8話
終業式の朝。
いつもと同じ時間に家を出て、いつもと同じ道を歩く。
蝉の声がやけにうるさく、イライラが募っていく。
昨日は結局あまり眠れなかった。
緊張もあるが、その後の期待で胸がいっぱいで、興奮して眠気が来なかったのだ。
校門をくぐり、昇降口で靴を履き替える。
そしていつも通り、教室のドアを開ける。
ざわ、と空気がわずかに揺れた気がした。
数人の視線が、一斉にこちらへ向く。
(なんだよ)
伏し目がちにクールに受け流し、あえて遠回りで奈々の机の近くを通り、席に座る彼女へウィンクを落としていく。
「っ……」
照れてしまっているのか、奈々は俯いてしまう。
……今日は「おはよう」って言ってくれないんだな。
軽く肩をすくめて、自分の席へ向かう。
いつもの窓際、一番後ろ。
カバンを音を立てて机に置き、ちらっと教室を見渡す。
……特に変わった様子はない。
いつも通り、モブ達がグループで固まって話してるだけだ。
ただ、いつもより視線を感じる気がする。
――いや、これも気のせいだな。
椅子を引いて、腰を下ろす。
そのまま何となく視線を横へ向ける。
奈々の席。
「っ……!」
——目が合った。
でもすぐに逸らされた。
そして何事もなかったかのように、近くの女子に話しかけている。
ふーん……。
「……おはよ、くらい言えよな」
誰に言うわけでもなく、小さく呟く。
でもこれはあれだ、俺のこと、意識してるってことだ。
……分かりやすい。
口元が、わずかに緩む。
問題ない。流れは来てる。
あとは——今日、ちゃんと決めればいいだけだ。
机に肘をつきながら、窓の外へ視線を逃がす。
目を差す夏の光が、やけに眩しかった。
* * *
担任のつまらない話を聞き流しながら、俺はずっと別のことを考えていた。
黒板の前で何かを喋っているが、正直一言も頭に入ってこない。
成績がどうとか、夏休みの過ごし方がどうとか。
……どうでもいい。
(そんなのより——)
肘をつきながら、視線だけをゆっくりと横へ流す。
奈々。
しっかりと前を向いて担任の話に耳を傾けている。真面目で勤勉な天使。
理想のヒロインそのもの——だから、俺を選ぶんだ。
口元が、つい緩んでしまう。
ああ……本当に可愛いな、それに可憐だ。
浴衣姿が今から楽しみだ……。
壁の時計を睨みつけ、もう間もなくこのホームルームが終わる時間だと確認する。
そうしたら急いで教室を出て、昨日みたく人が少なくなったところで——
(そこで、自然に誘う)
頭の中で、何度も流れをなぞる。
声のトーン。
立ち位置。
距離。
仕草。
全部問題ない。昨日再確認したんだ。
イメージはバッチリできてる。
ラノベで何度も見てきたシーンなんだから、失敗する要素はない。
「……白井、聞いてるかー?」
担任の声で、現実に引き戻される。
「……あー、はいはい」
舌打ち交じりに適当に返事をする。
教室のあちこちから、くすっと小さな笑いが漏れた気がした。
……まあいい。どうせもう終わりだ。
こんな時間より、この後の方が大事だしな
もう一度時計を見る。
針は、ゆっくりと進んでいる。
だが……やけに遅く感じた。
――チャイムが鳴った。
その瞬間、教室の空気が一気に緩む。
「終わったー!!」
「夏休みだー!!」
歓声と、椅子を引く音。
机がぶつかる音。
……実に騒がしい。ガキが。
でも、その喧騒の中で——俺は早々に静かに立ち上がった。
視線はただ一人。奈々へ向けて。
(……行くか)
昨日やったんだから、タイミングは完璧だ。
あとは——流れに乗るだけだ。
階段を駆け下り、急いで靴を履き替え、校門を越えて昨日と同じ物陰に身を潜める。
さぁ、こっちはいつでもいいよ。
早くおいで、奈々。
* * *
物陰に身を潜めて、しばらくが経った。
校門からは、浮かれた生徒が次々に出てくる。
笑い声、いくつもの足音。
人生を謳歌した気でいるモブの群れ。
その中に——
「……来た!」
奈々の姿が見えた。
でも……一人じゃない。
女子が二人、その少し外側に男子が三人。
自然に見える並びだが、よく見ると奈々を囲うような形になっている。
「何だあいつら」
いつもなら分かれるはずの校門を過ぎても、一緒に歩いている。
……へぇ、そう来ますか。
やれやれと肩をすくめ、頭を掻く。
これじゃあ、昨日と同じ手は使えない。なら……男らしく正面からいってやろう。
俺は物陰から姿を現して、奈々がこちらへ歩いてくるのを満面の笑みで迎えた。
奈々がちらりとこちらに視線を向けた。でもすぐに逸らされる。
そのまま、奈々は隣の女子に何かを言っていた。
『ちょっと待ってて、白井君が待っててくれてるから』
そう言っているに違いない。
……大胆だな、奈々。みんなの前で見せつける気か? やれやれ……。
「白井」
不意に、声をかけられた。
声の主は奈々ではない。
確か……工藤だったか?
「ちょっといいか」
軽く顎で離れた場所を示す。
……なるほど。
(そういう役回りか)
俺は肩をすくめて、数歩だけそっちへ歩いた。
「……何?」
腕を組んで、余裕を崩さずに答える。
――少し威圧しておくか。
眼力を強め、不敵に笑って見せる。
工藤は俺の威圧に戸惑った表情を浮かべ、一瞬だけ言葉を選ぶように視線を泳がせてから、口を開いた。
「……そのさ」
少しだけ声を落として。
「清川、ちょっと困ってるみたいだから」
「……は?」
困ってる? 何が? 誰が、何に??
その言葉の意味を、ゆっくりと咀嚼する。
沈黙が落ちる。
だが、意図が分かった瞬間、俺はふっと小さく笑った。
「……ああ、なるほどね」
理解した。
完全に理解した。
(そういうことか)
視線だけで、奈々の方を見る。
目は合わない。
でも、それでいいんだ。
俺には十分すぎるほど、伝わっているから。
「サンキュな、工藤」
軽く手を上げる。
「お気遣いどうも」
そのまま、奈々の方へ歩き出す。
やっぱり奈々は、言い出せずに困ってたんだな。困らせちゃってごめん。
「……清川さん」
名前を呼ぶ。
奈々の肩が、ぴくりと揺れた。
一瞬だけこちらを見てすぐに視線を逸らす。
……やっぱりな。
照れてる奈々も可愛いな。
「ちょっといいか?」
できるだけ自然に。
周りにも聞こえるくらいの声で。
奈々はすぐには答えず、一歩後退った。
その代わり、隣の女子が奈々を隠すように立ち塞がる。
それに工藤の他にもモブ2とモブ3がゆっくりと俺へと近付いてくる。
「あの……何? 奈々怖がってるんだけど?」
どこか棘のあるモブ女子の声。
……ああ、なるほど。恋の障害役か。
「いや、ちょっと大事な話があってさ」
奈々の方へ視線を戻す。
「清川さん……いや、奈々もいいよな?」
一瞬、空気が止まった。
奈々の表情が、強張る。
「……おい、白井!」
工藤が後ろから腕を掴んでくるが、強引に振り払う。
「ッ……塚田、冨樫!」
モブ2とモブ3が俺を止めようと正面から歩み寄ってくる。
「なんで邪魔するんだ? 俺は奈々と二人で夏祭りに行こうと」
「悪いけど、もう先約入ってるんだよ」
「お前さ、妄想も大概にしろよ 清川は」
「と、富樫くんっ!! それはいいから!」
……ほら、奈々も止めに入ってくれてる。
間違ってたのはこいつらだ。
「奈々も言ってるだろ? いいから……離せ!!」
二人を押し退けて進もうとすると、モブ二人が俺に掴みかかってくる。
「シッ!」
容赦なく中国拳法八極拳――頂肘を体重を乗せてモブ3へ打ち込むと、彼は鈍い音を立てて倒れ込んだ。
「やめてよね、俺に勝てると思ってるの?」
女子達の悲鳴が響き、周囲の目線が俺達に集まっていく。
真っ青な顔をした奈々は他の女子達に連れられてその場から去ろうとする。
「ま、待って! 奈々! 俺とっ」
顔に衝撃が走り、言葉が続かなかった。
喋っている所を殴られたせいで口を切り、鼻と口から血が垂れ始めていた。
見れば、モブ2が拳を構えており、鋭い目で俺を睨んでいた。
「お、まえ……邪魔するなよ! 何の権利があって」
「奈々はっ! 僕の大事な……幼馴染だ!」
「……っ! 快人!」
(…………………………は????)




