8話:揺らぐ記憶、揺らぐ心
俺は赤い光に包まれていた。
上から下まで、真っ赤で、中心は激しく明滅している。足元から熱が込み上げ、次第に息が苦しくなってくる。
必死に空気を吸い込もうとするけれど、肺には全く入ってこない。どんどん目の前が暗くなっていく。
「ッ、父さん、母さん……!!」
がばっと跳ね起きた。
辺りを見渡すと、そこは質素な部屋。簡易的な布団、そしてデジタルで秒を刻むタイマーの音がチクタクと耳に残る。
額から一筋の汗が垂れ、布団は寝汗でびっしょり濡れていた。強く握りしめていた布団から、ようやく手を離す。呼吸を整え、俺は額の汗をぬぐった。妙にリアルな夢だった。これがもし過去の記憶だとしたら
――やっぱり、火事関係なのか。
あまり思い出したくもないが、さっきは咄嗟に父さんと母さんの名前を口にしてしまっていた。
徐々に記憶が蘇ってくる…なんとも悪趣味なルールなんだ。思い出したくなんかない。これ以上は勘弁してくれ。精神が潰れちまう。
はぁ、と一つため息をついた。
控室を見渡しても今が朝なのか昼なのか、全くわからない。外の光は一切入らず、頼りになるのはタイマーだけ。おそらく、あと三十分ほどは休めそうだ。しっかり体も休めたし、顔でも洗って頭を冷やそう。
少しでも脱落を避けて、できることなら皆で助かる道を探さないと。俺は床に脱ぎ捨てていたシャツとズボンを身に着け、トイレへ向かった。汗がペタつく。着替えくらい用意してくれないかなぁ、なんて思ったり。
あんな緊張する場で汗をかかないわけがない。これしかないから仕方なく着るけど、俺の人気が落ちないといいな…。
トイレに行くと、タクヤがいた。
「よう!」
「おう」
俺は手を洗うついでに、顔にも勢いよく水をかける。気合を込めて挑まねえと。
「おい、水飛ぶって」
タクヤは体を少し傾けて俺を避けるように一歩引いた。
「わりぃ、わりぃ。こうでもしねーと、討論なんかできねーよ!」
「……ジュンは、どうするつもりだ?」
「どうするって?」
ハンカチすら持っていなかった俺に、タクヤは黙って自分のハンカチを差し出してきた。俺は遠慮なくゴシゴシと顔を拭き、そのまま返した。かすかに鉄の臭いがしたので、首を傾げながらそれについて聞こうとした。
「あれ?タクヤ…もしかして手、怪我とかして…」
すると、遮るように言葉を被せてくる。
「脱落者の選ばせ方だよ。昨日の夜の時点で、自殺者は名乗り出なかった。ってことは、皆が事故か他殺ってことで通す流れになるだろ?」
「……あ、ああ」
「自分で死を選んだ奴ならともかく、死を思い出しておいて嘘をつく奴は、厄介だと思う」
話は流されたが俺は特にハンカチを畳むことなく、ありがと、と軽く言いながら返した。
「で、タクヤはどうすんの?」
「俺は――」
バタンッ。
突然、トイレのドアが勢いよく開いて、ぺー君が入ってきた。
「なんや、お揃いで起きとったんか!なあなあ!俺な変な夢みてん!弁当の後寝たんやけどな?なんやぐにゃ~~って、カラフルでぐるぐるで頭おかしくなりそうやったわ。アンタらが残した弁当の空箱の近くにあった砂糖舐めただけやねんけど…アカン奴やったんかな~。糖分欲しかってんけどな〜。…それかこれも記憶がじわじわ思い出されてるんかなぁ。…まあ、なんとかなるやろ、お二人さん! がんばろや!」
「弁当に砂糖なんてあったっけか?」
タクヤは肩を竦める。
それでもぺー君は呑気に言いながら、俺が顔を洗って弁当を思い出している所を洗面台に割り込むようにして、勢いよく顔を洗い始めた。
飛び散る水に、タクヤは眉間にシワを寄せながらハンカチも貸さず、返事もすることなく廊下へ出て行った。
…俺もタクヤは脱落の選ばせ方についてどうするのか聞く前に、タクヤが行ってしまったな。俺は自然と隣に居るぺー君に声をかける。
「ぺー君はさ……他殺とか事故とか、思い出してきてんの?」
その問いに、ぺー君はぴたりと動きを止め、制服のトレーナーで顔を拭いたまま、しばらく黙っていた。
そして、にかっと笑い、それから顔を上げた。 その笑顔から一瞬だけ何かを見透かされてるような気になった。
「内緒や」
そう言って、ぺー君も廊下に消えていった。やはり皆、少しずつ記憶は戻ってきているはず。でも、手札は見せない。見せてしまえば、討論で圧倒的不利になる。
他殺と言えば逃れられるのか?いや、疑われる空気になったら、元も子もない。嘘でも視聴者が盛り上がって脱落の対象になってしまいそうだからだ。インターネットだって、嘘の事を大きく言えば、それが回って大勢が信じて、正しい事を言っても嘘つきのレッテルが貼られる。そんな視聴者と参加者との戦いをしないといけない。
そう、どの死因であっても、俺たちは――最終的には“視聴者の気分”で決められてしまう。
…すんすん、
「ん?」
鼻を啜る音が聞こえた。…すんすん??
俺の後ろから背を丸めたよーすけが、控室から出てきた。さっきから人と遭遇しまくってしまってるけど、俺はもう少し手札を隠す意味で控室にぎりぎりまで居るべきだったか?普段勉強で頭を使ってない代償がここで来るとはな…!
いや、今のところ俺に大した手札はないんだけど。
悲しそうな背中に近づいてみるが、泣いてる?
泣いてるなら声かけないといけないよな?人間として、そう育ってきた気がするし、一応…。
「よ、よーすけ?どうした?」
「あ、ジュン」
セーターの裾で頬を拭うよーすけ。俺に声かけられたからなのか、折角拭ったというのにぽろぽろと涙を流し始めた。何かのドラマのように綺麗に粒をが垂れる。
「え、うそ、なんかあったのか?!」
自分が泣かせた訳じゃないのに、慌ててしまう。
「あ、…そういや弁当食う前、俺の部屋入ってきて怯えてたけど…。あれと関係あんの?」
「…、どうだと思う?」
途端に表情がへらっとし、頬を伝う涙が、すぐに収まっていく。
「まぁ、関係はありそうだけど…、突っ込まない方がいいのか?」
「お前がどうしたいのかは知らないけど、突っ込みすぎると、自分が潰れちゃうんじゃない?」
「はぁ?」
「弁当の時も言ってたけど、みんなを助けたいって言ってたよねぇ?無理だと思わない?この状況じゃぁん。逃げ場なんてないよ」
先ほどまで泣いていたよーすけはころっと態度が変わり、普通に話せる感覚に戻っていた。こいつはまともに話せないと思ってたけど、こんな機会があるなんて。色々と聞いてはみたいけど本当の言葉がどう返ってくるのかもわからない、俺の中ではまだ不気味な不思議な配信者、としか思えない。
「助けられる方法は、まだあるかもしれない。だから俺はみんなを見捨てたくない」
俺はこいつのいう通り、みんなが助かる方法はまだわからないし見つけられていない。だからと言って諦めていいものか。
「へえ、猫川くん死んじゃったのに、悠也も大雅も」
口端を上げて、首を傾けた。いなくなってしまったクラスメイトの名前を出されると俺は睨みつけるが、その瞳はどこか吸い込まれそうな淀んだものだった。ふらっと、背を向けて控室に消えていく。
「ハニートラップには、気をつけろよ、ははっ!!!」
「くっ……!!」
……俺は耳まで赤くなり両手に拳を作る。泣いていたよーすけを少しでも心配してしまった俺を、後悔した。全然ハニーじゃねぇっての!!
俺はもう控室には戻らず、タイムリミットを刻む秒針がゼロになる前に既に出現していた、やけに重たいスタジオのドアを押し開けた。




