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死ぬ寸前だけ時間が止まる俺の異世界生存録  作者: 紡枝
王都アストレアル編……?
29/40

核膜の境界

 ――ザッ。


 音が鳴る。

「……」

 ソウマは、立っていた。

 さっきまでの何もない場所とは違う。

 木々があり、地面があり、空気がある。

 息を吸う。

「……すぅ……」

 遅れて、肺が膨らむ。

「……は」

 吐く。

 吐いたあとに、空気が抜ける感覚が追いついてくる。

 今の一連の動きに、違和感があることは分かる。

 だが、それをどう扱えばいいのかが分からない。

(……戻ったな)

 一歩、踏み出す。


 ――ザッ。


 遅れて、音が鳴る。

 変わっていない。

「……」

 視線を落とす。

 自分の足が、地面を踏んでいる。

 その“結果”だけが、はっきりと存在している。

 踏み込んだ瞬間は、曖昧だ。

「……っ」


 その瞬間。


 頭の奥に、何かが引っかかった。

 理由はない。

 ただ、何かが、そこにある。

「……」

 足が止まる。

 無意識だった。

 止めるつもりはなかったのに、止まっていた。

(……何だ)

 考える。

 考えようとする。

 だが、その“前”がない。

 今、何を考えようとしたのか。

 それが、分からない。

「……ちっ」

 舌打ちが漏れる。

 遅れて、舌の動きが伝わる。

 苛立ちがある。

 理由は分からない。

 ただ、ある。

(……気にするな)

 無理やり切り捨てる。

 考えても、どうせ辿り着かない。

 その感覚だけが残っていた。

 歩く。


 ――ザッ。

 ――ザ。


「……?」

 足を止める。

 今、音が二回鳴った。

 一回目と、二回目。

 どちらが正しいのか。

「……またか」

 呟く。

 自分の声が、わずかに遅れて耳に届く。

 判断できない。

 一回なのか、二回なのか。

 それとも、どちらでもないのか。

(……どうでもいいか)

 思考を放棄する。

 処理しきれない情報を、切り捨てる。

 それしか出来なかった。


 歩き続ける。

 視界は安定してきた。

 木々の間から差し込む光。

 揺れる葉。

 地面の凹凸。

 すべて、普通になってきた。

 普通に見える。

 ――なのに。


 瞬きをする。

「……っ」

 閉じたあと、視界が来る。

 開いた瞬間が、ない。

「……」

 何も言わない。

 ただもう一度、瞬きをする。

 結果だけが、残る。

(……同じか)

 それだけ確認して、やめた。

 これ以上試しても、同じだ。

 そういう確信だけは、あった。


 ――ザッ。

 遅れる。


 呼吸。

 遅れる。


 視界。

 わずかに遅れる。


 思考。

 遅れる。


「……」

 全部が、少しずつズレている。

 完全に壊れているわけじゃない。

 だが、確実にどこかがおかしい。

(……まあいい)

 また、切り捨てる。

 考えない。

 考えるだけ無駄だ。

 そうやって、思考を削るしか出来ない。

 その時。


『――見損なった』


「……」

 足が止まる。

 今のは、何だ。

 後ろを振り向く。

 誰もいない。

 最初から、いない。

 それでも、確かに聞こえた。

 さっきまでの音のズレとは違う。

 水のように、直接頭に落ちてくるような感覚。

「……」

 何も言わない。

 言葉が出ない。

 出そうとして、やめる。

 だが、胸の奥がわずかに軋んだ。

 理由は分からない。

 何に対してなのかも、分からない。

 ただ、その一言だけが、残る。

 消えない。

(……どうでもいい)

 無理やり、押し込む。

 関係ないと処理する。そうしないと、進めない。

 歩く。


 ――ザッ。


 遅れる。

 今度は、音が一つだった。

 さっきとの違いが、分からない。本人には、その自覚がない。

「……は」

 小さく息を吐く。

 遅れて、肺が動く。

(……面倒だな)

 それだけ思う。

 苛立ちはある。

 だが、それ以上にはならない。

 ならないように、抑えている。

 気づけば、右手に力が入っていた。

 指が、強く曲がる。掌に爪が食い込む。濁った血が、じわりと滲み出していることにも気づかない。

「……くそ」

 痛みは、来ない。

 一拍遅れて、鈍い感覚が乗る。

 そこで初めて、力を入れていたことに気づく。

 ゆっくりと、手を開く。

 指が離れる。

 遅れて、皮膚の感覚が戻る。

「……勝手に動くなよ」

 誰に言ったのか、何に言ったのか、自分でも分からない。

 ただ、そう思った。

 そのまま、手を下ろす。

 歩く。


 ――ザッ。


 遅れる。

 止まらない。

 止まることはできない。

 止まったところで、何も変わらない。

 だから、進む。

 それしか、選択肢がなかった。

(……どこに行くんだっけ)

 ふと、思う。

 考える。

 だが、答えは出ない。

 目的がない。

 理由もない。

「……まあいいか」

 口が勝手に動く。

 遅れて、自分の声が耳に届く。

「どうせ、やることもないしな」

 誰に言うでもなく、呟く。

 その言葉に、違和感はなかった。

 ないはずだった。

 なのに――


 胸の奥が、わずかに引っかかる。

 何かが、欠けている。

 何かを、置いてきた。

 そんな感覚だけが、残る。

「……」

 立ち止まらない。

 振り返らない。

 その必要がないと、判断した。

 歩く。

 ――ザッ。


 遅れる。

 そのズレを抱えたまま、ソウマは進み続けた。


 ソウマは歩き続ける。


 ――ザッ。

 遅れる。

 一定のリズム。

 一定のズレ。

 それが、逆に安定しているようにも思えてきた。

(……ようやく慣れたか)

 無理矢理でも、慣れるしかない。

 どうせ変わらないし、変えられない。それなら、こっちが合わせるしかない。

 足を出す。


 ――ザッ。

 遅れる。

 問題ない。


 呼吸。

 遅れる。

 問題ない。


 視界。

 遅れる。

 問題ない。


 思考。

 遅れる。

 問題ない。


「……」

 繰り返す。

 同じことを。

 同じズレを。

 そうやって、“正常”を作る行動を繰り返す。

 その時。


 ふと、足が止まった。

「……?」

 意識していない。

 止めるつもりもなかった。

 だが、止まっている。

 視線を上げる。

 木々の間。

 開けた空間。

 見覚えが――


 ない。


(……何だ、ここ)

 足が動かない。

 進むでもなく、戻るでもなく。

 ただ、そこに留まっている。

(……何で止まった)

 考える。

 理由を探す。

 だが、出てこない。

 出てくる前に、消える。

「……っ。何なんだ、これ……」

 苛立ちが、少しだけ強くなる。

(……行くしかない)

 無理やり、足を動かす。


 一歩。

 ――ザッ。

 遅れる。


 そのまま、もう一歩。

 ――ザッ。

 遅れる。


 違和感は、消えない。

 だが、気にしない。気にしないことにする。もう、決めたことだ。


 歩く。視線は前。

 何も考えない。――そのはずだった。

「……灰」

 口が、勝手に動いた。自分でも、何を言ったのか分からない。

 遅れて、耳に届く。

『灰』

 ただそれだけの音だった。

 しかし、その音に何か引っかかるものがある。

「……」

 足が、また止まる。

(……何だ)

 何に反応した。分からない。

 だが、確実に何かがあった。

 視線を巡らせる。


 木。

 草。

 地面。

 空。

 他に何もない。


「……何が……?」

 視線が一点に止まった。

 そこは――


 ただの地面。

 踏み荒らされた形跡もない。

 血もない。

 何も、ない。


「……」

 じっと見る。何かを探すように。

 だが、何も見つからない。

(……何もないのか)

 そう結論づける。

 それが正しい。正しいはずだ。

 なのに。

 足が、離れない。その場から動かない。

「……何でだよ」

 自分でも、理由が分からない。

 理由がない。だから、余計に気持ちが悪い。

 分からないことが、そこにある。それだけで、十分不気味だった。

「……っ」

 奥歯が、軋む。

 気づけば、力が入っていた。

 止める。

 遅れて、力が抜ける。

(……早く行けよ)

 自分に言い聞かせる。

(動け。ここにいる理由は何も無い。何もない場所だ)

 そうだろ。そのはずだろ。


「……動けよ……!」

 無理やり、一歩踏み出す。


 ――ザッ。


 遅れる。

 その瞬間。

 胸の奥が、強く引っかかった。

「……っ!」

 息が、詰まる。

 遅れて、苦しさが来る。

(何だ?今のは……)

 理由は、分からない。

「……は、っ」

 呼吸が乱れる。

 タイミングが合わない。

 吸ったと思った後に、吸った感覚が来る。

 吐いたと思った後に、吐いた感覚が来る。

 順番が成立していない。

「……くそ」

 思考が、まとまらない。

 何もかもがズレている。

 なのに今の引っかかりだけは、はっきりしていた。

(……何なんだよ、これ)

 何度考えても、分からない。分かるはずがない。情報が足りない。

 そもそも、何を考えればいいのかが分からない。考えようが無い。

「……っ」

 その場所から、無理やり視線を逸らす。見るのをやめる。考えるのをやめる。

 それ以上踏み込んだら、何かが壊れる気がした。

 壊れていないものが、まだあるのかは知らないが。

 それでも。

「……行くぞ」

 口に出す。

 遅れて、声が届く。

 それを合図にするように、同時に足を動かす。

 ――ザッ。

 遅れる。

 もう振り返らない。

 振り返る理由がない。

 理由がないから、やらない。

 そう決めた。


 歩く。

 さっきまでの場所は、すぐに視界から消える。

 ただの森に戻る。

 何も特別じゃない。

 どこにでもある、ただの険しい道。

「……それで」

 それでいい。

 そうでなければ、困る。

 そうでなければ――

『見損なった』

「……っ、うるさい!」

 ただのノイズだ。

 いらない。

 必要ない。

 ――消えない。

「……」

 振り向かない。

 振り向けない。

 意味がないと分かっているから。

 それでも、分かる。

 今のは、さっきと同じ。

 同じ声。

 同じ音。

「……」

 何も言わない。

 当てはまる言葉を探す。

 出てこない。

 出す必要がないと、どこかで判断しているとしても。

 そもそも、何も浮かばない。

 その代わり。

 指が、わずかに震えていた。

 自分でも気づかないほど、小さく。

(……何だよ)

 胸の奥が、ざわつく。

 苛立ちとは違う。

 不快感とも違う。

 もっと、曖昧で、不明瞭なもの。

「……」

 歩く。

 止まらない。

 止まっても、意味がない。

 分かっている。

 だから、進む。

 ――ザッ。

 遅れる。

 その繰り返し。

 その中で、ソウマは気づかない。

 気づけない。

 さっき、自分が立ち止まっていた場所。

 そこに――

 本来、あるはずだった“欠片”が、完全に消滅していることに。

 そして。

 その欠片が、これからも無くなっていくことに。


 歩く。

 ――ザッ。

 遅れる。

「……」

 同じことの繰り返し。

 同じズレ。

 それが、当たり前のように続いている。

 視界は正常。

 足も動くし、頭も働く。

 音も聞こえる。

 何の問題もない。

 そのまま、歩く。

 何も思わず、歩く。

 考えない。

 考えないように星を眺める。

 そうやって、思考を削る。

 ――その時。


「……は?」

 立ち止まる。

 違う――

 止まっていた。


 周囲を見る。

 木。

 草。

 地面。

 さっきと雰囲気は変わっていない。

 だが、周りの木などは変わってきていた。

 変わってきていた、はずだ。

 しかし。

(……ここ、さっきも……)

 既視感がある。

「……」

 辺りを、疑うように見渡す。

 道は一本。分かれ道もない。

 目印になるようなものもない。

 それでも。

(……通った)

 そう確信する。

 理由はない。

 だが、直感的に分かる。


 ここを、一度通った。


「……何でだよ」

 口に出る。

 遅れて、自分の声が届く。

「戻ってないだろ……」

 進んでいる。

 そのはずだ。

 戻ってはいない。

 振り返った記憶もない。

 ずっと上を、星を眺めていた。

 それなのに、同じ場所にいる。

「……進め」

 一歩、踏み出す。


 ――ザッ。


 遅れる。

 もう一歩。


 ――ザッ。


 遅れる。


 三歩。

 四歩。

 五歩。


 ――ザッ。

 ――ザッ。

 ――ザッ。


 遅れる。

 問題ない。


 問題ない、はずだった。


 視線を上げる。

 そして。

「……は?」


 同じ場所にいた。


「……っ」

 息が詰まる。

 遅れて、苦しさが来る。

「……は、は……」

 呼吸が合わない。

 吸っているのか、吐いているのか分からない。

 タイミングが崩れる。

「……何だよ、これ」

 声が、震える。

 遅れて、耳に届く。

「……何で、戻ってる」

 理解が出来ない。

 一本道だ。

 分かれ道はない。

 真っ直ぐ、前に進んでいた。

 それなのに、同じ場所にいる。

「……気持ち……悪い……っ、ゲホッ……!」

 大きく咳き込む。

 ソウマは苦しげに息をするも、ヒューヒューという音が喉から鳴り、息がしづらくなっている。

 その場に座り込んで、息を整えようとする。


 ――整えられない。

 正確には、息そのものが安定しない。

 そこから息の調子が戻るまで、長い時間を要した。


 息が安定してくる。

 だが、まだ肩を大きく上げ下げしての息。

 深呼吸をする。


 大きく吸って、

 大きく吐く。


 この動作を三回ほど繰り返してようやく、普通に息が出来るようになった。

 視線を落とす。

 地面。

 さっき見たはずの場所。

 踏み跡はない。

 目印もない。

「……ふぅ」

 それでも、分かる。

 同じだ。

 間違いない。

「……また意味分かんねぇよ……」

 足が、動かない。

 さっきまでと違う。

 今度は、自分の意思で止めている。

(……考えろ)

 思考を回す。

 状況を整理する。

 出来るはずだ。

 どうにかやるしかない。


「一本道」

「分かれ道なし」

「戻った記憶なし」


 分かる情報を並べていく。

 まるで箇条書きにしていくかのように。

「……じゃあ何でだ?」

 そこから先が、繋がらない。

 原因がない。

 結果だけがある。

「……っ」

 頭を押さえる。

 頭の奥――“属性”の部分がざわめく。


「……原因がない……?」

 呟く。

 その言葉だけが、やけにしっくり来た。


 原因がない。

 なのに、結果がある。


(……同じだ)

 石の時と同じ。

 過程が消えている。結果だけが残る。

「……」

 背筋に、わずかに冷たいものが走る。

 今までは、“異常現象”で済んでいた。

 しかし今のは違う。


(……俺が)

 ソウマ自身が。

「……その対象になっている」


「……は」

 乾いた笑いが漏れる。

 遅れて、喉が震える。

「……冗談だろ」

 誰に言うでもなく、呟く。

 否定したい。

 そう思っても、目の前の現実は変わらない。

「……やるっきゃないか」

 一歩、踏み出す。


 ――ザッ。

 遅れる。


 もう一歩。

 ――ザッ。


 遅れる。

 三歩。

 四歩。

 五歩。

 進む。


 進み続ける。

 視線を上げる。

「……」

 違う場所だった。

 さっきの場所ではない。

「……は」

 息を吐く。

 遅れて、感覚。

(……進んだ)

 そう判断する。

 今度は、戻っていない。

 正常だ。

 正常に見える。

「……大丈夫」

 だが、信用できない。

 何一つ、真実に見えない。

「大丈夫、だよな。大丈夫だ……」

 歩く。


 ――ザッ。


 遅れる。

 そのまま、歩く。

 今度は、意識して数える。


 一歩。

 二歩。

 三歩。

 四歩。

 五歩。

 六歩。

 七歩。

 八歩。

 九歩。

 十歩。


 問題ない。

 ちゃんと進んでいる。

(……大丈夫だ)

 そう思う。

 確信に届いた、

 その瞬間。


「……何だ、これ?」

 手が、何かに触れていた。

「……は?」

 視線を落とした。

 その視線の先は、自分の手。

 その視界の端に、何か棒のようなものが映っている。


 自分の手が、木の幹に触れていた。


「……触れてない」

 触れた記憶がない。

 手を伸ばした覚えもない。

 あるはずない。


 “していない”のだから。


「……なんで」

 遅れて、ざらつきが伝わる。

 ざらざらとした、木の感触。

 現実だ。

 間違いない。

(……順番)

 ゆっくりと、手を離す。

 離したあとに、感覚が消える。

「……飛んだ」

 過程が。

 手を伸ばして、触れるまでの一連が。

 全て、消えている。

「……」


 息を吸う。

 遅れる。

 吐く。

 遅れる。


「……」

 ソウマは、何も言わない。

 ただ黙っている。

 さっきまでの現象とは、違う。

 これは――


「……自分が、飛んでる」


 ぽつり、と音が零れる。

 遅れて、耳に届く。

 その言葉だけが、やけに重く残った。

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