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嫁ぎ先が滅びた出戻り王女の再婚〜最強は、だいたい無気力でできている〜  作者: 薄氷薄明


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「認識の齟齬」

 国王執務室。窓の外に広がる夜の帳が、城内を冷たく包み込んでいた。

 国王ヴィンセントの目の前では、側近のアロイスが脂汗を浮かべながら報告を続けている。


「……報告は、それだけか」


「はっ。西棟の監視に当たらせていた『灰被り』の小隊……。定時連絡を最後に、一人として戻りません。一昨日送り込んだ追加の偵察も、消息不明です」


 ヴィンセントの拳が、みしりと机を鳴らした。

 『灰被り』。それはエシャン王国が誇る、王直属の諜報・暗殺精鋭部隊である。魔法による隠蔽と隠密行動に長け、過去一度も任務を仕損じたことのない連中だ。それが、たかだか旧館の一室を遠巻きに監視していただけで、音もなく消えた。


 入城から数日。状況は悪化の一途を辿っていた。

 アシュリー側は「不信」を理由に、王が手配した正規の侍女や護衛をすべて門前払いし、たった二人の従者で西棟に立てこもっている。王の耳目である『灰被り』すら近づけぬその場所は、今や王宮の中にぽっかりと空いた『深淵』と化していた。


「相手は、魔力を持たぬ病弱な王女一人と、従者が二人のはずだぞ。……連中が、指一本触れられずに始末されたとでも言うのか」


「死体すら見つかりません。ただ、あまりにも『綺麗』に、そこにあったはずの気配が削ぎ落とされているのです。……血の匂いすら、残っておりません」


(アシュリー・ド・メネス。貴様は、一体何を持ち込んだのだ)


 ヴィンセントの背筋を、嫌な予感が撫で上げた。


(……違う。持ち込んだのではない。あれは最初から、“あちら側”の存在だ)


 メネス王国が意図して送り込み、エシャン王宮の心臓部に得体の知れない楔を打ち込んだのではないか。あるいは、後宮の女たちが王の想像を絶する凶行に及び、王女の死を隠蔽しようとしているのか。


「……これ以上、静観はできん。三日後だ。小広間に妃全員と側近を集めろ。名目は、メネス王女アシュリー殿の『正式な歓迎の宴』だ。三日の猶予をやる、万全の準備を整えろ」


「承知いたしました。直ちに手配いたします」


 それは、王としての威厳を保ちつつ、彼女の生存をこの目で確認するための、ギリギリの策であった。




 三日後。

 歓迎会の通達から当日までの間、後宮にはある「確信」を伴う噂が充満していた。


「あら、ようやく正式な場へ引きずり出されるのね。あの物置に放り込まれて、一週間かしら?」


 ダイアナは、最高級のドレスに身を包みながら、鏡の中の自分に微笑みかけた。

 一週間、あの極寒と暗闇の物置に閉じ込められ、魔導具も使えず、満足な食事も寝具も与えられなかった小娘だ。おまけに連日、自分たちが放った刺客たちが(戻っては来ないものの)夜通し彼女を脅かし続けているはずなのだ。


「晒し者にするには、絶好の機会ですわね。皆様、あの哀れな王女様を温かく”歓迎”して差し上げましょう?」


 イデリーナやメリッサたちが、扇の陰でクスクスと笑い声を上げる。

 彼女たちにとって、この会は歓迎会などではない。エシャンの洗礼に屈し、ボロボロになったアシュリーの無様な姿を、王の面前で嘲笑うための処刑場であった。


 会場となる小広間には、魔導具による眩いばかりの光が満ちていた。

 ヴィンセントは、表情を消したまま上座に座していた。その隣には、期待に満ちた瞳の妃たちが並んでいる。


「第四王女、アシュリー・ド・メネス殿、御入来!」


 儀仗兵の声が響き、扉が開かれた。

 一同の視線が、一点に集中する。


 そこに現れたのは――想像していたような、やつれ果てた敗北者の姿ではなかった。


「……コホッ。皆様、本日はこのような場を設けていただき、感謝いたしますわ」


 アシュリーは、透き通るような白い肌をさらに際立たせる薄紅のドレスを纏い、一歩一歩、優雅に絨毯を踏み締めて歩いてきた。

 確かに、ハンカチを当てて咳き込む姿は儚げで、今にも倒れそうな危うさがある。

 だが、その瞳に宿る知性は一片も濁っておらず、頬には微かな朱が差している。一週間の冷遇などなかったかのように、彼女は完璧な”王女”として、そこに立っていた。


(……生きている。それどころか、落ち着いているだと?……いや、違う。落ち着いているのではない。すべてが、予定通りに進んでいるかのようだ)


 ヴィンセントは、喉の奥で息を呑んだ。

 自分の精鋭たちが全滅した場所で、彼女はまるで自宅の庭を散歩するかのような余裕を漂わせている。


「ア、アシュリー様……お元気そうで何よりですわ」


 ダイアナが、ひきつった笑みを浮かべて声をかける。

 一週間も”体調不良”で引きこもっていたはずの彼女が、なぜこれほどまでに凛としているのか。


「ええ。皆様のおかげで、西棟ではとても『賑やかな夜』を過ごさせていただきましたもの……少し、来客が多うございましたけれど」


 アシュリーはふわりと微笑んだ。

 その微笑みが、この場にいる者たちへの宣戦布告であることに気づいたのは、ヴィンセントただ一人であった。


 認識のズレが、決定的な亀裂となって広間を支配していく。

 エシャン王国の夜は、これからが本番であった。


 ――あの王女は、守るべき存在なのか。それとも、管理すべき“災厄”なのか。

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