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魔界派遣公社 presents  作者: 一ノ瀬 このは


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第6話 推しの当落で悪魔を呼ぶな

魔界の夜は、今日もだいたい残業の気配がした。


溶岩の川はごぽごぽと泡を噴き、黒い空には赤い稲妻が細く走る。髑髏をかたどった街灯は青白く光り、その下を、くたびれた悪魔たちがぞろぞろと歩いていた。


翼はしおれ、尻尾はだらりと垂れ、顔つきはどいつもこいつも「定時という概念はどこへ消えた」と訴えている。


そんな街の一角、魔界派遣公社・召喚対応第七支部。


バルタザールはようやく椅子にもたれ、冷めた魔界珈琲を口にした。


「……人間って怖ぇ」


向かいの席で書類をめくっていたリリィが、顔も上げずに言った。


「今さら?」

「恋愛相談に二時間だぞ」

「長かったわね」

「しかも最終的に送ったの、『おつかれ』だけだぞ」

「でも返信きたんでしょ」


バルタザールは遠い目をした。


「『また話そ!笑』ってな……」

「あら」

「何が正解だったのか、未だにわからん」

「少なくとも不正解ではなかったんじゃない?」

「悪魔に恋愛文面の採点をさせるな」


バルタザールは机に突っ伏した。


「俺はもっとこう、魂を奪うとか、契約で国を滅ぼすとか、そういう方向で呼ばれるべき存在なんだよ」

「最近の人間界、そういう依頼はコンプライアンス的に難しいんじゃない?」

「悪魔の存在意義が揺らぐだろ」

「甘いものは貰えてるじゃない」

「そこを支えにするな」


そのときだった。


支部の天井に埋め込まれた召喚警報ベルが、けたたましく鳴り響いた。


ジリリリリリリリッ!


バルタザールは椅子から跳ね起きた。


「さっき終わったばっかだぞ!」


壁の水晶板が淡く光り、機械的な女性の声が流れる。


『人間界より召喚要請。担当者、バルタザール。案件ランクC。過去召喚記録より一致反応なし。内容:生きるか死ぬかです』


空気が、少しだけ変わった。


バルタザールの表情から、先ほどまでの疲れた色が消える。


「……今度こそ、まともなやつか?」


リリィも書類を置いた。


「内容だけ見ると、切迫してるわね」

「だよな」


バルタザールはマントを翻し、転移陣へ向かう。


「命に関わる案件なら、さすがにふざけてる場合じゃない」

「はい、現地対応マニュアル」

「今それいるか?」

「命に関わるなら、なおさらいるでしょ」

「それはそう」


分厚い冊子を脇に抱え、バルタザールは紫の光に包まれた。


「……今度こそ、悪魔らしい仕事をしてやる」


次の瞬間、彼の姿は光に呑まれた。


◇◇


転移の光がほどけた瞬間、耳に飛び込んできたのは悲鳴だった。


「むりむりむりむりむり!」

「我が名はバルタザール! 深淵の焔を統べ、絶望の帳をまとい、千の契約を——」

「あと三十秒なんです!!」

「最後まで名乗らせろ!」


バルタザールは反射的に叫んだ。


目を開ける。


そこは人間界の、狭いワンルームだった。


床にはクッション。低いテーブル。壁には一面、同じ顔の男のポスター。棚にはアクリルスタンド、缶バッジ、ぬいぐるみ、光る棒。


そしてテーブルの上には、ノートパソコンとスマートフォンと、なぜか銀色のマスキングテープで描かれた召喚陣があった。


「……なんだこの祭壇」


召喚陣の向こうにいたのは、二十代くらいの女性だった。


部屋着の上にカーディガンを羽織り、髪はひとつにまとめている。目の下には隈があり、スマホを握る手が小刻みに震えていた。

テーブルの端には、『当選祈願』と書かれた小さな紙札まで置かれている。


彼女はバルタザールを見るなり、叫んだ。


「当落が出るんです!」

「は?」

「あと三十秒で!」

「は?」

「推しのライブの!」


バルタザールはゆっくりと眉間を押さえた。


「……生きるか死ぬかって、そういう?」

「そういうです!」

「そういうです、じゃないんだよ!」


女性は半泣きでスマホを突きつけた。


「一次先行、全部落ちたんです。二次も落ちて、今回が最後で、これ落ちたらもう一般しかなくて、一般なんて人類が勝てる速度じゃなくて、つまり実質終わりなんです!」

「人類の限界をそこで語るな」

「だから悪魔なら何とかできるかなって!」

「できるか!」

「悪魔なのに!?」

「悪魔にも規約はある!」


バルタザールはスマホ画面を見た。

画面には、メールの受信BOXが表示されている。


「名前は」

「え?」

「お前の名前だ」

「あ、すみません。早見リナです」

「名乗る前に当落の話をするな」

「だって当落が」

「当落はいったん置け!」

「置けません!」


バルタザールは部屋を見回した。

壁のポスターには、にこやかな青年がマイクを持っている。棚のぬいぐるみも同じ衣装を着ていた。


リナはスマホを握りしめたまま、床に正座していた。膝の上には小さなぬいぐるみが乗っている。顔つきは真剣そのもので、ふざけている様子はない。


それがまた、バルタザールを困らせた。


「いいか、人間。抽選結果をこちらで不正に操作することはできない」

「悪魔なのに?」

「悪魔だからこそだ。契約違反、規約違反、システム干渉、全部あとで揉める」

「悪魔ってもっと何でもありかと」

「最近はコンプラが厳しいんだよ!」


リナは絶望したように両手で顔を覆った。


「じゃあ、私、何のために召喚を……」

「知らん!」


その瞬間、スマホのバイブレーションが鳴る。


リナの肩が跳ねた。


バルタザールもなぜか少し身構えた。


画面には、新しく受信したメールが1件未読で表示されていた。


抽選結果のご案内。


部屋の空気が、一気に重くなった。


リナはスマホを見つめたまま動かない。


「……開けないのか」

「無理です」

「自分で確認しろ」

「無理です」

「じゃあ何のために呼んだ」

「一緒に見てほしくて……」


リナはスマホを差し出した。


「押してください」

「嫌だ!」

「お願いします!」

「悪魔にチケット当落を開かせるな!」

「対価なら払います!」


バルタザールの耳が、ぴくりと動いた。


「……ちなみに」


リナはすっとテーブルの下から箱を取り出した。


「限定いちごタルトです」

「くっ」

「駅ビルの催事で今日までのやつです」

「……」

「ホールじゃなくてカットですけど、二個あります」

「……二個」


悪魔は、甘味に弱い。


◇◇


「いいか」と、バルタザールは厳かに言った。

「これは契約内容ではなく、確認補助だ。抽選結果そのものに干渉はしない。俺はボタンを押すだけだ」

「はい」

「結果がどうであれ、暴れるな」

「努力します」

「そこは約束しろ」

「約束します」


リナはぬいぐるみを抱きしめ、目をぎゅっと閉じた。

バルタザールはスマホを受け取り、画面を見る。

抽選結果を確認する。

その小さな一押しが、妙に重く見えた。


「……人間ってのは、こんなものに命を預けるのか」

「預けてます」

「預けるな」


バルタザールは深く息を吸い、画面を押した。


一瞬の読み込み。


白い画面。


そして。


『厳正なる抽選を行いました結果、誠に残念ながら…』


沈黙。


部屋の時計の秒針だけが、やけにはっきり聞こえた。


リナはゆっくり目を開けた。


バルタザールはスマホを見つめたまま、何も言えなかった。


「……落ちました?」

「……ああ」


リナはしばらく固まっていた。

それから、ぬいぐるみを抱えたまま、静かに床へ沈んだ。


「終わった……」

「いや、終わっては」

「私の夏が……」

「季節ごと巻き込むな」

「徳、足りなかったんだ……」

「チケット抽選を道徳の成績にするな」


リナは床に突っ伏した。

ポスターの中の青年だけが、変わらずにこやかに笑っている。

バルタザールはスマホをそっとテーブルに置いた。


「……一般販売があるんだろ」

「ありますけど、秒です」

「秒」

「ページ開いた瞬間には終わってるやつです」

「災厄級契約の先着受付みたいだな」

「怖…」


リナは泣き笑いみたいな顔で起き上がった。


「行きたかったなあ」


その声は、さっきまでの叫びよりずっと小さかった。


バルタザールは少しだけ黙った。


部屋には、同じ顔のポスターがいくつも貼られている。棚のグッズはきれいに並べられていた。チケットのために作ったらしい予定表には、申し込み開始日、入金期限、結果発表日が細かく書き込まれている。


ただの騒ぎではないのだろう。

この人間は、この小さな部屋で、ずっとその日を待っていたのだ。


「……配信は」

「あります」

「映画館中継とかは」

「たぶんあります」

「なら、終わりではないだろ」


リナが顔を上げる。


「でも現地じゃない」

「それはそうだ」

「同じ空気吸えない」

「言い方!」


バルタザールは腕を組んだ。


「だが、落ちた事実は変わらない。変えられないものを前にして、今できることを決めろ」


リナは黙っていた。


「一般に挑むなら準備しろ。配信を見るなら環境を整えろ。同行者募集を探すなら詐欺に気をつけろ。落選で寝込むなら、水を飲んでから寝ろ」

「急に現実的」

「悪魔は現実的なんだよ」


リナは少しだけ笑った。

目はまだ赤い。けれど、さっきより呼吸は落ち着いていた。


「じゃあ……一般販売の作戦、立ててくれますか」

「また生活支援か…」

「生活じゃないです。推し活です」

「似たようなもんだろ」


それでもバルタザールは、テーブルの上の紙とペンを取った。


「まず販売開始時刻」

「1時間後だから…19時から」

「スマホとパソコン、両方待機。ログインは事前に済ませる。支払い方法も登録確認。開始五分前にトイレに行け」

「そこまで?」

「人間は大事な瞬間に限って腹を壊す」

「悪魔、経験値が変な方向に高い」


バルタザールは紙に箇条書きしていった。


・販売ページは事前にブックマーク

・ログイン確認

・支払い方法確認

・時報を見すぎて逆に焦らない

・取れなくてもスマホを投げない

・怪しい譲渡には飛びつかない


「あと、落ちたとき用の予定も作っておけ」

「落ちる前提ですか」

「違う。落ちたときに、床と一体化しないためだ」


リナは、少しだけ目を伏せた。


「……それ、必要かも」


バルタザールはペンを止めた。


「推しとやらは、お前が一回落選しただけで飯も食わずに寝込むことを望んでるのか」

「望んでないです」

「だろうな」

「たぶん、ちゃんとご飯食べて寝ろって言うと思う」

「まともじゃないか、その推し」

「はい。まともなんです」


リナはぬいぐるみの頭をなでた。


「だから余計、会いたかったんですけど」

「1回会えないくらいで、全部終わったみたいな顔するな」


リナは黙ったあと、少しだけ鼻をすすった。


「……それは、まあ、しますけど」

「するな」

「無理です。します」

「おい」

「でも、ちょっとだけにします」

「なら上出来だ」


バルタザールはメモの最後に、もう一行を書き足した。


・当日、取れなくてもタルトを食べる


リナが目を瞬く。


「それ、作戦ですか」

「精神の保険だ」

「悪魔っぽくない」

「うるさい」


◇◇


契約終了の条件は、当落確認および今後の対応方針の整理。

そう判断されたのか、バルタザールの足元に淡い紫の帰還陣が浮かび上がった。


リナは慌てて立ち上がり、テーブルの上の箱を差し出した。


「これ、対価です」


箱の中には、艶のあるいちごがのったタルトが二つ入っていた。

クリームは白く、タルト生地は香ばしそうに焼けている。

バルタザールはひとつを手に取り、慎重にかじった。

さく、と生地が割れる。

バターの香りと、いちごの甘酸っぱさが口の中に広がった。


「……うま」

「でしょ」

「落選の味じゃないな」

「それ褒めてます?」

「褒めてる」


リナは少し笑った。


「すみません。変なことで呼んで」

「変なことだという自覚はあるんだな」

「あります」

「ならいい」

「でも、ちょっと助かりました」

「当たってないぞ」

「はい。でも、一人で見てたら、たぶんもっと沈んでたので」


その言葉に、バルタザールは少しだけ視線をそらした。


「……なら、対価分くらいの仕事はしたな」


紫の光が強まる。


ポスターの並ぶ部屋も、テーブルの上のスマホも、落選の文字も、少しずつ遠ざかっていく。


「一般、頑張ります」と、リナが言った。

「不正はするなよ」

「しません」

「怪しい譲渡に釣られるな」

「釣られません」

「水を飲め」

「飲みます」

「よし」


リナはぬいぐるみを抱えたまま、小さく頭を下げた。


「ありがとうございました、バルタザールさん」

「二度と呼ぶな」

「努力します」

「そこは約束しろ!」


その叫びとともに、バルタザールの姿は紫の光の中へ消えた。


◇◇


魔界派遣公社・召喚対応第七支部。

戻ってきたバルタザールは、椅子に座るなり深いため息をついた。


片手には、いちごタルトの箱。


「……ライブチケットだった」


リリィが瞬きをする。


「ライブ?」

「推しとかいうやつの」

「ああ……」


理解したのかしてないのか微妙な顔で、リリィは報告書を差し出した。


「今回の業務記録」


バルタザールは、差し出された紙を見て顔をしかめた。


「……また変な業務記録が増える」

「義務だから」

「『落選時精神維持』って項目、絶対おかしいだろ……」

「実際に対応したんでしょ」

「したけど」

「じゃあ書いて」

「悪魔の仕事って何なんだ……」


ぼやきながら、バルタザールは羽ペンを取った。


召喚者の願望:ライブチケット当選

契約内容:当落確認補助、一般販売対策、いちごタルト二個

特記事項:『生きるか死ぬか』はだいたい誇張表現


「……これ、公的書類なんだよな?」

「一応」

「魔界の未来が不安になるな……」


そのとき、召喚警報ベルが鳴り響いた。


ジリリリリリリリッ!


『人間界より召喚要請。担当者、バルタザール。召喚者照合、過去記録と一致。召喚者名、早見リナ。内容:買えました!』


沈黙。


バルタザールは、ゆっくりと水晶板を見上げた。


「……報告で悪魔を呼ぶな」


リリィが肩を震わせる。

バルタザールがぼそっと言った。


「……タルトは、うまかったんだよな」

「揺らぐな」

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