「聖域の監査と、ズレた正義の訪問」
エシャン王宮の正門前に、白装束に身を包んだ一団が到着していた。
教会本部より派遣された『特別監査官』と、その護衛である聖職騎士たちである。彼らの目的は、聖女ヘレナから届く「この世の天国を見つけましたわ!」という不穏な報告書の真偽を確かめることであった。
「……ここが、報告にあった王宮か。聖女ヘレナによれば、”至高の静寂が満ちる聖域”とのことだが……」
監査官の脳裏にあるのは、厳格な規律と威厳に満ちた聖なる空間。だが、門をくぐった瞬間、彼は言いようのない違和感に眉をひそめた。
魔力の流れは異常なまでに澄み切り、不純な雑音が一切ない。それは確かに”聖域”と呼べる状態だったが――あまりにも、人為的に”最適化”されすぎていた。
案内された先は、王宮の東の離れ。
案内役の宰相マシューが「ここからは足音を五デシベル以下に抑えてください」と真顔で告げ、扉を静かに開く。
そこに広がっていたのは、監査官の常識を粉々に打ち砕く光景だった。
「アシュリー様、日差しが〇・三ルーメンほど強くなりました。遮光カーテンの角度を二度修正いたしますわ」
理性の皇女アディリンが、もはや帝国の威信など忘れたかのように、魔導測定器を片手にカーテンの隙間を埋めていた。
その傍らでは、聖女ヘレナが恍惚とした表情で、加湿器に”最高級聖水”を注ぎ込んでいる。
「ああ、アシュリー様……今日もその青白い肌が、聖なる静寂に映えていらっしゃいますわ……」
肝心のアシュリーはといえば、ソファに沈み込み、青白い顔で小さく肩を震わせていた。
「……コン、コンッ……」
「アシュリー殿! 大丈夫か!?」
血相を変えて駆け寄ったのは、国王ヴィンセントであった。彼は王冠を脱ぎ捨て、手慣れた手つきで”美味しい湧き水”をコップに注ぎ、彼女の口元へ運ぶ。
「……すまない。少し……喉が。……ヴィンセント、水、ありがとう」
((王が……水差し係だと!?))
監査官の思考が停止した。即位したばかりの若き王が、他国の病弱な王女に、まるで甲斐甲斐しい従者のように尽くしている。
「……何をしている。教会の方々」
ヴィンセントが、アシュリーを庇うように冷たい視線を監査官に向けた。
「監査官だか何だか知らんが、今のアシュリー殿は非常にデリケートな状態だ。少しでも不快なノイズを立てるなら、即刻この国から叩き出すぞ。……これは王としての警告だ」
((……いいえ。……それは王としてではなく、完全に”過保護な相棒”の台詞ですわ))
アディリンが内心でツッコミを入れるが、監査官にとってはどちらにせよ恐怖でしかなかった。
「……失礼。我々はただ、聖女殿の報告に基づき、この場の”性質”を確認したいだけで……」
監査官がおそるおそる一歩前に出る。
彼はアシュリーの背後に潜む、漆黒の塊に気付いた。膝の上で丸まる小竜、クロである。
「その竜が、魔導災害の源だという報告も受けております。……安全性の確認のため、簡易的な浄化と祝福を――」
聖職者が一歩踏み出し、アシュリーへと手を伸ばした、その瞬間。
『……キュイ』
クロの黄金色の瞳が、カチリ、と知性を持って開いた。
ただ、それだけだった。
次の瞬間、聖職者の足が地面に縫い付けられたように止まる。
「な、何だ……? 前に進めない……空間が、固まっているのか……?」
「……そこまでですわ」
アディリンが、冷徹に告げた。
「外部の未調整な魔力は、クロ様の繊細な感覚にとって、ドブネズミの鳴き声よりも不快なノイズです。……そしてそれは、アシュリー様の安眠を阻害する不純物でもありますわ」
「不要な祈りは、あの方の純粋さを濁らせるだけ。……お引き取りを」
ヘレナが加勢し、聖域の二大管理人が監査官を睨みつける。
監査官は、この部屋の異常性をようやく理解した。ここには教会の正義も、帝国の論理も届かない。
アシュリーという名の核を中心に、王、皇女、聖女、そして竜が、完全に閉じた一つの”生態系”を形成しているのだ。
しばしの観察――という名の、一方的な威圧の後、監査官たちは逃げるように東の離れを辞した。
王宮の外に出てようやく、監査官の一人が震える声で呟いた。
「……危険、なのか? あの王宮は」
「分からん。だが……少なくとも、反乱の兆しはない。……ただ、全員が一人の少女に”狂っている”だけだ」
「では、報告は……?」
「保留だ。……『理解不能。だが、現時点での干渉は壊滅的な反撃を招く恐れあり。現状維持を推奨する』とだけ書いておけ。……あんな場所、二度と関わりたくない」
東の離れ。
「……帰ったのね。ようやく、静かになったわ」
アシュリーが、満足げにヴィンセントの持ってきた水を飲み干した。
「ああ。外部ノイズは排除した。……アシュリー殿、まだ喉は痛むか? すぐにロン(医師)を呼ぶか?」
「……大丈夫よ。ヴィンセント、あなたが側にいてくれれば、少しは落ち着くわ」
アシュリーがいつになく素直に(演技も含めて)微笑むと、ヴィンセントは耳まで真っ赤にして「そ、そうか……なら、ここにいよう」と壁にもたれかかった。
(……やはり、この距離感が一番しっくりくるな)
王としての重責から解放され、一人の少女の安眠を守る相棒としての日常。
アディリンはそれを日誌に『王の依存度、さらに一五%上昇』と書き込み、ヘレナは「尊いですわ……!」と祈りを捧げる。
エシャン王宮という名の魔窟は、外部の正義すらも呆れさせ、今日もうっとりするようなカオスの中に沈んでいく。
アシュリーはクロを撫でながら、静かに、そして楽しそうに目を閉じた。




