第7話 図書室展示物消失事件
魔界派遣公社・召喚対応第七支部では、机の上の紙束が今日も元気に増殖していた。
バルタザールは椅子に浅く座り、封の切られていない書類の山を睨んでいた。
睨んだからといって減るわけでもない。
「手を動かさないと減らないわよ」
向かいの机でリリィが帳簿を閉じながら言った。
「わかってる」
「放置してるから聞いたのよ」
「放置ではない。後回しだ」
「ほぼ同じ意味ね」
リリィはそう言って、書類の端を軽く揃えた。
その時、支部中央の水晶板が青白く光った。
室内の空気がぴんと張る。バルタザールは嫌そうな顔のまま立ち上がった。リリィが水晶板へ視線を向ける。
淡い文字が、順に浮かび上がる。
『人間界より召喚要請。担当者、バルタザール。案件ランクC。過去召喚記録より一致反応なし。内容:たぶん簡単』
「来たわね『たぶん簡単』」
「何も安心できる要素がないな」
「『たぶん』だものね」
床に召喚陣が開いた。紫の輪郭がゆっくり回転し、薄い煙のような魔力が立ちのぼる。
バルタザールは外套の襟を直し、心底乗り気でない声音のまま陣の中央に立った。
「行ってくる」
次の瞬間、光が跳ねた。
◇◇
到着した先は、薄暗い部屋だった。
鼻先をかすめるのは古い紙と木の匂い。蛍光灯の白い明かり。壁際には本棚、窓には夜の色。ここが学校か図書室の類だということは、察するというより見ればわかった。
バルタザールは立ち上がり、外套の裾を払う。召喚された以上、最初の手順だけは崩さない。
「――我が名はバルタザール! 深淵の焔を統べ、契約と召喚に応じて来た! 願いを述べよ、人の子よ!」
言い切ったところで、正面にいた少年が一歩下がった。
高校生くらいの、細身の制服姿の少年だった。片手にノート、もう片方にペン。
机の端にはなぜか虫眼鏡が置いてあった。
少年は数秒、完全に固まったあと、自分の足元と長机の上を見比べた。机の上には、黒い栞、赤い紙片、細い紐、古びた冊子が並べられている。床には、そこからつながるように薄い光の線が浮かんでいた。
「……何ですか、これ」
「何、とは何だ。召喚したのはお前だろう」
「してません!」
間髪入れずに返ってきたので、バルタザールは眉をひそめた。
「今さら否定するな。俺は召喚に応じて来た」
「呼んでません。ていうか、床、今、急に光りましたよね。なんなんですか」
「では、その机の上は何だ」
少年は長机を振り返ったが、すぐには答えず、もう一度バルタザールを見た。
「……あの、その、わけがわからないので、一旦状況整理してもいいですか」
「…勝手にしろ」
大仰な口上に対して相手が感動した試しはない。大半は驚くか引くか、そうでなければ自分の状況を説明し始める。
バルタザールもそれは知っているので、特に傷つきはしない。少し腹は立つが。
少年は本棚の並ぶ室内を手で示した。
「ここは、うちの学校の図書室準備室です。僕は一年の二階堂透。隣が図書室で、今、読書週間の展示をやってます。図書委員と各部が、おすすめの本に手作りの栞を挟んで並べてるんですけど」
一度息をつぎ、それから続けた。
「オカルト研究部、通称オカ研の栞だけ、三日連続でなくなってるんです」
バルタザールは無言で透を見た。
透も無言で見返した。
「……それで悪魔を呼んだのか」
「だから呼んでません」
「では何をしていた」
透は長机を指した。
「なくなったのは全部、オカ研が作った黒い栞です。あそこ、普段から妙な企画で怒られてるんで、先生たちも最初から“今回も自作自演だろ”って言ってるんですけど、僕は違うと思った」
「なぜだ」
「証拠もないのに最初からあの部だと決めるのはよくないと思ったんです。しかも、やったにしては痕跡が変なんで」
「痕跡?」
透はノートを開き、少し早口になった。
「なくなったのは展示台に置いた本に挟んであった栞だけです。毎回、黒い栞だけなくなって、ページの上の角に細い引っかき傷みたいな跡が残るんです。他の栞は残ってる。図書委員の白い紙栞も、美術部の色付き栞も、文芸部のしおり型カードも。そのうえ、展示台の下に黒い紙の切れ端とか、赤い欠片とか、紐の切れ端が落ちてる」
「ふむ」
「それで、落ちてたものと、残ってた栞と、オカ研の冊子を机に並べて、どこからどう抜かれたのか見ようとしてただけです。そしたら床が光って、あなたが出てきた」
バルタザールは長机の上を見た。黒い栞、赤い紙片、細い紐、古びた冊子。床の線はそれらを囲うようにつながっている。
「……なるほど」
「何がですか」
「意図的かは知らんが、その並べ方は召喚陣の形になってるぞ」
透は数秒黙った。
「意味がわからない…」
「それはこっちの台詞でもある」
透は額を押さえたまま、小さく息を吐いた。
「……とにかく、栞がなくなる件を調べてました」
「そこまではわかった」
「じゃあ、続きを話します」
透に案内されて隣の図書室へ入る。
閉室後らしく人はいない。窓の外はすでに暗く、館内の明かりだけが棚の影を細長く落としていた。入口近くに展示台があり、そこへ何冊もの本が表紙を見せるように並べられている。ミステリー、怪談、冒険小説、学習まんがまで混ざっている。
そして、そのうち何冊かには黒い栞が挟まっていた。
「三日で七枚なくなりました。先生たちは“オカ研の宣伝だろ”って言ってましたが、オカ研の部長も“さすがにやってない”って怒っていたので、気になって調査していました」
と透が言った。
「探偵気取りか」
「探偵です」
「事件を解決したことは」
「ないですけど…推理小説はたくさん読んでます」
「じゃあ気取りじゃねえか」
透は軽く咳払いをして、一冊の本を開き、栞が抜かれていた跡を示した。ページの上端が、ごくわずかに削れている。紙の繊維が毛羽立ったような、浅い傷だ。
「毎回これです。何か細いものが引っかかったみたいな跡」
「ふむ」
「だから、“部員が自分で回収した”にしては少し変だと思ってます。毎回、同じところにこういう傷が残るので」
透はそこで一度、バルタザールの顔を見た。
「……あなたは、どう思いますか」
「少なくとも、手際の悪い人間か、人間以外かだな」
「人間以外って単語をさらっと言わないでください」
「お前が呼んだ悪魔にそれを言うのもどうかと思うが」
「呼んだつもりはないです」
バルタザールは展示台の周囲を一周した。
展示台の裏の足元に、紙片が少し落ちていた。黒い紙の端。赤い欠片。細い紐のちぎれ端。
「これは…」
バルタザールがしゃがみこんで指先で拾う。
「黒い紙の切れ端に、封蝋の欠片。それに紐。栞についていたやつだな」
「オカ研の栞、黒い紙に赤い印を押してるんです。怪談フェアだから雰囲気重視で」
透もバルタザールの横にしゃがみ、一緒に欠片を確認する。
「栞がなくなったときは毎回、こういう欠片が下に落ちてるんです」
「そうだな」
バルタザールは視線を棚の下へ滑らせた。
暗がりの奥。雑誌の束と展示用パネルの隙間に、黒い何かがかすかに動く。
次の瞬間、それは素早く引っ込んだ。
透は数秒、展示台とバルタザールと棚の下を順に見た。
「……ネズミ、ですかね」
「普通のネズミが黒い紙と封蝋ばかり集めるなら珍しいと思うがな」
そう言っているうちに、棚の奥からかさ、と乾いた音がした。
紙を引きずるような、小さな音。
さらにもう一つ。もう一つ。
透が息を止める。
棚下の暗がりから、ねずみほどの大きさの影が三つ、四つとにじみ出た。
毛並みではなく、ちぎれた紙片のような黒さ。尾の先に細い紐が絡みつき、口元には赤い蝋の欠片。目だけが、針先みたいにぬらりと光る。
「……うわ」
透が後ずさる。
「何ですかあれ」
「低級怪異の封蝋ネズミだな。封蝋や紐の多い場所に寄りついて、巣を作る」
一匹が展示本の間へ飛び乗り、黒い栞に噛みついた。先端の紐へ食いついて、そのまま後ろへ引く。
ネズミの爪がひっかかり、ページの端に細い傷が走る。
「……傷の原因はあれか」
透が呟いた。
「巣を作るために持っていってるようだ」
「じゃあ、栞を盗んでいた犯人は――」
「こいつらだ」
封蝋ネズミたちは栞を引いたまま棚下へ戻ろうとする。バルタザールは指を二本立てた。
「下がっていろ」
「何するんですか」
「片づける」
紫の火花が、指先から細く走った。
それは床の四隅へ散り、棚の前を囲むように光の線を描き、逃げ道を塞ぐ囲いができる。
封蝋ネズミが一斉に跳ねたが、見えない壁にぶつかり、きい、と紙を裂くような甲高い声を上げる。
「今の、何ですか」
「逃げ道を塞いだ。封鎖紋だ」
「次から次へと、非現実的なことばかり…」
「現実だ」
バルタザールは棚の下へ手をかざした。影が揺れ、何かの塊がふわりと持ち上がる。
「あったぞ」
黒い栞。紐。蝋の欠片。紙片。 なくなった七枚の一部が、雑に編まれている。
透が目を見開く。
「……ネズミたちの、巣ですか」
「そうだ」
バルタザールは巣ごと宙へ浮かせ、展示台の上へ移した。封蝋ネズミの一匹が飛び出そうとした瞬間、紫の火が糸のように伸び、まとめて絡め取る。次の瞬間、火は巣の上だけを一気に走り、紙と紐と蝋を焦がした。小さな甲高い音が二、三度して、姿が消える。
透は焦げ跡だけが残った金属盆を見た。
「……これで、終わりですか」
「まあ、こいつら以外の気配はしない。終わりだろう」
透は小さく息を吐いた。
十分後。
透は展示台の本から、残っていた黒い栞をすべて回収していた。その代わり、図書委員用の白い紙札に『展示物調整中・しおり一時回収』と書いて置いている。
「これで今夜は大丈夫だと思います」
「素材を変えろ。蝋をやめろ。」
透は頷き、ノートへ何かを書いた。
「教師には、普通のネズミが展示台に入り込んだ可能性が高いって説明します。」
「妥当な説明だな」
「オカ研は…本当のことを伝えると喜んで信じそうですが、面倒なことになりそうなので、同様の説明で済ませます」
「それがいい」
「じゃあ、あとは明日、開館前に配置を直します。」
「待て」
「はい?」
「報酬は」
「報酬取るんですか?!」
「当然だ」
透は鞄からミルクティーとビスケットを取り出して、ひどく嫌そうに差し出した。
バルタザールは気にせず、当然のように受け取る。
「うむ」
「…僕の今日のおやつが…」
足元に再び召喚陣が開く。
透は一歩下がったが、最初ほど取り乱してはいなかった。
「…ありがとうございました」
不満げに礼を言う透を横目に、バルタザールは召喚陣の上に立つ。
光が立ち上がり、バルタザールの姿を飲み込んだ。
◇◇
第七支部へ戻ると、リリィは机で書類をまとめていた。 転移の気配に顔を上げる。
「おかえり。今度は何だったの」
「学校の図書室だ。展示の栞がなくなる件」
「へえ」
バルタザールは自分の机に座り、報告書を一枚引き寄せた。さらさらと書きつける。
リリィは横から覗きこむ。
召喚者の願望:図書室展示物消失の原因確認、オカルト研究部への疑いの解消
契約内容:現地確認、低級怪異の除去、展示物一時回収と再発防止指示
特記事項:人間界側説明は「ネズミ侵入」で処理
「あら、普通のネズミとして処理するのね」
「人間は普通、怪異の話など信じない」
「まあ、そうでしょうね」
リリィの視線が、机の上の紙パックのミルクティーとビスケットへ移る。
「で、報酬はそれ?」
「ミルクティーとビスケット」
「ずいぶん慎ましいじゃない」
「召喚者の間食だったらしい」
リリィはそこで少しだけ笑った。
「自分用を取られたの」
「報酬が要ると知って驚いていた」
「でしょうね」
「そのあと、だいぶ渋っていたが」
「ちょっと気の毒」
「契約だ」
「悪魔らしいこと言うじゃない」
バルタザールはにやりと笑って言った。
「悪魔だからな」




