第2話:二才たちの背中
**『薩摩の風と城山』**
**第2話:二才たちの背中**
天保八年(一八三七年)——薩摩藩・鹿児島城下。
下加治屋町の空気は、いつも麦藁と土の匂い、そして子どもたちの弾けるような怒鳴り声で満ちていた。
鶴丸城の西に広がるこの町は、御小姓与と呼ばれる下級武士の家ばかりが集まる、貧しい地区だった。
だが、貧しさなど、子どもたちの元気の前には塵のようなものだった。
「ほら、そこに隠れとるぞ! 追いつけ!」
「チェストー!」
細い路地裏を駆け抜けながら、俺——周蔵は、自分の足の短さを呪った。
この年、俺は数えで七つ。郷中の輪に放り込まれて、まだ間もない頃だった。
薩摩の郷中教育は、他藩に類を見ない自治組織である。
同じ町内の子どもたちが年齢ごとに集まり、年上が年下を徹底的に鍛え、教え育てる。おおむね六歳から十歳が「稚児」、十一歳から十四歳が「長稚児」、それより上が「二才」と呼ばれた。
「周蔵! そこで足を止めんな! 坂の上まで一気に駆け上がらんか!」
振り返ると、大きな体を揺らしながら走ってくる少年がいた。
西郷吉之助——十一歳。
後に西郷隆盛と呼ばれる男の、少年時代の姿だ。
丸顔にはまだあどけなさが残り、人一倍大きな瞳が輝いている。体が大きすぎて、つぎはぎだらけの着物はいつもぱつぱつに張り、走るたびに地面が揺れるような迫力があった。
そして、その吉之助さぁのすぐ隣を、一歩も遅れずに涼しい顔で走る少年がいた。
大久保正助——俺より一つ上の、八つ。のちの大久保利通である。
「そげん急かすな、吉之助。周蔵は足が短かで、追いつけるわけがなか」
正助はそう言いながらも、決して足を緩めない。少し早口で、筋道立てて突っ込みを入れるのが、この男の癖だった。
「ハハハ、正助、甘い甘い! 薩摩の男たる者、足が短かを言い訳にするなと教わらんかったか!」
吉之助さぁが豪快に笑う。
その笑顔は太陽のように眩しく、俺たち年下の者は、その背中に引っ張られるように、必死で足を動かした。
息を切らしながらたどり着いたのは、町はずれの広場だった。
すでに郷中の仲間たちが集まっている。みんな土埃まみれで、汗だくだった。
「全員揃ったな」
吉之助さぁが、みんなの前に仁王立ちした。
まだ子どもなのに、その佇まいには不思議な威厳があった。怒鳴るわけではない。ただ、まっすぐ前を見据えるその眼差しに、誰もが自然と静まり返るのだ。
郷中の掟は厳しかった。
一、嘘を言うな。
二、弱い者をいじめるな。
三、卑怯な振る舞いをするな。
そして何より、「薩摩の男は、どんなときでも気宇を大きく持て」と叩き込まれた。
「よかか、おはんら。今日の夕刻の詮議は、『日新公いろは歌』の暗唱じゃ。ただ覚えるだけではいかん。意味を己の腹に落とし込んでおらんと、二才の先輩方から木刀が飛んでくるぞ」
吉之助さぁの言葉に、何人かの稚児が「うわっ」と青い顔をした。
俺も冷や汗が流れた。日新公いろは歌は、薩摩武士の心得を四十七首の歌に託したものである。
『いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし』
『楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは 高き賤しき』
頭ではわかっていても、いざみんなの前で問われると、緊張で声が出なくなるのだ。
すると、隣にいた正助が、そっと俺の肩を叩いた。
「周蔵、安心せえ。おはんが詰まったら、俺が後ろから声を合わせてやる」
その一言に、どれほど救われたことか。
吉之助さぁのような太陽の光とは違う。だが、正助の持つ冷静な優しさと賢さは、いつも下加治屋町の危ういバランスを支えていた。
豪快で情に厚い吉之助。
冷静で理知的な正助。
この二人の背中を見ながら育てたことは、俺の人生にとって最大の僥倖であり、同時に、のちの過酷な運命の始まりでもあった。
「よし、川へ行くぞ! 昼の稽古のあとは、甲突川で汗を流すんじゃ!」
吉之助さぁの掛け声とともに、少年たちの歓声が、再び下加治屋町の空にこだました。
俺は小さな拳をぎゅっと握りしめ、年上たちの大きな背中を追って、また走り出した。
あの頃の俺たちは、まだ知らなかった。
この甲突川の泥と汗の先に待ち受けている、あまりにも巨大で、あまりにも残酷な時代のうねりを——。
(第3話へ続く)
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