ep.3 護衛隊の面々
詰所の扉を開けたとたん、木剣を打ち合う音が弾けた。
かん、かん、かかんっ。
むわっと、熱気が顔にぶつかってくる。
革と油の匂い。壁の棚にずらりと並んだ木剣。隅のかまどでは、大きな鍋がことこと湯気を立てていた。
石と氷しかなかった塔の中とは、何もかもが正反対だった。
「あ、隊長! 見てください、今のっ! さっきあいつに一本……」
元気いっぱいの声が、途中で止まった。
声の主がリディエルに気づいて、あわてて木剣を背中に隠したのだ。隠せていないけれど。
「んんっ。……レオン。まずは自己紹介を」
「は、はじめましてリディエル様! 俺、レオンっていいます! カイン隊長の下について三年になります!」
ぶんっと音がしそうな勢いで頭を下げる。
まるで、しっぽを振りちぎりそうな子犬だった。
「まあ、元気がいいのね! こんなに賑やかな場所、百年ぶりだわ」
思わず声が弾んだ。
あの氷の塔の静けさが嘘みたいな騒がしさが、なんだかとても嬉しかった。
レオンが、ひそひそ声で身を乗り出してくる。
「隊長がこんな顔するの、俺、初めて見ました」
「まあ。どんな顔なの?」
「それはもう、なんていうか……」
「レオン」
カインがじろりと睨むと、レオンは肩をすくめてへへっと笑った。
リディエルもつられて、声を出して笑ってしまう。
命令ではなく、信頼でつながった間柄。その気安さが、見ているだけで伝わってきた。
百年前、リディエルのまわりにいた騎士たちは、いつも石像みたいに固かった。
王女の前で笑う者なんて、一人もいなかった。アルヴィンでさえ、人前では眉ひとつ動かさなかったのだ。
だから、こんなふうに隊長を小突ける部下がいることが、なんだか不思議で、くすぐったかった。
「ねえレオン、三年前は何をしていたの?」
尋ねると、レオンは少しばつが悪そうに頭をかいた。
「北の辺境で野盗に襲われてたところを、隊長に拾われまして。それで、この隊に」
「拾われた?」
「ええ。もともと行くあてもなかったんで。剣の腕だけはそれなりにあったから、置いてもらえたんです」
横から、カインがぼそりと付け加える。
「拾ったんじゃない。腕を見込んで引き抜いたんだ」
「隊長がそう言ってくれるの、やっぱ嬉しいっすね」
カインは何も言わなかった。
けれど、その耳の先がほんのり赤くなっているのを、リディエルは見逃さなかった。
「あら。照れてるのね、隊長さん」
「照れていません」
「ふふっ、そういうことにしておいてあげるわ」
詰所の奥では、一人の女騎士が的に向かって矢を放っていた。
しゅっ、と風を裂く音。とん、と乾いた音。どれも的の真ん中だ。
「ミラです。北の集落の出です」
言葉に、北の訛りがかすかに残っている。
一射ごとに真ん中を外さない、堅実な弓だった。
「すごい……! あなた、一本も外さないのね! 見てるだけで胸がすっとするわ!」
「……ありがとうございます。慣れているだけです」
ミラは、ほんの少しだけ口の端を上げた。
弓を握る指は、ごつごつと硬くなっていた。何千回、何万回と弦を引いてきた手だ。
同じ女の子なのに、とリディエルは思った。わたくしの手は、刺繍針より重いものを、ほとんど持ったことがなかったのに。
「北から、わざわざこの隊へ?」
「故郷は、あまり豊かな土地ではありません。ここなら、家族に仕送りができますから」
短い言葉の裏に、故郷を思う重さが見えた。
「北の様子は、今もよく知っているの?」
「はい、文が届きます。……最近は少し、様子がおかしいと。それに、先週から返事が途切れているんです」
「おかしいって?」
「井戸の水の味が、理由もなく変わったとか。大したことではないと思いますが」
その一言に、リディエルとカインは思わず目を見合わせた。
カインの横顔が、わずかに強張る。
「井戸の水が……? ご家族は大丈夫なの? 心配でしょう」
「……大丈夫だと、思いたいです」
ミラの声が、初めて小さく揺れた。
気がつけば、リディエルは彼女の腕にそっと手を置いていた。
「何かあったら、すぐに言って。わたくしにできることなんて、まだほとんどないけれど。黙って見ているだけなのは嫌なの」
詰所のいちばん奥では、白髪まじりの老人が椅子に腰かけ、剣の手入れをしていた。
「トマスと申します。先代隊長の頃から、この詰所におります」
「先代、というと」
「カイン殿の父君です。儂はもう長いこと、この家に仕えております」
トマスは手入れの手を止めて、リディエルをまっすぐ見た。
皺の刻まれた目元が、ほんの少し潤んでいる。
「氷姫様が目覚められる日を、儂は待ち続けておりました。先代も、その先代も、皆同じ思いでした」
「重い務めを、代々背負わせてしまったのね。……わたくしのせいで」
「務めではありません」
トマスの声には、静かな確信があった。
「これは、この家が選んだ生き方です。誰に強いられたものでもございません」
じんわりと、胸の真ん中があたたかくなった。
「……ありがとう。そう言ってもらえて、どれだけ救われたか。本当はずっと、わたくしのせいで誰かの人生を縛ってしまったんじゃないかって、怖かったの」
目の奥が熱くなる。
リディエルはぱちぱちと瞬きをして、どうにかごまかした。
トマスは、目尻の皺をいっそう深くして笑った。
「それに、隊長も小さい頃は、この詰所でよく木剣を振り回しておられましてな。儂の膝の上で居眠りをしては、先代に叱られて……」
「トマス」
カインの低い声が、ぴしゃりと割り込んだ。
見ると、その耳がまた赤くなっている。
「まあ! その話、もっと聞きたいわ!」
「聞かなくていいです」
「聞きたいの!」
トマスが肩を揺らして笑い、レオンが向こうで噴き出した。
リディエルも、こらえきれずに笑ってしまった。
目覚めて、まだ二日目。なのに、この詰所の中だけは、ずっと前から知っている場所みたいに温かかった。
夕方、詰所を出たところで、レオンが小走りに追いかけてきた。
「氷姫様! あの、隊長には内緒にしてほしいんですけど」
「なあに?」
「隊長、氷姫様が目覚める前は、ほとんど笑わない人だったんです。今日みたいに軽口を叩かれて赤くなるところなんて、俺、一回も見たことなくて」
それだけ言うと、レオンは悪戯っぽく笑って、ぱたぱたと詰所へ戻っていった。
「……まあ。そう、なの」
頬が、かあっと熱くなった。
リディエルは慌てて両手で顔をあおぎ、誰にも見られていないことを確かめてから、もう一度こっそり笑った。
詰所から出てきたカインと並んで、城へ戻る渡り廊下を歩く。
途中で、リディエルはふと足を止めた。
硝子張りの建物が、夕陽を受けて橙色に光っている。よく見ると、温室だった。
硝子の向こうで、白い花が、風もないのにかすかに揺れている。
「ねえ、あの花は?」
「今日はもう遅い。明日、ご案内します」
答えは短かったけれど、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。
明日。
その言葉が、なんだかとても嬉しかった。明日も、この人が隣を歩いてくれる。明日も、何か新しいものを見せてもらえる。
目覚めた日には、明日のことなんて、怖くて考えられなかったのに。
並んで歩きながら、リディエルは胸の奥に、小さな棘のようなものを感じていた。
ミラの言った、井戸の水の話。
大したことではないと、彼女は言った。カインの横顔は、強張っていた。
「……気のせいなら、いいのだけれど」
呟いた声は、夕暮れの風にほどけて消えた。
【続く】




