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死ぬ寸前だけ時間が止まる俺の異世界生存録  作者: 紡枝
王都アストレアル編……?
30/40

真核への昇格

 

「……自分が、飛んでる」

 言葉が、遅れて耳に届く。

 その響きに、妙な重みがある。

 否定しない。否定できない。

 目の前で起きていること。

 それがすべてだった。


 手を見る。

 開く。

 閉じる。

 遅れて、感触。

 問題ない。


 そう見える。

「……」

 もう一度、同じ動作を繰り返す。


 開く。

 閉じる。

 遅れる。

 同じだ。

 変わらない。


(今は、だけどな)

 そう付け加える。


 あの"結果"は、急に来る。

 予兆はない。

 だからこそ、対策のしようがない。

「――ふぅーー……」

 ゆっくりと、息を吐く。

 遅れる。

 呼吸のリズムを整えようとする。


 スゥ。

 ――ハー。

 スゥ。

 ――ハー。


 整わない。

 合わせようとしても、ズレる。

「……くそ」

 小さく吐き捨てる。

 そのまま、顔を上げる。

 前を見る。

 木々の隙間から、光が溢れている。

 問題ない。

 何もおかしくない。

 そのはずだった。

「……俺は」

 勝手に、口が動く。

「俺は、さっき――」

 言葉が続かない。

 途切れる。

「……?」

(今、何を言おうと……?)

 思い出せない。

 直前まで、浮かんでいたはずの言葉が消えている。

 口を閉じる。

 もう一度、開く。

「俺は――」

 そこで、止まる。

 続かない。

 繋がらない。

「……何を言おうと……?」

 思考が抜ける。

 そこに、空白が残る。

 何があって、何が消えたのか分からない。

(……今のも)

 飛んだ。

 言葉になる前に。

 いや、なった後かもしれない。

 どちらでもいい。

 結果として、その部分が消えている。

「……は」

 短く息を吐く。

 遅れて、感覚。

(考えすぎるな、深追いするな。……ますます分からなくなる)

 それ以上、考えない。

 切り捨てて、また歩き出す。


「……」

 黙ったまま、歩く。


 ――ザッ。


 遅れる。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 進む。

 問題ない。

 今は、何も起きていない。

(……今は)

 また、付け足す。

 それが、もう前提になっている。

「……」

 そのまま、歩く。

 視線は前。

 何も考えない。

 思考を遮断する。

 それが、一番安全だと分かったから。


 だが、完全な"無"ではない。

(……さっきの)

 勝手に、思い出そうとしてしまう。

 止めようとしても、止まらない。

「……同じ場所に戻った」

 事実。

「……手が勝手に触れていた」

 事実。

「……言葉が消えた」

 事実。

 情報を一つずつ、カードのように並べる。

 整理する。

「……原因がない」

 結論。

「……順番がない……?」

 その時。


 背中に、冷たいものが流れる。

「――っ!?」

 足が止まる。

(……違う)

 何かが違う。

 今までの現象とは。

 一層も二層も異なっている。

「……分からない」

 どう言葉に表せば良いのか、分からない。

 だが、分かる。

 これは、また――。

「……パラドクシア……?」

 口が、乾く。

 唾を飲み込む。

 遅れて、喉が動く。

「……」

 辺りを見渡す。

 誰もいない。

 最初から、いない。

 木と草だけ。

 何も変わらない。

「……」

 それでも、あいつがいる気がする。

 あの存在。

 "残滓"を残した存在。

 今のズレの、元凶。

 視線の外側。

 認識できない場所。

 そこに、存在している。


 振り向かない。

 振り向く必要がない。

 見てもいない。

 それでも、分かっている。

「……っ」

 無意識に、肩に力が入っていた。

 止める。

 遅れて、抜ける。

(……いない、いない、いない、いない、いない……)

 そう自分に言い聞かせて、思い込ませる。

 そうしないと、動けない。

 進まないといけないのに、進めない。

「……」

 歩く。

 無理やり、思考を切る。

 だが、完全には消えない。

 背中の“それ”は、残る。

 じっと、見られているような感覚。

 追われているわけじゃない。

 ただ、そこにある。

「今はやめろ……!空気を読んでくれ……!これ以上ない程悪い気分なんだ……!」

 足を速める。

 そんなことは意味がない。

 分かっている。

 それでも、止めることは出来ない。


 ――ザッ。

 遅れる。

 ――ザッ。

 遅れる。

 ――ザッ。

 遅れる。


 リズムが崩れる。呼吸が乱れる。

「……は、っ」

 吸っているのか、吐いているのか分からない。

 苦しい。息がしづらい。

「……くそ」

 止まろうとする。

 だが、足は動いたまま、止まらない。

 本人が止まろうとしているのに、足が勝手に前に行く。

「どうしてだよ!止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!」

 それでも、前に進み続ける。

 まるで、そこから逃げるように。

 そんなことをしても、“それ”は消えない。

 背中にある。感じてしまう。


「……」

 ゆっくりと、振り向く。

 必要がないと分かっていても。

 確認しないと、進めない。

 振り向く。

 視界が、遅れて追いつく。

 そこには、何もいない。

 木々。

 草。

 暗闇。

 それだけだった。

「……」

 分かっていた。

 最初から。

 いるわけがない。

「……は」

 乾いた息が漏れる。

 遅れて、喉が動く。

(……気のせいだ)

 そう結論づける。

 それ以外に、選択肢がない。

「……」

 もう一度、前を向く。

 歩き続ける。


 ――ザッ。

 遅れる。

 その一歩で、さっきまでの感覚が、少しだけ薄れる。

 完全には消えない。

 だが、弱くなる。

「……」

 今は、それで十分だった。

 それ以上は、求めない。

 求めたら、壊れる。

 そんな気がしていた。

 歩き続ける。

 ズレを抱えたまま。

 欠けたまま。

 理解できないまま。

 それでも、止まらずに。


 ーーザッ。

 音が鳴る。

 同じ繰り返し。

 同じズレ。

 それでも、進んでいる。

 進めている。

「……」

 そう思う。

 思おうとする。

 それしか、出来ることはない。

 視線を真っ直ぐに持っていく。

 木々の間。光が差し込んでいる。

 少しだけ開けている。

「抜けた……?」

 足を進める。

 森を、そのまま抜けた。


「……抜けた」

 視界が開ける。

 整備された道。

 その道の周りには、草原が広がっている。

(ガルネスと同じような感じだな)

 ある種の懐かしさを感じながら、ソウマは歩いた。

 人影が見える。

 こちらに向かってくる。

 一歩。

 二歩。

 相手に向かって進む。

 相手も、こちらに気づいたらしい。

 顔が、向く。

「……」

 何か言っている。

 口が動いている。

 だが――


 音が、来ない。


「……?」

(距離の問題か?)

 そう考えたソウマは少し近づく。

 相手が、手を上げる。

 何かを示すような動き。

 口が動いている。

「……」

 音が、来ない。

 足が止まる。

(……何で)

 分からない。

 距離は、もう十分近い。

 普通なら、聞こえる。

 聞こえない理由は、ないはずだ。

「……」

 相手が、眉をひそめる。

 何か違和感を感じたらしい。

 口が動く。

「……」

 その瞬間。


 音が来た。

「よう、ブラザー」

「……っ」

 一瞬だけ、遅れて理解する。

 声だ。

 ちゃんとした、人の声。

「……おう、兄弟」

 答える。

 遅れて、自分の声が耳に届く。

「大丈夫かよブラザー。顔色悪いぜ?」

「……ああ、大したことじゃない。大丈夫だ」

 問題ない。

 会話は、成立している。

 そう見える。

「どこから来たんだ?」

 相手が、続ける。

「ガルネスだ」

「すまねぇ、悪い知らせだ、ブラザー。ここらはもう――」

 言葉が途切れる。

「……?」

(何だ、今何を言った……?)

 最後まで、聞こえない。

「……もう、どうなったんだよ?」

 聞き返す。

「……?」

 相手が首を傾げる。

「さっき言った通りだよ、マイブラザー」

「……いや、聞こえてない。悪いがもう一度言ってもらっても良いか?」

「……?別に構わねぇが」

 さっきと同じ反応が返ってくる。

「ここらはもう、人があまり通らねぇ。魔獣もそこそこいるから気を付けろよ」

「……分かった」

 今度は最後まで聞こえた。

 だが、さっきは聞こえなかった。

 途中で声が消えた。

「……」

 視線を逸らす。

 考える。

 整理する。

(……俺の問題か)

 そう結論づける。

 その方が合理的だ。

 相手の異常じゃない。

 自分の問題。

 そうすれば、説明がつく。

「……」

 それでもなお、違和感は消えない。

「本当に大丈夫かよブラザー。あんまり考えすぎても良くないぞ?気楽に行こうぜ気楽に」

「……ああ。大丈夫だ!逆にそこまで心配してくれて嬉しいよ。悪かったな」

 そう言って、作り笑いをする。

 相手が気づいたのか気付かなかったのかはわからない。

 ただ、触れてはいけないものだと察してはいた。

「……気をつけろよブラザー。途中も、到着後も」

「ああ。色々ありがとう。兄弟も体に気を付けろよ」

「おう!希望を絶やすなよ!」

 腕を大きく振りながら去っていく。

 ソウマも振り返して、背を向けて歩き出す。

(……普通だ)

 あれは、普通の人間。

 何もおかしくない。

「……」

 自分だけが、おかしい。

 自分だけが、現象に巻き込まれている。


 歩く。

 ――ザッ。

 遅れる。

 そのまま、進む。

 会話は終わった。

 その会話の中で、気になる言葉がある。

「……到着後も?」

 すなわち、アストレアルに着いた後、ということだろう。

 正直意味がわからない。

 首都なのだからある程度の治安はあるだろうし、騎士団だっていると聞いてある。

 何も心配することはない。

 そう思っていたのだが――。

「何も準備してないぞ」

 何なら戦闘なんてする気もなかった。

「……まずいな」

 遅れて、自分の声が届く。

 その響きだけが、やけに現実的だった。


 目を閉じる。

 閉じた“後”だけが分かる。

「……」

 開く。

 視界が、遅れて戻る。

 何も、整理できない。

 その時。


 視界の端が、歪んだ。


「……?」

 何かが、違う。

 空間が、少しだけ歪んでいる。

 空気が、揺れているような。

 熱の上にある景色のように。

「……」

 目を凝らす。

 焦点を合わせた――

 その瞬間。


 地面が消えた。


「は……?」

 しかし。


 もう何もない。

 元に戻っている。


「……意味分かんねぇ」

 今のは、何だ。

(見間違い……)

 そう考える。

 だが、

(……違う)

 確信がある。

 確実に、あの瞬間に地面が消えた。

 もう一度、見る。

 何もない。

 普通の景色。

「……行くぞ」

 一歩、踏み出す。

 ――ザッ。

 遅れる。

 その瞬間。


 視界が、弾けた。


「……っ!」

 気づいた時には。


 数歩、進んでいた。


「……ふざけんなよ」

 記憶がない。

 歩いた記憶が、ない。

 だが、自分の位置は変わっている。

「……」

 息が、浅くなる。

 遅れて、苦しさがソウマを蝕んでゆく。

「またかよ……。また、飛ばされた……」

 周りを見る。

 何も変わらない。

 同じ景色。

 同じ空間。

 だが、連続していない。

 本来必然的にあるはずの因果が、スキップされたような感覚。

 その時、ソウマはふと思う。

(……どこかで経験した気が……?)

「……いつだ」

 思い出そうとする。

 記憶の中で、何かが引っかかった。

 だが、出てこない。

 喉元まで、出かかっている。

 しかし、そこから詰まったまま動かない。

 代わりに、あの言葉が浮かんだ。

『順番を、間違えた』

「……っ」

 息が止まる。

 思い出したわけじゃない。

 ただ、浮かび出た。

 背中に、あの感覚が戻る。

 さっきよりも、はっきりとした感覚。

 かなり近い。

「……煩い」

 それでも、振り向かない。

 振り向けない。


 “近づいている”


 その感覚だけが、強まっていく。

「……早く」

 足が動く。

 無意識に。そこから、逃げるように。

 止まらない。

 止まれない。

 その中で、視界がまた歪む。

 消えない。

 揺れている。

 空間が。

 現実が。

 その瞬間。


 一瞬だけ、“何もない場所”が見えた。


「……っ!」

 足が止まる。

「……」

 そこには。

 一瞬見えた場所には――


 何もなかった。


 色も。

 形も。

 光も。

 音も。

 空間も。

 何もかも。


 “無い”


「……」

 瞬きをする。

 遅れても、視界が戻る。

 元の世界に戻る。

 木々。

 草。

 空。

「……」

 だが、今のは確実に見た。

 理解する。

 してしまう。

「……」

 これは、"あの場所”に繋がっている。

 喉が、乾く。

 そして、あの声が蘇った。

『君はようやく、スタートラインに立った』

 そのまま、この世界から切り離されるように体が消えていった。


「……また、飛ばされた」

 呼吸。

 視界。

 音。

 全部が、揃っていない。

 その時。

「また、ここに来たんだね」

「……」

 声がする。

 距離も、方向もない。

 それでも、確かに聞こえる。

「……お前か」

 口が動く。

 その瞬間に、音が聞こえた。

 遅れない。

 ここでは、遅れがない。

「そうだよ」

 即座に返ってくる。

 時間のズレがない。

「……」

 違和感がない。

 それが逆に不気味だった。

「……ここは」

「君が踏み外した場所だ」

「……やっぱり意味分からないな」

 理解は出来ない。

 だが、前よりは分かる。

 意味が形を持っている。

「……もう戻る。来たくてここに来たわけじゃない」

 短く言う。

 迷いはない。

 ここにいる理由なんてない。

「前と変わらず、戻ることはできるよ。でも、本当にそうかな?」

「何だと?」

「君は分からないことがあったから、ここに来たんじゃないのかな?」

「……うるせぇ。お前には関係ない」

 語気を強める。

 実際、ソウマには思い当たる節があった。

「安心してくれ。君が聞かないなら、僕は答えない」

「聞くことはない。戻らせてくれ」

 言った後、足を動かそうとする。

 だが、動かない。

 進めない。

「……何でだ」

「簡単なことだよ」

 声が続く。

「君がまだ何も決めていないから」

「……何を」

「どちらに行くか」

「……?」

 意味が分からない。

 戻る。

 それでいいはずだ。

 それ以外の選択肢は選ばない。

「……俺は戻る」

 少し苛立ちながら、繰り返し言う。

「それはしたことの付属品だよ」

「……は?」

「理由がない。ただの結果だ」

「……」

 ソウマの言葉が止まる。

「君は、何も選んでいない」

「……黙れ」

 否定できない。

 理由を言えない。

「……煩い」

 ただ、戻りたい。

 それだけでいい。

 それが、理由だと思っていた。


『理由がない』


 だが、それでは足りないと言われた。

「……」

 胸の奥が、ざわつく。

 何かが、引っかかる。

 思い出そうとする。

 ここに来る前、何をしていたかを。

 何を、失ったを。

「……何だ……?」

 浮かぶのは、断片だけ。

 "リリア"。

 銀色。

 風。

「……思い出せない……」

 それ以上は、出てこない。

 分からない。

 思い出せない。

 思い出したいのに、思い出そうとしているのに。

 それでも、無意識に足がわずかに前に動いた。

「……何で」

 自分でも、分からない。

 何を選んだのか。

 何を思ったのか。

 何が変わったのか。

 だが、その一歩で、“無”が少しだけ近づいた。

「……っ」

 本能が拒否する。

 受容しまいと抵抗する。

「……やめろ」

 口が、勝手に動く。

 止まれと。

「……」

 足がその場で止まる。

 戻る。

 そう決める。

 理由はない。

 だが、それでいい。

 少なくとも、今はそれでいい。

「……戻れ」

 三度目の決意。

 "空間"を越すように、踏み出して行った。

 次の瞬間。


 感覚が戻った。

 音が、戻る。

 視界が、戻る。

「……っ!」

 遅れて、膝が折れる。

 地面に手をつく。

 衝撃がソウマの体を支配する。

「……は、っ……!」

 呼吸が乱れる。

 遅れて、苦しさが来る。

「……っ、は……!」

 肺が痛む。

 空気が、重い。

 それでも。


 戻った。


 そう、思った。


「……は……」

 呼吸が、落ち着かない。

 時間をかけて、整わせる。

 顔を上げる。

 森。

 木々。

 草。

 全部ある。

「……よし」

 現実。

 そう認識する。

「……行くか」

 一歩、踏み出す。

 ――ザッ。

 遅れる。

「……やっぱり変わらないな」

 変わらない。

 その時。

 ふと、思う。

(……俺は何を選んだ)

「……戻ることを」

 それは分かる。

 だが。

「なぜ……?」

 その理由は出てこない。

 足は、止まらない。

 前に進む。

「……」

 選んだ。

 それだけが、残った。


 歩く。

 ――ザッ。

 遅れる。

 その繰り返し。

 その中で、胸の奥に微かな違和感が残る。

 完全には、消えていない。

 “あの場所”が。

 そして、もう一つ。

「……」

 頭の奥に、残る言葉。

『見損なった』

 意味は分からない。

 何に対してかも。

 何のことを言っているのかも。

 だが、今なら少しだけ分かる。

 それは、“選ばなかったこと”に対して。

 そう思った。

 そのまま、止まらずに。

「目指せ、首都アストレアル!」

 ソウマは夜も明けてきた薄明るい空に向かって、空元気で叫んだ。


 だが、ソウマはまだ気づいていない。

 ついに“内側”に足を踏み入れたことが。

 ただの現象ではないことに。

 それが――

 取り返しのつかない“選択”の一部であることに。

[最初に]

二週間ほどお休みさせていただきます。

少しやらなければならないことが出来ました。

[今回の小ネタ]

序盤に出てきた咳の症状は現実にも存在し、喘息と言われます。(作者がそうです)

ソウマの咳は関係ないとは思いますが、気持ち悪さによる喘息の発作という可能性もあります。(ご想像にお任せします)

急な発作が出た場合は、温かいお湯を飲むと気管が広がり息がしやすくなります。

発作が起きた場合は、医療機関の受診を強く勧めます。

症状が伝われば吸入器が処方されると思うので、それを発作が起きた時に使いましょう。


以上、体験談でした。

また次回お会いできることを願って。

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