12話
気が付いた時には、家の前に立っていた。
どうやって帰ってきたのか、よく覚えていない。
足が勝手に動いていたみたいに、気付けばここにいた。
玄関のドアを開け、無言のまま帰宅する。
月にも声はかけない。
やけに静かな廊下を歩き、自室へ続く階段を上る。
一段一段踏み出す足取りは重いのに、どこか足元がふわふわしている気がして、いまいち現実感がない。
自室のドアを開ける。
見慣れた部屋。
見慣れたはずの景色なのに……どこか知らない場所みたいに思ってしまった。
ふと机の上に置きっぱなしになっていた一冊の本が目に入った。
折り目を付けて開いたままにしていた夏祭りのシーン。
花火の下で、ヒロインが——
「……」
何も考えられない。
考えたくない。
ページの中のヒロインは、頬を赤らめて笑っていた。
幸せそうに。
嬉しそうに。
——好きな人に、キスをしていた。
「……ちがう」
ぽつりと、声が漏れる。
何が違うのか、自分でも分からない。
ただ、違う。
それだけが、頭の中で反響する。
ゆっくりと、手を伸ばす。
本に触れる。
紙の感触。
現実のはずなのに——どこか遠い。
指先が、ページをなぞる。
……同じだ。
全部、同じだったはずなのに。
「……なんで」
言葉が、続かない。
口内が喉の奥までひどく乾いている。
胸の奥で、何かが音を立てて軋む。
でも、それが何故なのか分からない。
何も分からないまま——ただ、そこに立ち尽くしていた。
「奈々……」
か細く消えそうな声で奈々の名を何度も呼ぶ。
呟くように、絞り出すように。
自然と視界が涙でぼやけていた。
次第に声は嗚咽に。そして慟哭に変わり、涙と鼻水がページを汚していく。
「ああああああああああッ!!!! あああああああああああああああッッッッ!!!!!」
もうなりふり構わなかった。
何度も、机ごとラノベを殴りつけた。
何度も。
何度も。
手の皮が破れ血が滲み、じわじわと痛みで拳が痺れてきても、胸を裂くようなこの痛みに比べれば何とでもない。
挿絵のヒロインが、血で汚れていく。
それを見て、俺は背中がゾクリと震えた。
震える手で机の引き出しからカッターを取り出し、滅茶苦茶に挿絵のページを切り裂いた。
——ヒロインが切られ、血を流しているようだった。
ゾクリ……。
胸の痛みが少し晴れていく。
口元が笑みを浮かべていく。
「……あははは。あはははははははははっ!!!!」
何度も俺はカッターを振り上げ、ラノベへと刃を振り下ろした。
ページが裂け、もう挿絵は挿絵としての役割を果たさぬ紙屑へと姿を変えていた。
——それでも俺は、構わずカッターを振り回し続けた。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてえええええええええっ!!!!」
次第に嗤い声は絶叫へ。怨嗟の叫びへと移り変わっていた。
もう喉が張り裂けそうで、何度も声は裏返った。
それでも、こうしているだけで胸が空き、心が晴れていく。
中毒に陥ったように、腕が疲労で動かなくなるまで、声が枯れるまで。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
手からカッターが滑り落ち、軽い音を立てて床を転がる。
そのまま汗と涙とよだれで塗れたまま、俺も床へ倒れ込んだ。
散々暴れて、妙に頭がすっきりしていた。
俺がこれからすべきことがはっきりと分かったのだ。
「奈々ぁ……ふひゃ……あはははははっ……!!」
待っててね、奈々。
今、俺が君を助けに行くからね。
ポケットからスマホを取り出して、大手通販サイトのページを開いた。
アレを検索する。
迷いはない。
手に馴染むもの。
確実に使えるもの。
——間違えないために。万が一でも、失敗しないように。
選んだ品物をカートに入れる。
指が、止まらない。
決済。
画面が切り替わる。
『注文完了』
「……楽しみだな」
小さく、呟いた。
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