絶望の増殖
風が、まだ揺れている。
二人は、歩いていた。
言葉はない。
足音だけが、森に響く。
さっきまで戦っていたはずの場所。
さっきまで“誰か”がいた場所。
そのすべてがーー
何事もなかったかのように、そこにある。
「……」
ソウマは、前だけを見ている。
だが、その視線はどこにも定まっていない。
(……終わらせる)
さっき、そう言った。
だがーー
その実感が、ない。
胸の奥にあるのは、怒りでも、決意でもなく。
ただのーー空白。
「……ソウマ」
隣を歩くリリアが、小さく呼ぶ。
反応はない。
「ソウマ」
もう一度。
今度は、少しだけ強く。
「……どうした?」
遅れて、返事が返る。
声は、やけに平坦だった。
「……一回、止まりましょう」
「……」
足が、止まる。
言われたから止まった。
それだけだった。
リリアは、ゆっくりと振り返る。
そしてーー
その視線を、後ろへ向けた。
「……このまま行くの?」
静かな問い。
ソウマは、答えない。
ただ、分かっている。
“何を言われているのか”だけは。
「……」
ゆっくりと、振り返る。
そこにはーー
さっきまでの戦場。
そして、動かないままのラドックの身体。
「……」
足が、動かない。
さっきまで、あれだけ近くにいたのに。
今は、妙に遠い。
「……」
一歩、踏み出す。
もう一歩。
気づけば、目の前にいた。
「……ラドック」
名前を呼ぶ。
返事はない。
当然だ。
ソウマだって分かっている。
「……」
しゃがみ込んで、手を伸ばす。
だがーー
触れる直前で、止まる。
「……」
触れた瞬間、すべてが確定してしまう気がした。
だから、触れられない。
「……触りたくないなら、触らなくてもいいのよ」
後ろから、リリアの優しい声がする。
「……」
動かない。
「ソウマ」
「……分かってる」
小さく、返す。
分かっている。
分かっているけどーー
「……無理だ」
初めて、本音が漏れる。
「……」
リリアは、何も言わない。
ただ、隣に来る。
そして、ソウマの手の上に、自分の手を重ねた。
「……一緒に」
静かに言う。
逃げ道を、塞ぐでもなく。
無理やりでもなく。
ただ、支えるように。
「……」
少しだけ、震える手。
だが、今度は止まらなかった。
手が触れる。
ラドックの身体に。
「……っ」
冷たい。
思っていたよりも、ずっと。
「……」
何も言えない。
言葉が、出てこない。
「……もう、いないわね」
リリアが言う。
優しくもなく、冷たくもない。
ただの事実として。
「……」
分かっていた。
それでもーー
その一言で、逃げ場がなくなる。
「……戻ったじゃねえか」
ぽつり、と声が落ちる。
「さっき……戻ってきたじゃねえかよ……」
握った手に、力が入る。
「……なんでだよ」
手が震える。
「……なんで、間に合わねえんだよ」
そのまま、拳を握りしめる。
ただ、震えていた。
「……」
風だけが、森を揺らす。
その中で、ソウマは、ゆっくりと目を閉じた。
「……なあ」
小さく、呟く。
「……あいつ」
言葉を探すように。
「最後、笑ってたよな」
リリアは、少しだけ目を細める。
「……ええ」
短く、答える。
「……」
ソウマは、息を吐く。
長く、深く。
「……なら」
その言葉はーー
無理やり作った、納得。
「……それで、いいのかもな」
「……そうね」
リリアも、そう思うしかないようだった。
「……でも」
リリアが続ける。
「それでも、進むしかない」
視線が、森の奥へ向く。
「……終わってない」
ソウマも、ゆっくりと顔を上げる。
同じ方向を見る。
あの“ズレ”。
そしてーー
それを作った存在。
「……ああ」
短く、答える。
「……次こそ」
低く、言い切る。
その声にはーー
微かながら、確かな熱が戻っていた。
「……その前に」
リリアが言う。
「このままにはしておけないわね」
視線を、ラドックに落とす。
「……」
ソウマは、少しだけ目を伏せる。
そして。
リリアが風で浮かばせて、そのまま運ぼうとする。
しかし、その前にソウマが申し出た。
「俺が運ぶ」
リリアは驚いたようだったが、少し考えていたのかすぐに納得してくれた。
「重いわよ」
と、忠告してから。
ソウマは、風に浮いたラドックをそのまま抱き抱えた。
「……重いな」
小さく、呟く。
当然だろう。
ソウマの知る中では一番強かったのだから。
「……当たり前か」
ほんの少しだけ。
苦笑に近い何かが混じる。
「……行くか」
リリアに声を掛ける。
「ええ」
二人は、歩き出す。
今度は、森の奥ではなく、来た道へ。
背中に残る重みと共に。
風が、吹く。
その風は、変わらない。
だがーー
受ける側は、もう変わっていた。
森の奥へ進むほど、空気が軽くなる。
ーーはずだった。
空気は、どんどんと重くなっていった。
呼吸するだけで、肺が軋むような圧迫感が押し寄せてくる。
風は吹いているはずなのに、枝も葉も、ほとんど揺れない。
「……変ね」
リリアが小さく呟く。
「森に抜けようとしてるでしょ?」
「間違いなくそうだな」
「なんで、風が通ってないの?」
「通ってるだろ」
ソウマは短く返す。
「でも、流れてないのよ。空気も重くなってるし」
「……言われてみれば」
確かに、風はある。
だが、“動いていない”。
(……止まってるわけじゃないしな)
“流れを奪われている”。
そんな感覚だった。
「……嫌な感じね」
リリアの手に小さな力が入る。
先ほどの戦闘の消耗が、確実に残っている。
それでも、止まらない。
二人は、並んで進む。
沈黙の中。
足音だけが、やけに大きく響く。
ザッ……ザッ……
(……静かすぎる)
ソウマは、わずかに目を細める。
“何もない”のが、おかしい。
魔獣もいない。
気配もない。
音もない。
まるでーー
(排除されてるみたいな……?)
その時。
……フュワン
空気が、歪んだ。
「っ!ヴェルディア!」
リリアが風を展開する。
だがーー
「違う!」
ソウマが叫ぶ。
「止まれ!」
「え……!?」
リリアが一瞬、戸惑う。
その瞬間。
世界が、歪んだ。
視界が、ねじれる。
音が、遠のく。
(……また止まったか)
ソウマは、確信した。
だがーー
“止まらない”。
(……違う?)
今までと、感覚が違う。
世界は歪んでいるのに、時間は止まらない。
「ソウマ……!?」
リリアの声が聞こえる。
(止まってない……?)
違う。
“ズレている”。
その瞬間。
ーー目の前の空間が、裂けた。
「っ——!?」
そこから、“何か”が這い出る。
形は、曖昧。
輪郭が、定まらない。
だがーー
“いる”。
「またか……!」
ソウマが構える。
だが、明らかに違う。
前に戦った“それ”とは。
「……もしかして、見えるの?」
リリアが聞く。
「ああ」
はっきりと。
“見えている”。
がーー
(……なんだ、これ)
存在そのものが不安定な感じだ。
「——来るぞ!」
“それ”が、動いた。
一瞬で距離を詰めてくる。
「っ!!」
リリアが風を叩き込む。
ーーズレる。
当たらない。
「またこれ……!」
「違う!」
ソウマが踏み込む。
「違う……これ……近い……!」
「うん……?」
意味が分からない。
だが、その瞬間。
“それ”の一部が、ソウマに飛んできた。
「っ——!」
ソウマはあの時の感覚を思い出す。
自分から、思い出そうとする。
その感覚を、再現する。
ーー自分の位置を、意図的に“ズラす”。
「これで、避けれるだろ……!」
ーーギィン。
攻撃が、かすめる。
「——っ!」
ソウマの目が鋭くなる。
「……当たる……?」
「どういうこと!?」
リリアが叫ぶ。
「前のと違う……」
ソウマが構えるり
「これ……逃げきれないぞ……!」
その瞬間。
ソウマの光が走る。
「ルクスレイド!」
ーーバチィッ!!
直撃する。
ーーぐわん。
“それ”が、歪む。
「効いた……!?」
リリアの目が見開かれる。
「当たるぞ!」
ソウマが言う。
「でも——」
避け切れない、と言おうとした瞬間。
“それ”が、笑った気がした。
ゾワッ、と背筋が凍る。
「……っ、何これ……」
リリアが一歩下がる。
本能が、理覚が、警鐘を鳴らしている。
(……嫌な感じだ)
これはーー
“敵”というよりも。
(……異常だ)
次の瞬間。
……フュワン
……フュワン
“それ”がーー増えた。
「……は?」
ソウマの声が、固まる。
一体だったはずの存在が、
二つに。
三つに。
「分裂したの……!?それとも仲間……!?」
「違う!」
ソウマが答える。
「同じだ!」
同じ存在がーー
“違う層に、同時にいる”。
(……ふざけてるだろ)
理解はできる。
だが、理不尽すぎる。
「リリア!」
「分かってる!ゼガヴァルディア!」
風が広がる。
広範囲に、叩き込む。
ーーギィィィィン!!
空間が軋む。
だがーー
「全部は……無理……!」
リリアの負荷が大きすぎる。
「一体でいい!」
ソウマが指示を出す。
「“重なってるやつ”を狙え!」
「……っ!」
リリアが風を絞る。
その瞬間。
一つの“それ”が、わずかに濃くなる。
「そこ!」
風が叩き込まれる。
ーービシィッ!!
止まる。
ほんの一瞬。
「行くぞ!」
ソウマが踏み込む。
光を収束。
「ルクスレイド!」
そのまま光を振り抜いた。
——バチィィッ!!
直撃する。
“それ”が、大きく歪む。
……ぐわん。
「効いてる!」
だがーー
次の瞬間。
「——っ!?」
背後にもう一体。
「ソウマ!」
遅い。
別の“それ”がーーソウマに一部を振りかぶる。
(……間に合わない)
その瞬間。
ーー世界が、止まる。
「……やっぱり来るか」
ソウマは、静かに呟く。
視線を巡らせる。
複数の“それ”。
歪んだ存在。
全て、構造線がぐちゃぐちゃに絡まって見えない。
(……面倒すぎるな)
だが、一つだけ違う。
「……そこか」
攻撃してきた一体の右下。
そこだけーー構造が、安定している。
(……そこだけ、違う)
よく見れば、分かる。
「……壊せばいいんだろ」
光を、極限まで圧縮する。
「ルクスレイド!」
静かに、振りかぶる。
ーー世界が、動き出す。
「——そこだ!!」
踏み込む。
一直線。
迷いなく。
光が——叩き込まれる。
——バチィィィィン!!
今までで一番、深い手応え。
……ぐわん。
「……効いた!」
リリアが叫ぶ。
「まだだ!」
ソウマが叫び返す。
「倒し切れてない!」
確かに大きく歪んだ。
だが、止めを刺せていない。
「もう一発——!」
その瞬間。
“それ”が、膨張する。
「っ——!?」
嫌な予感。
(……やばい)
ソウマの目が見開かれる。
「下がれ!!」
叫ぶ。
だがーー
遅い。
“それ”が、弾けた。
ーー全ての空間ごと。
「——っ!!」
視界が、白に染まる。
音が消える。
身体が、浮く。
(……まずい)
意識がーー
途切れる。
音が、ない。
何も聞こえない。
何も、感じない。
(……どこだ?)
ソウマは、ゆっくりと目を開けた。
(死んでないな)
ひとまずホッとする。
視界は、歪んでいる。
地面が、あるはずの場所にない。
空が、近い。
上下の感覚が、狂っている。
「……?」
(吹き飛ばされたか……?……いや違うな)
身体を起こす。
痛みはある。
だが、動ける。
問題はーー
「……リリア」
返事は、ない。
気配も、ない。
(……分断されたな)
理解する。
あの爆発でーー
“空間ごと、切り離された”。
「……まずいな」
立ち上がる。
足元が、わずかに“沈む”。
(……地面が安定してない)
空間を見渡して、構造線を見る。
ーー全て、歪んでいる。
世界そのものが、正常じゃない。
(……あいつの中か?)
可能性はある。
いや、多分そうだ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
(どこまで理不尽なんだよ)
その時。
……フュワン。
「来たか」
振り向く。
“それ”が、いる。
だがーー
さっきよりも、はっきりと。
輪郭が、濃い。
(……近いな)
核に。
存在に。
「——いい」
ソウマは構える。
「その方が、分かりやすい」
“それ”が動く。
速い。
だがーー
「見える」
踏み込む。
存在自体を、ズラす。
ーーギィン。
回避。
同時に。
「ルクスレイド!」
——バチィッ!!
直撃。
ぐわん。
大きく歪む。
(……効いてる)
だがーー
「まだ足りない」
“それ”が、再生する。
歪みが、収まる。
(……核を壊さないと意味がないか)
その時。
頭の奥が、ざわつく。
ーー理覚。
(……!)
情報が、流れ込む。
空間。
ズレ。
重なり。
その全てが。
(……そうか)
自然に、理解できる。
「こいつ——」
小さく呟く。
「俺の世界から俺を奪って……!」
頭から違った。
「いや……」
ソウマは考える
「そうじゃなかった」
ソウマは踏み込む。
“それ”が、迎撃に来る。
だがーー
無視する。
「——来いよ」
わざと、踏み込む。
体の一部が飛んで来る。
でも、避けない。
(……今だ)
その瞬間。
ーー自分の“位置”を固定する。
「——ここだ」
ズレない。
合わせない。
“ここに居続ける”。
「俺は、ここにいる……!!」
——ギィィィン!!
空間が、悲鳴を上げる。
「……っ!」
負荷が、身体を軋ませる。
体中から血が、滲む。
(……でも)
歯を食いしばる。
「捕まえた」
“それ”の動きが、止まる。
強制的に、同じ層に引きずり込まれた。
「ルクスレイド!」
光を叩き込む。
——バチィィィィン!!
会心の手応え。
ぐわん。
ゆれてーー崩れる。
しかし。
「……まだかよ」
核は、砕けない。
ヒビは、深いはずだ。
あと一撃。
(……いける)
その瞬間。
ーー視界が、揺れる。
「っ……!?」
膝が、落ちる。
(……限界か)
当然だ。
無理やり“空間を固定”した。
負荷が、桁違いだった。
「……くそ」
“それ”が、再生を始める。
時間がない。
(……あと一発)
だが、身体が動かない。
その時。
——風が、吹いた。
「——そこ!!」
聞き慣れた声がした。
「……リリア……!?」
振り向く。
風がーー空間を裂いている。
「……見つけたわよ!」
血まみれのまま、立っている。
息も荒い。
だが——
目は、生き生きとしていた。
「……生きてたのか」
「当たり前でしょ!」
短いやり取り。
だが、それで十分だった。
(……これで終わりだ)
“それ”が、最後の抵抗を見せる。
空間が、さらに歪む。
だがーー
「無駄だ」
ソウマが踏み込む。
「——合わせてくれ!」
「了解!」
リリアの風が、収束する。
自然と核へ、押し込む。
逃げ場を潰す。
「——今!」
「ルクスレイド!」
光が、一直線に走る。
——バチィィィィィィン!!
直撃する。
核に、叩き込まれる。
一瞬の静寂。
そしてーー
ーーパキン。
小さな音。
次の瞬間。
“それ”がーー崩壊する。
「——ギァァァァァァァ!!」
甲高い断末魔。
空間が、砕ける。
歪みが、消えていく。
光が、広がる。
そしてーー
静寂。
完全に、何もなくなった。
「……はぁ……」
リリアが、その場に崩れる。
「やっと……」
「……ああ」
ソウマも、息を吐く。
だがーー
その顔は、晴れていない。
「……でも」
森を見る。
「元には戻ってない」
リリアも、気づく。
「……ええ」
静かに頷く。
消えた者は、戻らない。
やはり、ラドックも。
「……やっぱり」
リリアの声が、震える。
「取り戻せないのね……」
「……ああ」
短く答える。
それが現実だった。
決して、認めたくない。
でも、認めざるを得ない事実だった。
沈黙が流れる。
風だけが、揺れる。
しばらくして。
「……帰るか」
ソウマが言う。
「……そうね」
リリアも立ち上がる。
足取りは、重い。
だがーー
止まらない。
その時。
……ざわり。
ソウマの足が、止まる。
「……終わったはずだろ」
低く呟く。
その返事は、無かった。
「え……?」
リリアが顔を上げる。
その瞬間。
……フュワン。
空気が、歪む。
だがーー
今までとは違う。
もっと、小さくて。
もっと、静かだ。
そして、ソウマの足元。
影が、ズレた。
「……っ!?」
反射的に飛び退く。
次の瞬間。
ーーザシュッ。
地面が、抉れる。
「……え?」
リリアが、固まる。
何もいない。
だがーー
攻撃は、来た。
「……残ってる」
ソウマが、呟く。
「核は壊したはず……」
「……違うわ」
リリアが目を細める。
「……まだいるのよ」
ソウマの背筋が、凍る。
「……嘘だろ……」
森の奥。
緑の暗闇の中。
……フュワン。
……フュワン。
……フュワン。
……フュワン。
いくつも。
いくつも。
歪みが、生まれる。
「……冗談であってくれよ……」
ソウマの声が、震える。
リリアは、黙る。
そしてーー
小さく、息を吐いた。
「……終わってないわね」
その目に。
静かな怒りが、灯る。
ーーむしろ。
「……ここからだわ」
終わったはずの絶望は、
まだ、何一つ終わっていなかった。




