 宿だってある。

 温かい食事もある。

 ちゃんとしたベッドで眠ることができる。

「……普通のベッドで寝たい」

 切実な願いだった。

 地面も嫌だ。

 森も嫌だ。

 静かな場所そのものが、もう嫌になりかけている。

 何も音がしない場所にいると、自分の呼吸や思考のズレばかり意識してしまう。

 だから、人の気配が欲しかった。

 人の声が聞きたい。

 普通に誰かと会話したい。

「……普通に喋れるだけで、泣きそうだな」

 自分で言って、少し笑う。

 笑った感覚が遅れて頬に返ってきた。

 本当に面倒だ。

 そのまま歩き続ける。

 アストレアルは少しずつ大きくなっていく。

 近づくにつれ、城壁の巨大さがよく分かった。


 高い。

 冒険者の町であるガルネスでも比べ物にならないほどだ。


「これだけ大きいなら、そりゃ魔獣も簡単には入れはしないだろうな」

 独り言を漏らす。

 だが、その直後。

「……ん?」

 違和感が混ざった。

 目を細める。

 遠すぎて細部までは見えない。

 それでも、何かがおかしい気がした。

 首都にしては、煙が妙に少ない。

 炊事。

 鍛冶。

 朝の支度。

 人が生活しているなら、もっと煙が空へ立ち上っていてもおかしくないはずだった。

「……朝早いからか?」

 口に出してみる。

 だが、自分で言いながら、妙に胸がざわついた。

 違和感が消えない。

 街道にも、あまりにも人が少ない。

 ここまで見かけたのは、放置された荷車くらいだ。

「……いや、考えすぎか」

 無理やり思考を切る。

 その瞬間。


 視界の端が、わずかに揺れた。


「……っ」

 反射的に足を止める。

 空気が歪む。

 熱の上にある景色みたいに、空間そのものが微かに揺れていた。

「またかよ……」

 額を押さえる。

 視界の奥で、ほんの一瞬だけ“あの場所”がちらついた気がした。

 順番の存在しない空間。

 パラドクシア。

 理解できないもの。

 それらを考えた瞬間、背筋が冷えた。

「……違う」

 無理やり切り捨てる。

 今は考えるな。

 今はアストレアルへ向かえばいい。

 それだけだ。

 ソウマはゆっくり顔を上げ、再び見上げる。

 巨大な白壁。

 そして――。


「……誰も、いないのか?」

 衛兵が立っていると思っていた正門周辺に、人影がひとつも見えなかった。


 ソウマは立ち止まったまま、遠くの城門を見つめていた。

 朝日を受けた白い外壁は綺麗だった。

 巨大で、荘厳で、まさに“王都”という言葉が似合う光景だ。

 だが、その中に“気配”がない。

 本来なら見えていておかしくないものが、何も見えないでいた。

 衛兵。

 荷馬車。

 行商人。

 旅人。

 首都へ続く街道なのに、人の流れが不自然なほど少ない。

 胃の奥が妙に冷える。

「……いや」

 ソウマは小さく首を振る。

 考えすぎだ。

 ここ数日、自分の感覚は明らかに正常じゃない。だからこそ、違和感を過剰に拾っているだけかもしれない。

 実際、遠すぎて細かいところまでは見えない。

 衛兵が城門の影になっているだけかもしれないし、人通りが少ない時間帯なのかもしれない。

「……そうだよな」

 半分、自分に言い聞かせるように呟く。

 そして再び歩き始めた。


 ――コツ。

 遅れて、足音がする。


 相変わらずだった。

 だが、今はまだマシな方だ。

 森の中にいた時みたいな強烈なズレはない。視界が飛ぶことも、同じ場所に戻ることも起きていない。

「……このまま何も起きなければいいんだけどな」

 願望をそのまま口に出す。

 すると、妙な胸騒ぎがした。

 言った瞬間に嫌な予感がするのは、もう条件反射みたいなものだった。

「……やめろやめろ」

 ソウマは頭を振る。

(フラグみたいなこと言ったな)

 今は普通にアストレアルに着いて、情報を集めて、腕を治して、普通に眠る。それだけでいい。

 それ以上は望まない。


 歩く。

 朝日はもうかなり高くなっていた。

 空は明るく、草原に落ちる陽も暖かく心地よい温度になっていた。

 本来なら気持ちのいい朝だ。

 だが、ソウマの胃の辺りには、ずっと重いものが沈んでいた。

 アストレアルへ近づけば近づくほど、その違和感は強くなっていく。


 "静かすぎる"


 それがずっと引っかかっていた。

「……」

 視線を横へ向ける。

「……」

 視線を横へ向ける。

 街道脇に、また荷車が止まっていた。

 だが、今度は少し違った。

 荷車そのものは倒れていない。

 荷台には木箱が積まれている。

 蓋の開いたままの箱。

 転がった果物と、地面に落ちたパン。

 さっきまで普通に作業していたような光景だった。

「……何だよ、これ」

 ソウマはゆっくりと近づく。

 荷車の横には、水の入った容器が落ちていた。

 蓋が開いている。

 中身がまだ地面を濡らしていた。

「……最近どころじゃない」

 ついさっきまで、誰かがここにいたような空気だった。

 それなのに、人だけがいない。

「……っ」

 妙な寒気が背中を走る。

(逃げた?いや……)

 違う。

 “途中で消えた”


 荷車の横には、片方だけの靴が落ちていた。


 その時。

 遠くから、風に混じって何かが聞こえた。

「……?」

 耳を澄ます。

 叫び声――ではない。

 もっと低い。

 地鳴りのような音。

 ゴォ……という重い振動音。

「……何だ?」

 視線を上げる。

 アストレアルの方角。

 城壁の向こう側から、微かに黒煙が上がっているのが見えた。

「……は?」

 さっきまでは見えていなかった。

 いや、見えていたのかもしれない。

 気づかなかった可能性は――ないだろう。

 黒煙は一本ではない。

 既に空高くに立ち上っていた。

「……火事?」

 違う。

 規模がおかしい。

 それに、嫌な予感がする。

 ソウマは立ち上がる。

 その瞬間。


 ――キィィィィィィン!


 激しい耳鳴りがソウマを襲った。

「っ……!」

 反射的に頭を押さえる。

 脳の奥。

 “理覚”がざわつく。

 まるで無理やり何かを見せようとしてくるような、不快な感覚。

「……く、そ……」

 視界が揺れる。

 一瞬だけ、景色の輪郭が崩れた。

 草原。

 空。

 街道。

 その全部が、ノイズ混じりに歪む。

「……勘弁してくれ」

 ソウマは額を押さえる。

 こんな状態で戦える気がしなかった。

 むしろ、まともに立っているだけで精一杯だ。

「……とにかく、急ぐか」

 ここで立ち止まっていても仕方ない。

 アストレアルへ行けば、何か分かるかもしれない。

 騎士団だっている。

 何かしら情報はあるはずだ。

 ソウマはそうやって無理矢理自分を納得させ、歩く速度を上げた。


 ――コツ。

 ――コツ。


 遅れて、足音がする。

 アストレアルはどんどん近づいてくる。

 そして、近づけば近づくほど、“異常”がはっきり見え始めた。

「……おい」


 城壁に、傷がある。

 遠目では分からなかった。

 だが、近づいたことで見える。

 巨大な外壁の一部が、黒く抉れている。


 焼け跡がある。

 しかも一箇所じゃない。

 複数箇所に攻撃跡があった。


「何が、あったんだ……?」

(首都の防壁だろ……?それに魔獣程度で簡単に壊れるようなものには見えない)

 それなのに、まるで巨大な何かに引き裂かれたような痕跡が残っていた。

 不快な冷たい汗が背中を流れる。

 静かすぎる理由。

 放置された荷車。

 黒煙。

 そして、この傷跡。

 ソウマの思考の中でこれら全てが繋がり始めていた。

「……まさか」

 脳裏に一つ、浮かぶものがあった。

 災害のような魔獣。

 リリアたちと命懸けで戦った存在。

 他の獣を従えるあいつは――

「ネグラ、ディア……?」

(……いや、いやいや。そんなわけがない。あいつは国境付近にしか現れないはずだ)

 首都まで来るに、かなりの距離があった。

 それに、ここには騎士団がいる。

 国の首都であり中心で、さらに王都だ。

 簡単に落ちるはずがない。

「……だよな。大丈夫、だよな」

 自分に言い聞かせる。

 だが、言えば言うほど不安が強くなっていった。

 歩く速度が自然と上がる。

 早く確認したかった。

 ただの考えすぎであってほしかった。

 その時。

 異常な臭いが辺りを漂った。

「……っ」

 臭い。

 焦げ臭い。

 それに混じって、鉄のような臭いもする。

「……血?」

 喉が乾き始める。

 そして、ようやく着いた。

 巨大な門が、半開きのまま止まっている。

 だが。

「……誰もいない」

 やはり、衛兵がいない。

 見張り台にも人影がない。

 異常なのは一目瞭然だ。

 ソウマはゆっくりと門へ近づいた。


 ――コツ。


 遅れて、音が響く。

 静かすぎる。

 本当に、人の気配がない。

「……おい」

 門の近くまで来たところで、ソウマは思わず立ち止まった。

 地面に、深い爪痕が刻まれている。

 石畳ごと抉れていた。

 巨大な何かが通ったような痕跡。

 そしてそのすぐ近くに、赤黒い染みが数箇所落ちていた。

「……っ」

 背筋が冷える。

 嫌な想像が、現実へ変わり始める。

 その時。

 遠くから――


「――ギャアアアアアアッ!!」


 獣の咆哮が、首都全体を震わせた。

【お知らせ】

レビューをもう1件いただきました!

正直、信じられないほど嬉しいです。

本当に執筆の励みになります。

ぜひ今後とも、共にこの生存録を見届けていただけますと幸いです。

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