17話 奈々
期末試験が終わった。
最後のチャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一気に緩む。みんな一斉に立ち上がって、夏休みの話で盛り上がり始めた。
花火大会、海、カラオケ。
楽しそうな声があちこちから聞こえてくる。
私もその輪の中にいた。
「奈々佳奈! おつかれ~!」
「あ”ぁ~最悪ぅー……最後の問題わかんなかったぁ……美香も奈々も勉強出来ていいなぁ」
仲良しの美香と佳奈が早々に私の席に集まってきて、思い思いの言葉を話している。
私も試験が終わって嬉しくて、これからやってくる夏休みがとても楽しみで、笑顔がこぼれてしまう。
そんな中で、佳奈が何か思いついたように、軽く机を叩きながら提案した。
「ねぇねぇ、夏休み花火大会行こうよ!」
「いいね!浴衣も着る?」
花火大会! 去年も楽しかったなぁ。今年も快人と一緒に回れるかな……?
「もっちろん! 奈々も着るよね!!」
「うん! 今までの小さくなっちゃったから、浴衣……お母さんが買ってくれたんだ」
そう言いながら、少し誇らしげに笑う。
水の波紋のような、涼しげな模様の浴衣。
この前お母さんとお買い物に行った時、一緒に選んで買ってもらったんだ。
「へー! いいね! 奈々、それで夏祭りいこ!!」
「うんっ!! あ、工藤君とかも誘う?」
「いいねーっ! 勉強会メンツでいこ!!」
とっても楽しみ――なのに。
ほんの少しだけ、胸の奥に引っかかるものがあった。
理由は分かってる。
……視線、ずっと感じているから。
そっと横を見る。
(白井くん……やっぱりこっち見てる……)
すぐに視線を戻し、気付かないふりをする。
でも、完全に無視するのも違う気がして。
「みんなで行くの、楽しみ~!」
『みんなで』を強調する。
そうしないと——なんとなく、怖いから。
* * *
放課後。
今日は少し早めに帰ることにした。
夏祭りに向けて色々お買い物がしたかったから。
昇降口で靴を履き替えて、友達と一緒に校門まで出る。
「ねぇねぇ奈々~。塚田君とどうなの?」
「えっ!? えーっと……仲良いよ! うんっ!」
塚田快人。
私が幼稚園の時からずっと一緒の学校に通って、今も同じ高校に通っている幼馴染み。
昔はちょっと頼りなくて、弟みたいなかわいい男の子だって思ってた。
今は……カッコよくなったと思う。
背も伸びて、私よりも高くなって。小さい頃の面影はあるけど、しっかり男の子してるっていうか……不思議な感じ。
毎年、家に遊びに行ったりお祭りも初詣も行ったりして、傍に居るのが当たり前だったけど……。
快人といると、落ち着くから……傍に居て欲しいって思ってる。
「今年のお祭りで、勝負しちゃえば??」
「うんうん! 塚田君、人気なんだよー?」
「えー!? いや、でも……」
「そういう佳奈も、工藤君とどうなの?」
「どうって……い、いやぁ~どうだろうねー??」
「あ、こら! 逃げるなーっ!」
手を振って、笑って。
でもあっと言う間に校門に来てしまった。
「じゃあ、今日は私まっすぐ帰るね」
「うんー、お疲れ~!」
「またねー!」
もっと話していたかったけど……仕方ないよね。
二人に手を振って、そのまま一人で歩き出す。
スマホを取り出して時間を確認し、そのまま買い物リストを開く。
(浴衣に合わせるなら……やっぱり可愛い巾着とか髪留めとかあった方がいいよね?)
画面の写真に集中してしまった——その瞬間。
「っ……!」
強い衝撃。
身体が浮いて、そのまま地面に尻もちをつく。
「いたた……あ、あれ? 白井君……?」
顔を上げて、固まる。
……やっぱり。
そう思ってしまった。
彼の目を見て、その視線が——私の顔ではなく、違うところに向いてる。
「ッ……!」
慌ててスカートを押さえる。
心臓が一気に跳ねる。
恥ずかしい、とかじゃない。
……怖い。
「ご、ごめん。大丈夫か?」
手が差し出される。
でも、その手を取る気になれなくて。
「ご、ごめん……私こそ」
自分で立ち上がって少し距離を取る。
自然に。
不自然にならないように。
笑顔も、うまく作れてるか分からない。
そこから会話が続く。
夏休みの話。
花火大会の話。
きっと、白井くんも誘ってほしいのかもしれない。
だけど……一緒に行こうって、誘う言葉が出てこない。
「……そうだね。きっと素敵だと思うよ」
それが精一杯だった。
逃げるみたいに、時計を見る。
「ごめんね、私そろそろ行かなきゃ」
そのまま離れて、軽く会釈する。
「ごめんね、また学校で」
振り返らずに下校する生徒達の人混みに紛れる。
やっと。
呼吸が楽になる。
(……怖かった)
歩きながら、小さく息を吐く。
手が、少し震えてる。
どうしてあんなに強くぶつかったのか。
どうしてあのタイミングだったのか。
偶然……?
まさか、狙って……なの?
そんな気がしてしまう。
決めつけるのも悪い……分かっているけども。
(……距離、取らなきゃ)
そう思った。
ちゃんと距離を取ろう。
でも角を立てないように。
……難しいけど、やらなきゃいけない。
足早に歩いているが、後ろを振り返る勇気はない。
(……いるかも)
そんな気配が、ずっと背中にまとわりついていたから。
* * *
帰り道の途中で、コンビニが目に入った。
先程の出来事で口内が異様に乾いていて、それに夏の日差しと暑さも極まって喉が渇いてしまっていた。
(……何か、飲み物買おうかな)
そう思って店に入ると、クーラーの冷気に包まれて、少しだけ呼吸が落ち着く。
そのままゆっくりと歩き、飲み物の棚の前で立ち止まる。
何を買おうか。新商品のポップも出ていて、中々に悩ましい。
店の入店のチャイムが鳴るのが聞こえる。
(暑い日だし、みんな避難してるのかな?)
くすりと笑いながら、午前の紅茶を棚から選んで取り出す。
「……清川さん?」
……聞きたくなかった声。
びくっと肩が跳ねる。
振り向くと、彼がいた。
「……白井くん?」
声が少しだけ震えるが、無理やり笑顔を作る。
ぎこちないのは分かってるけど、それしかできない。
「奇遇だね」
……奇遇じゃない。
そう思ってしまった自分に、少しだけ嫌悪感が湧く。
「びっくりしたよ……どうしたの?」
「ちょっと喉乾いてさ」
「そ、そうなんだ」
会話が続く。
「まだ、一緒に行く人決まってなくてさ。どうせ一緒に行くなら……やっぱり大事な人と行くのが一番いいよなって」
――また、花火の話。
その後も、白井くんは早口で何か言っていた気がするけど、彼の言葉の『大事な人と行くのが一番』という言葉が、頭に反響するように染み込んでいた。
「……うん、分かるよ。その気持ち」
心からの言葉が出たと思う。
一年で一度の夏祭り、やっぱり……大切な人と一緒に特別な時間を過ごしたい。
自分の想いに、素直になろう。
そう思うと……恥ずかしくて、言葉が出なかった。
沈黙が二人の間にまた落ちた。
店内のBGMと、レジの音だけがやけに響く。
「……あ、私、先にお会計行くね」
目を合わせないまま、足早にレジへ向かう。
「じゃあね、白井くん」
軽く会釈をして、財布を取り出す。
会計を済ませる手が少し震えているのに気付く。
袋はいりません、と言う声も少し掠れていた。
店を出た後——私は走り出した。
心臓がうるさい。
(怖い……)
頭の中で、はっきりとその言葉が浮かぶ。
さっきの会話。
視線。
距離。
全部が、少しずつおかしかった。
普通じゃない。
家までの道を急ぐ。
信号もほとんど見ていない。
とにかく、早く。
門を開けて、玄関へ。
「ただいまっ!」
ドアを閉めた瞬間——ようやく、息ができた。
鍵をかけて、その場にしゃがみ込む。
「……はぁ……っ」
手が、まだ震えている。
(……どうしよう)
白井くん、多分……ついて来てた、よね。
もう限界だった。
私はグループチャットをタップし、美香と佳奈。
そして――快人にメッセージを送った。




