6話
奈々から誘われなかった衝撃で立ち尽くしていた俺は、踵を返し足早に奈々の去った方へ歩き出した。
……いや、別に奈々を追いかけるつもりじゃない。
帰り道、たまたま帰る方向が同じなだけだ。
ただ、それだけ。
人混みを抜け、視線を左右に振りながら競歩くらいの速さで進む。
きっと奈々はまだ遠くまで行っていないはずだ。
「……いた」
奈々の姿は、少し先にあった。
……位置はちょうどいい。しっかりと目で追える距離だ。
(近すぎると不自然だしな)
歩幅を調整し、一定の距離を保ったまま、奈々へついていく。
奈々はスマホを取り出して何かを見ているのか、時々楽しそうに肩やサラサラの髪の毛が揺れる
「……誰かとやり取りしてるのか?」
……そりゃそうだろうな。さっきも友達と予定の話してたし。
——でもさ。
(ああいうの、俺とも出来るよな?)
少しだけ、想像する。
夜にメッセージのやり取りをして。
他愛もない話をして。
どちらかが寝るまでメッセージをやり取りして、起きたらおはようって言い合う。
生活に奈々がいるのが当たり前の生活。
……うん、悪くない。
悪くないどころか、最高じゃないか。
ふと前を歩く奈々がコンビニの前で立ち止まり、数秒悩むようにじっと店内を覗き込む。
そのまま自動ドアが開き、彼女は中へ入っていった。
……俺も入るか?
一瞬だけ迷って——自然な流れで入店した。
外のうだるような暑さとは隔離された、店内の心地よい冷気が体を包み込む。
足早に商品棚の間を通り抜け、目当ての人物の姿を探す。
——いた。
奈々は飲み物の棚の前で立ち止まり、少し悩むように視線を動かしていた。
今なら声をかけても、全然不自然じゃない。
偶然、同じ店に入っただけだから。
ゆっくりと、歩み寄る。
「……清川さん?」
少しだけ驚いたような声を作る。
「奇遇だね」
今日二度目となる、奈々が目を見開く姿を見た。
* * *
「……白井くん?」
奈々は小さく息を呑んで、それからぎこちなく笑った。
「びっくりしたよ……どうしたの?」
軽く手を上げて返す。
「ちょっと喉乾いてさ」
「そ、そうなんだ」
奈々が手に持っているペットボトルを、もう一度見直す。
へぇ、午前の紅茶か。……奈々らしいな。
笑みを見せつつ視線を奈々の目に合わせると、彼女は少し硬い笑みを返してくれる。
……まだ、少し気まずいか。
まあ、さっきぶつかったばっかりだしな。
「それ、買うの?」
何気ない風を装って聞く。
「うん……これにしようかなって」
奈々は、曖昧に頷いた。
「じゃあ、俺もそれにするか」
同じ棚から、同じ銘柄を手に取る、
奈々の手が止まった気がした。
「最近暑いしな」
「うん……そうだね」
短い返事。
会話が……またそこで途切れてしまう。
仕方ない、こっちから助け船を出してやるか。
「さっきさ、花火の話したよね」
少しだけ踏み込む。
「……あ、うん」
奈々の指先が、ペットボトルのラベルをなぞる。
「まだ、一緒に行く人決まってなくてさ。どうせ一緒に行くなら……やっぱり大事な人と行くのが一番いいよなって」
自分でも、自然に言えたと思う。
「俺……人多いの苦手だけど、雰囲気は嫌いじゃないっていうかさ? だから……」
さぁ、奈々……今度こそ……!!
「……うん、分かるよ。その気持ち」
奈々は小さく頷いた。
でも、その後に言葉は続かない。
——誘いは、来ない。
沈黙が二人の間にまた落ちた。
店内のBGMと、レジの音だけがやけに響く。
「……あ、私、先にお会計行くね」
奈々はそう言って、視線を上げないまま一歩下がる。
「じゃあね、白井くん」
軽く会釈し、そのまますっと離れていく。
レジの方へ向かう後ろ姿を、俺は凪いだ気持ちで見送っていた。
「……」
手に持ったペットボトルを見つめる。
ラベルに書かれている幼女の笑顔が妙に憎らしくなる。
……まあ。
今のは、あれだ。
さっきのこともあって、ちょっと気まずかっただけだろ。
奈々も、ああいう場面だと上手く話せないタイプだしな。
もう一回だけ、アプローチしてみよう。
今度は俺から。
* * *
紅茶を購入し、コンビニを出た後。
外の熱気に包まれながら辺りを見回す。
——いない。
よく目を凝らし、少し先の人の流れの切れ目で、見覚えのある後ろ姿が見えた。
「……あ」
いた。奈々だ。
もうあんな遠くまで……。
「……走ってる?」
やっぱ急いでたんだな、さっきも時計を見てたし。この後予定があるんだろう。
——だったら。
今、無理に引き留めるのは違う。
せっかくの予定、邪魔するのも悪いしな。
やれやれと軽く息を吐く。
頭の中で、切り替える。
奈々の家は、だいたいこの先のはずだ。
前に彼女が話してたのを聞いて覚えている。
ちょっと遠回りして帰る途中で、偶然会う。
それなら、不自然じゃない。
見失わないように、俺は軽く走る事にした。
少し距離を取りながら、同じ方向へ進む。
信号を一つ、二つ。
角を曲がると、もう奈々の姿は見えない。
でも大丈夫。あとは、だいたい分かるから。
住宅街に入ると、人通りは一気に減った。
夕方の光が、家々の影を長く伸ばしている。
「静かだ」
さっきまでの喧騒が、嘘みたいに。
「えーっと……この辺り、だったよな」
視線をゆっくりと動かしながら、表札を一つ一つ確認していく。
高級住宅街なのか、立派な家と高そうな車が何台も並んでいる。
その中の――立派な門構えの西洋式の家。
小さな庭を越えた先にある玄関のドアが、ちょうど閉まるところが見えた。
小走りでその家の門の前まで行き、確認した表札には『KIYOKAWA』とオシャレな筆記体で書かれていた。
間違いない。
「……やっぱり、ここか」
小さく、呟く。
チャイムを鳴らそうか?
指が、無意識にボタンの位置をなぞった。
……いや。
さすがに、帰った直後に呼び止めるのはタイミングが悪い。
門の前に立ったまま、少しだけ考える。
……明日。
学校で、改めて。
今度は、もっと自然に。
ちゃんとした形で誘えばいい。
きっと奈々は俺が男を見せるのを待っていたんだ。
今日分かった。向こうからは言えないタイプだしな。
チャンスは、まだあるんだから。
踵を返して、来た道をゆっくりと戻っていく。
「……住所、分かったしな」




